【おまけ 67話の後】都にて、デートと手繋ぎ
(おまけ話の前編です)
修道院の花園で、愛の約束を交わして。
レジーナとルカは晴れて『恋人関係』となった。
恋人であり、婚約を結んだ関係である。書類を交わすわけでもなく、二人で心を交わして決めた約束。
形式も何もかもを無視した口約束だけれど、何よりも強く確かな約束に感じられた。
そういうわけで、もうレジーナとルカは主人と従者という関係ではない。
対等な恋人関係となってから、今日二人は初めて、連れ立って街を歩いていた。
街、というのはもちろん、花の都の街である。
ルカの怪我の療養に付き添い、しばらく都に滞在することになったのだ。せっかくの機会なのでガッツリと、都遊びを堪能させてもらうことにする。
街の大通りにて。ルカと並び歩きながら。
ちゃっかり手に入れた観光案内書と景色を見比べて、レジーナは呟く。
「このあたりに有名なお菓子屋さんがあるそうなんだけど――……」
「地図を回すから迷うんですよ、方向音痴め。その店、一本隣の通りでは?」
「え、あぁ、なるほど」
「そっちじゃなくて、こっちです」
歩き出そうとしたレジーナの上着をグイと引っ張り、ルカが方向を修正した。
今日はのんびりと街歩きを楽しみたい、というレジーナの要望で、馬車を使わずに遊びに出てきた。
が、地元の街とは比べ物にならないほど建物も人も多く、ちょっとよそ見をしているうちにすぐ迷ってしまう。
まぁ、街をぶらつく遊びなので、それはそれで楽しいのだけれど。
「ちょっと、服を引っ張らないでちょうだい!」
「あなたが無駄にチョロチョロするからでしょう。もう……紐でも付けてくればよかった。犬みたいに」
「恋人を犬扱いするだなんて最低。さすが、野蛮な悪魔ですこと」
「恋人を悪魔呼ばわりするのも最低でしょ」
グチグチと言い合いながら、通りを歩いていく。
少し離れて、後ろのほうには護衛が数人ついてきているが、傍から見たらレジーナとルカは、喧嘩しているように見えるに違いない。
二人としては、絶好調にご機嫌な状態なのだけれど。
「あ、見て、あの建物じゃない?」
人々で賑わう通りを歩き、ようやく目的の建物までたどり着く。大きな菓子の専門店だ。
ショーウィンドウから中を覗いて、レジーナは浮き立つ声をこぼした。
「わぁ、お菓子屋さんというより、宝石店みたいね!」
「気取った店ですね。都会らしい」
店の中には、まるで宝飾品のようにズラリと菓子がディスプレイされている。ひとつひとつの見た目も凝っていて、芸術品のようだ。
有名店ともあって、店内は人でごった返していた。多くの庶民の中に、富裕層と思しき身なりの人も混ざっている。
その様子を見て、ルカがうんざりとした顔をした。
「人多すぎません? 菓子ごときになんでこんな……」
「ごときとは何です。作り手にもお客さんにも失礼よ。――さて、わたくしは買い物をしてくるけれど、ルカはどうする? 外で待っててもいいわよ」
「じゃあ、待ってます」
ルカは腕を組んで、やれやれ、とショーウィンドウの脇に寄りかかった。
(せっかく素敵なお店に来たのだから、ルカも見ていったらいいのに。……まぁ、人混みに疲れてしまうだけかもしれないけれど)
なんて思いつつ、レジーナは苦笑する。
ルカは人混みが苦手だから、無理強いはしないでおく。せっかくのデートなのに、と、ちょっとだけ思わなくもないけれど。
レジーナはルカと別れ、一人店の中へと歩を進めた。
■
店内をグルリと一周し終え、レジーナは感嘆の息をついた。
可愛らしく美しい菓子が山と盛られる空間に、すっかり夢中になってしまった。
手にしたカゴの中には、いくつかの菓子が放り込まれている。
手元の購入候補と店内を見まわしながら、レジーナはふむ、と考え込んだ。
(わたくしの好みで選んでしまったけれど、ルカにも食べたいものを聞いておくのだったわ)
今更ながら思い至って、チラリと、外にいるルカへと目を向ける。
――と、ショーウィンドウ越しに見えた姿に、レジーナは複雑なため息をついた。
ルカはなにやら、数人の女性たちに囲まれていたのだった。
