69 レジーナをめぐるトーマスとオリバーの思惑 (実家サイド)
馬車に乗り、急ぎで向かったメイトス家の屋敷前。
門扉から離れた街路の角に馬車をとめ、トーマスは顔をしかめていた。
(オリバー殿にレジーナの居場所をつかんだ報告に来たのだけれど……わざわざ出向かずに、手紙で先触れを出しておけば良かったな……)
この日トーマスはメイトス家当主オリバーに、レジーナの居場所の報告をしに来たのであった。
――が、来たはいいが、門の内側に入れないでいた。メイトス家の門前に、領地の農民とおぼしき群衆が詰めかけていたので。
詰めかけた農民たちは三十から、四十人はいるだろう。農民たちは険しい顔で大声を上げているのであった。
「おおい! 領主様よう! 顔ぐらい出したらどうだ!!」
「農地が雪解け水でぐちゃぐちゃなんだよ! 川だってあふれてる!」
「結局今年も、何もしてくれなかったじゃないか……!」
「うちは雪で納屋が潰れて、道具も種も駄目になっちまった……!」
「税金を免除してくれ――……っ!!」
税金下げろー!
と、腕を振り上げ、声を合わせて叫んでいる。
どうやら雪害を憂いた農民たちが、領主のメイトス家に押しかけてきたようだ。タイミング悪く、その現場にあたってしまった。
仕方ないので離れたところに馬車をとめ、トーマスは窓から様子をうかがっていた。
はぁ……、と、深くため息を吐く。
この光景はまったくもって他人事ではない。セイフォル家でも、冬明けから何度か見ている景色である。
(しばらく待っても農民たちがはけなかったら、今日は引き返すとしよう……)
と、暗い顔でうつむいた時。
トントン、と、馬車の扉が叩かれた。
確認すると、目当ての人物、オリバーが身をひそめるように立っていた。わざわざ農民のような格好をして、頭からボロ布をかぶっている。
扉を開けて馬車の中に迎えると、オリバーは疲れた顔で席に腰を下ろした。
馬車の扉とカーテンを閉め、ひと心地つく。
「いやはや、申し訳ございませんトーマス殿。朝から農民どもがうるさくて……。屋敷から馬車が見えましたので、どうにかこうにか抜け出して参った次第です。何か、急ぎの用事ですかな?」
「先触れもなくお訪ねして申し訳ございません。……農民たちの騒動は、我がセイフォル家でも見慣れたものですので、お気になさらず。――それで、馬車の中にて失礼しますが、今日はレジーナの居場所について報告に参りました」
四人乗りの馬車に身をひそめ、トーマスとオリバーは話を始めた。
トーマスは低い声で手短に、手に入れた情報を伝える。
「やはりレジーナはクォルタールに向かったようです。山麓の村に出した使いの話によると、村長と郵便屋が『レジーナ・メイトス』なる令嬢を、冬の入りに送った、と言っていたとか。それも、その目的が……」
「何です? 目的も何も、ただの家出でしょう?」
「いえ、それが……彼らの話によるとレジーナは、領主エイク・ヘイルに縁談を求めに行ったのだと……」
「縁談!?」
あいつ、そんな心づもりで出て行ったのか!?
