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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔女と呼ばれて捨てられて ~ 愛されていた妃は死に、新しい人生が始まる

作者: 原えん

自傷シーン他、痛々しい描写があります。苦手な方はご注意ください。

 かつて、魔女や魔法使いは見つかれば火あぶりにされた。


 古くからあるこの処刑方法は、ロストリア王国においても使われていた。ただ近年では見直され、別の方式が取られる様になった。

 おかげで今、リリーはまだ命を取られずに済んでいる。


 かぁー かぁー

 森のカラスが、夕暮れ時を知らせている。


 今、リリーに執行されているのは、森への置き去り刑だ。

 箱に閉じ込め、人が立ち入らぬ森に置き去りにする。そうして、夜になると現れる魔物の餌にしようと言うのが、昨今の魔女の処刑方法だった。


 火あぶりが廃止になった理由は、色々ある様だ。

 魔法使いは死の淵に立つと、残された力を暴発させて周囲まで焼きつくすとか。煙が遠くまで運ばれ、どことも知れぬ場所で新たな魔法使いが生まれるとか。

 様々な迷信や懸念を理由に、この方式が取られる事になったと聞く。


(本当に魔法が使えたら、逃げ出せるかもしれないのに……)


 リリーの体は今、箱の中に固定されている。

 膝を折りたたんで体が収まるくらいの小さな箱の中では、身じろぎするのも難しい。箱を動かそうともがいても、微動だにしなかった。


(フェリックスはご無事なのかしら。お父様は、咎められたりしないかしら)

 気掛かりな事が沢山あった。


 魔女の親類縁者が咎められるかどうかは、魔女がそうであると知って隠していたかどうかに掛かっている。例え咎められなくとも、魔女の親の立場など無いだろう。

 フェリックス、この国の王太子は、今生きているかどうかも分からない。最後に目にした彼の姿は血まみれで、意識が無かった。その後すぐに魔女として捕らえられ、何度も彼が無事かどうか聞いたが、誰一人答えてくれなかった。


「フェリックス……」

 彼の無事を確かめられれば、それだけでも良い。そう願っても、それすら叶えられる術が無い事に、リリーは絶望していた。



 * * *



 思い起こせば、フェリックスに求婚された日の事が蘇る。


「僕の妃になってくれるかな?」

 彼は恭しく頭を下げた後、金色の前髪から青く鮮やかな瞳を覗かせた。それが優しくリリーに微笑んだものだから、体中が火照った様に熱くなった。

 自身の胸に添えた左手には、王家の紋章《六樹紋章》が刻印された指輪が嵌められていた。




 リリーの実家、カートランド男爵家は国の政治の中枢からは程遠い家だった。一家そろって、王都より離れた領地で静かに暮らしている。そんな家の屋敷に王族が訪れたのだから、おおあらわになった。


 王太子殿下が屋敷にお見えになったと知らされたカートランド男爵は、大慌てで応接間に通す支度を始めた。例え事前に知らせを受けていなくとも、王族を外で待たせるような失礼があってはならないと躍起になっていたのだ。

 その最中に、殿下は馬車3つ分の贈り物を持って『娘のリリーを娶りに来た』と聞かされて、男爵は腰を抜かした。


「い、い、いつ殿下にお会いしていた? 社交界にも出していないのに」

「いつ、と言われても…… 殿下のお姿すら拝見した事がありませんけど」

 父が倒れたと聞いて飛んできたリリーは、その時になって初めて王子に求婚されていると知った。

 そう聞かされても平然としていられたのは、何かの間違いだろうとすぐさま思ったからだった。


 リリーは王太子に会ったことが無いどころか、貴族の会合にすら顔を出していない。

 これは父による、リリーへの過剰な過保護が要因だ。大事に大事に、屋敷に閉じ込める様にして育てられたため、生まれてこのかた領地から出たことすら無かった。


 きっと顔を合わせれば、間違いに気づいて訂正なさるだろう。そう思って王太子の待つ応接間へ入り、自己紹介と共に軽く会釈してからすぐに顔を上げた。


「久しぶり、リリー。驚かせたかな?」

 応接間の中心に立っていた青年が気さくに話しかけた。周りには何人か侍従らしき男がいたが、貴公子らしい恰好をしているのは彼一人。

 状況から言えば、この人が《姿すら見たことの無い王太子》のはずだ。

 でもその顔に見覚えがあったものだから、リリーは混乱した。


「フェリックス殿下がいらしていると伺ったのですが……」

「僕がそのフェリックスだよ」

「え?」

「名乗ったでしょ? 一か月ぐらい前だったかな。散歩中の君に出会った時に」


 確かに、一か月前リリーが屋敷周辺の散歩をしている時、彼と出会った。馬に乗り、旅姿ながら上質な衣服をまとった彼を見て、どこかの貴族が道楽で一人旅をしているのだろうと思った。

 領地から出たことの無いリリーは、すぐに彼に興味を持った。それで用も無いのに話しかけてみると、彼は社交の場に出てこないリリーの噂を聞いて、一目見てみようと思ってやって来たと語った。これから屋敷に向かおうとした所に本人に話しかけられた、その偶然に彼は驚き、そして喜んでいた。


「確かにあの時、その名を伺いましたけれど…… でもそれが王子様だなんて」

「疑ってる?」

「いえ、そんな。めっそうもございません」

 父が後ろで見ている手前、リリーは否定せざるを得なかった。

 でも、疑っていたのは確かだ。一か月前に語り合った時も、明るく冗談を言うタイプだと思ったから、これもその手のサプライズなんじゃないかと思って。


 フェリックスはおもむろに手袋を脱いだ。

 そうしてリリーに見せた左手には、紫色の指輪が嵌められていた。色が付いているのは指輪の土台の部分。その上には六樹紋章を象った金属が貼り付けられていた。


 六樹紋章。中心から六方向に枝葉が伸びたようなシルエットを描いたこの文様は、ロストリア王家の紋章だ。

 この紋章が刻まれたアクセサリーはいくつもある。それらは全て王宮で生産され、多くの貴族や騎士に勲章として授けられている。精霊の加護を受け、魔物を感知し退ける効果を持つとされている代物だ。

 その中で紫色の指輪は、王族だけが身に付ける事を許されていた。


 こく……と、リリーは唾を飲み込んだ。

 それを、自分が王太子だとリリーが認めた合図と受け止めたのか、フェリックスは余裕の表情で笑って見せる。


 そして、

「僕の妃になってくれるかな?」

 軽く会釈して求婚した。



 * * *



 リリーが求婚に応じたら、その後は婚儀まで滞りなく行われた。

 婚儀が行われるのは王宮内の聖堂で、国王陛下が見守る中で結婚証明書にサインするのだから、もう嘘もまやかしも疑えない。いつフェリックスが『全部嘘でした』と言って笑い始めるのか、そんな不安を頭の隅に残しながら、婚儀までの三カ月を過ごしていたのに。

 嘘で無かったことに逆に驚いてしまう。


(だって、おかしいじゃない。こんな身分の低い女が妃になるなんて)

 この結婚はフェリックスが身勝手に進めているだけで、どこかで反対の声が上がってなし崩し的に破談になる。そんな事態だってあり得たはずだ。

 でも、そういったトラブルは一切起きなかった。王や王妃と対面を果たした時には、すでに結婚は決まったものとして周りは動いていた。



 どちらかと言うと、リリーの家の方が結婚に対して苦言を呈していた。家が、と言うより父が。

「あんな所にリリーを嫁がせるなんて!」

 と言って、王家をあんな所呼ばわりした事を母にたしなめられていた。


 父としては、リリーの結婚相手は、お金に余裕があって政争に縁遠い人が良いと思っていたらしい。それに「相手は貴族である事にはこだわらない、いや、貴族でない方が良い」とかも言っていた。そう語った時にも母に睨まれていたが。


 父がそう言う理由を、リリーは分かっていた。それは、父が常に身に付けている六樹紋章のバッジが、ロストリアの貴族男性なら誰しもが持つ品であるから。

 精霊の加護を受けた六樹紋章のアクセサリーは、魔物を感知すると光る。これは人の中の魔物とも呼ばれる魔法使いに対しても光り、存在を知らせる。

 父いわく、幼いリリーが触れた時にバッジが光ったのだそうだ。それを見たのは父一人。リリーは幼い頃ゆえ記憶になく、母は半信半疑だった。


 リリーも父の気のせいだと思っていたが、父自身は信じ込んで過剰な心配性を発揮した。それゆえに、リリーは領地内に閉じ込められるように育つことになったのだ。

 バッジが光った理由は分からない。けれどまた光ってリリーが魔女だと判断されれば終わり。後は想像もしたくない事態が待っているだけ。父はずっと、その事を心配していた。


「大丈夫よ、お父様。王家に嫁いでも、お父様が恐れるような事は起こらないから」

 リリーは、父の胸に付けられていたバッジに触れた。

「ほら、何も起こらないでしょ?」

 そう言って、リリーは父を見上げる。

「リリー!」

 そうやって安心させようとする娘の姿に感極まったのか、父は涙を浮かべて彼女を抱きしめた。それをリリーは呆れ顔で受け止める。父のこういう熱い所がちょっと嫌だった。



 そうしてリリーは、フェリックスの求婚に応じた。

 王族相手に遠慮することは失礼に当たるから、と言うのもあった。でも、フェリックスという人物に対する好意があったのが一番の理由だ。


 会ったのはたったの一度きり。少し語り合っただけの仲だけれど、相手の身分も知らず、自分の身分も気にせずに過ごせた時間は余りに貴重だった。きっと、王子だと知った上で出会っていたら、あんな風に話す事は出来なかっただろう。

(いつか結婚するなら、こんな人が良いんだろうな)

 彼との時間を過ごす中で、リリーはそんな淡い思いを抱いていた。後日求婚されるとは、夢にも思わなかったけれど。



「フェリックス……殿下?」

「ん? 何? リリー」

 様々な思いが胸の中で渦巻く中、つい横にいるフェリックスに小声で問いかけてしまった。結婚証明書にサインをしている時の事だ。


「殿下は、なぜ私を選んだのですか? 私以上に殿下にふさわしい女性は、沢山いたでしょうに」

 婚儀の段になってこんな事を聞くのはぶしつけだと思いながらも、聞かずにはいられなかった。この奇跡の様な結婚に浮つきっぱなしの心を鎮めるために。今後の不安を少しでも消し去るために。


 フェリックスは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに目を細めてリリーに微笑みかけた。まるで、怯える子犬を落ち着かせるかの様な表情で。

「こんなに美しいプラチナブロンドの女性に、僕は会った事が無かった」

 リリーに被せられていた白いヴェールが、フェリックスの手でめくられる。それから、彼はおもむろにリリーの髪を撫でた。

「他の人と比べようもない。君が一番だよ」

 そうやって見つめる彼の青い瞳はあまりに鮮やかで、熱い。その視線の熱にやられて、リリーは目を泳がせた。


(そうじゃ、ないんだけどな……)

