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71 婚姻の儀~思いがけない余興(乱入者)を添えて~前

 シスターたちが高らかに聖歌を歌う中。

 

 大きく開け放たれた礼拝堂の正面入り口に、レジーナは凛とした姿で立つ。

 隣に並ぶ、付き添い役の修道女長の腕へと手を添える。


 入場を前にして、修道女長はいつものツンとした澄まし顔で、レジーナへと声をかけた。


「やれやれ。やっぱり私が疑っていた通りに、あなたは家出の令嬢になってしまいましたし、そのまま()()()()の肩書きまで得るなんて」

「申し訳ございません、修道女長様。まさかわたくしも、このような肩書きを得ることになろうとは、当初は露ほども思っておらず……」


 修道女長の言葉に、レジーナは苦笑した。


 家出当初の予定では、もうとっくに実家へと帰っている頃である。それがまさか家出先の修道院で、晴れの日を迎えることになるとは。


 人生とは本当に、何が起こるかわからないものだ。


 レジーナに続きの言葉を返しながら、修道女長は勝気な笑みを浮かべた。


「でも私、そういう強かな娘は嫌いじゃないの。嫌いどころか、親近感を覚えてしまって困りますわね」

「ふふっ、光栄です。これからは修道女長様のことを、家出の先輩として敬愛させていただきます」

「こちらこそ、光栄です」


 軽口を言い合いながら、背筋を伸ばす。


 レジーナは修道女長に添われて、礼拝堂の中へと歩を進めた。

 いよいよ、花嫁の入場である。


 礼拝堂の中に、大きな拍手が湧き起こった。


 

 礼拝堂の高いアーチ天井の下。磨き上げられた石床を、ゆったりと歩いていく。


 入り口から祭壇へとまっすぐにとられた通路には、色とりどりの花々が飾られていて華やかだ。

 通路を囲うように並べられた長椅子は、祝いに来た人々で埋め尽くされ、端には立ち見の客まで多くいる。


 礼拝堂の真ん中――祭壇までの道の中ほどにルカが立ち、まっすぐにこちらを見つめて、レジーナを待っていた。

 

 その颯爽としたルカの立ち姿を、見物に来た婦人たちが目を輝かせて眺めているものだから、つい笑いそうになってしまう。


(本当に、王子様みたいに格好良いものね)


 胸の内で頷きながら、レジーナはその王子様の元へと一歩一歩、歩んでいく。


 ふと、祝い客の中に郵便屋のガンファルとリリーの姿を見つけた。ニコリと会釈をして、遠くから挨拶をする。

 

 ガンファルとリリーはレジーナへと笑顔で手を振り、夫婦のうちでしみじみと、感慨深い声をこぼした。

 

「前にレジーナ嬢に『婚姻の儀の知らせを待っています』とはお伝えしておいたのだけれど……予想していたお相手と違ったなぁ。驚いてしまったよ」

「あら、そう? 私はなんとなく、こうなる気がしていたわ」

「それは女の勘ってやつかい?」

「ふふふ、そうね。だってレジーナお嬢様、山越えでルカさんと鹿の相乗りをしている間、ずっとキラキラとした乙女の目をしていたもの」


 ガンファルは、全然わからなかったなぁ、と頭をかき、リリーは目尻を下げて笑った。


 その夫婦のほど近くで、ヘイル家の戯曲作家アルフォンが、同じように感慨深い声をもらしていた。

 

「いやはや、レジーナ様はヘイル家と縁をお結びになられるものだとばかり思っていたが……。『現実は小説より奇なり』とは、言ったものですなぁ」


 ふむ、と一人納得しながら、アルフォンも花嫁へと大きな拍手を送るのだった。



 賑わいの中をゆっくりと歩きながら、レジーナは祭壇前の最前列に座るエイクの姿を見つけた。

 席に座ったまま大きく後ろを振り返って、こちらへ拍手を送っている。

 

(……エイク様……泣いておられるわ……)

 

 拍手を送りながら、エイクはすでに泣いていた。


 どういう意味合いの涙なのかは、今は深く考えないようにしておく。単純にお祝いの涙だと思っておこう。

 色々考えだしてしまうと、式に集中できなくなりそうなので……


(エイク様……後で改めて、お酒を入れてお喋りをいたしましょう……わたくし、いくらでもお付き合いさせていただきますわ……)


 胸に湧く罪悪感をひとまず振り払って、レジーナは式へと意識を戻すことにした。



 大きな礼拝堂は通路も長い。

 入り口から歩き始めて、ようやくルカの元まであと半分。


 ――と、なった時。


 突然、礼拝堂の入り口から雷のような、ものすごい大声が響き渡ったのだった。




『これは一体どういうことだッ!! レジーナ――ッ!!』




 場違いな地を裂くような怒声に、会場の拍手が止んだ。

 聖歌隊も驚いて、歌が途切れる。


 レジーナも修道女長もギョッとして後ろを振り向いた。目をまんまるくして入り口を見る。


 そこに立っていたのは、ありえない人物。

 まったくもって招いてなどいない、二人の男の姿だった。


「どういうことだレジーナ!! 着いて早々修道院へ寄ってみたら、こ、婚姻の儀だと!? お前は僕の婚約者だろっ!! 他の男と結婚するなど……早まるんじゃないっ!!」

「おいレジーナ!! なんだあのウェルカムボードは……っ!! ルカ!? ルカだと!? どういうことだ……!?」


 目を血走らせ、仰天した表情のまま息を切らして、トーマスと父オリバーが走り込んできたのだった。


「えっ……なっ……!? へっ……!?」


 レジーナは目をむいて固まった。


 自分は幻覚でも見ているのか?

