8 お墓参りとルカという悪魔
宝飾品を換金した後は、街中の店をあちこちまわって、旅の装備をそろえた。
毛皮の防寒具、靴、保存食、水入れの皮袋、などなど。
ルカの装備には、いつも腰に下げている短剣の他に、柄の短いハルバードが加わった。
ハルバードとは、槍と斧と鎌とこん棒を合体させたような、見た目の恐ろしい武器だ。
彼曰く『刺して良し、切って良し、殴って良し』の武器らしく、野盗対策だそう。
(本当はルカのキラキラした容姿だと、優美な長剣のほうが映えるのだけれど……)
なんてことを思ったけれど、見目の良さより、実用性を重視せねば。
とはいえ、武器など使わずに済むことが、一番なのだが。
ルカは嬉々として振り回しそうなので、それが何よりも恐ろしい……道中で悪魔が暴れないことを祈る。
馬車も天井付きのがっしりとしたものから、ほろ布屋根で覆われた、扉のない軽量なものへと買い換えた。
馬の負担を減らし、より長距離を移動するための策である。
せまい車内に無理やり馬の飼料と水を積み、そしてレジーナ自身も詰め込まれた。
その状態でゴトゴトと揺られながら、街の端っこまで移動する。
一通り買い物を終えたので、次なる予定は『墓参り』である。
祖父や母に、色々報告とお詫びをしなければいけないので。
街の端まで来ると、店も家もまばらとなり、広がるのは墓地のみである。
綺麗に整備されたこの墓地は、主に貴族や富裕層の故人が眠る場所だ。
入り口にある墓守の家へ声をかけ、繋ぎ場を借りて馬車をとめる。
さて、降りよう、としたところで。
ふいにレジーナの目の前に、スッと手が差し出された。
突然のことにキョトンとする。
「え? 何よルカ、この手は」
「……エ、エス……コートを…………こっ、転ばれて怪我とかされたら困るんですよ! お嬢様どんくさいから! ……俺の過失になって、メイトス家から変な請求をされたら、たまったものじゃないので。しょうがないので、これからは手を貸してあげます」
んっ。と、思い切りきつく睨まれながら、ズイと、手のひらを向けられる。
そんな怖い顔をされては、手を握るのにもなかなか勇気がいる。
威嚇している犬の頭を撫でようと、手を伸ばせる者はそういないだろう。同じような心地だ。
「やだ怖……手を取った瞬間、バキバキに骨を折られたりしないわよね」
「な……っ! するか馬鹿!」
「えっ、ちょ、ひえええええ――っ!!」
突然、ためらっていたレジーナの両脇腹に、ルカの手が伸ばされた。
コルセットをガシリとホールドされ、幼子の抱っこのように持ち上げられる。
体が浮遊し、ストンと地面へ降ろされた。
まばたきをする間の、一瞬の出来事。
レジーナは顔を真っ赤にして、不躾な男を叱りつけた。
「こらっ! 淑女を幼児扱いする男が、どこの世界にいますか!!」
「おっと、すみません。あまりにチビだったもので、うっかり赤子と間違えてしまいました」
「誰がチビよ! あなたがバカデカいだけでしょう!」
言い終えて、ハッと口元を抑える。
いけない、チビという単語につられて、つい汚い言葉が出てしまった。
ムッとしてルカを睨み上げると、またいつもの意地悪な笑みを浮かべていた。
「あーあ、敬愛するお祖父様とお母様がお眠りになられる墓の側で、なんと口の悪い淑女でしょう。こんなお嬢様の姿を見たら、きっと皆様、悲しまれるでしょうねぇ」
「不躾に女子の体を触るあなたの姿を見たほうが、お祖父様はお嘆きになられるに決まっているわ!」
「いや体を触ったって……ちょっと持ち上げただけでしょう。誤解を招くような言い方はやめてくださ――あっ、ちょっとお嬢様、お待ちください!」
ルカを無視し、馬車から貴重品と供える花を持ち出して、レジーナはさっさと歩き出す。
墓守に金を払って馬車の警護を頼むと、祖父と母の眠る場所へと歩を進めた。
一人早足で、スタスタと。
ルカを後ろの方に置き去る勢いで。
とはいえ、レジーナの歩調は、すぐにゆっくりとしたものになったのだけれど。
……申し訳ございません……
と、風に消え入るような声が、後ろの方から聞こえたような気がしたので。
墓地特有の静謐な空気の中を、結局ルカと二人並んで、ゆったりと歩いていく。
広大な敷地には、白い墓標が等間隔に美しく並んでいる。
ここは春夏には、実に爽やかな風景の場所である。
鮮やかな緑の下草と、色とりどりの花々に覆われていて。
冬の今は茶色の枯草の間に地面が露出していて、なんだか寒々しい気持ちになってしまう場所なのだけれど。