 欲しかったのは、そんな甘い言葉じゃない。もっと確実な言葉が欲しい。


 そんなリリーの願いを知りようもないフェリックスは、気恥ずかしそうに目を伏せ顔を赤らめる彼女の姿を、満足そうに眺めていた。



 * * *



 婚儀の最後に、リリーは指輪を授かった。

 六樹紋章の指輪は、妃となる者も身に付ける事が許される。王家の一員となったその証として。


 幼いリリーが光らせたと父が言う、六樹紋章。六方向に枝葉を伸ばした草木を思わせるその紋章を、リリーは自身の空色の瞳に焼きつける程見つめていた。



「また見ているの? 指輪」

 いつの間にか部屋に入ってきていたフェリックスに声を掛けられ、リリーは我に返った。自室の椅子に腰かけ、読書をしていた時の事だった。

「あ、あの…… 申し訳ございません」

 妃たるもの、人に無防備な姿を見せてはいけない。リリーに当てられた教育係の言葉を思い出し、とっさに失礼を詫びた。

 すぐに椅子から立ち上がり、スカートを広げて会釈する。


 リリーは婚儀の半月前には王宮に入り、妃教育が行われた。教育係が言うには、立ち振る舞いがなっていないそうだ。ある程度のマナーは実家で学んだけれど、気品を保つ姿勢や歩き方、気を抜いた時にこれらが崩れてだらしなく見えてしまう所など、細かいところを指摘されてきた。

 さっきは一人で居るからと気を抜いて、教育係が見たら叱り飛ばしそうな、崩れた座り方をしてしまっていた。


「そんな杓子定規にならなくても…… 楽にしていて良いんだよ」

 フェリックスは笑ってそう言うけれど、その言葉に甘えてばかりでもいけないなと、リリーは思う。

「そういうわけにも参りません。妃になったのならば、そう振舞える様にしなくては、と思いまして」

 リリーが苦笑いで小首を傾げると、フェリックスは寂しそうに「そう」とだけ言った。


「それより、予定よりお早いお帰りでしたね」

 フェリックスも、王となるための教育を受けている所だった。その一環で、国内の各地を視察で回る事になっており、ここ一週間はそのために王宮から出ていた。

「リリーに見せたい物があったから、早めに引き上げて来たんだ」

「見せたいもの?」


 フェリックスの合図とともに、召使い達が大きな花束を手に部屋に入って来た。花は抱える程大きな壺にめいいっぱい活けられている。その壺の数は、片手で数えきれないほどあった。

「視察先に花が沢山咲いている場所があってね。早くリリーに見せなきゃって思ったんだ」


 その花の多さに驚き、リリーは言葉を失っていた。

 出先で花を摘んで帰ろうと思っても、これだけの量を持ち帰ろうと考えるだろうか。考えたところで、出来る事には限界があるものだ。

(王族って、こういう豪快な事をするものなのかしら……)


「どうして、そんな風にお考えになったんですか?」

「どうしてって…… 好きだろう? 花」

「え、ええ……」


 リリーは確かに、花が好きだ。実家では庭で土いじりをするのが日課だったくらい。

 好きだと言うのと、他にやる事が無かったせいもあり、家の敷地の周囲にも種を撒いていた。


「カートランド家の周りが花だらけなのは君の仕業なんだって、君自身が語っていただろう? 初めて会った時に。あの花畑を見たらその時の事を思い出して、どうしても君と一緒に見たくなったんだ」

 フェリックスはそう言って、花を見るリリーを細めた目で見つめていた。ふと彼を見てその視線に気づくとドキリとする。そんなリリーの様子を見て、フェリックスは一段と目を細めて満足げに笑うのだった。


 ◇ ◇ ◇


 フェリックスは優しい。結婚して何もかもが変わったけれど、彼が自分に向ける言葉が不変だったことは、リリーの心の拠り所になっていた。


 夜、二人で床に入った時間もそう。初めての事に、覚悟をしていても震えてしまったリリーを見て、フェリックスはただ添い寝する事を提案した。

「ゆっくりで良いんじゃないかな」

 そう言って傍に横たわったフェリックスは、リリーの髪を優しく撫でる。

「まだ夫婦になったばかりだよ。時間はたくさんあるんだから。急がなくて良い」


 あれから半月。まだ夫婦らしいことは出来ていない。


 ◇ ◇ ◇


「リリーの方はどうだい? 僕がいない間にも、ドロレス王妃と会っていたんだろう?」

「ええ。良くお茶会に誘って頂いています」

「そう。仲良くしている様で良かったよ。僕の方は、あまり良く思われていない様だから」

 召使いによって運び込まれたハーブティーを飲みながら、フェリックスは寂しそうに笑う。


 ドロレスは王妃ではあるが、フェリックスの実母と言う訳ではない。フェリックスの母である第二妃は病没し、その後に続いた三人の妃は離縁されて王都を離れ、ドロレスは六人目の妃になる。

 彼女に誘われ会うたびに、六人目と言うのはどういう感覚なのだろうと、失礼ながら思ってしまう。幼なじみ同士で結婚し、仲睦まじい父母の元で育ったリリーにとって、その感覚は理解の範疇を超えていた。


「それは、殿下の思い過ごしだったりしないでしょうか? 私達夫婦の事を気にかけて下さっている様に思うのですが」

「そうなのか?」

「ええ。私の身分が低い事で、殿下が悪く言われるんじゃないかと、気にされていて。しっかり妃らしい振る舞いを身に付ける様にと、発破をかけて頂いています」

 それを聞いて、隣に座るフェリックスは眉をひそめた。

「それ、皮肉じゃないか?」

「そんな、私が不甲斐ないだけですよ。教育係にも毎日叱られてますし……」


 リリーは手元のティーカップに目を落とす。

 こんな話をしていると、本当に自分なんかが妃になって良かったのかと、不安になってしまう。


 ドロレス王妃は常に穏やかな微笑みを湛えた、聖女の様な女性だ。その声色は暖かく、相手を心から心配して包み込むように話してくれる。彼女の言葉を皮肉と捉えられたのは、多分自分の伝達方法が良くないからだ。


「そうそう、一昨日はペンドルトン侯爵家のクラリッサ様をご紹介頂きました。お友達は多い方が良いから、と言う王妃様の計らいで」

「クラリッサ?」

「はい。殿下もよくご存じですよね。幼なじみだと伺いました」

「幼なじみ……ね。子供のころは、よく一緒に遊んでいたけど」


 フェリックスが渋い顔をしているのを見て、リリーはこの話をしたのは失敗だったかな、と後悔した。ドロレス王妃の人の好さを伝えたくて話した事だったけれど。

 ドロレスが紹介したクラリッサは気位が高い女性に見えた。身分の低いリリーを認めてくれるか、不安になる人だった。


「彼女に、何か言われてない?」

 リリーの方に向き直ってから、フェリックスはそう問いかけた。

「何か……とは?」

「何か、僕の事で」

 それを聞き、リリーはぐっと言葉を詰まらせた。思い当たる所があったからだ。


 ◇ ◇ ◇


 初めてクラリッサに会ったその席で、彼女はこんな話をした。

「あのフェリックス様がご自分で相手を見つけ出して結婚なさるなんて、子供のころから見ている私からしたら感慨深いわ。昔のフェリックス様は、病弱な所がおありになって。心配されたお父様が私と婚約させようって話もあったくらいなのよ。子供のうちから身を固められた方が安心だからと。持ち上がってすぐに流れた話ですけど」


「あら、クラリッサ。そんな話、リリーさんにする事なのかしら」

 ドロレスはそう言ってたしなめるも、クラリッサは「いいえ」と言って話を続けた。


「フェリックス様の妃なら、お耳に入れておいた方が良いと思いますの。どうして、一度上がった縁談が流れたのか」

 クラリッサは、鋭く射貫く様な目つきでリリーを見た。それにリリーは身震いするも、無視するわけにはいかないと、絞り出す様な声で応えた。

「ど、どうして、でしょうか?」


 リリーの戸惑った表情を見て、クラリッサは薄っすらと笑みを浮かべた。なぜか、勝ち誇った様な笑みに見えた。


「ジンクスを気にする方から反対の声が上がったのですわ。国王陛下の一人目の妃が、お迎えしてすぐ処刑されたと言う話はご存じかしら?」

「え、処刑?」

 第一王妃がすぐに離縁になったと言う話は聞いたことがあったけれど、処刑されていたと言う話は知らなかった。実家の領地から出たことが無かったとは言え、自分の無知さを恥じた。


「リリーさん、クラリッサの言う事は本当よ。懐妊が分かったすぐ後に魔女と判明したそうよ。それで火あぶりにされたと聞いているわ」

 クラリッサの言葉を、ドロレスが補足する。

 魔女、と聞いてリリーはビクリと体を震わせた。左手の指輪を右手で覆い隠す。


「ええ、もちろん、リリーさんが魔女だとは思いませんわよ。そんな稀有な事が繰り返されるとは考えられませんもの。でも、そう言うジンクスを信じる方は沢山いらっしゃるのよ。そのせいで、私との婚約が流れたのですから」

 ドロレスに向かってそう話してから、クラリッサはリリーに顔を向ける。その目は、どこかリリーを憐れんでいるようだ。


「心無い噂を語る人達は多いものよ。リリーさん。一人目の妃だから、下位貴族の出でも認められたとか。一人目は捨てるつもりで、本命は二人目だとか。まあ、あくまで、噂ですわ。それが本当の事だなんて保証する人は一人としておりません事よ」


 その話を聞かされて、リリーは血の気が引くのを感じた。

 でも、これで合点がいった。どうして自分なんかが妃になれたのか。

 もしかしたら、一人目の王太子妃の失脚を待っている人は沢山いるのかもしれない。


 ◇ ◇ ◇


「殿下が子供のころ、クラリッサ様との婚約の話が出ていたと」

 リリーの答えを聞いて、フェリックスはため息をついた。

「やっぱり、その話をするのか。もちろんそれは周りの大人が決めた、僕の意思なんて一切介入しない話だ。忘れていい。何だったら、もう二度とクラリッサに会わなくて良いよ。僕もずっと会っていないし」


 それを聞いて、少しほっとした。

『一人目は捨てるつもりで、本命は二人目だとか』

 わざわざそんな話をしたのは、クラリッサが本命の二人目だと裏で密約を交わしていたからじゃないか。そんな疑いをかけていたけれど、フェリックスの様子を見ると何も無さそうだ。


