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68 敗者と幸運の祝福

「『もし、レジーナ嬢の『勝負の決着』が悲しいものになってしまった時には、私の元へおいでなさい』……なんて。未練がましい、格好悪いことを言ってしまったかなぁ」

 

 ヘイル家屋敷の執務室。

 エイクはポツリとぼやきながら、窓からクォルタールの街を眺める。


 街を飲み込んでいた雪の層は、ずいぶんと薄くなってきた。

 雪がすっかり姿を消すには、まだ少しかかりそうだけれど……それももう、あと一ヶ月くらいの話だろう。


 こぼされたぼやきに、執事のアーバンはやれやれ、と声を返す。


「レジーナ様が勝負とやらに負け、エイク様の腕の中に収まる可能性は、どの程度おありで?」

「私の予想だと、限りなくゼロに近い……と、思うよ」


 エイクは眉を下げ、苦い顔で笑いながら答えた。


 レジーナを都へ送った時に、つい、『もしフラれてしまったなら、是非ヘイル家へ』というようなことを言ってしまった。


 ずいぶんと自分本位で、未練がましい誘いをしてしまったけれど……レジーナが誘い通りにヘイル家に嫁いでくることは、ないと思っている。


「……だって、レジーナ嬢もルカくんも、お互いを慕っている様子だったから。きっと今頃、愛の神の祝福を受けているんじゃないかなぁ」

「それはそれは……都に向けて、祝福の乾杯でもしておきましょうか」

「グラスとシャンパンを用意しておいてくれ……」


 エイクは苦笑しながら、アーバンと軽口を交わす。

 

 レジーナとの縁談が流れてしまったことに、まだ少し落ち込んではいるけれど。冗談を言えるほどには気持ちも回復している。

 

 自分のレジーナへの愛は、実を結ぶことなく、このまま終着を迎えることになるのだろう。――ということを、もう受け入れているつもりだ。

 

 レジーナがルカにフラれてしまった時には、さらうチャンスがあるのだけれど。


 でも、そんなチャンスなど、なくて良いのだと思っている。

 傷心の娘をものにして喜ぶなんてことは、あんまり自分の(たち)には合わない気がするので。


 エイクは窓枠に寄りかかり、チラリと執務机を見やる。

 執務机の端に乗る、一冊の小説本へと目を向けた。 


「――それにしても、レジーナ嬢にすべてを明かされた時には驚いたよ。まさかこの物語が、ルカくんに焦がれるレジーナ嬢の、情熱的な恋文だったなんて」


 レジーナがすべてを語ったあの日。物語の秘密をまるっとすべて、明かされたのだった。

 ヒーローがルカで、ヒロインがレジーナ本人なのだと。


 そして物語冒頭の、浮気から婚約破棄、身売り同然の新しい婚約などの流れは、すべて実話なのだと。

 『最初の方は、ほとんどただの日記です』、なんて明かされた時には、目をまるくしてしまった。


 叶わぬ恋と、ままならない現実。

 せめて物語の中では幸せになってやろう、という気持ちで書き綴っていたのだと聞いて、言葉が出なかった。


 アーバンも小説本へと目を向け、眉を下げた。


「レジーナ様の振る舞いは、見事なものでしたね。不幸を抱えているだなんて、おくびにも出さずに。胸に大きな恋心を秘めた乙女だとは、まるで気が付きませんでした」

「あぁ、本当に。レジーナ嬢がルカくんに送る眼差しは、主従愛のようなものだと思っていたよ。恋愛感情には見えなかったから。……もしかしたら、()なんて言葉を越えた、もっと大きな愛情を抱いていたのかもしれないね」


 芽生えた小さな恋心は、やがて膨らみ、愛へと変わる。


 十年以上も抱え続けた大きな想いならば、もうとっくに、恋なんて言葉の範疇を越えていることだろう。


 この大きな愛を送られることになるルカは、はたして受け止めきれるのだろうか。心を空にでもしておかないと、こぼしてしまいそうである。


「……いいなぁ、ルカくん。本音を言えば、私もレジーナ嬢の愛が欲しかった……まったく手が届かなかったけれど……」

「慰めるわけではありませんが、旦那様もご健闘されていたではありませんか。あと一歩のところでしたし」

「……いいや、全然だったよ」


 渋い顔をして、エイクはひらりと手のひらを振った。


「私の前で彼女はいつも、いつだって行儀が良かった……でも、ルカくんが関わると色々な顔を見せていたように思う。怒ったり、呆れたり、泣いたり、からかったり……。きっと二人でいる時には、もっと明け透けだったんじゃないかな」


