66 告白
「ガキの頃から……好きで好きでたまらなかった……!! 俺は……っ……あなたのことが……っ!!」
涙を落としながら、ルカは言い放った。
「…………え……あなた、何言って…………」
ルカの怒声にレジーナは固まった。頭が真っ白になって、続きの言葉が出てこない。
迷うように揺れながら、ルカの左手がレジーナへと伸ばされる。
肩にそっと添えられた手のひらは、大きく震えていた。
「全部……全部好きでした……あなたの髪の色も目の色も……細っこい体も、良くまわる口も……! 貴族臭い気取った態度も、裏では結構ガキっぽいところも……っ!!」
掠れた声を上擦らせながら、ルカは言葉を紡ぐ。
「あなたのすべてが魅力的で愛おしかった……! 大好きだった! 何もかもが!! 大好きなんです!! あなたのことが大好きなんですよ俺……っ!!」
悲鳴のような声を発する度に、涙の満ちた目からは雫がこぼれ落ちていった。
突然ぶつけられたルカの気持ちに、レジーナはまばたきも、呼吸すらも忘れる。
彼の震える左手に肩を押さえつけられたまま、身動き一つできずにいた。
ルカは涙と共に視線を落とし、うつむいた。
涙声を抑えるように、掠れた小声で言う。
「本当に……あなたのこと、大好きなんです……何一つ届かなかったけど……。……大好きだから、あなたに『嫌い』だと、面と向かって言われるのは……その、怖くて…………逃げようとしました……。……転ばせてしまって、すみませんでした……」
謝罪の言葉の後、レジーナの肩に添えられていた手が離れていった。
白いローブの袖で涙に濡れた目を拭い、舌打ちを寄越す。
「……クソッ……なんでこんなところで、こんなこと言わなきゃいけねぇんだよ…………あなたが余計なこと言うから……! ……どうです? 勝負とやらはどう考えても俺の完敗でしょう? ……これで決着です」
拭っても拭っても、満ちた涙で揺らめき続ける青い瞳。その目を地面に向けたまま、ルカは乾いた声をこぼしていく。
「……あなたこそ、俺のこと嫌いだったでしょう……? 俺はあなたに、好かれたくて……なんか色々、してしまって……。でも何も上手くいかなくって……何かする度に、あなたを傷つけてばかりで……」
うつむくルカの目にまた涙がたまり、あふれて落ちた。
「俺は……厄介なだけの悪魔から、変われなかった……大好きなあなたに、何一つ良い物なんてあげられなかった……。ガキ臭い思い上がりで……七歳の頃から、酷いことばかりしてしまって……申し訳ございませんでした」
震える声で言い切り、ルカは表情が見えなくなるほど、深く頭を下げた。
指先一つ動かすことができないまま、レジーナは目の前に垂らされた金の髪を、ただただ唖然として見つめていた。
まわりの音も、自分の胸の音さえも、何も聞こえない。放たれたルカの言葉だけが、頭の中に反響する。
不思議なほどの静けさに、夢の中にいるようなフワフワとした、例えがたい心地を感じる。
おかしくなってしまったレジーナの耳に、ローブの衣擦れの音が届いた。
力なく頭を上げたルカは、もう一度袖で目を拭う。
そして風に消えそうなかれた声で、最後の言葉を紡いだ。
「……俺は、もう縁を切ります。あなたと、あなたのまわりの物事すべてと。一応従者のくせに、身の振り方を勝手に決めてすみません。でも、あなたのお祖父様とも、約束してあることなので……俺に、離れる自由をください。……あなたに付きまとう最低な悪魔は、もういなくなりますから……ご安心ください」
ルカは揺れる瞳でレジーナを見つめて、静かに息をつく。
立ち上がろうと身を動かし、別れの言葉を告げた。
「……最後に会えて嬉しかったです。さようなら。どうか、お元気で」
その言葉を聞いた瞬間――
呪術にかけられたかのように動けずにいたレジーナの体が、ようやく解放された。
ルカのローブの身頃を、力一杯両手で引っ掴む。
膝を立て、身を起こしかけていたルカは、ドサリと音を立てて勢い良く地面へと引き戻された。
「っ!?」
レジーナの突然の行動に、ルカは息を詰めた。
石畳にあたった膝が痛そうではあったけれど、レジーナも転ばされたのだから、この際おあいこだ。
レジーナはまた込み上げてきた涙を払うように、大きくまばたきをする。
こぼれ落ちた雫に構うことなく、ルカへと言い放った。
「わたくし……! ずっとあなたに嫌われているのだと思ってた……!」
腰を落としたルカの胸元を、くしゃりと握り込む。