「クラリッサ様も、そんなに悪い方では無い様に思ったのですが…… 私が下位貴族の出である事で悪い噂が立っていると、そんな事も教えて下さいましたし」

 リリーがそう話すのを聞いて、フェリックスは目を丸くした。クラリッサを擁護したことが不思議だったみたいだ。


「やっぱり、君の出生を気にする人は多いのかな……」

 彼はそう言って、顎に手を当て考え事を始めた。


 そうやって思い悩むフェリックスを見ていると、リリーの胸のわだかまりは膨らんでくる。

 フェリックスだって、クラリッサの言う様な話は知っているだろう。それを分かっているから、リリーを妃にできると踏んだのかも知れない。

 クラリッサは違うにしても、でももし本命が他にいて、リリーはただジンクスをやり過ごすための生贄なのだとしたら……



「よし、何か催し物をしよう」

「え?」

 良い事を思いついた、と言う風に指を鳴らすフェリックス。その隣でリリーは意表を突かれて目を丸くしてしまった。


「君の人となりを多くの人に知らしめれば、悪い噂もすぐに収まるだろ?」

「そ、そうでしょうか?」

「そうだよ! こんなにリリーは美しいんだ。君の微笑みに、僕は溶かされっぱなしだ。きっとどんな人も納得するはずさ。僕が選ぶだけの事はあるって」


 まだリリーが驚く様な事は続く。

 フェリックスは彼女の手をがしっと掴んだ。


「例え僕が王子だからと言って、君の出生がどうかだなんて関係ないんだ。だって僕たちは愛し合って結婚したろう?」

 突然そんな質問をされても、戸惑って言葉が出てこない。それで黙っていても、フェリックスは期待する眼差しでリリーを見つめるだけだった。


「え、ええ……」

 何とか返事を絞り出すと、フェリックスは満面の笑みを浮かべた。

「僕たちの愛を証明する様な、そんな催し物にしよう」

 そう言う彼のすぐ傍には、さっき指を鳴らした事でやって来た侍従がかしずいていた。



 * * *



「それでは、成婚パレードをなさるのはいかがでしょう?」

 そう答えた黒髪の青年は、フェリックスが呼び寄せた行商人だった。


 商人の名はレイバーン。王都に薬屋を構えており、そこで扱う薬や医療品の類を王宮に納めている。彼はただ薬を売るだけでなく、薬や医療法の知識も豊富で、医者顔負けの診断も出来るらしい。他にも様々な珍しい商品を扱っていると言うのだから驚きだ。

 そんなレイバーンをフェリックスは懇意にしていて、何かあれば良く王宮に呼んでいる。薬だけにとどまらず、日々の相談事も持ち掛けているとか。

 この日も、フェリックスとリリーの部屋に上げて、相談に乗ってもらっていた。


「パレードって、山車に乗って街を練り歩く、あれかい? 地方の祭りでたまに見かけるけど」

「はい、それです。この国では行われませんが、異国では結婚した王族が成婚パレードを催すのは珍しい事ではありません。お二人の仲睦まじい姿を広く見て貰う催し物としては、最適では無いかと」

 商人の言葉のどこに反応したのか、フェリックスはそわそわした様子で、隣り合って長いすに座るリリーの手を握った。

 驚いて彼を見ると、うっとりとした表情でこちらを見つめている。恥ずかしくなってリリーは目をそらした。


「本当に、仲がよろしい事で」

 レイバーンは、呆れた様な笑顔を夫婦に向けた。

「山車の上でも、こんな風にしていたら良いかな」

「ええ、それはもう。恥ずかしくて見ていられない人が続出しそうです」


 そのレイバーンの言葉に、リリーは少し違和感を覚えた。皮肉の様に聞こえたけれど、言われた当人のフェリックスは満足そうに笑っている。

 ふとレイバーンの方に視線を移すと、彼も目を細めて笑っていた。しかし、すぐに笑みが消え目が開かれる。そして目が合った。

 その瞳の色が、フェリックスと同じ鮮やかな青だったことに気づいて、ドキリとした。




 フェリックスは成婚パレードを催す事に決め、すぐに動き始めた。

 これまでにない催し物のため、色々と超えなければならない障害が多い事は想像できた。しかし、彼はそれらを軽々と超えていった。


 国王の許諾を得て、山車を作る建築家を手配し、警備のための兵士を確保する。それをフェリックスは一人でこなしていく。

 王族の豪快さは、一言発せば周囲全てを動せる事にあるんだなと、リリーはしみじみ感じ入る。




 パレードの準備期間に、フェリックスは何度もレイバーンを王宮に呼んだ。

「パレードの順路をどうするか相談したくてね。彼は王都の街並みの事を良く知っているから」

 そう言って、街の地図を出してきて二人で相談していた。


(本当に、殿下はレイバーンの事を信頼なさってるんだな)

 屈託なく笑うフェリックスを見ていると、自分の存在が矮小に感じて来る。レイバーンに比べたらずっとずっと小さいと。


 そもそも、一商人に王子がここまで信頼を寄せると言うのが、不自然な様に思える。


 一応、信頼に足る理由はある。

 彼は国を跨いで活躍する大商人、リンクス商会会長の息子だ。リンクス家の子供たちは世界各地に拠点を持ち、それぞれの分野で活躍しているとか。

 その中で、レイバーンはロストリアの王都に拠点を構え、薬屋として活動している。薬以外に珍しい商品を扱っているのも、このリンクス商会の活動範囲の広さによるものらしい。


 そのネームバリューの強さで王宮に入る事を許されたレイバーンは、当時原因不明の病でこもりがちだったフェリックスに対し、薬を処方した。それによって病が完治したのだから、フェリックスは彼に全幅の信頼を寄せる事になったのだろう。


(こんな完璧な人っているものなんだな……)

 リリーは、夫以上にレイバーンという人物に感服する。足りないのは、身分くらいだろうか。


 けれど、これまでの功績や王太子からの信頼を得ているところを見ると、受勲される日もそう遠く無いかもしれない。フェリックスが即位する頃には、役職を得て貴族となり、王の傍に立つ姿が容易に想像できてしまう。


「お呼びに預かり光栄です、殿下。今日は山車の装飾に使えそうな品をお持ちしましたよ」

「そう? じゃあ、取り急ぎ広場の方に運んでくれ。山車を見ながら話したい」

「かしこまりました」

 この日もフェリックスはレイバーンを呼んでいた。彼が訪れるとすぐに、二人は制作中の山車が置かれた王宮の屋外広場へ向かう。

 リリーも一緒に来ないかと誘われたが、遠慮した。

「ごめんなさい、今日は王妃様にお呼ばれされてますので」


 二人が仲良くする事に異論はない。

 でもなぜか、明るく声を掛け合う彼らを見ていると、胸の奥がきゅっと締め付けられる。




「殿下は、かなりレイバーンさんと仲がよろしいんですね」

 夜寝入る前の事、リリーはそんな事をフェリックスに言い放った。成婚パレードは二人の【愛の証明】だと言うけれど、それはカモフラージュで、本当はレイバーンと何かを計画したかっただけなのではないかと、馬鹿みたいな不安を抱いてしまったから。


「ああ、やっぱり変かな? でも、彼は僕にとって命の恩人だから」

「それは、承知しています」

(変かな?って…… やっぱり殿下も頼りすぎって思っているのかな)

 そう思うと、フェリックスに対して少しばかり腹が立った。


 リリーはベッドに腰かけたまま、彼から目線をそらす。

 するとその隙に、フェリックスはリリーの隣、彼女の死角になるところに腰かけ、小声で問いかけた。

「もしかして、嫉妬してる?」

「な?!」

 リリーの体は瞬時に熱くなった。


 図星だと思った。フェリックスとレイバーンが語り合う場面を目にするたび、胸がきゅっとして苦しくなる。この言い表しようのない感情に近い言葉があるとすれば、それだと思う。


「嫉妬してたの? 他の人と仲良くしていたから?」

 そう聞くフェリックスは、何だか嬉しそうだ。王宮に入ってから何度も目にしていた、満足げな笑顔を向けて来る。


「そう、かも知れないですが…… 何でそう、嬉しそうなんですか?」

「ん? 真っ赤になって可愛いから」

 そう言われ、リリーはフェリックスに顔を合わせていられなくなった。自分でも制御できない表情の変化を見られるのは恥ずかしくて、ベッドから立ち上がって彼に背を向ける。


「別にその、殿下を取られたとか、そんな風に思っていませんよ? だって殿下は、何でもご自分で決めて一人でやってしまわれるから」

「それが不満だったの? いつも笑顔で頷いてくれるから、君も僕が決めたことに賛同してくれてるのかと」

「いえ、殿下のなさる事に異議はございませんから」

「だったら……」


 そう言いかけて、フェリックスは黙り込んだ。ふり返ると、彼は顎に手を当て考え事をしている。

(また何か、私が驚く様な事を言うつもりなのかしら)

 その予感は的中した。


「殿下と呼ぶのをやめないか?」

 そう言って見上げるフェリックスの顔は、いつになく真剣だった。

「結婚して、君と距離が離れてしまった気がしていたんだ。出会った時が一番君の心に近かったと思えるくらい。あの時は君もフェリックスと呼んでいただろ?」


 二人が出会った時の事は、リリーにとっても特別な時間だ。彼の身分を知らないから、気にする事無くありのままで接することが出来た。

 呼び方だってそうだ。彼がリリーと呼ぶから、自分もフェリックスと呼んだ。


「結婚したのは、あの時よりもっと君に近づきたかったからだ。だからせめて、二人きりの時ぐらい名前で呼んで欲しい」

 フェリックスはベッドから腰を上げ、リリーの手を取って自分に向き直らせた。

 そうして見上げた彼の瞳は、リリーを見据えている。こちらを射貫く様な青い瞳を見ていると、なぜか、レイバーンの顔が脳裏に浮かんだ。彼も同じような鮮やかな青だったなと。


「リリー?」

 こちらが黙っている事に業を煮やしたのか、フェリックスが呼びかける。

 リリーも名前を呼ばなければと口を開くけれど、その名を呼ぼうとすると声が詰まってしまった。

「フ…… フェ……」

「ん?」

 フェリックスはいつもの調子でリリーを見つめて来る。そんなに顔を近づけられては、余計に声が出ない。


「フェリックス……」

 ようやく、小声を絞り出して口に出せた。相手の身分を知らなかったとは言え、これを軽々口にできていた、かつての自分が信じられない。

 今の自分は本当にダメだ。しょうもない事で恥ずかしがって、相手の顔を見るのが怖くて目をそらしてしまう。


「その、二人きりの時だけですからね!」

 心臓がドキドキと高鳴って落ち着かなくて、それを誤魔化したくて語気が強くなってしまった。余計に相手の反応を見るのが怖くなって、リリーは目を伏せた。

「分かってるよ、リリー」

 そう言うフェリックスの声色が明るいのは、かすかな救いだった。




「明日こそは、一緒に山車を見に行こう。だいぶ仕上がって来たんだ」

 フェリックスはそう言ってベッドに入った。


「今日は申し訳ありません。せっかく殿下にお誘い頂いたのに……」

「ん? リリー?」

「え……あ! ごめんなさい、その、フェリックス……」


 そんなやり取りをしても、フェリックスはいつも通り添い寝をするだけだった。リリーの手を握り、いつもの笑顔でリリーの髪をなでるだけ。


「本当、君が一番だ」

 その言葉に、リリーはいつも答えられない。私も一番だよって答えれば良いのかも知れないけど。


(一番って、どういう一番なんだろう)