と、オリバーは仰天した。
地方の小領主家の小娘が、自ら乗り込んで縁談を得ようとするなんて。とんだ度胸と図々しさである。
驚くオリバーを見ながら、トーマスも渋い顔をする。
「噂に聞くところによると、ヘイル家の当主は未婚なようでして……」
「なるほど……レジーナの奴は、キルヤック家ご隠居との結婚を渋っていたからな……勝手に別の男と結婚してやろうって魂胆か」
オリバーは、ううむ、と難しい顔で腕を組む。
少し考えた後、ボソボソと言葉をこぼした。
「まったくあの娘は……。春には帰るとのことだったが、未だ帰ってくる気配がない……と、なると、もしかして、縁談が上手いこと進んでいるのだろうか……」
「それは困る!!」
ガタン、とトーマスが大きく体を揺らした。
今更レジーナを別の男にとられてしまってはかなわない。レジーナの身はセイフォル家に収める予定なのだから。――と、息をまいた。
「家を通さずに縁談を進めることなんて不可能でしょう! 少なくとも、まだ婚約には至っていないと踏んでいます。すぐに連れ戻す手筈を整えるので――いや、いっそ乗り込み、現地で契りを結んでも良いくらいだ!」
トーマスは拳を握り、鼻息を荒くした。
オリバーは考え込みながら言葉を返す。
「……もし、もしもですが、レジーナがヘイル家との縁談を望んでいて、トーマス殿を拒んだとしたら、どうします? あの娘は気位の高い、頑固な女ですから……一度婚約を破棄された相手の元に、戻ってくるかどうか」
「そこは心配ありません」
いぶかしげな顔で問いかけるオリバーに、トーマスはきっぱりと言い放つ。
「レジーナは僕を好いているんです。婚約を破棄した時だって、密やかに泣いていた……それにその前から、彼女は僕とアドリアンヌの仲の良さを気にして、嫉妬している様子でした。今思えば、婚約中にやたらと執務に口を出してきたのだって、僕の側にいたかったからなのかと……。彼女はもう長いこと、僕に惚れ込んでいるんです」
トーマスは以前のレジーナの様子を思い返し、言い切る。
(――そう、レジーナはずっと、アドリアンヌを羨んでいるように見えた。アドリアンヌが僕と手を繋いだり、頭を撫でられたり、身を寄せたりする度に、複雑な顔でこちらを見てきて……。きっと彼女も、僕に甘えたかったのだろう)
婚約中はレジーナのことを、生真面目で淡泊な女だと思っていたけれど。今こうして色々と思い返してみると、結構可愛げのある女だったように思う。
おそらく初心ゆえに、自分への甘え方がわからなかっただけなのだろう。
一人心の内で頷き、トーマスはオリバーへと告げる。
「現地クォルタールへは、僕自ら出向こうかと思います。あのレジーナだって、想い人に甘やかされれば、ほだされることでしょう」
「ほだされる、でしょうか……? あれは本当の本当に、生真面目で、頭の固い娘ですよ?」
「真面目で初心な娘ほど、愛を知ると夢中になるものです」
口端を上げてトーマスはニヤリと笑った。
得意げな表情で、自信に満ちた言葉を語る。
「僕が思い切り肌で可愛がってやれば、愛を知らないレジーナはいちころでしょう」
手を絡ませ、口づけをして、肌を重ねて。
惚れた男に可愛がられて、喜ばない女はいないだろう。
それに自分は、その方面の技には少しばかり自信があるのだ。
(社交で遊び慣れているアドリアンヌだって、一度肌を重ねただけでうっとりとして、僕に夢中になったんだ。レジーナを落とすなど、容易いことだ)
フフンと鼻を鳴らして、勝気な笑みを浮かべるトーマス。
その様子をぼんやりと眺めながら、オリバーは別の思考をめぐらせていた。
(……ふむ、そうか……レジーナの奴は雪の城の主と名高い、あのヘイル家に嫁ぐつもりなのか。これは、縁談が上手く進めば、セイフォル家なんぞより強力な金づるになるぞ……!)
オリバーはニヤリとほくそ笑んだ。
家出の庇護を求めに行ったのならば、ヘイル家は厄介なだけだが、縁を築きに――ヘイル家をものにしに行ったのならば、話が違ってくる。
いまいち頼りないセイフォル家と繋がりを作るより、より大きく格の高いヘイル家と繋がったほうが、益があるに決まっている。
(そうかそうか……ヘイル家の当主は未婚だったのか。はっはっは、レジーナの奴め。縁談を上手く進めているようであれば、キルヤック様との破談の件は許してやることにしよう!)
胸の内でニヤニヤと笑いながら、オリバーはトーマスへと声をかけた。
「トーマス殿、クォルタールへは私も同行しましょう」
「長旅になりますが、よろしいのですか?」
「えぇ。我が娘のことですから。私も現地へ向かいます」
現地に入って状況を見極めよう。と、オリバーは考えた。
もしヘイル家との縁談が上手く進んでいるのであれば、もう現地で、当主同士でさっさと話をつけてヘイル家と縁を結んでしまおう。
トーマスのことはさっくりと裏切ってしまって。
逆に縁談が上手くいっていないのであれば、トーマスの味方をしてレジーナを連れ戻すことにする。
――オリバーが考えたのは、こういう策である。どちらに転んでも上手く動けるように、現地で状況を見る必要がある。
「では、オリバー殿、旅程の相談はまた後日に。なるべく急ぎで向かいますから、そのおつもりで」
「わかりました。私も支度を進めておきます」
それぞれニヤリと笑い合い、両家当主の密やかな会合は解散となった。