表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/76

9 出会いの思い出とお守り

 ――七歳の頃。

 レジーナとルカは、祖父の執務室で初めて顔を合わせた。



 一ヶ月ほど前に、祖父からは話があった。

 同い年の男の子を一人、預かることになった、と。


(どんな子だろう。仲良くなれたらいいなぁ)


 などと、幼いレジーナはワクワクしながら、その日を待っていたのだった。

 当時はまだ自分に異母妹(いもうと)がいることなど、つゆほども知らなかったので、レジーナは初めて兄弟ができるような心地で嬉しかったのだ。



 そんな浮き立つ気持ちで迎えた当日。

 

 祖父に呼ばれて執務室に入り、レジーナはついに、その少年の姿を目に映した。

 高い本棚が並ぶ、(いか)めしい執務室の中……場の雰囲気から浮くように、キラキラと華やかな子がいたのだった。


 背はレジーナと同じくらい。

 金糸の髪と透き通った青い目は、まるで宝飾品のよう。

 痩せてはいたけれど、その容貌は高価な人形さながらだった。


(わぁ、なんて綺麗な子! この子はもしかして、天使じゃないかしら……!)


 きっと背中には白い羽が生えているに違いない!

 なんて、疑いもなく信じ込んでしまうほど、少年の容姿は美しかった。

 そして、どこか別の世界から来たような、独特で不思議な空気をまとっていたのだった。


 レジーナが目を輝かせて歩み寄るのと同時に、祖父がその天使の背を押した。

 

「ほらルカ、挨拶なさい」


 祖父に命じられ、そっぽを向いていた少年はレジーナに視線を向ける。

 宝石のような青い瞳がレジーナをとらえ、その美しい唇が動き――……



「は? なんで俺がこんな、パンに生えたカビみたいな女の相手しなきゃいけねぇんだよ」



 ……――とんでもない悪態が飛び出してきた。


 レジーナは思わずポカンと口を開ける。

 まったく想像していなかった事態に、脳が凍りついた。


(……あ、あれ……? 今わたくし、天使に、悪口言われた……?)


 パンに生えたカビ、というのは、もしかしてレジーナの銀の髪色を馬鹿にしたのだろうか。


 祖父はやれやれといった顔で、口元に整えられたグレーの髭を撫でる。

 これは祖父が深く考え込む時の癖だ。


 その間にも、ルカと呼ばれた少年の憎まれ口は続く。


「おいカビ女。これ以上こっち来んなよ気持ち悪ぃ。カビがうつる」


 レジーナの凍り付いた脳は、二度目の悪口で急速解凍された。

 頭の回転が戻り、瞬時に認識が改められる。


(……こ、この男の子……天使どころか、悪魔だわ!!)


 この少年は、悪魔だ。

 レジーナはそう断定した。


 だって初対面の女の子相手に、悪びれもせずにこんなことを言うなんて。

 心に悪魔が宿っているとしか考えられない。


(……――そうと決まれば、わたくしだって、それなりの挨拶をしてやるんだから……!)


 髪色を馬鹿にされ、幼い負けん気に少しばかり火がついた。

 持ち前の機転をきかせ、レジーナは自己紹介のセリフを、脳内で素早く組み立て直す。

 

 本当は、『ずっと楽しみに待っていたの。あなたと会えて嬉しいわ』なんて、澄ました挨拶をするつもりだったのだけれど。

 無礼な悪魔が相手なら、対応も変わってくる。

 

 ルカの口から、三度目の悪態が飛び出ようとした時。

 レジーナは売られた喧嘩を、笑顔で買ってみせたのだった。


「カビ女、というのは、わたくしの髪色を例えたの? そうだとしたら、あなたは金髪だから、毛虫男って呼んであげる。わたくし、あなたによく似た、妙ちくりんな金色の毛虫を見たことがあるもの。毛虫男くん、これからよろしくね」


 今度はルカが、ポカンと口を開けた。



 それからは悪口の応酬だった。


 二人とも七歳とは思えないほどの語彙を駆使して、お互いを罵り合った。

 祖父は渋い表情でその様子を見守り、初日の喧嘩は夜遅くまで続いたのであった。

 

 これが、レジーナとルカの勝負の始まりである。




 結局、二人の喧嘩に区切りがついたのは、なんと一週間後のこと。

 両者共にのどを痛めて、すっかり声が嗄れてしまったので。

 あえなく休戦となったのだった。


 レジーナは一時休戦を迎えたその日、庭掃除に駆り出されていたルカの元を訪ねた。

 

 痛むのどを無理やり動かし、掠れた声でルカへと声をかける。 


「……ねぇ、ルカ。今回の喧嘩はいったん終わりにするけれど、わたくし、負けるつもりはないから……のどが治ったら、あなたを打ち負かしてやるわ」

「……まだ続けんのかよ……俺もうお前と喋りたくねぇんだけど」

「じゃあ、あなたの負けね!」

「は!? 負けてねぇし!!」


 思わず熱が入りかけるが、二人とものどの痛みに呻いて、無言になる。

 