 そんな疑問が浮かんで、不安になる。それで、ただ苦笑して頷くしか出来なかった。

 その言葉は、純粋にリリーを喜ばせたくて言っているんだろう、とは思う。でも、その本意は別の所にある様な気がしてならない。

 先に寝入ったフェリックスの寝息を聞いていると、おかしな不安ばかりが募ってしまう。


 今日の事で少しは彼に近づけた気がした。でもこうして先に寝てしまうことを考えると、夫婦になるにはまだ足りないんだろうな、とリリーは思う。


(もっと頑張らないと。殿下に……フェリックスに信頼してもらえる様に)

 レイバーンに嫉妬していたのも、きっと彼ばかり頼る事が面白く無かったからだ。だから、少しずつフェリックスの思いに答えていけば、いつかきっと夫婦になれる。

 そう信じて、リリーも眠りに落ちた。



 * * *



 翌日。フェリックスの言葉通り、リリーは山車を見に行く事になった。


 山車は、王宮の屋外広場の一角で作られていた。まだ建設用のやぐらに囲われているそれはかなり大きく、人の身長の三倍近くの高さがあろうか。

 その周りを、十数人の作業員が忙しそうに往来している。


 フェリックスが屋内から広場に出ると、作業員の一人の現場監督が飛んできて彼の前にかしずいた。

「殿下。これからやぐらの解体作業に入ります。危ないので離れてご覧ください」

「ああ、わかった。じゃあここにいようか。それにしても、今日は人が多いんだな」

「はい。今日はペンドルトン侯爵より人員を派遣していただき、作業しております」

「ペンドルトン……」

 その名を聞いて、フェリックスは表情をこわばらせた。


 ペンドルトン侯爵はクラリッサの父。過去に娘とフェリックスの縁談を持ちかけた事のある人物だ。

 立場から考えれば、リリーとの結婚を歓迎しているとは思えない。


「ペンドルトン侯爵より、人員派遣は成婚祝いの一つだと言付かっております」

 そう聞いて、横に並ぶフェリックスの顔を見上げると、彼もリリーに顔を見合わせ、安心させる様に微笑んだ。

「わかった。伝達ご苦労。作業に戻って良いよ」

 それを聞いた作業員は、深く首を下げてから山車の方に戻って行った。


「クラリッサの事は気にならないの?」

 やぐらの解体作業を始める作業員たちを眺めていたら、フェリックスがそう問いかけた。ペンドルトンの名を聞いたからだろうか。

 クラリッサの事は不思議と気にならない。婚約の話だって、所詮子供の頃の話だ。今も昔もフェリックスの心に彼女がいるとは思えなかった。


「ええ。殿下が、ずっと会っていないと仰っていたから……」

 そう言うと、フェリックスはなぜか渋い顔をした。

「あ、呼び方はいつも通りいかせてもらいますよ。ここ、結構人いますから」

「いや、そうじゃなくて……」


 フェリックスはリリーの手を握り、渋かった顔から一転、いたずらっぽい笑顔に変わった。

「クラリッサに対して嫉妬したりしないのかな?って。怒った君も可愛かったから」

 彼はリリーの耳元で囁いた。それでまた、体温がぐんと上がってしまう。

(もう、何でそんな事をぽんぽん言えるの?)


「か、からかわないで下さい! そう仰るってことは、クラリッサ様の事はどうとも思ってないんでしょう? だったら、わざわざ話題に出さないで下さい。流石に気の毒です」


 恥ずかしさを紛らわすために山車の方に目を向ける。作業員たちの手は早く、やぐらの上の方の足場はすでに撤去されていた。

 やぐらを外した山車を見ると、瑠璃色のリボンが飾られていることに気が付いた。陽の光に照らされ鮮やかに輝くリボンは、前にレイバーンに見せてもらった物だった。


「あのリボン……」

「ああ、良い感じでしょ? あれはリリーが選んだ色だよ」

 そう。何色か生地を見せてもらった内、リリーはその瑠璃色に見惚れて手に取ったのだ。フェリックスはそれを見逃さず『それが気に入ったの?』と聞いてきた。


 またフェリックスを見やると、彼は穏やかな微笑でリリーを見つめていた。

 その青い瞳を見ていると、彼の愛を実感する。けれど、だからこそ胸が苦しくなり居たたまれなくなる。

(私、この人の優しさに応えられていない気がする)


「ありがとうございます。素敵です」

 とにかく便宜上の礼を言う。気の利いたことが何一つ言えない自分が嫌になるが、フェリックスはそれでも笑って受け入れてくれた。



 やぐらの解体作業が終わった頃、作業員の一人がわざわざそれを伝えに来た。

「ぜひ、傍に寄って見て下さい」

 そう誘われたので、二人は山車の近くまで寄る事にした。


 瑠璃色のリボンは光沢があり、見る角度によって輝き方を変える。それが何とも妖艶で、見る人を誘ってくる。

「良い生地だね、やっぱり。目立つけど派手すぎない」

「ええ、そうね」


「本当は、あれでリリーのドレスを仕立てたらもっと目立つと思ったんだけど」

「もう。ドレスにするには生地が固いって話でしたよね」

「分かってる分かってる。リリーのご両親がくれた花嫁衣装を着るんだよね」

 こうやって他愛ない話をしていると、今後もずっと仲良くやっていける自信が付く。本当に、フェリックスの笑顔はリリーの救いだ。


 そんな二人の時間は長く続かなかった。

「殿下。行商のリンクスが見えました」

 フェリックスの侍従が駆け足で寄ってきて、さっとかしずいて報告した。その名を聞いて、リリーはドキリとする。

「ああ、分かった。すぐに出迎えよう」

 そう言って、フェリックスはすぐに侍従が案内する方に足を向け、行ってしまった。


 些細な事だと言うのは分かっている。たったこれだけの事で置いて行かれた様な心地になるのは、常に優しいフェリックスに対してあまりに横暴だって事も。

 すぐに近衛兵に案内されたレイバーンが広場に出て来た。それをフェリックスが楽しそうに出迎え、彼は軽く会釈して応える。そんな二人の姿を、リリーはその場に立ち尽くしたまま見つめていた。



 また、胸が苦しくなる。

 別にリリーが二人に対して遠慮する事なんか無い。もっと自信を持って、二人の間に入って挨拶したら良いのに。

 それすら出来ずに突っ立ってるだけの自分に、嫌気がさしてくる。



 フェリックスがこちらを向いた。リリーはとっさに手を振る。こっちに注目する彼に応えるためだ。

 彼に向けた顔は、きちんと笑顔になれているだろうか。そんな不安を抱きながら彼の表情を伺うと、なぜかフェリックスの顔が険しくなった。


(え……?)

「リリー!」

 彼の叫ぶ声を聞いた頃、ようやく自分に危機が迫っている事に気付いた。

 突然影が差して、頭上で何かが日の光を遮ったと思い、見上げながら後ろを振り返る。


 そうして見上げた山車は、どこか角度がおかしい。そう思った次の瞬間には、瑠璃色のリボンを揺らしながらリリーめがけて落ちて来る。


 押しつぶされる。

 そう思って、リリーは目を瞑った。





『大丈夫よ、お父様。王家に嫁いでも、お父様が恐れるような事は起こらないから』

 嫁入り前、父にそう言った事を思い出した。

 指輪が光って魔女だと断じられる、そんな事態を心配したこともあった。でも、そうなる前に山車に潰されて死ぬことになるとは。


(でも、何か変……)

 体が何かに押しつぶされている感覚はある。でもそれは、かつて飼い犬に寄りかかられた時と同じ様な、柔らかい感覚だった。


 遠くで、誰かが悲鳴を上げ、怒号が飛び交っているのが聞こえる。

 近いところでは、誰かの息遣いを聞く。その吐息は荒く、時々乱れる。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

 目を開けると、すぐ近くにフェリックスの顔があった。彼はリリーの頭を抱え込み、苦痛の表情を浮かべている。

 それで、状況が飲み込めた。倒れて来る山車から、彼が身を挺してリリーを守ったのだと。


「リリー、無事か?」

 自分を見上げるリリーの目線に気づくと、フェリックスははにかんだ。そうするだけでも今の彼には無茶な様で、すぐに苦痛で顔をしかめる。

「殿下!」


 人の事より自分の心配をして欲しい。そう思ってフェリックスの体に手を回す。

 べちゃり、と手が濡れた。それが彼の血と分かるのに時間は掛からなかった。


 広場の人が総出で、フェリックスに被さった山車を取り除いている。その作業の完了を待たずして、フェリックスは気を失った。

(嫌!嫌!嫌!)


 一人目の妃について色々な思惑がある事は、クラリッサから聞かされていた。必ず失脚すると信じている人もいると。

 その一人目の妃を庇って王子の方が死ぬ結末なんて、誰も想像していなかっただろう。


「死なないで…… フェリックス……」

 力を失ったフェリックスの体が、リリーの体にのしかかる。でも重くない。周囲の人により山車が取り除かれ、体を押しつぶす物が無くなったとは言え、彼の体はリリーより重い。でも重いとは思わなかった。

 フェリックスの背中に手を回し、抱きしめる。そうして背中を触っていると、そこからの出血が酷いのが分かった。


(お願い。もう、血を流さないで)

 失血死。そんな言葉を思い浮かべながら、リリーは出血の元を探し、それらしいところを手でぎゅっと押さえた。




 そうしていると、体躯のいい男がやってきてフェリックスの体をひょいと抱え上げた。作業員の彼は、フェリックスの侍従に指示されながらどこかへ行ってしまう。


「待って!」

 突然の事に驚きながらも、リリーは身を起こす。もちろん、フェリックスを抱えた男を追いかけるためだ。たぶんフェリックスは医務室に運ばれ、治療を受ける事になるだろう。

 さっき傷口を押さえたけれど、あの程度で血が止まるとも思えない。とにかく傍で見守りたい、そんな思いで立ち上がった。


 でも、なぜだろう。広場にいた近衛兵が槍を構え、その切っ先をリリーに向けて来る。

「これはどういうことですか? 通してください!」

 訳も分からず、リリーは叫んだ。


 早くフェリックスの所に行きたい。その一心で近衛兵たちを睨みつけると、その奥からマントを付けた騎士が出て来た。彼は兵隊長を務める人物で、貴族の証である六樹紋章のバッジを胸元に付けている。

