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72 婚姻の儀~思いがけない余興(乱入者)を添えて~後

「……うご……っ……おっ……おっふ…………」


 声にならない呻きを上げて、トーマスは泡を吹いてドサリと崩れ落ちた。


 地面に横たわり、身を丸めて股間を押さえ込んでいる。

 ブルブルと震える顔は、先ほどまで興奮で真っ赤になっていたのに、今や真っ白だ。


(ひぃっ……で、でも、首は落ちなかったわ……良かった……)


 レジーナは怯みつつも、少しホッとした。


 けれど、血を見ずにホッとした心地になったのは、どうやら女性陣だけのようだ。

 周囲の男性陣は、おぉ……、とか、うわぁ……、とか何とも言えない呻き声をもらし、皆顔をそむけている。


 遠目に見えるエイクですら、手で顔を覆っていた。

 

(あら……? そんなに痛いものなの……? 確かに、すごい音はしたけれど……)


 皆の様子に、レジーナは戸惑った。痛みの程度はいまいちわからないけれど、相当なものらしい。


 トーマスは痛みのあまり、何やら吐き気をもよおしている。


 可哀想な気もするけれど、先ほどなんだか下品で気持ちの悪いことを言われたような気がするので、これでおあいこということにしておこう……


 なんて考えているうちに、ルカは次の動きに出ていた。


「ははっ、なんだこのハルバード、ちゃんと武器として使えるじゃないですか」


 なんて、笑いながら。股を押さえて転がるトーマスに、悪魔は容赦なく追撃をくらわそうとしているのであった。


「あの日、お前を殺し損ねて後悔しているところだった。ちょうど良いところに来てくれたもんだ」


 ルカはハルバードを構え直し、トーマス目掛けて大きく振り下ろす――……

 

 ――前に、レジーナは大慌てで悪魔の足に縋りついた。


「駄目だって!! 殺しては駄目!! やめてやめてっ!!」


 制止の悲鳴と共に、思い切り足に抱きついてルカの動きを封じる。

 

 ここでふと、頭に既視感がよぎった。

 そういえば、屋敷の庭園で浮気現場を目撃したあの日にも、同じようにルカに縋りついて、殺しを阻止したのだった。


 レジーナと同時に、事を見守る周囲の人々も、ある既視感を覚える。

 ざわざわと、人々が声を上げ始めた。


『なんかこういうシーン、見たことあるような……』

『ちょっとリージア・メルト恋物語の出だしに似てない?』

『この乱入者、さっき異母妹(いもうと)を抱いたとか、婚約破棄したとか言ってたよな?』

『恋物語、最初のほうのシーンで王子様が令嬢をさらいに来るじゃない? なんかちょっと似ていて、ドキドキしちゃうんだけど~!』

『やだ、物語みたいなことって本当にあるものなのね! 花婿さん、本当に王子様みたいだし……!』


(な、なんだか……ざわつく声の中に、黄色い声が混ざり始めているような……) 


 オロオロとしながら、レジーナはルカを拘束する腕の力をゆるめた。と、同時に上を見ると、ルカとバチリと目が合う。

 

 その瞬間。


 ルカは大層意地の悪い、ニヤリとした笑みを浮かべた。


(え? 何、その笑みは……)


 嫌な予感に、レジーナはたじろぐ。

 こういう笑みを浮かべた時、この男は絶対に何か仕掛けてくるのだ。

 

 とびきりの皮肉か、からかいか。

 それとも、悪戯か。


 警戒するレジーナの前で、突然ルカは大げさな動作で、ハルバードをトーマスに向けてかざした。

 そうして芝居がかったポーズを決めたまま、高らかに喋りだす。


 レジーナの良く知るセリフを――



「欲に溺れた者が愛を語るか! 恥を知れ、痴れ者め!」



 ルカがセリフを言い放つと、礼拝堂の中にドッと歓声が上がった。


(うわああああっ! この男、何をしだすのよっ!!)


