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65 勝負の終着

 息を切らしてルカに駆け寄り、レジーナは開口一番、叱り飛ばした。


「もうっ!! あなた、こんなところでサボって……!! 仮にも修道士なのに、礼拝をすっぽかすだなんて、許されざることでしょうにっ!!」


 叱りつけつつ、弾んだ息を整える。


 ルカは信じられないというような驚きの顔をしたまま、身じろぎもせずレジーナを見つめていた。

 壊れた機械のようにギクシャクと、のどから小声がしぼり出された。


「……な……なんで……こんなところに……」

「なんでも何も、ルカに用があるからに決まっているでしょう!」


 はぁ、と一つ大きく息を吐き、レジーナは気持ちを落ち着ける。乱れたスカートを直し、姿勢を整えた。

 

 ルカは他の修道士たちと同じく、真っ白なローブを身にまとっていた。

 けれど、その右腕は包帯と布で固定され、肩から下げられた革ベルトで吊られている。顔もよく見ると、頬や額に傷の痕が残っていた。


 色々と、ものすごくたくさん、言いたいことはあるけれど。

 すべての気持ちを言葉にしていたら、どれだけ時間があっても足りないだろう。


 だからレジーナは、伝えたいことを三つに絞ることにした。


 背筋を伸ばし、改めて真正面からルカと向き合う。

 

「ルカ、改めまして、ごきげんよう。こうして話すのも久しぶりね。……――わたくしはあなたに三つだけ、言いたいことがあって来ました」


 まばたきも忘れたかのように、目をまるくして固まっていたルカは、レジーナの言葉に酷く掠れた声を返した。


「……お久しぶりです……レジーナお嬢様。……俺に、言いたいこと……?」


 名を呼ばれた瞬間、レジーナは顔を歪めた。久しぶりに名を呼ばれたことが嬉しくて……けれど同じくらい悲しくて、苦しくて。


 だって今日の、この後のやり取りで、二人の関係は仕舞いとなるのだから。

 名を呼ばれるのも、もうあと数回ほどだろう。どうしようもなく寂しさを感じてしまう。

 

 加えて、ルカのカサついた声が痛々しく感じられ、どうにもやりきれない気持ちになってしまった。

 飴玉のひとつでも、持って来れば良かった。また昔のように渡したならば、彼は頬張ってくれただろうか。


 なんて、今は余計なことを考えるのはやめよう。想いだすと、止まらなくなってしまうから。


 レジーナは気持ちを整えながら、ゆっくりと話し始めた。


「あなたに言いたいことの一つ目は、謝罪です」


 短く言い終え、レジーナはスカートを持ち上げる。

 身を低くして深く頭を下げた。

 

「あなたが雪崩の災に遭ってしまったのは、わたくしのせいです。わたくしが家出なんてしなければ……あなたを巻き込まなければ……命を危険に晒すこともなかったのだと、ずっと悔いていました。本当に、心から、申し訳ございませんでした」


 ルカに対して心からの謝罪をする。

 

 雪崩に遭い、雪に埋まってしまったのだと知った時には、謝っても謝りきれないと思っていた。

 けれど今こうして、奇跡的に謝罪の機会を与えてくれた神には、本当に感謝している。


 レジーナの深い謝罪に、ルカは大きく身じろいだ。


「別に……あなたに付き従うのが俺の仕事ですから……謝ることじゃ……」

「いいえ、謝るべきことです……本当にごめんなさい」


 言い淀むルカに、再度頭を下げる。

 

 ゆっくりと顔を上げて、苦い顔で、吊られた右腕へと目を向けた。


「怪我は大丈夫……? その腕は、もう十分な治療を受けているのですか?」

「……放っておけば、そのうち治るそうです」

「放っておいて治るようには見えないのだけれど……具合はどうなのです? 痛みは? 折れてしまったの?」

「……(すじ)がおかしくなりました。たぶん、鹿の手綱に引っ張られて……知らないですけど」

「お医者様にはかかったのでしょうね?」

「まぁ……行かされました。都に着いてから……」

「ちゃんと治療を継続しないと駄目ですからね! あなた自分を雑に扱う癖があるから」


 災に遭った時、どういう状況だったのか。平然として見えるが、痛くはないのか。怪我の程度は、どういうものなのか。


 聞きたいことは山ほどあるが、グッと堪える。

 たぶんこの場でしつこく問い詰めたところで、適当にはぐらかされてしまうに違いない。最悪逃げられてしまっては困るので、今は堪えておく。


 一応、医者にはかかったようなので、及第点とする。

 モヤモヤとしつつも、レジーナは二つ目の話をするべく気持ちを切り替えた。


 切り替える、と言っても、次の話も地続きなのだけれど。


 顔を上げ、レジーナはルカを見据えた。


「ルカ、言いたいことの二つ目は、説教です」

「……はぁ?」


 説教と聞き、ルカはあからさまに面倒臭そうな顔をした。

 

 いつもであればムッとするところだけれど、今は何だか、その表情の動きに安心する。さっきからずっと、ルカはどこかぼんやりとしている様子だったので。

 普段の状態に戻ってきたようで、少しホッとした。


 とはいえ、そんなことは顔に出さずに、レジーナは厳しい表情を浮かべた。


「災に遭って怪我を負ったというのに、どうして都行きを強行したのですか! さっさとクォルタールの街に帰ってくるべきでしょうに!」

「……都に行きたかったから行っただけです。そんなの俺の勝手でしょ。あなたの物語だってちゃんと届けたんだから、むしろ褒められるべきでは?」


 フン、とルカは鼻を鳴らして、くだらなそうにそっぽを向いた。

 酷い態度だけれど、この様子だとようやく調子が出て来たようだ。まぁ、ちょっと腹は立つけれど。


「それは……まぁ、ありがとう……。でも! 褒められることではありません! 怪我をこじらせて、道中で本当に死んでしまっていたらどうするのです! それに、エイク様やクォルタールの人々も、皆あなたを心配していたのですからね! まったく、どれだけの人に心配と迷惑をかけたか……!」