 そのバッジが光をまとっている様に見え、リリーは息を呑んだ。


「では、その指輪がなぜ光っているのかをご説明願いましょうか」

 兵隊長にそう言われて、リリーは自分の左手を見た。

 六樹紋章の指輪は、光っている様に見える。

 晴れた空の下、太陽の光が反射しているだけだったりしないかと、手を回して指輪の角度を変えて見る。それでも、指輪が陰る事は無い。

 奇しくも、空に雲が掛かり始め、指輪の光りの強さが強調された。


 苦心する父の顔が思い浮かんだ。

 六樹紋章のアクセサリーは魔法使いを感知して光ると言う事。かつて、幼いリリーが触れたことで光ったと言う話。さんざん父から聞かされてきた事だった。


「違う…… 違うわ」

 魔法なんて使えない。だから指輪が光るのは何かの間違い。そう思って否定しようと思っても、言葉が出てこなかった。

(お父様の言葉を無視してきたせいだ)

 そのせいで判断を間違えた。だから、指輪が光る事を否定する事が出来なかった。


「なぜそんなに狼狽えるのですか? それではご自分が魔女であると言っているのと同じではあるまいか?」

 兵隊長の低い声が、リリーの冷静さを奪う。悪手だと分かっていながらも、近衛兵の脇を抜けてやり過ごそうと、リリーは駆け出した。せめてフェリックスのいる所まで向かおうと。


 そんな事、出来るはずも無かった。すぐに近衛兵に背中から乗りかかられ、腕を後ろにして組み伏せられる。

「お願いします! 殿下に会わせて下さい!」

 動けなくなったリリーは、せめてもの願いを叫ぶ。それを兵隊長が無言で見下ろしていた。

「お願いします……」

 周りを取り囲む人々の、冷めた様な怯える様な表情に気づき、リリーは語気を弱めた。縋る様に、兵隊長を見上げた。


「魔女と疑わしい者は隔離しなければならない」

 目を合わせた兵隊長は、凍り付いたような表情のまま、決められた台詞かの様にそう言った。

「リリー妃。ご自分の尊厳を守る事をお望みなら、地下牢までご同行いただきます」

 その冷たい声を聞き、リリーは目を伏せ、唇を噛んだ。



 * * *



 そうしてリリーは地下牢に投獄され、そのしばらく後に森まで運ばれた。


 地下牢には何日か入れられていたが、日の光の届かない場所では正確な日数は分からない。牢屋は常に看守が見張っていたが、誰一人リリーと口を利かなかったため、どれくらい時間が経ったのかを教える人もいない。

 看守が交代するたび、フェリックスが無事なのかを繰り返し聞いたが、その行いが報われる事無く、処刑が執行される時が来てしまった。


 刑の執行も、何の説明もなく突然行われた。

 気を失うように寝入っていた隙に、数人の男が牢屋に入ってリリーを縛り上げ、板の様な物に体を括り付けた。リリーの膝を折りたたみ、その体を包むようにして箱を組み立てる。

 彼らが手早くその作業をこなしたため、リリーが状況を理解したころには外側から釘が打ち付けられていた。


「動かない様に。あなたは最近になって突然魔法の力が発露した。国として、その様に処理します。残される者の事を思うなら、大人しくするのが賢明ですよ」

 誰とも知れない男がそう言った。

 箱に入れられ、外の様子も伺えない。何の情報も得られないまま、されるがままになっていたら森に置き去りにされていたのだった。


 魔女や魔法使いの処刑については、ドロレス王妃に教えてもらった。火あぶりが廃止され、森に置き去りにする方式が取られる様になったのだと。

 それを教えられていたから、森まで運んだ人と馬の気配が遠ざかった時、これがその処刑なのだと気づくことが出来た。




 ぎゃ、ぎゃ、ぎゃ……


 野獣らしき何かが奇妙な鳴き声を上げている。あれが人を食う様な魔物かどうかは分からないし、彼らが本当に自分を見つけて食うのかどうかも分からない。

 例えそうならなくとも凍死するかもしれない。体は冷えきっていて、足先はすでに感覚が無い。


(本当に魔法が使えたら、フェリックスの怪我を治したのに……)


 魔法使いはかつて、人々の生活に溶け込んでいた。彼らの使う様々な魔法の中には、傷を癒す魔法もあったと言う。古い時代の話だ。

 魔法使いの中から魔王が生まれ、さる帝国を滅ぼしてしまって以降、魔法使いは危険視され、忌むものとして排除される様になった。


 そこでふと、違和感を覚えた。

 本当に魔法が使えたら、こんな木箱、簡単に壊して脱出できてしまう。それでは魔法使いの処刑方法としては不十分ではないだろうか?


 そんな事を考えていた矢先、さっき鳴いていた野獣が甲高い声を上げた。悲鳴の様な鳴き声と共に木々の茂みが揺れる音が重なる。

 その異様な気配に驚き、リリーは体を大きく揺らした。



 その刹那、肩に強烈な痛みを覚えた。

 さっき体を揺らしたからか、箱が倒れ、その衝撃で板が外れてリリーは外に投げ出された。悲鳴を上げる間もない出来事だった。


 地面に転がったリリーは、肩に走った痛みを堪えた。しばらくそうして耐えていると、不思議なもので痛みを感じなくなってくる。

 そうして落ち着いてから、リリーは辺りを見渡した。


 箱が壊れても、リリーを括る拘束具はそのまま。まともに身動きが取れない中だったが、辛うじて壊れた箱の残骸を見る事が出来た。

 そこには、月明かりに照らされて光る金属片があった。それは血に濡れている様に見える。


(あれに肩を刺されたの?)

 箱に対して何某かの衝撃があると刃が落ちる、そんな仕掛けになっていたのだろうか。魔法使いの処刑方法として成立するものにはなっている様だ。


(死ぬの? 私……)

 もう、ここで生きている事も、これから死ぬと言う事にも実感が持てない。


 どこからか、さっきの魔獣とは違う重低音の鳴き声と足音が近づいてきた。その方向を見ると、黒い山の様な物がのそのそと歩いている。

 月明かりの当たるところまでやって来たそれを見ると、人の体程ありそうな大きな顔がリリーを見据えていた。


 ドロレス王妃に聞いた通り、魔物が罪人を食べに来た。

 逃げようにも自由に動けない状態では、ただ魔物の姿を見る事しか出来ない。いよいよその時が近いんだなと思った。




 でも、奇跡は突然訪れる。

 王太子に求婚された時も、フェリックスが身を挺して守ってくれた時も。奇跡と思える出来事は、いつも突然やって来る。


 ぐおぉぉー……!


 魔物が悲鳴を上げてのけぞった。

 何が起ったのか分からず、リリーはきょとんとその様子を眺める。

 魔物がふり返ったので、リリーも彼の背中で異変が起こったと分かった。


 魔物の視線の先、暗いはずの森の中には火の玉がいくつか浮かび、辺りの木々を照らしていた。

 その光の中には人影がある。フードを被りマントをなびかせるその姿は、男の物に見える。


 ふり返った魔物は、男に敵意をむき出しにして襲い掛かろうとする。男はそれに対して逃げるそぶりも見せず、周囲に浮かんだ火の玉が魔物めがけて飛んでいくのをただ見ていた。


(え? 今の、何?)


 火の玉は、魔物の長ったらしい黒い毛に燃え移る。それに身もだえした魔物はごろごろと地面を転がった。体が燃えた者の行動としてそれは正しかった様で、すぐに鎮火する。


 魔物は起き上がり、再び男めがけて向かっていこうとするも、すぐにその足を止めた。また男の周りに火の玉が浮かび上がったのを見たからだ。

 魔物は踵を返し、森の奥の方へ逃げ去ってしまった。



 森へ消えていく魔物を見ていたら、フードの男が駆け寄ってくるのに気づくのが遅れてしまった。

 でも、警戒しなくて良さそうだ。駆け寄りながら掛けた男の声に、聞き覚えがあったからだ。


「ご無事ですか?」

「レイバーン?」

「ええ。助けに来ましたよ」


 男はリリーの傍で腰を下ろすと、手にしていたランタンを地面に置いた。そうして照らされたフードの中の顔は、やはりレイバーンだった。


「どうして?」

 リリーはこの状況を訝しんだ。なぜ、商人のはずのレイバーンが魔物を撃退できたのか。なぜ、リリーを助けに来たのか。


「出血が酷い。痛みますか?」

 そう問いかけられて、肩が刃で切られていたことを思い出した。出血の量から見てもかなりの怪我だろうに、不思議と痛みが無い。

「いいえ。痛みは、ありません」

 戸惑いながら答えると、なぜかレイバーンはフフッと笑った。


「先に、拘束具を外します」

 そう言ってレイバーンはナイフを取り出し、リリーを括っていた拘束具を切った。拘束具には縄や革ベルトだけでなく、金属製の鎖も混じっていたのに、貧弱そうなナイフ一つで全て切ってしまう。なぜ彼はこんな事が出来るのか、疑問ばかり浮かぶ。


「その血まみれの肩ですが、傷口はもう塞がっているのでは?」

 自由になったリリーを立たせてから、レイバーンはそう聞いた。

「いえ、そんな筈は……」

 さっき切りつけられたばかりなのに、そんな事はあり得ない。そう思いながら切られた肩に恐る恐る触れてみると……

「あれ?」

 触って痛むどころか、切られたらしき傷も見当たらない。


 その様子を見ていたレイバーンが「失礼」と言って、取り出した布でリリーの肩を拭った。流れ出たばかりの血は、乾いた布でも簡単に取り除かれる。

 衣服は切り裂かれているから、そこを切られたのは確かだ。けれど、肝心の肌の部分には傷が無い。


「やっぱり」

 そう言って、レイバーンはまたフッと笑った。

「やっぱりって…… 一体何を知っているんです?」

 彼の態度がじれったくて、少し食い気味に聞いたリリーに対し、レイバーンは自分の着ていたフードマントをリリーに被せた。


「知っているも何も、今はっきり分かったんですよ。フェリックス殿下が負った怪我を、あなたが癒したと」

「え? フェリックス! 殿下はご無事なんですか?」

「ええ。無事も何も、あなたがフェリックス殿下を救ったんですよ? 今あなたが自分に施したような治癒魔法を、殿下に対しても使っていたでしょう?」


 レイバーンの言葉をすんなり受け入れる事が出来す、リリーはきょとんとした顔で彼を見上げる。

「救った? 私が、魔法で?」

「ええ。自覚、無かったんですか?」

 状況を呑み込めないリリーに、レイバーンは少々呆れた顔を向ける。リリーはそんな視線も気に留めず、自分の手に視線を落とした。



「フェリックスを救った。私が……」

 さっきまで、魔法が使えたら良かったのにと思っていた。使えたらフェリックスを救えたと。

 そんな過ぎ去った事に対して掛けた無茶な願いが、すでに叶っていたと知ったこの驚きは、彼の無事を知った喜びより上回った。


 ずっと、フェリックスが頼ってばかりのレイバーンに嫉妬していた。

 一人目の妃の逸話を聞いて、自分は偽りの妻では無いかと疑って、くすぶった思いをずっと抱えていた。夜の生活も無く、妻になった意義を見いだせない中、夫が頼りにする人がいると知って心が乱れてしまっていた。と、今だから思える。


