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好き  作者: 陸たまき
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好き 後編

「あ、奈緒子。昨日英介君があんたの事探してたけど、会った?」

チェロを持って廊下を歩いていると、美由紀が会うなりそう言った。

「会ってないけど…」


昨日は木曜日。私は先輩の絵のモデルをする為に美術棟にいた。


「なんだ。染谷先輩のモデルをやるって言ったら固まってたから、あたしはてっきり…」

と言って、美由紀がこちらを何か言いたげに見つめてくる。

「だから、私と英介はもうそういうんじゃないんだって」

美由紀の次の言葉を遮るように、もう何度目かもわからない言葉を口にする。



大学に入って、英介に新しく彼女が出来たと聞いた時は、やっぱりショックだった。

でもそれは誰でも感じる当たり前の感情だ。

先輩のモデルの話を聞いた時、英介もきっとそうだったんだろう。それ以上の感情はない。

私の様子に美由紀は明らかに不満な顔をしていたけど、それ以上は何も言わなかった。




「奈緒子」

個人レッスンを終えると、部屋を出てすぐに英介がいた。

「ちょっと話あるんだけど」

あれから…英介が彼女に振られてから、まだ1週間しか経っていない。

こんな事は初めてだった。

振られても英介はぐちる事はしなかったし、私だってなぐさめたりはしてこなかった。

そもそも英介が寂しくなるのか、別れた後ふらっと私が練習している所へ来る以外、交流がない。

「いいけど」

一体どうしたと言うのだろう。

「今日オーケストラの日だろ?帰りながら話す」

こんなことまだ覚えてるんだ―…と、私は少し驚く。

私の方は英介の妹の名前なんて忘れちゃってるのに。だって自分の生活に全然関係無い。

もしかしたら、こういうマメな所が英介がもてる要因なのかも。




毎週金曜は、地元の小さなこどもオーケストラのお手伝いをしている。

チェロを抱えて、バス停まで歩く。

「あのさ」

バスの時間を確認していると、隣で英介がすぅっと息を吸い込むのがわかった。

「俺たち、本当にやり直せないかな」

「――…」

口を開きかけて、でも結局言葉が見つからない。

「奈緒子が好きなんだ」

「え、だ、あ…え、絵は?」

「絵?」

不意に英介の瞳が鋭くなる。

「だって今、そんなこと言ってる場合じゃ―…」

うつむいた私には、英介がどんな顔してるかなんてわからなかった。

ただ、答えた声は今までに聞いたことがないほど堅かった。

「――…絵が描けない俺に、価値なんかないって?」

驚いて顔を上げる。

けれど英介はもう、道路の向こう側に走り出していた。


違う。


そう言いたかったのに、口も体も動かない。





どれくらいそうしていたのかわからない。

いつの間にかバスが来ていて、私はそれに乗り込んだ。

チェロを抱きしめるようにして後ろの席に座り、携帯を取り出す。

英介に、何か、言わなきゃと思った。


―絵が描けない俺に、価値なんてないって―



絵を描く英介が好きだった。それは本当だ。

誰もがこの世界で将来芸術家として成功できる訳じゃない。でも英介はきっと出来ると信じていた。

輝けない私の代わりに、英介には夢を叶えてほしかったんだ。



「絵を描かなくたって英介は英介だよ。絵を描いて欲しいって言ったのは、絵を描いている英介が、1番生き生きしてたから」

 


そこまでメールを打って、私は手を止めた。

どんどん英介の負担にしかならない言葉を吐いてしまいそうだったからだ。

妥協して、諦めて、夢を捨てていく人は大勢いる。

英介はそんな人間じゃないでしょう?

そう、勝手に思ってた。

絵を描きたいんでしょう?