(最後にお墓参りをしたのは、確か今年の春先だったわね。去年から今年にかけても雪害が酷かったから、『わたくしがセイフォル家と手を合わせて、何とかできるように頑張ります』なんて、大それた誓いを立ててしまったのだっけ……)
結局トーマス・セイフォルとは手を合わせるどころか、盛大に振り払われてしまったが……
事情を説明すれば、亡き祖父も納得してくれるだろうか。
それとも頭を抱えて呻いてしまうだろうか。
なんてことを考えながらしばらく歩いていると、メイトス家の区画へとたどり着いた。
火葬した故人の骨は、家ごとに割り振られた区画へと埋葬されている。
祖父も母も、この場所から大地に還っていったのだ。
墓標は彫刻をほどこされた細長く白い石で、レジーナの胸あたりまで高さがある。
その根元にそっと花束を置き、レジーナは胸の前で手を組んだ。
ルカは地面に片膝をつき、主人への礼の姿勢をとる。
言わずもがな、そのうやうやしい忠義を向ける相手は、祖父であろう。
墓標を前にして、二人それぞれ、しばしの静かな祈りの時間を過ごした。
(ええっと、お祖父様、お母様。本当に、本っ当に申し訳ございません。わたくしレジーナはトーマス様との婚約を破棄され、新たに身売りのような縁談を迎えることになりまして……この縁談を回避するための時間稼ぎとして、遠く雪国の修道院へ、籠城することにいたしました。……そのための資金として、いただいていた宝飾品をお金に換えてしまったことを、どうか、どうかお許しください)
最後に『どうか未来に、良き道をお開きください』と言い添え、祈りを終える。
深呼吸をして目を開けると、傍らのルカはまだ、何やら熱心に祈りを捧げているようだった。
普段の彼の人柄からは、信心深さなど欠片も感じられないが、この男にも祈りたいことはそれなりにあるようだ。
レジーナはルカの意外な一面に感心して、祈る姿をまじまじと見つめてしまった。
サラサラとした金の髪に、神話の神々を模した彫刻のように美しい容貌。
閉じられているまぶたの下には、春の空を映したような、澄んだ青色の瞳が隠れている。
背はレジーナよりずっと高くて、馬の扱いも、剣の扱いも上手い男。
というか、なんなら農具も扱えるし、庭園の花の手入れをしているところすら見かけたことがある。
字も綺麗なほうだし、数字の計算だってレジーナよりも速くて正確。
……きっと地が器用なのだろう。
ルカという男は、一人で黙々と何かをしている姿を遠目に見ている分には、実に素晴らしい人物なのである。
そつなく何でもこなすし。麗しい容姿は絵になるし。
――なのに。
間近に接すると、その優等な印象はガラリと一転する。
人に対して、まるで潰れた虫を見るかのような視線を寄越し、悪口雑言、皮肉、嫌がらせ、嘲笑、からかい、粗野な態度……と、全ての最低を網羅してくる、どうしようもない男と成り果てる。
これは単なるレジーナの偏見ではなく、客観的に断言できる事象である。
現に、面食いぎみなアドリアンヌですら、ルカには一切近寄らない。
なぜなら初対面で、『まるまる肥えた家畜が、小屋と間違えて屋敷に上がり込んでしまったかと思いました』などと色々馬鹿にされ、大泣きさせられたので。
会って早々、彼の腕に擦り寄ってしまったアドリアンヌも悪かったのだろうが、ルカもルカである。
もちろん父も継母も大いに怒り、ルカは即座にメイトス家を追い出されたのだった。
――が、何度追い出してもいつの間にか戻ってきているので、あまりのしつこさに父が折れて、今に至るという。
屋敷の仕事全般をこなせるので、間近に接しなければ結構使える、というところも勝因だろう。
そういうわけで、メイトス一族および使用人たちは皆、ルカとは一定の距離を置いている。
必要な会話は二言、三言交わすにとどめ、決して近づかない。
遠くから眺めている分には、素晴らしく目の保養になるので、その距離を保つ。
それがルカという厄介な男の取扱い方だった。
そんな、触ったらかぶれる美しい毒花のような男が今、レジーナの真横にいる。
(こうやって静かに祈りを捧げる姿だけ見たら、まるで天の使いのような見目なのに)
ルカの姿を眺めながら、レジーナは呆れたように息をつく。
七歳の頃、初めて出会った時には本当に、『天使が降りて来た』なんて思ったものだ。
……まぁ、わずか一呼吸をする間に、その幻想はグシャリと崩れ去ったのだけれど。
思い返せばこの男は、出会った時から悪魔であった。