 ずっと、彼の役に立ちたかったんだと、今分かった。だから、レイバーンに嫉妬していたんだと。

 王宮での生活は不自由しないが窮屈で、リリーがフェリックスに対してできる事は限られていた。大抵の事は侍従がこなすし、フェリックスもリリーが彼に対してしたかった以上の施しをしてくるので、自分にできる事は何もないと思っていた。


 だから、この奇跡はこの上なく嬉しい。

(ようやく、お役に立てた)

 これからも健やかに過ごすだろうフェリックスの事を思うと、自然と笑みがこぼれて来る。



「殿下に、お会いになりたいですか?」

「ええ、すぐにも戻って無事を確かめたいわ」

 意気揚々と明るい声でリリーは答えるが、それに対してレイバーンは冷めた目を彼女に向けた。

 その青い瞳を見て、リリーは現実に引き戻される。


 魔女が、王宮に戻れるはずがない。



 * * *



「魔女リリーの死亡が確認されました。檻は壊され、辺りには血痕があり、衣服の切れ端もいくつか落ちていました。魔物が巣に持ち帰って食った物と見ています」

 魔物の森の調査から戻った兵隊の長が、王と王妃、王太子が居並ぶ前にかしずき、報告した。


「これでひと安心ですわ。まったく、同じ宮殿内に魔女がいたなんておぞましい話ね。彼女とはよくお喋りしていましたけど、そんな素振りは微塵も感じなかったわ。分からないものね」

 王の応接室。王のカシムが座る隣で、王妃のドロレスがほっと胸をなでおろした。

「魔物と違って、魔法を使わない限りは六樹紋章も反応しない。そうと見抜くのはなかなか難しい物だ」

 そう王妃に答えながらも、王は少し離れたところに座る王子に視線を送った。


 兵士の報告を聞き、フェリックスは何か思いつめたように硬直していた。兵士が退出してもピクリとも動かない息子を見て、カシムが「フェリックス」と声を掛ける。

「かねがね言ってきた事だ。一人目の妃は長く続かないから入れ込むなと」

「はい……」


「お前や私だけではない。先代王の一人目の妃も、嫁いですぐに亡くなっている。これはもう、逃れられないジンクスとして受け入れるほかないだろう。さっさと切り替えた方が良い」

 この言葉を聞いて、フェリックスの暗い顔がさらに青ざめた。

「父上」

 そう言ってすっと立ち上がり、カシムの正面まで歩いて行って見下ろすも、白髪交じりの黒ひげを蓄えた彼の表情は変わらない。悠々と足を組み替え、呆れ切った顔のまま息子を見上げた。息子と同じ、鮮やかな青い瞳で。


「どうした?」

 無言で睨みつける息子に対し、カシムは一切動じない。

「黙っていては分からん」

「……自室に戻ります」

「そうか、構わんぞ」

 素っ気ない返答に怒ったのか、フェリックスは拳を握りしめるも、すぐに平静さを取り戻して踵を返し、俯きがちに歩いて部屋を出た。


 この父子のやり取りを呆然と見ていたドロレスだったが、フェリックスがドアを閉める音を聞いて我に返った。

「ちょっと陛下、困りますわ。クラリッサを呼んでいるのに」

「ああ、そうだったな」

 この時になって、カシムは大きくため息をついた。手を焼く息子を持ったものだと、自分自身に呆れて。


 ただし、王妃達の扱いについては苦慮していなかった。

「問題あるまい。彼女が来たら、フェリックスの部屋に直接向かわせるよ」




 自室に戻ったフェリックスは、机の引き出しの中から小箱を取り出し、おもむろにそれを開けた。中には、リリーが身に付けていた指輪が入っていた。


 六樹紋章の指輪は、役目を終えると自ずと姿を変える。この指輪も、紫色だった土台は黒に変色し、その上に載せた紋章を象った金属には割れ目が入っている。

 フェリックスがこれを受け取った時、もう処刑のためにリリーが運び出されたその時には、既にこの状態だった。それは、リリーがもう妃で無い事を物語っている。


「リリー……」

 彼女が死んだなんて言う報告は受け入れられない。けれど受け入れざるを得ない現状が悔しくて、唇をかんだ。


 ◇ ◇ ◇


 事故があった日の夜、意識を取り戻したフェリックスはまず、自分が大怪我をしていた事を知った。

 見ると傷口は塞がっており、怪我をしたのは夢だったんじゃないかと思ったほど。


 この傷は、レイバーンの薬ですぐに癒えたと言う。これは彼の功績かと思うが、そういう訳でも無いらしい。彼は「こんなにすぐに傷が塞がったのを見たのは初めてです」と驚いていたし、侍女なんかは奇跡が起きたと語っていた。


 周りが興奮気味に話す中、気がかりだったのはリリーの事だった。自分と一緒に事故に巻き込まれた彼女の無事を問うと、信じられない答えが返って来た。


 リリーが魔女として投獄された。


 何かの間違いだと思い、リリーの居場所と、投獄に関わった責任者を探した。すぐに彼女を解放させる為に。

 そうして人に聞くも誰も口を割らず、焦りが募って錯乱状態になったフェリックスは、ついに近衛兵に取り押さえられる事になった。

 彼らは王の命令を優先する。フェリックスが何を言おうと、拘束しようとする彼らの手は止まらず、王宮の一室に監禁されるに至った。


「魔女に肩入れしようものなら、近隣諸国との関係に亀裂が入る。例え彼女に悪意が無くとも、魔女と判断されたものは排除せねば、世界の均衡が崩れてしまうのだよ」

 見舞いにやって来たカシムは、そう言って息子を説得しようとした。


 そんな言葉、納得いくはずがない。第二妃だった母をないがしろにして、周囲が望むままに結婚を繰り返した父にとって、一人の女性の命より大事なものはたくさんあるんだろう。

 よく分かっていたからこそ、抗おうと考えていた。生涯ただ一人の妃と添い遂げようと。それを、自分の生きざまとして後世に示していこうと。


「たった一人の女性も愛せない世界なんて、崩れてしまえば良い」

 俯きざまにフェリックスがそう言うと、父は絶句した。

 しばらくの沈黙の後、父はおもむろに「そうか」と呟いた。

「今のは聞かなかった事にする」

 そう言い残して部屋から立ち去った。四日前の事だった。


 ◇ ◇ ◇


 どれくらい時間が経っただろうか。日が陰って暗くなった自室に、客が訪れた。

 何の断りもなく入って来たのは、クラリッサだった。


「何?」

 彼女の無作法に呼応して、フェリックスは吐き捨てる様にして聞いた。

「勝手に入るなよ」

 そう言いながら、手に持っていた小箱をテーブルに置く。そこには、いつでも喉を潤せるようにと置かれた果物と、それを切るためのナイフがあった。


「陛下から頼まれたのですわ。フェリックス様を慰める様にと」

 彼女もカシムの手駒か。そう思ってフェリックスは首を振った。

「そんな物はいらない」

 そう言って、クラリッサを遠ざけようとした。幼稚な心情かも知れないが、父の意向に添う気にはなれなかったからだ。


 けれどよそ見をしていた隙に、後ろからクラリッサに抱きつかれた。

「リリーさんの事は残念でしたわ。悪い人では無かったもの。けれど、過ぎたことを引きずっていては、フェリックス様がお辛いばかり。もっと、新しい事に目を向けていきませんか?」


 背中から回されたクラリッサの手が、腹の辺りをねっとりと擦る。まるで愛しい者を撫でる様な仕草に、フェリックスは身の毛がよだった。

「新しい事……とは何だ?」

「例えば、全てを忘れる為に、新しい妃を迎えるとか」

 はっきりと自分を狙っていると取れる発言を聞いて、血の気が引いた。


 分かっていたことだ。

 今の王は、クラリッサの父ペンドルトン侯爵を懇意にしている。子供の頃に彼女との婚約話が持ち上がった時より、今の方がその距離は近い。それでも彼の娘との縁談が上がる事が無かったのは、ひとえに一人目の妃のジンクスを警戒しての事だった。

 その一人目の妃が居なくなった今、次の妃にクラリッサを据えるのは順当だろう。


 全てカシムの手の内の中なのか。

 それが何より悔しくて、唇を噛む。そして……


「放せ!」

「きゃっ!」

 抱きつくクラリッサを突き飛ばした。それで彼女が床に転がろうと、そんなのは知ったことじゃない。


 フェリックスは、テーブルに置かれた果物ナイフを手に取る。その切っ先が、窓から入り込んだ赤い夕陽に照らされ怪しげに光った。


「フェリックス様? ねぇ、冗談はおやめになって?」


 父が憎い。それに従う者が憎い。

 フェリックスはナイフを下げて、床に転がったままのクラリッサを見下ろした。その形相を見たクラリッサは息を呑む。


(ここでクラリッサを殺したら、父上の思惑は崩れるだろうか)

 とんでもない事を考えている自覚はあったが、頭の中はいやに冷静だった。

 クラリッサは満足に起き上がる事も出来ず、青ざめた顔でこちらの一挙一動を凝視してくる。そんな彼女を逃がすまいと、フェリックスは膝立ちになってその体に乗り、ナイフの切っ先をその顔に向けた。


「嫌、やめて……」

 そう懇願し震えながらも、クラリッサは後退りして逃れようとする。

(リリーも、こんな風にして殺されたんだろうか)

 そう思って、フェリックスはクラリッサの肩を掴んで床に押さえつけた。これで逃げられない。


 すると、クラリッサの様子が変わった。それまで恐怖で震えていただけだった彼女は、フェリックスの腕を掴んで涙を溢し始めた。

「ごめんなさい、軽率な事をしたなら謝るわ! だからお願い、許して……」


「リリーは、許しを乞う事も出来ずに殺された」

 フェリックスはナイフの刃をクラリッサの頬に当てる。リリーが感じた恐怖を、彼女にも分からせたかった。

 クラリッサは震えながら目を瞑り、命乞いの言葉すら発しなくなった。


 きっと彼女自身、なぜ自分がこんな目に合っているのか分かっていないだろう。

 身の保身のため強者に従うことに疑問を抱かず、それで犠牲になる人の事を気に止めないどころか、哀れんだ振りで他人の関心を引こうとする。フェリックスは、そんなクラリッサの事が嫌いだった。


 いや、クラリッサだけじゃない。そんな人間、この王宮には無数に存在している。

 今ここで彼女一人殺して、何が変わる?