もう振り払われないように。
話を伝え終えるまで、決して逃がさないように。
「今日だって、わたくしね……勝負に負けることで決着を――気持ちに区切りをつけようと決めてきたのよ」
「……はぁ? 区切りって……何が……」
――そう、レジーナは『負ける』覚悟をしてきたのだ。当たって、思い切り砕けてしまえば、諦めがつくだろうと思ったから。
「わたくしはあなたに、酷く嫌われているだろうから……どうせわたくしの気持ちなんて、これっぽっちも届かないのだろうなぁ、って、覚悟して来たの……」
最初に会った時から、子供心に、なんとなく嫌われているのだろうと感じていた。
ルカのきつい言葉や態度の端々で、そう思い込んでいた。
そうして、その考えは十五歳のあの日の夜に、確信へと変わったのだ。ルカと祖父の会話を盗み聞いてしまって。
けれど――。
人の心の内側なんて、結局は当人にしかわからないのだ。言葉にしないと、何もわからないし、伝わらない。
そんな単純な仕組みに、今ようやく気が付いた。
ルカに、『あなたこそ、俺のこと嫌いだったでしょう』なんて言われてしまったことで、ようやく目が覚めた。
レジーナはルカの胸元から手を離すと、目を指先で拭った。
いくらかクリアになった視界で、地面に放られていた、自身の鞄の中をあさる。
献本として受け取っていた小説本を取り出し、ルカの目の前にかざした。
「ねぇ、ルカ。このわたくしの物語……あなたは読んだ?」
「……? ……いや……」
突然振られた話に、ルカは複雑な顔をした。
未だ涙で濡れた目元のまま、不思議そうなキョトンとした表情と、いぶかしげな表情を交互に浮かべる。
困惑して言葉が出ない様子のルカに、レジーナはそっと、一つの秘密を打ち明けた。
「……この物語ね、ルカのことを書いた物語なの。ヒーローはルカで、ヒロインはわたくし」
告げられた秘密に、ルカは思い切り目をまるくした。
その表情にレジーナは苦笑する。エイクにすべてを打ち明けた時にも、同じような顔をされたのだった。
小説本に目を落とし、ページをパラパラとめくる。
慈しむように、レジーナは紙面を優しく撫でた。
「わたくし、ずっと夢物語を綴っていたの。……あなたと素敵な愛を育む、わたくしの夢を詰め込んだ恋物語なのよ、この小説」
ページの中の文章を、レジーナは指でなぞる。目当ての一節を探し出し、本をさかさまにしてルカへと向けた。
『もう僕には君しか見えない、君だけを愛している』
『僕が君を幸せにしてみせるよ』
『真実の愛を君に捧げよう』
レジーナが指さして見せたのは、ヒーローのセリフ部分。
顔を真っ赤にしながら、レジーナはポロポロと秘密をこぼしていく。
「見て、これ……あなたに言われたら、わたくしが浮かれて死んでしまうセリフ、ベストスリー……」
別に誰に見せるものでもないし、と、調子に乗って書き綴ったセリフだった。書いた当初はまさかこうして、世間に広く晒されることになるとは考えてもいなかった。
そしてまさか、本人相手にバラす日が来るなんて。
耳まで赤く染めながら、レジーナは震える声で続ける。
「わたくしが書いたのはね……わたくしの王子様――ルカが、メイトスのお家からわたくしをさらって……遠い雪国で、二人で幸せに暮らす恋物語なの」
言いながら、レジーナはまた小説の一節を指でなぞった。
『一生涯、愛を交わし合うことを、神に誓おう』
ルカはこぼれそうなほど大きく目を見開き、動きをとめた。小説本に目を落としたまま、息を詰める。
青い目はまた、涙をためて揺らぎ始めた。
その表情につられるように、レジーナは微笑みながらもくしゃりと顔を歪めた。
「わたくし、あなたのことを嫌いだなんて思ったこと、一度だってないのよ? 七歳の頃から今まで、一度も」
「…………なっ……そんな……わけ……」
レジーナの言葉に、ルカはぎこちない動きで顔を上げた。同時に、目にたっぷりとたまった涙が頬を流れ落ちていく。
いつもの麗しさはどこへやら。くしゃくしゃに泣き濡れた顔。
こんな酷い顔でさえ、全然まったく、これっぽっちも嫌いではない。
レジーナはルカとまっすぐに向き合い、その宝石のような瞳を見つめて告げる。
「だってわたくし、嫌いどころか……あなたのことが、どうしようもなく大好きだったから。もうずっとずっと、ずっと昔から。あなたのことだけが、好きでたまらなかったの」
レジーナはずっと心に秘めていた、とっておきの秘密を明かした。