 対するレジーナは胸の内で絶叫した。

 途端に顔が火照って汗が出てくる。

 

 ――そう、このセリフはレジーナの物語の中の、ヒーローのセリフである。


 レジーナが妄想した、『ルカが言ったら最高に格好良いセリフ』を本人が演じだしたのだ。

 恥ずかしいやら格好良いやらで、顔から火が出そうだ……


 もだえるレジーナをよそに、人々からは拍手と黄色い声が続いている。


『わあああっ! 素敵!!』

『えっ、もしかしてこれ、余興の劇か何か?』

『物語にある場面よね! 私このシーンすごく好き!』

『ハルバード格好良い~!』


 式の客たちは口々に、もはや声量を抑えることもなく、大っぴらに楽しげな声をこぼし始めた。


 レジーナは頭を抱えて、ルカの足を小突く。


「ちょっと何してるの!? やめてよ恥ずかしい……!!」

「恥ずかしいって、あなたが考えたセリフでしょう、これ。こういうこと、俺に喋って欲しかったんでしょう?」

「う……まぁ、そうだけど……」


 そうだけど、それとこれとは話が別だ。

 照れを誤魔化すように、ルカへと文句を投げつける。


「こ、こんなところでふざけるのはやめてちょうだい……! というか、なんでセリフ覚えているのよ……!?」

「もうすべてのセリフ、そらで言えますよ」

「ひえ――……っ」


 まさかそこまで読み込んでいるとは思わなかった。物語の秘密を明かしてから、一応小説本を一冊、渡してはいたのだけれど。


(……読後の感想も『変な小説ですね』の一言だったから、ざっと目を通したくらいで飽きてしまったのかと思っていたわ……。……何なのよ、この男……)


 恥ずかしいやら、気まずいやら……レジーナは顔を覆って呻き声を上げた。




 婚姻の儀とは別の方向に盛り上がってきた会場を見まわして、オリバーは動揺をあらわにしていた。


(な、何なんだ!? 何が起きているというのだ……! レジーナの馬鹿は本当にルカと結婚しようとしているのか!? ヘイル家はどうなったんだ!?) 

 

 状況を眺めて通路の端で固まりながら、オリバーは呆然とする。

 

 連れ立って乗り込んだトーマスは地に沈み。ヘイル家と縁談を進めているのかと思っていたレジーナは、従者のルカと結婚しようとしているようで。


 事前に想定していた状況と、これっぽっちも噛み合わない。オリバーはこの後どう動けばいいのか、すっかりわからなくなってしまっていた。


 ただとにかく、計画が狂ったことがひたすらに腹立たしいことは確かだ。

 どうしてこうも上手くいかないのか。という気持ちだけが、フツフツと胸に込み上げてくる。


 思い返せば、レジーナが家出をした時から、自分の計画はことごとく狂いっぱなしである。

 

(――クソ! クソッ……!! そもそもルカがレジーナの家出を手引きしなければ、こうも事はこじれなかったんだ!! この馬鹿男のせいで……ッ!!)


 思い至り、オリバーは込み上げてきた怒りで体を震わせた。

 ハルバードを手に佇むルカに向かって、オリバーは指をさして怒声を飛ばした。


「ルカ貴様ぁ!! 生まれの悪いクズごときが調子に乗りやがって! 人の家の娘をさらうとは何事か……ッ!!」


 ルカへの怒鳴り声と共に、オリバーは周囲の人々へも叫び散らした。


「おい! 誰か警吏を呼んでくれ! こいつは人さらいなんだ!! 貴族家の娘をさらった犯罪者だ、犯罪者!! とっ捕まえて、縄で縛りあげてくれ!!」


 大声でまわりへと訴えかけるオリバーに、レジーナはムッとした。

 生まれが悪いとか犯罪者だとか、想い人をけなされるのは、単純に、ものすごく腹が立つ。

 

 未だ床に座り込みながらも、キッと睨みつけて抗議の声を飛ばした。


「おやめくださいお父様! 犯罪者だなんて……! ルカはわたくしを助けてくれただけです! わたくしが家出をしたのだって、そもそもはお父様が、身売りのような安易な婚約をお決めになったからでしょう? ルカではなく、ご自分の軽率さをお咎めください」