 フェリックスはクラリッサの頬からナイフを引き上げ、彼女を押さえつけていた手も解いた。おもむろに上体を起こし、ナイフを両手で握りしめた彼の表情は穏やかだった。


 その変わりようを怪訝に思ったクラリッサは、目を開けて彼の顔を見る。その視線に気づき、フェリックスはにっこりと笑った。


「さよなら」

 別れの言葉と共に、ナイフを自分の首に突き立てた。



 彼の血しぶきが飛んで頬に当たったのに気づき、クラリッサは悲鳴を上げた。

(自分が刺されたわけでもないのに、大げさだな)

 この世の終わりかの様な叫び声で騒ぐクラリッサを眺めながら、フェリックスは倒れ込んだ。


 不思議と、痛みがあったのは首を刺した瞬間だけだった。視界がだんだん暗くなり、腰を抜かしながら助けを求めて叫ぶクラリッサも満足に見れなくなっていく。彼女の声も、遠い世界の事に思えた。



(リリー、君が地獄に行ったなら、僕も一緒に堕ちるよ……)


 そうして、フェリックスの意識は闇の中に溶けた。



 * * *



 フェリックスが再び意識不明になった。王宮はその夜、この事で大きな騒ぎになった。

 そんな混乱の最中、一人の男が呼びつけられた。今まで幾度となくフェリックスの病や怪我を治してきた、薬屋のレイバーンだ。


 使者によって王宮内に案内された彼は一度、近衛兵によって入る事を阻止された。見慣れない少年を連れていたからだ。近衛兵は彼を帰すように伝えるも、レイバーンは少年の肩を寄せて反論した。


「この子は私の弟です。必ずお役に立ちますから、弟も一緒に入れて下さい。フェリックス殿下の為に!」

 その真剣な面持ちに近衛兵達は顔を見合わせ、中へ通すことにした。


「何とか入れて良かったな」

 小走りに駆けながら、レイバーンは帽子の少年に小声で語りかける。少年は自身の空色の瞳を隠す様に、帽子のつばを目元に寄せた。

 その様子を見守っていたレイバーンは、フェリックスの部屋の扉の前で立ち止まった時、勇気づける様に弟の小さな背中を叩いた。


「自信を持て、アシュリー。お前は俺の自慢の弟なんだから」

 アシュリーは兄の言葉の真意を探るため、彼の青い瞳を見上げた。その目元が薄っすら笑ったのを見て、ぴりぴりしていた緊張が少しばかり解けた。


 ◇ ◇ ◇ 


 リリーが《アシュリー》の名を貰ったのは、つい最近の事だった。

「リリーと言う女性は、もう死んだものとするよ。今日からはそうだな、アシュリーと言う名前はどうだ? 俺の弟として生きてくれ」


 置き去り刑が執行され、魔物に食べられかけた所をレイバーンに救われたその日。

 森から比較的近い町にある雑貨屋に、リリーは身を置く事になった。そこはリンクス商会に縁のある雑貨屋。会長の息子であるレイバーンの口利きで、敷地内の小屋を使わせてもらったのだ。


 この小屋でフードマントを脱ぎ、死の偽装のために現地で裾を破り捨ててボロボロになったドレスから、レイバーンが用意した少年風の衣服に着替えた。プラチナブロンドの長い髪も切り、茶色に染めている。


「知り合いに会っても誤魔化せるくらいの変装をしないとな。また捕まりたくは無いだろ?」


 アシュリーの出生や背景についても細かく設定された。レイバーンと同じ、リンクス商会の拠点がある隣国の出身。弟とは言っても正確には従弟だ。リンクス一族の慣習で親戚丸ごと兄弟と呼ぶので、それに倣っての事らしい。


「俺を慕ってはるばるやって来た、と言う事にしよう。半ば家出したぐらいの勢いでね。レイ兄さん、て呼んでもらおうかな。実際弟妹達にはそう呼ばれてて…… いや、待って待って。そんな変な目で見るな。親戚って事にすると都合を付けやすいし、それくらい慕ってくれていた方が、突然やって来た事に対して説明しやすいんだ。決して、趣味じゃない!」


 俺を慕って、なんて、自信があって大胆な事を考えるな。と思って見ていたら、彼はなぜか慌てて言い訳を始めた。趣味じゃないと言って否定するのも良く分からない。

 でも、その様子を見ていたら笑ってしまった。

「分かってますよ。正体を怪しまれないためにも必要な事なんですよね、レイ兄さん」


 こうして、アシュリーとしての人生が始まった。

 しばらくは小屋の中で、リンクス商会の関係者なら知っていて当然の事を仕込まれた。その後王都に入り、レイバーンの薬屋で働くことに。


 レイバーンが王宮から呼び出されたのは、そうして働き始めた一日目の事だった。


 ◇ ◇ ◇ 


 フェリックスのベッドの傍では、すでに宮廷医師が治療に当たっていた。彼は顔のしわをさらに深く刻んで立ち尽くしていた。

 部屋にレイバーンが入ってくると、すぐに経過を報告する。


「止血はしましたが、それまでの出血が酷かったせいか、まだ昏睡したままです。息も絶え絶えで……」

 それを聞いたレイバーンは、ベッドに横たわるフェリックスを見下ろした。彼の上半身は包帯で巻かれ、首の辺りに血が滲む。その様子を良く確認した。


「こんな所、どうして……」

「ご自分で傷つけられたそうです」

「自分で?」


 医師の言葉を聞き、アシュリーは息を呑んだ。

 リリーが処刑され寂しい思いをしただろうとは想像していたが、自傷するほどだったとは思わなかったからだ。


「何とかできますでしょうか?」

「はい。良い薬を持ってきています。ただ、使い方が特殊なので私どもだけで施術いたします。他の方は部屋の外に出て下さい」

「いえ、私も医師です。手伝える事があれば……」

「いいえ、外で待っていてください。とても神経を使う物なので、環境の如何が成功するかどうかに繋がります。お願いします」

 レイバーンが威圧する様に医師を見下ろす。おかげで、部屋から人払いをする事が出来た。


 アシュリーはそんなレイバーンの行動を横目で見ながら、動く気配の無いフェリックスを見下ろした。その血の気の引いた青白い顔を見ていると、胸が締め付けられる。


 その後ろからレイバーンが手を伸ばし、黒い布をフェリックスの左手に被せた。六樹紋章の指輪の光を遮るためだ。

「人払いは出来た。何かあっても俺がフォローするから、気にせずやってくれ」

 そう言ってアシュリーに目配せをする。それは、治癒魔法を使えと言う合図だった。


 レイバーンも魔法が使える。リリーが助けられた時に火の玉で魔物を追い払ったのも、彼の魔法によるものだった。

 でも、彼に治癒魔法は使えない。


 王都に入る前、レイバーンはアシュリーが本当に治癒魔法が使えるのか確かめた。そして、彼女を勇気づける様にこう語った。

『君みたいに、治癒魔法だけがぽっと使える人はかなり珍しいんじゃないかな。文献でもこれは高度な魔法で、修練を積んだ魔法使いでないと使えない物だったみたいだ。だからその力、誇って良いと思う』


(今、フェリックスを助けられるのは、私だけ)

 レイバーンがベッドのカーテンを閉める音を聞きながら、アシュリーは拳をぐっと握りしめた。



「フェリックス」

 リリーは小声で彼の名を呼び、血の滲む包帯の上に手を置いて目を伏せた。

(私は無事よ。だからもう傷つかないで。自分を、傷つけないで……)


 彼が元気に過ごす姿を思い浮かべる。

 笑顔の似合う人だった。いつも屈託のない笑顔を向けてくれていた。

 時々穴が開くほど見つめる事があった。それでリリーが恥ずかしがるのを知っていて、そうなっていたずらっぽく笑うまでがセットだった。


 彼のリリーへの愛情は本物だった。

 二人で過ごす時間を大切にしてくれていたし、特別なものにしようとしてくれた。その時間はリリーにとって輝かしいほどの幸福だった。ここで手放すには惜しいくらいの。


「フェリックス。リリーはあなたが、大好きだったわ」



 傷口に手を添えたまま、少し時間が経った。

 包帯をしているから傷が癒えているのか判断できない。さっき被せた黒い布の隙間から紫色の光が漏れているので、魔法が使えている事だけはハッキリしている。

 そんな不安の中、フェリックスの顔に生気が戻った。その様子を見て、アシュリーはホッとする。


 彼の首から手を離すと、意外な事が起きた。

「リリー」

 その目が微かに開いた。青い瞳は視点が定まらずにキョロキョロと動き、現状を探ろうとしている様に見える。

「はい。フェリックス……殿下」

 アシュリーは彼の呼び声に小声で答える。――本当は、声を交わさずに去るつもりだったのに。その声を聞いたら、黙ってはいられなかった。


 フェリックスは、置き所なく宙に浮いたままのアシュリーの手に気づき、さっとその手を取って自身の頬に寄せた。

「やっぱりリリーだ。君がいるって事は、ここは地獄?」

 弱々しい声ながら、彼はしっかりと視線を送って問いかけた。だんだんハッキリしてくるその声を聞き、アシュリーの胸に熱いものが込み上げて来る。

「いいえ。フェリックスの部屋よ。生きてるの、私も、あなたも」


 フェリックスの目がハッと見開かれた。

「いや、だって。リリーは処刑されたんだ。そんなはずは……」

 状況を理解しようと見つめてくるフェリックスに、アシュリーは微笑んで小さく頷く。

「リリーは死んで、生まれ変わりました。今はアシュリーと呼んで下さい」


「アシュリー……?」

 そう呟いて、フェリックスは何かに気づいた。左手をアシュリーの方へ伸ばす。そこに嵌められていた指輪はまだ光っており、黒い布を落として露になったそれを見て、アシュリーはドキリとした。

