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現代奇妙話

ずんばらころりん

作者: 実茂 譲

 オヤ、旦那もずいぶん遊んでおられるようでござんすね? イヤ、あたしも置屋の使い走りをやって、ずいぶんたつんですヨ。いろんな座敷を見てきたから、御大尽を見る目は肥えてるつもりです。そんなあたしだからわかるンですがね、旦那、遊び人にも良し悪しがあるんでさァ。へ、へ、へ!

 飲む打つ買うは当たり前、抱えた妾の数がかぞえきれねえと自慢した御仁もいりゃあ、遊郭の二階から鯉にくれてやるみたいに拾圓札をばらまいた御仁もいました。巴里の賭博場で一夜にして百萬圓をすったと自慢する御仁もいりゃあ、虎撃ちが好きで好きでたまらず、毎年はるばる英領印度まで出かけてって三十頭仕留めてきたと虎の皮を見せびらかした人もありやした。

 でもね、旦那、どいつもこいつもちんけなもんで、見かけは豪気を気取っていても、中身はどうしようもない小心者ぞろいでした。あたしに云わせれば、オンナも博奕も虎撃ちもみな小童のめんこ遊びでさ。

 ほんとうの遊びはねェ、旦那、女を斬ることなんでさァ。

 エ? イヤイヤイヤ、旦那、ホントに斬っちゃマズい。それじゃ遊びと違います。浮気は浮気だからこそ遊びになるんで、本気になったら別のもんです。あくまで遊びのハナシなんで。斬ったけど斬ってないってとこがミソなんで。

 芸妓の名は斬られ太夫。旦那が聞いたことないのは無理もありません。斬られ太夫の呼ばれる座敷はちょっとやそっとの座敷じゃございません。政財界の大立者や由緒ある華族のお歴々しかお目にかかれない、最高級の太夫です。

 その太夫の演目はなにかといえば、ちょこんと座り、白い首をすっと伸ばすだけ。あとはお歴々が床の間に飾る殿下の宝刀で一思いにやっちまえばいいんです。エエ、斬っちまうんで。その名のとおり、斬られることが太夫の芸です。もちろん、みなさん初めてのときは手が震えます。普通の遊びじゃ満足いかず、知る人ぞ知る斬られ太夫を座敷に呼んだのはオンナを斬ってみたいからだ。ンが、いざ刀を握って上段に構えると、動けなくなっちまう。斬っていいとは云うけれど、それはほんとうなのかしらんと疑っちまう。そりゃみなさん、地位も財産も、それに家族があるときてる。オンナを斬ったなんてことが世間に知れれば、それだけで獄門市中引き回しの刑でござんす。いや、旦那衆ってのは不便ですねェ。金も官位もあるばかりに、今度はそれを失うのが怖くて、一歩前に踏み出せねえなんてことがあるんですから。さて、斬られ太夫を呼んだはいいが肝が据わらずに斬れず仕舞いになった旦那はたくさんいます。まァ、しようがない。その程度の器だったってことです。斬られ太夫は、そういう旦那から玉代はびた一文いただきません。ただし、もう、それっきり。その旦那は二度と太夫を呼ぶことはできません。

 さて、じゃあ斬っちまった場合はどうなるか。エエ、斬っちまう人もいるんですよ、ちゃんと。ずんばらころりん。首が落ちて、髪がほどけ、血が天井までビシャビシャ飛び散る。エエ、もう、あたり一面血の海。あんまり血がすごいんで、襖に描かれた桜が畳から血を吸い上げ、真っ赤な華を咲かせるような気がするし、天井に薄く彫られた竜神が太夫の血におぼれて今にも死にそうに見えちまう。太夫はといえば、首と胴が離れちまって、ビクンビクン震えてる。さて、斬った本人はといえば、刀の柄を握る手のなかには太夫の首を落としたときに感じた、頸の骨をゾリゾリ切り裂いた細やかな振動が残ってる。温い血を吸い込んだ着物が肌にぴっとりくっついた感覚ときたら……でも、陶酔はここまで。今度は怖くなってくる。アア、おれは人を殺めてしまった。遊び半分に殺めてしまった。家に逃げ帰ると、書斎に鍵をかけて閉じこもり、ひとりで悩むんです。ああ、太夫は死んでしまった。ああ、おれは人殺しだ。人を斬っちまったことで、自分はもう普通の生き方から引き離されて、どこか別の恐ろしい世界に引きずり込まれてしまった。そんな気持ちにとらわれちまうんです。でも、手に残った骨を削ぐ感覚や肌に残る血の温もりはどんなことをしても拭い落とせません。

 ……で、一ヵ月後、その旦那はまた来ちまうんです。エエ、それは必ず。怖くて仕方がないくせに、そのくせ心の隅っこじゃもう一度斬りたいって叫んでる。それでおそるおそる斬られ太夫を呼んでみると、太夫がやってくるんでさ! 確かに首を刎ねたはずなのに白粉を塗ったその首筋には引っかき傷一つ見当たらない。まるで何事もなかったかのように太夫は現れ、『お呼びにあずかりおありがとうござんす』とケロリ。旦那は、自分は悪い夢を見ていたのか、それともこれから悪い夢を見るところなのか分からなくなっちまう。そうこうしてるうちに、心のなかの斬りたいって欲望がふくれあがって……

へへへ、こんな遊びは他にはないですぜ、旦那。舞や酒じゃなくて、血に酔うんでさ。斬られ太夫にくらべれば、そんじょそこらの遊びなんて、イヤ、マッタク……。

 へ、太夫の正体? さァ、あたしは存じ上げません。鈴ヶ森の血洗い井戸から這い出してきた物の怪だっていうやつもいりゃあ、津軽の寒村から口減らしで売られてきた百姓の娘だっていうありきたりなものまで、いろんなウワサが流れてござんす。あたしは伊達の殿様に斬られた高尾太夫の生まれ変わりじゃないかと思ってるんですがね。

 さ、お話はこのへんでいいでしょう。本題に入りやす。どうします、旦那? 太夫をお呼びになりますか? でも、お気をつけなせえ、旦那。斬られ太夫にうっかり嵌るなさると、身上がなくなっちまいますぜ。この、あたしみたいに。

 それでも、お呼びになる?

 ……お呼びになる、と。

 ウヘェ、ヘ、ヘ、ヘ!

 あたしの目に狂いはなかった。旦那ァ、やっぱり遊びがわかっていなさるや!


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― 新着の感想 ―
[一言] 毎度楽しく拝読致しました。 この人(人?)で済んでるうちはまだいいと思うのです、イヤがる人をやってみたいとか言うようになると救いがたい、んだけど入り口としては逃げる人よりこういうのがハマる…
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