 

 レジーナもエイクも大いに憔悴したのだ。商隊の面々も深く嘆いていたし、捜索隊だってルカのために大変な仕事をこなした。

 間違いなく、反省するべきことである。


 が、レジーナの怒声にルカはサラリと答えた。


「別に死んでも良かったし、他人もどうでもいいので」

「馬鹿!! あなたはもっと、自他ともに大切にする意識を――」

「うるせぇな、俺がどうしようと俺の自由でしょう。あなたに関係ない。何が自他ともに、だ。心の底からどうでもいい。……もうすべてと縁を切って、俺は修道院に入った身なので」


 もう全部関係ない。

 と、吐き捨てられたルカの言葉に、レジーナは押し黙る。拒絶の言葉が、胸に刺さって苦しい……


 けれど、ここで怯むわけにはいかない。

 だって今日は、『決着』を付けに来たのだから。


 言いたいことをすべて言い切って決着を付けることが、今日という日の最大の目的なのだ。

 ――でないと、きっと一生、胸のモヤを抱えたままになると思うから。


 黙ったレジーナに焦れたのか、ルカがきつい声音で問いかけてきた。


「――で、俺に言いたいこととやらの、三つ目は?」


 ルカに問われて、レジーナは意を決したかのように、シャンと顔を上げた。


 二、三度、深く息を吸う。


 そして、青いルカの瞳をまっすぐに見据えて、静かな声音で告げた。


「三つ目は……あなたとの、勝負の決着についてです。『負けでいい』だなんて、一方的に終わりにされるのは、納得できません」


 凛とした声音で言い放つと、ルカは途端に顔を歪めた。

 

「今更何です、しつこいな……ガキの頃に始めたクソしょうもない勝負なんだから、もういい加減終わりでいいでしょう」

「良くありません! だって二人で十年以上も続けてきたのよ? それなりに思い入れがあるというか……適当な終わり方じゃあ、何だか不完全燃焼です」


 苦い顔で舌打ちをするルカに、レジーナは言い募る。


「決着をつけて終わりにするのなら、最後にあなたに、言いたいことをすべて言い切って終わりにしたいの。……だからもう少しだけ……今日のこの時間だけ、わたくしに好き勝手、喋らせてくれない……?」

「お断りします。聞きたくありませんから」


 ルカはレジーナの願いを、短い言葉で切って捨てた。


 舌打ちと共に、場を去ろうとさっさと体の向きを変える。

 白いローブがひるがえり、真正面に合わさっていた視線が断たれた。


 歩き出したルカの背に、レジーナは咄嗟に手を伸ばした。

 ローブにしがみ付いて、その歩みを力づくで止める。


「待ってよ……! ほんの少しだけでいいから聞いて欲しいの! すぐに終わる話だから……! あなたに伝えておきたいことが……っ」

「うるせぇよ!! しつこいな!! 聞きたくねぇっつってんだろ……っ!! もう帰れよお前!!」


 庭園に低い怒声が響き渡る。

 同時に、ルカはしがみ付くレジーナを、左腕で思い切り振り払った。


「っ……!」


 払われ、大きくよろめいた拍子に、庭園の石畳に足を取られる。

 レジーナの体は横腿から、ドサリと音を立てて地面へと着地してしまった。


 お気に入りの水色のドレスは砂に汚れ、打ち付けた足はズキリと痛んだ。


 けれど、スカートも足もどうでもよく思えた。

 何よりも、どこよりも、胸が痛くて苦しいことが、ただひたすらに辛くて仕方がなくて……

 

 目に水の膜が満ちてきて、視界が歪む。

 震えだそうとする唇を無理やり動かして、レジーナはしぼり出すように言葉を紡いだ。

 

「……ルカは、わたくしのこと…………わたくしのことが、そんなに嫌い……?」


 目にたまった涙を落とさないように、まばたきをこらえる。

 そのまま視線を落とし、頭を下げた。


「…………ごめんね……付きまとってしまって、ごめんなさい……」


 レジーナは地面に座り込んだまま、震える声で謝罪をした。


 自分のわがままのために、縁を切りたいと願う人間に付きまとい、仕舞いには酷く怒らせてしまった。

 思っていたような決着ではないけれど、これが今日の――最後の勝負の、終着のようだ。


 もう、ここで身を引くべきなのだろう。

 話すら聞いてもらえなかった。どうしようもないほどの、負けだ。


 レジーナは唇を噛みながら、立ち上がろうと身じろいだ。




 ――けれど、動けなくなってしまった。

 座り込むレジーナの目の前に、ドサリと、ルカも座り込んでしまったので。



 真っ白なローブが汚れることも構わずに、ルカは両膝をついて座っていた。


 そうしてレジーナの目を見据えて、低く震えた声で、怒鳴るように言葉を投げつけてきたのだった。


「嫌いなわけ……っ! 嫌いなわけがないでしょう……!! 大好きですよ!! あなたのことが……! 俺は、あなたのことだけが、ずっとずっと大好きですよ……っ!! 今までも……! これからも……っ!!」


 言い放ったルカの顔は大きく歪み、牙をむいた悪魔のような形相をしていた。


 けれどその青い目には涙がたまっていた。


 怒声と共に、雫がこぼれ落ちた。


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