 レジーナの抗議にあおられ、オリバーは怒りに息をまいた。


「ええい黙れ!! 小娘ごときが家の長に無礼な口を! お前は素直にキルヤックのジジイに抱かれているべきだったんだ! 価値もない見目をしているくせに、相手を選り好みしやがって――――あっ、待て待てルカ、やめろっ、来るなぁ……っ!!」


 レジーナとの言い合いの最中、オリバーは突然、悲鳴を上げて逃げるように後ずさった。

 

 ――と、思った瞬間にはもう。


 飛ぶように走り込んできたルカの蹴りが、勢い良く鳩尾に叩きこまれているのであった。


 オリバーは大きく後ろへ吹っ飛び、石床に背中から着地した。

 ひっくり返って両足を天井に向けたまま、床の上をズサーっと滑っていく。

 

 石床が磨き上げられていたせいか、オリバーは礼拝堂の入り口近くまで、通路を滑り去っていくのであった。


 (わぁ……人ってあんなに綺麗にすっ飛んでいくものなの……?)


 面白いほど綺麗に蹴り飛ばされ、遠のいていったオリバーの姿に、レジーナは思わず呆けてしまった。


 周囲からはまた大きな拍手と歓声、そして笑い声が上がった。

 いつも澄ましている修道女長すら、口元を隠しつつも大笑いしていた。


 確かに、大の男がステンとひっくり返って、そのまま滑り去っていくおかしな光景なんて、そうそう見られるものではない。


 レジーナがあっけにとられている隙に、ルカはまた意地の悪い笑顔でセリフを言い放った。


「愚者ごときに僕が捕まるものか! 悪しき家の主よ、娘は僕がさらっていく!」

「……ちょっ、わああああわあああっ!! やめて! やめてってば――っ!!」


 レジーナは悲鳴を上げたが、ルカのセリフに場はさらに大きく盛り上がった。

 このセリフのシーン――ヒーローがヒロインをさらっていくシーンは、もっとも人気の高い場面なのだ。 


 人々はわき立ち、もはや礼拝堂は婚姻の儀の会場というより、演劇場のようである。


 乱入者二人が散ったところで、ルカはハルバードをベルトに戻し、レジーナへと歩み寄った。

 未だ床にスカートを広げているレジーナに、手を差し出す。


「ほら、いつまでボケっと座り込んでいるんです。まだ式の途中でしょう」

「うぅ……もう……散々好き勝手しておいて、しれっとした顔しちゃって……。……――ええと、その、立ち上がりたいのはやまやまなのだけれど……なんだか足に、力が入らなくなってしまったみたいで……」

「はぁ?」

「……あなたが人を殺してしまうかと思って、腰が抜けてしまいました……。あなたのせいよ、まったくもう……!」


 先ほどは本当に、トーマスの首が落ちることを覚悟したのだ。あの瞬間から、足の力がすっかりと抜け落ちてしまった。


 ルカは呆れた顔でレジーナの隣にしゃがみ込んだ。

 

 ――と、次の瞬間。


 腿の下に手を差し込むと、背を支えてガバリと抱え上げた。

 

「わわわわっ!? 待って待って! やめて降ろしてっ!! ひえ~っ!?」


 レジーナは横抱きにされ、あっさりと持ち上げられてしまった。ブワリと顔に熱をのぼらせ、慌ててルカの胸元にしがみ付く。


 照れと恥ずかしさに身を震わせるレジーナを抱いたまま、ルカはスタスタと通路を歩きだした。


 思い切り意地の悪い笑みで、しがみ付くレジーナへと低い声を落とす。


「物語のヒーローもやってましたよね、これ。世間では、お姫様抱っこと言われているとか?」

「い……いつの間にそんな情報まで……!? もう歩けるから……自分で歩けるからおろしてちょうだい!」

「命令は受けません。もう俺、従者じゃないので。存外抱き心地も良いことですし」


 意地悪く笑いながら、ルカはレジーナの体をギュッと引き寄せた。

 容赦なく伝わってくる体温に、胸が変な音を立てている。ドキドキしすぎて、心臓が壊れてしまいそう。


 近づいたルカの顔はいつも以上に麗しく、キラキラとして見えた。なんだか頭がクラクラして、目がまわりそうだ。


 レジーナを抱く腕に力を込めながら、ルカは次々と追撃を放っていく。


「もう僕には君しか見えない。君だけを愛している。僕が君を幸せにしてみせるよ。真実の愛を、君に捧げよう」

「…………っ!!」

 