(……さすが、見目だけは天使のような男ね……あんなに淑女をたぶらかして)
これまでにもよく見てきた光景だから、なんてことはないはずなのに。今日はなんだか、いつもの八割増しで気持ちがささくれ立ってしまった。
たぶん、自分は拗ねているのだろう。『ルカは自分のものなのに!』と、叫び散らしてやりたい気分だ。
(ふふっ……でも、そう思えるような関係になれただけでも、ものすごく幸せなことなのだけれどね)
ふぅ、と息を吐き、気持ちを落ち着かせる。遠目に眺めていると、ルカとバチリと目が合った。
ルカが口パクで何かを訴えかけ――ようとした時。
ふいに、レジーナの真横から声が降ってきた。
「お嬢さん、さっきからウロウロしてるけど、一人で買い物?」
「え?」
いつの間にか、すぐ隣に知らぬ男が立っていた。近さに驚いて、思わず身がすくむ。
声の主――二十代後半くらいの男は、胸元のはだけたシャツを着ていた。服装と同じようにゆるゆるとした、且つ、馴れ馴れしい態度で話しかけてくる。
「すげぇ綺麗な髪の娘いるなぁ、って思って声かけてみたんだけどさぁ。顔も可愛くてビビったわぁ。お兄さん機嫌良くなっちゃったからさー、それ全部買ってあげるよ。俺の驕り」
「いえ、その、結構です」
「遠慮すんなってー。この店のお菓子結構高いっしょ? 俺こう見えて金持ってるからさぁ」
いやいやいや、と、レジーナは困惑した。
服装の感じから、この男は恐らく庶民だろう。庶民からこういう絡まれ方をしたことがないので、どう対応して良いのか困ってしまった。
何をしたいのだ、この男は。見ず知らずの他人に金を出して、どうするというのだろう。
どうしたものかと思いつつ男から視線を外すと、ちょうどルカが視界に入った。
囲んでいた女性たちを押しのけ、ルカが店内へ入ってくる。
レジーナはひとまずルカと合流するべく、男への対応を終わらせようと言葉を返した。
「ええと、わたくしにも手持ちがありますし、本当に結構ですから……」
「いいっていいって、そういうの。ほら、他にも買ってやるから、向こう行こうぜ」
男の手がレジーナの肩へと伸ばされた。
反射的に、レジーナは身を固くする。
――が、その手が体に届くことはなかった。
ルカが男の手をガシリと掴み上げ、低く言い放った。
「触れたらこの手、切り落としてやる。クソ野郎が」
「痛たたたっ……! ちょっ、待って待って……!」
手をひねり上げられ、男は悲鳴を上げた。そのままルカに乱暴に手を振り払われ、男はよろめき背を丸める。
「いや、会計に困ってんのかなぁ~って思って声かけただけだから! 別になんもしてねぇって! ――へへっ、じゃあな」
男はヘラヘラと笑いながら後ずさり、店を出て行った。去り際に、『んだよ、男連れかよ』と独り言をもらしながら。
その姿を睨みつけて見送り、ルカはレジーナへと呆れた声を寄越した。
「何相手にしてるんですか。あぁいう輩は無視してさっさと離れろよ」
「人から話しかけられたのに無視をするなんて、マナー違反じゃない」
「ナンパ男相手にマナーもクソもないでしょう……この生真面目女」
「――痛っ」
ルカは低く呻きながら、レジーナの額を指でペシリと弾いた。
ムッとしたレジーナは、言い返してやろうと息をまいた。の、だけれど。
直後にルカの左腕に肩を抱かれて、固まってしまった。
「……――え、っと、え? 何?」
「虫よけです。気にしないでください」
「虫、よけ……?」
腕を回され、グイと肩を抱き寄せられ、レジーナはギクシャクと問い返す。ルカは舌打ちをして、苦い顔をした。
「他の男に喋りかけられないようにしてください。ムカつくんで」
「……あなただって、さっきまで女性に囲まれていたじゃない」
「あ? なんです? 嫉妬ですか」
「…………えぇ、そうです。嫉妬しましたが、何か?」
「え、本当に? うわ、かわ――……」
何か言いかけて、ルカは口をつぐんだ。
『かわいい』の言葉は飲み込まれ、レジーナの耳に届くことなく消えていった。
突然黙り込んでしまったルカに、レジーナはオロオロした。
未だ肩を抱かれたままで、距離が近くて――というかゼロ距離状態で、ものすごく気恥ずかしい。