 けれどその沈黙は、さっさと破られた。


 レジーナはスカートのポケットから小瓶を取り出し、ふたを開けて、ルカへと差し出す。

 小瓶の中に入っているものは、金色の飴玉だ。


「これ、あげるわ」

「……なんだよこれ」

「え、飴よ、飴。知らないの? のどに良いかと思って。舐めてるとちょっと楽になるから。甘くて美味しいわよ」


 ほら、と瓶をルカに向けて傾ける。

 ルカは迷ったように手をさまよわせたが、甘い香りに耐えかねたのか、一粒摘まみ上げて口に放り込んだ。


 レジーナは、どう、美味しい? と感想をたずね――ようとしたが。

 

 ルカは次の瞬間には、その場から全力疾走で逃げ出してしまったのだった。


 突然のことにレジーナは面食らう。

 追いかけようとも思ったけれど、その時はなんだか体が、上手く動いてくれなかった。


 去り際に一瞬見えたルカの顔が、泣きそうに歪んでいたように見えたので……




 そうやって、レジーナとルカの関係は始まった。


 その後もルカの暴言は止むことなく続いていたが、人間は何事も、続けば慣れるというものだ。

 投げられる酷い悪口も、すっかりレジーナの日常の一部と化してしまった。

 

 『この男は悪魔なのだ』と決定づけてしまえば、すべての悪行に諦めがついたし、気をもむようなことでもなくなった。

 猫に粗相(そそう)をされても、『猫はそういう生き物だから』で済まされる心理に近い。


 そうして、なんだかんだと歳月を重ねていった。

 

 出会った七歳当時にはわからなかったけれど、大人になるにつれて、ルカの来歴もなんとなく察していった。


 孤児院で容姿を気に入られて貴族に拾われたものの、粗野な性格を嫌われ、家から家へたらい回しにされていたようだ。

 そうして最後にたどり着いたところが、祖父の元であったらしい。


 乱れた人生を歩んでくれば、性格も悪魔のように歪みきるというものだ。

 過去はどうにもできないので、もはや彼の(たち)もどうしようもないのだろう。


 そんなひねくれ者のルカのことも、祖父はレジーナと同じように、手ずから教育した。

 字を教え、マナーを教え、武術を教え、仕事を教え。

 ルカは与えられる全てを、器用に会得していった。

 

 けれどたった一つ、社交だけは修得できなかったようだ。

 根本的に、人間嫌いなのだろう。

 

 育ての恩のある祖父以外、メイトス家の一族も、使用人たちも、訪ねてくる客人ですら、彼は嫌っているように見えた。

 もちろん、レジーナのことも。


 昔はっきりと、この耳で聞いたことがある。

 『レジーナお嬢様と縁を切りたい』という、ルカの言葉を。


 



 レジーナは墓標の前に膝をつく、天使の皮を被った悪魔の姿を見つめる。


 ふと、その悪魔が身じろいで立ち上がり、視線をレジーナへと向けた。


「なんですか? 人のことを不躾にジロジロ見て。気持ちが悪い」

「ごめんなさい、つい観察してしまって。あなたの背中に、悪魔の羽が生えていないかと、気になってしまって」


 吐かれた悪態に、レジーナはサラリと悪口を返した。

 それに対してまたグチグチ言い始めたルカを無視して、レジーナは肩に下げた布鞄へと目を移す。


 先ほど宝石店で受け取ったビロードの小箱を取り出し、ルカへと差し出した。


「ねぇルカ。これ、あなたにあげるわ」

「……は? なんです、これ」

「宝石よ。ムーンストーン。昨日あなたにハンカチをもらったから、そのお返し。――兼、わたくしの家出に協力してくれた、特別報酬」


 ルカの胸に、無理やり小箱を押し付け渡す。

 いぶかし気な顔でソロソロとふたを開けたルカは、瞬間、顔を大きくしかめた。


「これ……! お嬢様の首飾りの石でしょう……?」

「あら、粒だけでよくわかったわね。わたくしの物というか、元はお母様の物なのだけれど。もうあなたにあげてしまうから、自由に使ってちょうだい。お金に換えてもいいし、男物の装飾品に作り変えてもいいわ。これ、『愛と幸運のお守り』だそうよ。あなた不幸体質だから、ちょうど良いでしょう?」


 最後にしっかり、嫌みを言い添えてやる。


 さて、どんな悪態が返ってくるか。

 と、言葉を待っていたが、ルカはなかなか口を開かない。

 

 少し待ってようやく、返事が返ってきた。


「……っと、すみません。つい金勘定をしてしまいました。小さくて地味な宝石ですね……値段はたかが知れていそうですが、さっさと売り払って馬の餌にでも換えます」


 言い終えると、ルカは乱暴に小箱をポケットに突っ込んで、さっさと歩き出してしまった。


 レジーナは軽く息を吐き、大股で歩き去る背中を追って、墓標を後にする。


 換金してかまわない、とは言ったのだが。

 馬の腹に消えることになるのか、と思うと、少しばかりガクリとした。


 ルカへの礼として贈ったのだから、どうせなら酒にでも換えて、彼自身が消費してくれる形がベストだったのだけれど。 


(まぁ、わたくしも馬は嫌いじゃないから、それはそれで良いのだけれどね……)



 立ち並ぶ白い墓標に見送られる帰り道。

 先を歩くルカの、嬉し気にふにゃりとゆるんだ顔を見ていたのは、吹き抜ける冬の風だけであった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