転5
転5
由依が、再び体調を崩した。
翌日、両親に付き添われて病院を受診し、そのまま入院となった。
両親の表情は、いつも以上に深刻に見えた。
黒川にできることは、ひとつしかなかった。
由依が戻ってくるまで、あの猫を生かしておくこと。由依が大切にしていた存在を、失わせないことだった。
由依が入院してからも、黒川は毎日、空き家へ通った。
幸い、深刻に思われた由依の容体は数日後に持ち直した。波はあるものの、調子の良い日には病院内を歩けるほどまで回復する。ただし、看護師からは病室で安静にするよう言われており、由依はすっかり時間を持て余していた。
そんな由依のために、両親はビーズアクセサリーキットを買い与えた。色とりどりのビーズをワイヤーに通せば、ネックレスやブレスレットが作れる。
由依は、思いのほかこの作業に夢中になった。
もともと女子力の高い由依は、お姫様の衣装や煌びやかな装飾品が好きだった。それを自分の手で形にしていく作業は性に合っていたらしく、体調の良い日は黙々と作り続けた。その熱中ぶりに、医師や両親が体調悪化を心配するほどだった。
やがて、由依は自分のためだけでは満足できなくなった。
両親、同じ病室の子どもたち、看護師、そして担当医にまで、作ったアクセサリーをプレゼントするようになっていった。
ある日、黒川は父親と一緒に見舞いに訪れた。
ベッド脇のテーブルで、ピンク色のパジャマを着た由依が、真剣な表情でアクセサリーを作っている。
父親が声をかけ、売店で買ってきた飲み物やお菓子の入った袋を渡す。
「ありがとう。あ――お兄ちゃん!」
由依は顔を上げ、黒川に気づくと嬉しそうに声を上げた。
「お兄ちゃん、ちょっと来て」
右手を小さく振り、黒川を呼ぶ。
「パパは、ちょっと先生のところ行ってくるから」
そう言って、父親は病室を出ていった。
黒川が近づくと、由依は父親がいなくなったのを確認し、声をひそめて聞いてきた。
「あの猫、どうしてる? 元気?」
「ああ……まあ、大丈夫」
「ほんと? パパとママにバレてない?」
「うん。大丈夫」
「そっか……よかった。由依も、猫に会いたいな」
病院という場所は、黒川にはどうにも居心地が悪かった。
そのせいか、由依の問いかけにも、言葉少なにしか返せない。
由依は作りかけのアクセサリーを黒川に見せ、誰にあげるものか、色の組み合わせやビーズの種類について、こだわりを次々と語った。
黒川は相づちを打ちながら、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
「ねえ、お兄ちゃんは何色が好き? お兄ちゃんにも作ってあげる」
屈託のない笑顔で尋ねられ、黒川は一瞬、言葉に詰まる。
いつもの場所で、いつもの調子であれば、話を合わせていたかもしれない。
だがそのときの黒川は、素直に受け取ることができなかった。
「……いや、いいよ。女の子みたいだし、付けないから」
由依から目を逸らし、ぶっきらぼうに答える。
「……え。うん、わかった」
断られるとは思っていなかったのだろう。由依の表情が、わずかに曇る。目を逸らしていても、その表情は視界から消えなかった。本当は優しくしたい。でもできない。歯痒かった。
黒川の胸に罪悪感というインクを一滴、垂らした。
インクは水に溶け、全体を静かに濁していく。
一度混ざってしまえば、もう取り除くことはできない。
時間が経って見えなくなっても、それは消えたわけではない。
ただ薄まって、全体に広がっただけだ。
確かにそこにインクはある。