そう言ってしまいそうになるけど、それは私が勝手に思い描いていた昔の英介にしか通じない言葉。

今の英介が何を考えて、何を思っているのか、私にはわからない。

でも。

嫌われたくない、という想いが、私を突き動かした。



バスから降りると、私は携帯の通話ボタンを押した。しばらく待ってやっと英介が出る。

「英介…」

英介は黙っている。

「ごめん。…私、価値がないなんて言うつもりで言ったんじゃない」

心臓がばくばくしている。

うまく言わなきゃと思った。英介を救いたい。思い上がりだってわかってる。

「わかってるよ」

英介の声は穏やかだった。それで少し落ち着いて、私はチェロを支えたままベンチに座る。

「俺、絵を諦めた訳じゃない」

そっと目を開けると、これから向かう市の公民館が目に入る。周りを緑で囲まれていて、遊具では子供が遊んでいる。


空が高い。


「焦ってもしょうがないんだ。これは俺の…気持ちの問題だから。そのうち描けるようになる」

自分に言い聞かせているようだった。きっと英介も不安なんだろう。それでもそう言える事に、私はほっとする。

「よかった」

「うん。…ごめんな」

「えっ、なんで。謝る事じゃないし。話だけならいつでも聞くから、また音楽室に来てよ」

「…うん」


電話を切って、ほっとしたはずなのに心のどこかにぽっかり穴が開いたようだった。

英介にもう私はいらないんだ、と思った。

1度出来た溝はどうやっても直せなくて、どんな言葉を伝えても英介の心に響いてないのがわかった。

私の言葉はもう、英介には届かない。






染谷先輩の描いた私の絵も出来上がって、美術の課題の展示会が行われた。

と言っても学校のホールに無造作に展示されるだけで、私には理解出来ない絵も多い。

全学生に対して投票が行われて、1番投票数の多かった学生は、来年の文化祭のポスターを任される事になる。

そこに英介の絵もあった。

カメレオンみたいな妙な生き物の親子…はっきり言って気持ち悪い…が、うちの学校の中庭にいて、ちょうど音楽室がある辺りを見上げてる絵。


本当に、英介はもう大丈夫だ。


私がいなくても、英介はちゃんとやっていける。

英介を支えてるつもりで、私が英介に支えられていたのと違って、英介は自分の力で立てるのだ。

誰と付き合っても、別れてからどんなに月日が経っても、私だけはいつまでも特別なんだと思ってた。

思い上がり。

自分で夢を追うのがつらいから諦めて、英介を支えるって思う事で自分を誤魔化そうとしてた。

オーケストラのオーディションを受けようともしないで、就職活動もしないで。

「全然ダメじゃん…私…」




「あれインパクトあるよなー、ほらあの、半漁人みたいなの」

「半漁人…」

もちろん英介の絵の事である。

英介の絵が投票で1位になったという事を、私は先輩から聞いた。

場所はいつもの第3音楽室。

練習している所へ、先輩がやって来たのだ。

「残念ですね。折角描いたのに審査対象にならなくて」

先輩は4年生でその上来年は留学が決まっていたから、審査対象から外されていたのだ。

おかげで、私の絵はホールに飾られなくて済んだ。

「あーいえいえ。元から狙ってなかったし。暇だから何かやりたかっただけ」

「はぁ…」

はっきり暇つぶしと言われてしまうのも、何か悲しいものがある。

「それにおもしろかったし」

「……」

「あ、それよりもモデルやってくれたお礼するよ、何がいい?」

「お礼…ですか」

私は長いスラーを弾いた。先輩は何も言わずに待っている。

「お礼として、いっこだけ質問に答えて下さい」

「何?」

どこかおもしろがるような口調。

私は真っ直ぐと、先輩を見つめた。


「好きな人を忘れるには、どうしたらいいんですか?」

先輩は、口元をにやりと上げた。

「新しい恋」

「…恋なんて、当分する気になんないんですけど」

「あはは。だよね、うん、俺もそう」

先輩は明るくはははっと笑う。

言葉通りだとすれば先輩も失恋したみたいだけど、そんなの感じさせない笑い方だった。

落ち込んでる自分が馬鹿みたいに思えてくる。

「じゃあ真面目に答える」

急に先輩が笑いをひっこめた。

「その好きだった人に、ちゃんと失恋すること」

「………」

私は固まった。

告白したの?と先輩は聞いているのだ。

でもその瞳には、何か他の意味もあるようにじっと私を見つめている。



いつか、英介に言われた事を思い出した。

「好きでいてもらえるように、俺が退屈しないように、奈緒子も努力しなきゃ」



私達は英介の告白から付き合い始めた。

私はいつもメールや電話を待ってるだけで、行動を起こすのは決まって英介だった。

でもなかなかメールの返事が来ない事があって、少し文句を言ったら英介が言ってきた言葉だ。

 


私はいつもいつも、英介が来るのを待っていた。本当は毎日だって来て欲しいくせに、自分から動いて傷つくのが怖かった。

何に対しても私はそうだ。 

チェロもそう。

少し頑張ってみて、結果が出て安心出来ればもっと頑張れた。でもチェロで食べていくのは難しいと思ってからは、その為に努力するのを止めていた。

頑張っても結果が出なかったら嫌だから。

心を開いたのに、傷つけられたら怖いから。



でもそれで後悔しないの?


何もしなかったから英介が他の人のものになって、何もしなかったからチェロを諦めなきゃいけなくなって。

もしあの時何かしてればって、後悔しないで済むの?

…後悔する。

その未来の方が傷つくよりも怖かった。

 



「…染谷先輩」

「じゃあ俺は退散しますか」

私が何か言うよりも先に、先輩はドアに向かった。

「俺はちゃんと頑張った。だから後悔はしない」

最後ににかっと笑うと、先輩は向こうに消えた。






「…英介?」

「どうした?」

携帯の向こうから聞こえてきた英介の声が今までと違う気がして、私はきゅっと唇を噛んだ。


でも、頑張らなきゃ。

私はまだ何もしてない。


「絵、見たよ。1位だってね、おめでとう」

「ありがと」

英介が笑う。それだけで満足しそうになる。でも。

「話があるの。これから会えない?」




チェロを片付けて外へ出ると、ちょうどこちらへ向かってくる英介が見えた。

私に気付いて、少し笑う。

「英介」

おなかの底に力を入れて、声が震えないように名前を読んだ。両手はぎゅっと握りしめて、英介を見る。

英介は目を見張って、少し離れた場所で立ち止まる。

声も震える。心臓も震える。怖い。でも、頑張れ私。

これを言えば変われる気がする。きっと自分を好きになれる。

だから。

「好き。別れてからもずっと好きだった。私と付き合って」

ぎゅっと目をつぶって下を向いた。

言えた。

ほっとしたら、ぽろっと涙が出てきた。

「…奈緒子」

英介が名前を呼ぶ。

びっくりしたような声。

涙をぬぐって、目に力を入れて前を見る。

まだ終わりじゃない。

振られても、今度は努力する。英介に好きになってもらえるように頑張る。

英介の顔は夕日のせいか赤く染まって見えた。

「ほんとに?」 

英介の言葉に、私は大きく頷く。


そうしたら。

 


英介が、花のように笑った。 







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