 どうして二人がこんなところにいるのだ。


 百歩譲って、父が怒って乗り込んで来ることはわかるが、どうしてもう関係のない元婚約者のトーマスまで……?


 トーマスとオリバーはドカドカと通路を走り、レジーナの元へとすっ飛んで来た。

 

 走り込んだ勢いのままに、トーマスはレジーナの腕を思い切り引っ掴んだ。


「キャアッ!?」

「おやめなさい無礼者! 花嫁になんてことを……!!」


 引っ張られたレジーナは短く叫び、修道女長は払いのけられて、叫び声を上げた。

 会場が騒然とし、祝いの場の雰囲気が一瞬で、事件現場のそれへと変わる。 


 トーマスはレジーナの腕を掴んだまま、興奮のままに叫び散らした。


「花嫁だと!? レジーナは元々僕の婚約者だぞ! 僕と結婚してセイフォル家に入る身分だ!!」

「お、落ち着いてくださいトーマス様……! 一体何事です!?」

「それはこっちのセリフだ!! 馬鹿なことはやめて、僕のところに戻ってこい!!」

「こっ、婚約はもう破談となりましたし、あなたにはアドリアンヌがいるでしょう……?」


 完全に冷静さを失い、獣のように息を荒くしているトーマスに、レジーナは言い募る。言葉をかけたところで、落ち着いてはくれなそうだが。


 案の定、いや、むしろあおられたかのように、トーマスは激情そのままに声を荒げた。


「君の異母妹(いもうと)と肌を重ねたことは悪かった! 婚約を破棄して、君を泣かせてしまったことも謝る! 一時の気の迷いだったんだ! あの時は真実の愛を勘違いしていた……! でも今は違う!!」


 トーマスは掴んだ腕をグイと引き、レジーナの身を胸元へと引き寄せた。


「今の僕は、君に真実の愛を感じているんだ!! 今なら君のことを心から愛してやれる! 君が乞い願うままに手を絡ませて口づけをして、熱く肌を重ねよう! 僕が思い切り可愛がって、男女の愛というものを教えてやる! 今度こそ、僕とレジーナで婚姻の儀を挙げようじゃないか! どうだい? 恋人の頼みを聞いてくれないかい!?」


 肩を抱いてまくしたててくるトーマスに、レジーナは冷や汗を流した。と言っても、その冷や汗は気味の悪いトーマスの言葉に対してではない。


 通路の向こうから、コツコツと、悪魔が足音を立てて近づいてきていたので。

 

 近寄る悪魔の――ルカの表情は、それはそれは邪悪な笑顔であった。


「ト、トーマス様……! 何が何だかわかりませんが、とりあえずお逃げになったほうがよろしいかと……!!」


 レジーナが叫ぶ間にも、ゆったりと、ルカは距離を詰めてくる。


 腰に下げたハルバードがベルトから外され、ガシリと、その手に握られた。

 まだ少し動かしづらさの残る右腕ではなく、思い切り振り回せる、無傷の左腕に。


 これはまずい。本気で()る気だ。

 首を叩っ切り、落とすつもりだ。


 レジーナはトーマスの腕の中でもがいた。


「あのっ、トーマス様本当に、お逃げくださいませ! 早くわたくしを離して、外へ……っ!!」

「なんだレジーナ、照れているのか? これから僕たちは夫婦になるんだ、抱擁くらいで恥ずかしがることはない。さぁ、外へ出るなら、君も一緒に! 場所を変えて改めて、今後のことを話し合おう! 僕たちはきっとやり直せるから!」


 トーマスはレジーナの肩を力づくで抱き寄せ、礼拝堂の入り口へと歩を出しかけた。

 

 ――と同時に、ルカの歩みが早まる。浮かべられた邪悪な笑みは、目だけが酷く冷えていて、据わっているように見える。

 

 遠目に、事態の深刻さに気が付いたエイクが、慌てて立ち上がる。

 ルカに向かって大声を飛ばしてきた。


「ルカくんいけない! 礼拝堂で殺生は……!! せめて、せめて後で――……駄目だ、彼を止めてくれ! 早く!!」


 呼びかけを諦め、エイクは傍らに控える自らの護衛に命を出す。護衛たちが慌てて駆け出そうとしたが――



 ――間に合わなかった。



 ルカは大股で一気にトーマスとの間合いを詰めると、背後からジャケットの衿元を乱暴に引っ掴んだ。

 そのまま力任せに引っ張り、レジーナから引きはがす。


 引きはがされた勢いでよろめいて、レジーナはストンと座り込んでしまった。


 人前で行儀悪く床に座り込もうが、今そんなことはどうでもいい。とにかくトーマスの命が危ない……!


「キャアッ!! ルカ駄目よ駄目!! 殺しちゃ駄目ぇ……ッ!!」

「なっ、貴様無礼な……! レジーナの従者の分際で――――んごほぉっ……ッ!?」


 抗議するトーマスの声は、裏返ったおかしな悲鳴と共に、突然不自然に途切れた。


 ルカがトーマスに、力一杯ハルバードを振るってしまったから――……



 刃がトーマスの身に当たった瞬間、ドッ! と、鈍い音が響いた。



 レジーナは血しぶきが上がるのを覚悟して、グッと身を固くしていた。――が、レジーナの予想に反して、トーマスの首は落ちなかった。


 ルカはハルバードを首に振るうのではなく、下から上へと振り上げたのだった。


 トーマスの、股ぐらを目掛けて――……


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