会話でもして意識をそらさないと、あっという間に顔に熱がのぼりそうだ。
照れを誤魔化すように、無理やり話題を変える。
「――ええと、それで、もうお会計をしようかなと思っているのだけど……ちょうど良かったわ。ルカは何か食べたいお菓子ある?」
「特にありません」
「せっかく来たんだから、何か選んでよ。もうあなたはわたくしの従者じゃないのよ? もっとこう遠慮なく、欲しいものはどんどん言ってちょうだい。ちょっとしたものでもいいから」
今までは主従という間柄だったので、従者であるルカが、レジーナに物をねだることなどなかった。
けれど今は恋人同士。それもデート中なのだ。もっと遠慮なく、二人で気楽に買い物を楽しみたいところ。
レジーナの問いに、ルカは悩んだ顔をした。
首をまわして、ざっと店内を見渡した後にポソリと呟く。
「……じゃあ、クッキーが欲しいです」
「! わかったわ、見に行きましょう。向こうに美味しそうなのが――」
「いや、店の菓子じゃなくて、レジーナお嬢様の作ったクッキーを食べたいです。前に修道院でくれたでしょう? ……あれが欲しいです」
レジーナは目を丸くして、ルカを見上げた。
ルカは口ごもりながら、ボソボソと続ける。
「……知らない店の菓子なんかより、あなたの作った菓子の方がずっと美味いに決まってる」
真顔で見下ろしてくるルカと目が合った瞬間、レジーナは猛烈な照れに襲われて、思わず顔を背けた。
「……えっと……練習、しておきます……」
小声で言葉を返すと、ルカはレジーナの肩を抱いたまま、会計カウンターへと歩を進めた。
お菓子を購入し、店を出る。
外に出ると、先ほどルカを囲んでいた女性たちから、『あら、お連れ様がいらっしゃったのね』『まぁそりゃあ、麗しいお方だったものね……いないわけないわよねぇ』なんてため息が聞こえた。
聞かなかったことにして、店の前を離れる。
次の目的地は、ペンの専門店だ。ここから少し歩いた先にあるらしい。
――と、街路を歩み出した矢先、ルカが左手を差し出してきた。
一瞬レジーナは目をパチクリさせたが、すぐに察した。荷物を持ってくれようというわけか。
「あら、荷物持ちなんてしなくていいわよ。お菓子しか買ってないし、わたくしが自分で持つわ。あなた一応、怪我人ですし」
「違いますよ……ほら、手」
「へ?」
また、目をパチクリさせてしまった。
キョトンとしたレジーナを無視して、ルカはレジーナの手を勝手に取って歩き出した。
突然大きな手に包み込まれ、レジーナは息を詰まらせた。
「……っ!?」
「あなた俺と『手を絡めてみたかった』、とか言っていたでしょう。嫌ならやめますが?」
「ぜ……全然嫌ではありません……嫌ではありません……全然」
アワアワと答える。
すると、ルカは意地悪く笑って手の握り方を変えた。
包み込むようにフワリと握られていた手が、指と指を交互に絡め合うものへと変わる。
レジーナは動揺しすぎて、街路の石畳につまずきそうになった。
(うわ……うわぁ……ルカの指、大きくてあったかい……わぁ…………っ)
好きな人と、指と指を絡めて歩く……
――たった一文で表現できる行為なのに、こんなにも心弾み、幸せが込み上げるものだとは思わなかった。
ルカは遊ぶように、大きく長い指でレジーナの小さな手をモニモニと揉んでいる。
その度にフワフワとした、たまらない心地になって、レジーナは唇を震わせてうつむいた。
きっと今、自分の顔は茹でダコさながらの赤さだろう……
ルカは親指の腹でレジーナの手の甲を撫でながら、顔を覗き込んできた。
「そういえばあなた、『肌を重ねてみたかった』とも言っていましたよね?」
「……言ってません」
「いや、言ったはずです。俺あなたの言葉、全部覚えているので」
「ひえ……」
スリ、と、手の甲を指先でさすられ、例えようのないゾクリとした感覚が背を走る。
真っ赤なレジーナの耳元に顔を寄せ、ルカは掠れた声を吹き込んだ。
「二言は無しですよ。結婚後が楽しみですね」
レジーナは苦し紛れに、ルカの脇腹を思い切りつねってやった。