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起1

起1 衝動ではない事件


沢渡巧は、指先の絆創膏が剥がれかけているのを気にしながら、白い手袋をはめていた。無骨な中年刑事の手には似つかわしくない小さな傷――だが、それは料理教室で包丁を握ったときにできたものだった。家族にも、同僚にも言えず、絆創膏の不快感は自分の中に溜め込むしかない。そんな苛立ちを押し隠し、沢渡は静かに動物病院の扉をくぐった。


院長の北原正人が昨夜未明、路上で血を流して倒れているのが発見された。人付き合いが得意な男ではなかったが、近隣と大きなトラブルがあったわけでもない。外から見える限り、波風の立たない生活を送っていた。

「火種になりそうなものは、特に見当たりませんね」

先に病院に入っていた刑事、黒川雅人が振り返りながら言った。沢渡よりも十歳ほど若いが、捜査ではよくコンビを組む相手だ。見た目はどこか映画のベテラン刑事を思わせる沢渡だったが、直感に頼らず、淡々と証拠を積み上げるその手法は、黒川にとってもやりやすい。

無言でうなずいた沢渡は、室内を見渡しながら歩みを進めた。

財布には現金が残されていた。物取りの線は、早々に消えた。付近に監視カメラもあるにはあったが、肝心の犯行現場は死角。映像には何も残っていない。だが、不思議なことに遺体は明け方には見つかっている。発見されることも、想定のうちだった…というより発見させるためだった――そう考えれば、辻褄が合う。

計画的だ。衝動ではない。

手際の良さと、見せ方。一瞬の迷いもなく、緻密に、正確に。まるで犯人は初めから、ここに死体が発見される場面までをシミュレーションしていたかのようだ。沢渡はわずかに息を吐き、静かに口を開いた。

「……北原院長が死んだということを、世間に晒したかった――そんな風に見えるんだよ」

黒川がわずかに眉を動かした。

「知らせる?誰に、何のために?」

それは当然の問いだった。だが、沢渡の中にはすでにわずかな違和感が膨らみはじめていた。北原正人という人物の死が、ただの個人的な恨みではない“何か”に繋がっているとすれば――。

「わからん。今からそれを調べるんだよ。今はまだ可能性の話だよ」

「とりあえず、通院履歴のあるペットの飼い主をあたるか」

沢渡がつぶやくように言うと、パソコンの前に腰を下ろし、保存されているカルテデータに目を通し始めた。画面に表示される一件一件の履歴を、まるでページをめくるように淡々と開いていく。黒川はその背中を見て、小さくため息をついた。終わりの見えない作業が始まった。

誰かがやらなければならないことだとしても、気が遠くなる作業には違いなかった。

それでも、文句ひとつ言わずに黙々と進める沢渡の姿を横目に、黒川もカ別の端末を使い、沢渡が見ていないデータを一つずつ確認していく。

犬、猫、ウサギ――

そこに、殺意を抱かせる理由が眠っている可能性を信じながら。


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