 耳元で甘く言い放たれるセリフに、もはや言い返す言葉も出てこない。

 レジーナはぐぬぬ、と奥歯を噛んで耐えた。顔から、いや、体中から火が出そうな心地がする……


(こ、こいつ~……っ! やめてって言ってるのにもうっ……!!)


 せめてもの抵抗に、胸元をベシベシと引っ叩いてやる。


 けれど、恥じらえば恥じらうほど、なんだかルカの調子は上向いていくようだった。

 ニヤリとした邪悪な笑みが、もはや満面のニコニコ顔になっている。



 ルカは物語のシーンを演じながら、通路を祭壇へと歩いていく。


 いつの間にかシスターたちの聖歌は再開され、人々は割れるような拍手と共に歓声を飛ばしていた。

 ルカとレジーナが横を通るとピューと口笛が鳴り響き、黄色い声が上がる。


『素敵~! もうそのまんま、リージアの恋物語じゃない!』

『あの花婿さん、本当にどこかの王子様なんじゃない!?』

『花嫁のほうも物語みたいに、なんだか家で色々あったみたいだな? いやはや、どうかお幸せに!』

『というかもしかして、あの物語のモデルって――……』



 盛り上がる人々の真ん中を通り抜け、二人は祭壇へとたどり着く。


 レジーナを抱き上げたまま、ルカは颯爽と壇上へ上がっていった。

 そのまま客のほうを向き、悪戯めいた笑みを浮かべる。


 そうしてルカは神父の言葉も待たずに、作中一番の決めセリフを、朗らかな声で高らかに言い放った。


「レジーナ! 君と一生涯、愛を交わし合うことを神に誓おう!」


 ルカは得意げな笑顔で、誓いを口にした。

 レジーナも、照れに照れて耳まで真っ赤に染め上げながら、慌ててルカにならう。


「わっ、わたくしも、誓います……っ!!」


 神父はおおらかに笑いながら、神に代わって新郎新婦に言葉をかける。


「ルカ・メイトス、レジーナ・メイトスに、愛の神の祝福を!」


 神父の口上と共に、礼拝堂には今一度、割れんばかりの大きな拍手と歓声、口笛が鳴り響いた。


 高いアーチ天井に反響し、もう何も聞こえなくなるくらい、人々の祝いの音があふれる中。

 腕に抱かれたレジーナだけは、芝居がかっていない、素のルカの言葉を聞いた。

 



「愛してる、レジーナ」




 甘い小声の後に、ルカはレジーナに顔を寄せる。


 身構える間もなく、そっと、唇が重なった。



 ずっとずっと想い続けた、愛する人との初めての口づけ。


 あたたかくて、心地良くて。 

 幸せな気持ちが胸に満ち渡り、その瞬間で、時が止まってしまったかのような心地がした。



 しばらく熱を分け合い、そしてゆっくりと唇が離れていく。

 

 レジーナは思わず強くつぶってしまっていたまぶたを、そろりと持ち上げた。


 真っ赤に茹だった自分のことを、きっとルカは悪魔のような意地悪い笑みで見下ろして、大いにからかうことだろう。


 なんて、覚悟をしていたのだけれど。


 ルカはやわらかい春の光のように、甘く優しい顔で笑っていたのだった。

 


 からかわれたら、反撃をしてやるつもりだったけれど。


 予定は変更。

 今日はもう、勝負はお休みの日としよう。


 レジーナも、同じ笑顔で言葉を返すことにした。




「ルカ、愛しています。心から」




 

 ――とある雪の街にて。ある日の祝い事での一幕であった――


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