 気取らない自由な感情をありのまま出せる場とは、得難いものだ。身分のある人間にとっては、特に。

 心を表に出さず、演じ、探り合うのが、貴族の社交の常であるので。


 例にもれず、レジーナもエイクの前では『出来た令嬢』を演じていたように思う。彼女は暴言はもちろんのこと、愚痴の一つも吐かなかった。

 

 唯一、振り切れたのが、ルカが生きていると知ったあの時である。都にいるルカに向かって、レジーナは思い切り罵声を飛ばしたのだった。


 ルカはきっと、これまでずっとレジーナに『心を自由にできる場』を与えてきたのだろう。


 これは容易に提供できるものではない、貴重なものだ。現に自分は、交流を始めてから一度も、彼女にその場を用意してやることができなかった。


「やれやれ……私の負けだ。完敗だよ。私もレジーナ嬢に、『クソ野郎』とか言われてみたかった」

「……旦那様、そういうご趣味がおありで?」


 エイクのぼやきに、アーバンは白い目を向けた。

 ジトリとした視線に身をすくめつつ、エイクはぼやきを続ける。


「――にしても、雪崩が起きなければ、私は今頃、流れに乗ったまま愛の契約を勝ち取っていただろうになぁ……」

「また雪のせいにして……そんなことを言っているから、愛の神の眼鏡にかなわなかったのでは?」

「まぁ、そうだね……それに、」


 苦い声音で、エイクは呻くように言葉をこぼす。


「私は結局、自分の幸せしか願ってこなかったんだ。自分の愛の成就しか祈ってこなかった。その傲慢さが、本当の敗因かもしれない」


 独り言のように言い切ると、エイクは執務机へと向かった。

 椅子に座り、はぁ、と深く息をつく。


 席に着いた主人の肩を、アーバンはポンと叩いた。


「まぁ、あまりお気を落とさずに。旦那様はまだお若いのですから。五戦目に期待していますよ。……生きてさえいれば、また良いお相手は見つかりましょう」

「あぁ、そうだな……」


 生きてさえいれば、の言葉に、エイクは神妙な顔をした。

 わずかに掠れた声で、ポソリと呟く。


「あの時もし、予定通り商隊の後ろに視察隊をつけていたら……私は今頃、どうなっていただろうか」

 

 あの雪崩の災は、隊の後ろほど被害が大きかったのだ。

 長距離移動のための、体力があり体格の良いオオツノジカですら、後ろの方は足を折り、数頭死んでしまっていた。


 視察隊の使う予定だった、歩みの速い長い足を持つ鹿たちは、はたして雪崩れの猛威に耐えられたのだろうか――……


 エイクは寒気を感じて、腕をさすった。この暗い想像は、あの日から、ふとした瞬間に何度も頭をよぎってきたことだ。


 声音を硬くしたエイクに、アーバンは答える。


「……旦那様が幸運の神の祝福をお受けになられて、ホッとしております。まぁ、代わりに愛の神の祝福は、見事に逃しましたが」

「余計なことは言わないでよろしい」


 アーバンの冗談に、エイクは表情を戻した。



 さて、そろそろ休憩も終わり。仕事をせねば。と、エイクは姿勢を正す。


 ふと執務机に置かれている、ペーパーウェイトが目に入った。ガラス細工に金の装飾がほどこされた、レジーナからの贈り物である。


 エイクは、ふむ、と頷いた。


「来年の雪祭りの雪像は、やっぱりドラゴンではなくて雪の精霊を作ってみようかな。雪崩の災鎮めの、祈りを込めて」

「旦那様は珍妙な生き物しか生み出せないのですから……逆に精霊の怒りを買いそうなので、おやめください」


 言い返された言葉に、エイクは酷いなぁと苦い顔で笑った。





 ――ヘイル家が大規模な山道整備に乗りだすのは、あと少し先の話だ。


 要所要所に、長く頑丈な雪崩防止壁を築き上げる事業は、数年をかけてそつなくこなされることになる。

 手を組んだ、とある作家による刊行物が続々とヒットし、膨大な富を得たとかで――。


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