 フェリックスもそれに気づいて手を止めた。指輪の光をまじまじと見つめる。


「指輪が光って…… 魔女、魔法…… 奇跡」

 彼の中で何かが繋がってきた様だ。その呟きを聞きながら、アシュリーは黒い布を取ってフェリックスの左手に被せた。


「そうか。僕は、君に助けられたんだね。二度も」

 今のでフェリックスは分かってくれた。リリーが、アシュリーが魔法で自身の命を繋いだことを。

 笑って頷こうとすると、フェリックスが上体を起こし、アシュリーの背中に手を回して抱き寄せた。


「殿下?」

「僕は、なんて馬鹿な事をしたんだ。君に救われたとも、君が生き延びたとも知らずに。リリーのいない世界に意味が見いだせなくなっていた」

 そう話すフェリックスの声は震えていた。彼の胸に頭を埋め、その顔を見る事の出来ないアシュリーにも、泣いている姿が目に浮かぶ。


「この礼をどう返したら良い? 僕は助けられてばかりで、リリーを守る事が出来なかった。だからせめて、君に何かしたい」

 そう言って、フェリックスは抱きしめていた手を緩めた。そうして間近で見上げる彼の顔は弱っている様に見えた。


 彼を元気づけたい。そう思ってアシュリーは言葉を探す。

「リリーは、殿下に守って頂きましたよ」

 フェリックスが少し驚いたのを見て、アシュリーは彼の手を取った。指輪の光は弱まっていた。


「リリーは殿下に、倒れて来る山車から庇って下さいました。こうして私がここに来たのも、その時のお礼。いえ、殿下には健やかでいて欲しいと願ったからです」

 そう言って笑いかけると、フェリックスは自分の手を握ったアシュリーの手を、逆に包み込んだ。


「ああ、どうしよう……」

 苦悶の表情を浮かべるフェリックスに、アシュリーは戸惑う。まだ深い悩みがあるのかと思って。でも少し、様子が違った。

「やっぱり君じゃなきゃ嫌だ」

「え?」


 フェリックスはすっと姿勢を正してから、戸惑うアシュリーを見下ろした。

「アシュリーを二人目の妃にしたい。今度こそ、僕が必ず守ると誓うよ」

 そう言って見つめる青い瞳は、かつてと同じように熱かった。



 アシュリーは、事故のあった日の出来事を思い起こした。

『魔女と疑わしい者は隔離しなければならない』

 あの時居合わせた人々は、何が起こったかよりそこに魔女がいる事を気に掛けていた。恐ろしい力が自分に向く事を恐れ、排除する事しか考えていない。


 ここでアシュリーが妃となっても、同じことが繰り返されるだけでは無いだろうか。


 六樹紋章のアクセサリーは、使われた魔法の力を感知する。魔法を使わなければ同じことは起きないだろう。

 でも、フェリックスがまた命の危機に瀕することがあれば、何度でも救うために力を尽くしたい。きっと、ずっと使わずにいられない。


 もう答えは出ている。それでも、アシュリーを悩ませたのはフェリックスの誓いのせいだ。

『必ず守る』

 それを、どこまで信じられるだろうか。



「取り込み中申し訳ございませんが、殿下。アシュリーは私の弟ですので、そう言う話はちょっと……」

 レイバーンがシャッとベッドのカーテンを開けた。そう言えば、彼はずっと側にいた。

「弟?」

 驚いた様子で、フェリックスはアシュリーの姿を上から下まで眺める。そこでようやく、男装していることに気づいた様だ。


 レイバーンのフォローのおかげで、揺れていたアシュリーの心に、けじめが付いた。


「殿下のお心は光栄です。ですがお互い、生きるべき場所が違うと思うのです。だから、そのお心に応えることは出来ません。――もし、この王宮がどんな人でも受け入れてくれる場所なら、違ったのでしょうけど」


 もし、貴族達が身分の違いを気にしなければ。もし、この国の人々が魔法使いを恐れなければ。フェリックスと幸せに暮らす未来もあっただろう。

 そんな《もしも》はそう簡単に起こり得ない。


「そうか、そうか……」

 フェリックスは目を伏せた。アシュリーの言葉を受け入れがたいのか、思い悩んでしばし沈黙する。

「分かった、君を苦しめたくはない」

 その返答を聞いて、アシュリーはほっとした。もし彼が無理を通そうとしたら、それに抗える気がしなかったから。ふと見上げると、レイバーンも安心した表情で息をついていた。


「でも、一つ良いかな?」

 フェリックスは目を開き、もう一度アシュリーの手の上に自分の手を重ねた。そんな彼の行動に、アシュリーは目を奪われる。

「君が、君のまま、僕の隣で笑ってもらえる様な。そんな王宮に……そんな国に変えてみせる。その時また君を迎えに行きたい。それまで、待っていて欲しい」


 どうしてまた、そんな事を言うんだろう。そんな、離れがたくなるような……

 でも、ここで引かなければ、アシュリーにとっては地獄が待っている。


 フェリックスが重篤と聞かされレイバーンが呼ばれた時、アシュリーは迷わず行くと言った。彼が心配で堪らなかったから。

 レイバーンは一度、そんな彼女の決断を拒否した。アシュリーがその心配に気を取られ、自分の身を守ること――魔法使いであると知られてしまう事を懸念しての事だった。

 それでも、彼の言葉に従うことを条件にフェリックスに治癒魔法を使うことを認めてもらった。確実に守られながらも、自分の意思で力を奮える事に、喜びを感じた瞬間だった。


 生きるべき場所が違うとは、心からの言葉だ。自由に生きられる場所が別にある事を、アシュリーは知ってしまった。


「ごめんなさい。お約束出来ません」

 アシュリーは目を伏せ、そう答えた。



 ここで、時間切れになった。にわかに部屋の外が騒がしくなったからだ。その声の中に王カシムの声があり、部屋にいた一同は驚いた。

「父上?」

 騒ぎを聞いていると、離れて治療が終わるのを待っていた王が、辛抱出来ずにやってきたと言う事が分かった。


 ベッドにいる二人を一瞥してから、レイバーンは部屋のドアを開けた。指輪の光も消え、問題無いと判断したのだろう。アシュリーは帽子のつばを目元まで下げ、ベッドから離れた。


 カシムはレイバーンがドアを開けて声をかけるや否や、脇目も振らずに息子の所まで駆け寄った。

「父上…… どうして?」

 フェリックスにとって、今の父の行動は意外だった様だ。戸惑う息子に対し、父は「大事無いか?」と聞いた。

「はい……」

「そうか、良かった」

 カシムは笑って、無事を確認した息子を抱きしめた。


「良かった、本当に…… もう、あんな馬鹿な事はするな。お前の命が失われて悲しむ人間は、自分が思う以上にたくさんいるのだから」

 初めは戸惑っていたフェリックスも、徐々にそれを受け入れ、父の背中に手を置いた。

「はい、父上」



 対面しても話すことが少なかった父子の抱擁。あまりに貴重な光景を、アシュリーはまじまじと眺めてしまっていた。


「この隙に帰るぞ、アシュリー」

 呆けていた所を、レイバーンに声を掛けられた。リリーを知る人にアシュリーの顔を見られぬ様、仕事を終えたらすぐに帰る約束だった。

「はい、レイ兄さん」

 そうして二人は、部屋からこっそり抜け出した。



 * * *



 レイバーンとアシュリーは、再びの奇跡に感激した人々に呼び止められるのも振り切って、王宮を後にした。

 薬屋に戻るまでの道すがら、王都の大通りから脇道に入ろうとしたところでアシュリーは足を止めた。その視線の先には王宮があった。

 王宮の城壁は白く、夜の暗がりの中でもその姿はくっきりと浮かび上がっている。


「どうした? 名残惜しいか?」

 レイバーンに問いかけられ、アシュリーは自嘲ぎみに笑った。

「いえ、別にそんな事は……」

 そう言いながらも、視線は王宮から離れない。



 六樹紋章の指輪が光った時の事を思い起こしていた。あの時、父の言うことを聞いていればと後悔したが、今でもその後悔は残っている。初めからフェリックスの求婚を断っていれば、こんな事態にはなっていなかったと。

 父の進退についてはレイバーンから聞いた。娘が魔女であったと言う件で咎められる事はなく、元々政治から離れていた為その暮らしぶりに影響は無いと言う。


 でも、娘を失った父母の心情を思うと……



「実家の事を考えていたんです。殿下の様に、親に心配かけてしまったなと…… ううん、心配どころじゃないよね。死んだと思ってるんだから」

 そうつぶやくと、レイバーンが歩み寄ってアシュリーの隣に並んだ。


「落ち着いたら、カートランド男爵の領地にでも顔を出してみよう」

「え……良いの? と言うか、会っても大丈夫でしょうか、アシュリーなのに……」

「もちろん。会いに行く理由なんていくらでも付けられるよ。商談に来たって言えば良いんだから」


 本当に、レイバーンは頼りになる。フェリックスが懇意にしているのも納得だ。

 気掛かりな事があるとすれば、なぜこんなにも力になってくれるのかと言うこと。


「何?」

 レイバーンが小首を傾げた。それで、自分が彼をじっと見つめていた事に気がついた。

「えっと、その……」

 不思議そうにアシュリーを見つめ返す彼の目は、薄っすら笑っている。その目にどこか暖かさを感じ、ふと聞いてみた。

「どうして、私の事を助けてくれたんですか?」


 彼がフェリックスに親身になるのは分かる。客だから。

 でも、自分にはメリットどころか、リスクしかない。魔法使いである事。その正体が処刑されたはずの王太子妃である事。もしバレれば、近くにいる彼もその代償を支払う事になる。

 同じ魔法使いだからと言って、世捨て人でも無い彼がリスクを冒してまで助けようと考えるだろうか。


 問われたことにレイバーンは驚いた様で、目を丸くした。

「ごめんなさい、不躾な質問で……」

 まずい事を聞いたかなと思って俯くと、レイバーンは「謝る事じゃないだろ。理由が気になるのも当然だ」と言って笑う。


「助けた理由。至極、個人的な理由でね。君の境遇が母さんと似てたから、なんだけど」

「お母様?」

「そう。俺の母は昔、ロストリアの高貴な男と結婚したけど、魔女と知られて火あぶりにされた。それでも何とか生き延びて、旅商人の男に助けられた。それがまあ、両親の馴れ初めでね」


(魔女と知られて火あぶりに?)

 現王の一人目の妃の話を思い浮かべた。魔女と知られて処刑された、自分と全く同じ境遇に立たされていた人の事を。

「それって……」

 件の妃は懐妊が分かってすぐ処刑されたと聞いた。それを生き延びたのだとしたら、お腹の子供はもしかしたら……


 彼の背景を色々想像して、アシュリーはその顔を見つめた。その視線に気づいたレイバーンは、口の前に人差し指を立てる。

「秘密な」

 彼は悪さをした少年の様に、にまっと笑った。


 その笑顔を見てアシュリーは、ぞくりと悪寒が走った様な、それでいて全身が熱くなる様な、奇妙な感覚を覚えた。


「帰ろう。明日も仕事だ」

 そう言って、レイバーンは脇道へ入って行く。

「あ、待って下さい!」

 彼にペースを乱されたアシュリーは、一息遅れてから駆け足で後をついて行った。



 彼の言う通り、明日もまた仕事だ。

 まだレイバーンの薬屋で働き始めたばかり。これから彼に教わる事がたくさんある。


 アシュリーとしての人生は、まだ始まったばかりだ。

 最後までお読みくださり、ありがとうございました。


 この世界の歴史など温めている設定がまだまだあるので、またいつか続きや同じ世界の別のお話なんかも書いていきたいなと思っております。

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