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起3

起3 足りないもの


隣の部署に、片岡という男がいた。

高橋は最近、なぜか彼のことが気になって仕方がない。特別な理由があるわけじゃない。ただ——あの夜、美月がふと漏らした言葉が、頭のどこかに引っかかっていた。

「片岡さんって、時々、予測できない動きをするんですよ」

それを聞いたときはただ受け流したものの、それ以来、高橋は意識的に彼を目で追うようになった。確かに、片岡の行動は少し変わっている。たとえば、コピー機のボタンをやけに高い位置から押し込むとか。考えごとをしているとき、右手の甲をおでこに乗せる癖があるとか。別に不審というほどではないが、そう…普通ではない。だからこそつい、目で追ってしまう。

「高橋さん、お客様が来ています」

ふいに背後から声をかけられて、我に返った。振り返ると、経理の女性がどこか緊張した表情で立っている。高橋が立ち上がると、彼女は控えめに視線を動かして、フロアの端を指さした。そこには見慣れない男が二人立っていた。スーツ姿ではあるが、明らかにこの業界の人間ではない。周囲を気にしつつ、妙な威圧感がある。直感的に警察とわかった。

「お待たせしました。高橋です」

そう声をかけると、2人はほぼ同時に、胸元から手帳を取り出して提示した。

「○○警察署の黒川です」

「沢渡です」

やはり。予想は的中した。

驚きはしたが、腹はくくっていた。美月の姉・陽菜から、警察が自宅を訪れたこと、自分の名前を出したことは聞いていた。彼女は申し訳なさそうにしていたが、高橋としてはむしろ感謝していた。美月のことで、ようやく警察が動いてくれたのだから。

「篠崎美月さんの件で、少しお話を伺いたいのですが」

「わかりました。テーブルをご用意します。先に上司に一言報告させてください」

3人は空いている打ち合わせスペースへ向かった。

席に着くと、黒川が先に口を開いた。

「篠崎美月さんとは、失踪する前に会っていたとか」

「はい。一緒に外回りをして、その日は直帰だったので、そのまま食事して別れました」

「そのとき、美月さんに変わった様子はありませんでしたか?」

高橋は少し考え、静かに答えた。

「元気はありました。でも、今思えば……少し感傷的だったかもしれません」

「具体的には?」

「恋愛の話をしたんです。私に対しては初めてでした。彼女、あまりそういう話しないんですよね。でもその日は、過去に付き合っていた人が今日訪問した会社に勤めてるとか……留守電にメッセージが残ってたとか」

「元交際相手の名前、聞いてますか?」

「いえ。職業はエンジニアだと聞きましたが、名前は出ませんでした」

「その会社、どこだったか教えていただけますか?」

高橋は名刺入れから該当の会社の名刺を取り出し、手渡した。黒川がその名刺を見てメモを取る。すると、黙っていた沢渡がふと質問を挟んできた。

「高橋さん。篠崎さんとは、男女の関係はありましたか?」

唐突な質問だった。少しだけ心臓が跳ねた。

「……それはありません。私には妻も子どももいますし、ご存知だと思いますけど、美月さんの姉とは大学の同級生です。手を出したら……考えるだけで怖いですよ」

沢渡は静かにうなずく。

「お話を聞いている限りでは、お2人での食事は今回が初めてではないようですが」

「外出した帰りに何度か、です。あくまで同僚としての関係です」

高橋は自分の声が、思ったよりも硬いことに気づいた。

まさか、自分が疑われているとは——そう思いもしなかった。やましいことなど何もない。それでも、警察に疑われるというだけで、どうしてこんなに身がすくむのだろう。

「とりあえず、わかりました。お忙しいところ、ありがとうございました」

沢渡は柔らかい声で挨拶したあと立ち上がった。続いて、黒川も一礼して静かに立ち上がった。打ち合わせスペースを出る間際、黒川は懐から名刺を取り出し、高橋に手渡す。

「篠崎さんのことで何か思い出したら、ご連絡ください。どんな些細なことでも構いませんので」

「……はい、わかりました」

高橋の返事には、まだどこか緊張が残っていた。


会社を出た後の通り。ビル風が肌を撫でるように吹き抜けていく。人々が足早に行き交うなか、沢渡と黒川はゆっくりと歩きながら、言葉を交わした。

「白っぽいですね」

黒川がぽつりと漏らし、沢渡は少しだけ頷いた。

「決めつけは禁物だが、北原殺害の線は薄い。たとえ篠崎美月との間に何らかの感情的なもつれがあったとしても、あの男が北原を殺す動機にはならない」

「ですよね。殺すにしては、遠すぎる」

「むしろ……鍵を握ってるのは元交際相手のほうかもしれない」

黒川が足を止めて言った。

「せめて名前がわかればいいんですけどね。その会社、行ってみます?」

沢渡は首を横に振りながら歩を進める。

「いや……とっかかりがない。名前も顔もわからん相手を、会社の名簿片手に当てずっぽうで探すわけにもいかん」

一拍置いて続ける。

「下手に動いて元交際相手に逃げられたくないしな」

黒川は口をつぐんだまま、再び歩き出す沢渡の背中を見つめた。

まだ、もう一つ手がかり足りない――その感覚だけが、胸に残った。


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