63 ヘイル家の別邸にて
巨大な垂れ幕を見てからの道中は、フワフワとした心地であっという間に過ぎてしまった。
その散漫としていた心が、ようやく戻ってきたのは、貴族街にあるヘイル家の別邸が見えた時だ。
警護兵の立つ門を抜けて敷地の中に入ると、今度は怒涛の現実感が襲ってきたのだった。
――もうすぐルカに会えるのだ、という。
(ルカは、お屋敷にいるのかしら……? それとも病院に入っているとか?)
またソワソワし出した気持ちを深呼吸でやり過ごす。
努めて冷静を装いながら、馬を降りて支度を整えた。
付き人の女性二人に案内され、玄関へと向かう。都にいる間は、この邸宅を宿にさせてもらう予定である。
レジーナは少しだけキョロキョロとしながら、屋敷の玄関扉をくぐり抜けた。
ヘイル家の別邸は比べるまでもなく、クォルタールの本邸より小さな造りをしている。けれど、内装は引けを取らないくらい、上等なものであった。
玄関ロビーにはズラリと使用人たちが並び、一斉に礼をしてレジーナを出迎えた。
大げさな対応に、レジーナはギョッとする。
(そ、そんな……たかだか田舎娘相手に、こういう挨拶はいらないと思うのだけれど。都のお屋敷では、こういう対応が普通なのかしら……)
旅装のまま上がり込んでしまったことが、なんだか申し訳なくなってくる。
ちゃんとした正装のドレス姿であったなら、もう少し気が楽だったのだけれど。
たじろぐレジーナをよそに、使用人たちの長――別邸を管理する執事の男が、満面の笑みで挨拶をする。
整えられた白髪が美しい、上品な老人だ。
「レジーナ様、ようこそいらっしゃいました」
「初めまして、レジーナ・メイトスと申します。旅装のままで申し訳な――」
『お願いします! 少しだけ! お話だけでも! リージア・メルトさんの新作を、是非ウチに一番に……!!』
レジーナの挨拶は、突然玄関の外から聞こえてきた、何者かの大声にはばまれた。
目をまるくしていると、執事の男は肩を揺らして笑った。
「ははは、なにぶん小さな屋敷ですから、音のもれはご容赦ください」
「ええと、お客様? ……ですか? なにやら『リージア』にご用がおありのようですが、わたくしが対応せずともよろしいのでしょうか?」
「えぇ、お気になさらず。さぁ、ここでは音の障りがありますので、どうぞ奥へ」
執事にうながされるまま、レジーナは付き人と共に屋敷の奥へと歩を進めた。
廊下を歩く間も外からは、リージアがどうとかいう声が聞こえてくる。
気にするレジーナに、執事は明るい声音で説明を始めた。
「いやはや、あなた様の小説と戯曲が狙い通りに――いや、想定を超える勢いで、人々の心を掴みましてね。大変な人気で問い合わせがやまないのです」
「そ、そうでしたか。そんなにですか……?」
「それはもう! こうして屋敷に直接、商人や印刷屋や、演劇人たちが乗り込んでくるほどに。『リージア・メルトの新作を、一番に寄越してくれ』と」
執事はニコニコと語ったが、レジーナは冷や汗をかいた。屋敷に人が乗り込んでくるだなんて、なんだかものすごく迷惑をかけている気がする。
「その、申し訳ございません……」
「いえいえ! 何一つ、謝られることなどはございません。ヘイル家としては、感謝の念しかありませんから。屋敷を守る警護兵を増やしたので、何も問題はございませんよ」
「すみません……」
やはり護衛を増やすほど、負担になっているではないか。と、レジーナは謝る。
でも、申し訳なさはあるが、ひとまず人気が出たことにはホッとしている。自分の作品は、ちゃんとヘイル家の潤いになってくれたようだ。
執事へとペコリと頭を下げたところで、屋敷奥の談話室にたどり着いた。
中へ案内され、良く手入れされたフカフカのソファーへと腰かける。
執事と付き人たちとの会話を楽しみながら、給仕の茶の準備を待った。
ほどなくして、注がれた紅茶に口をつけて一息ついた時。
ソファーの脇に立つ執事から、気にかけていた情報がもたらされた。
「――お疲れのところ申し訳ございませんが、先に一つお伝えしておくことがございます。レジーナ様の従者様とうかがっておりました、ルカ様のことなのですが。実は……謝罪しなければならないことがありまして……」
「何か、あったのですか?」
ルカの名前を聞き、途端に緊張が走る。
レジーナは前のめりになりそうな姿勢を抑えて、冷静に問い返した。
執事はにこやかだった顔から一転して、渋い表情を浮かべる。
「それが……怪我が癒えるまでは、屋敷の部屋にて療養を。と、お伝えして、我々もそのつもりだったのですが…………彼、少し目を離した隙に、窓から逃げ出してしまいまして……」
「……あの男は、猫か何かなのかしら……」
レジーナはガクリと身を傾け、頭を抱えた。怪我をしているというのに、何をしているのか……
「数日かけて大慌てで探しましたところ、男性修道院にお入りになられていたようでして。何度か戻るよう声をおかけしたのですが、応じていただくことができず……」
「お手間をおかけしまして本当に、本当に申し訳ございません……。……――修道院、ですか」
「はい。都にいくつかあるうちの、一番大きなところです」
修道院と聞き、レジーナは目をパチクリさせた。
(……ルカが修道士に? 意外……な、ような。意外でもないような……)
悪魔のようにひねくれた男が修道士になるなんて……とは思うけれど。ルカは前から結構、信心深い様子を見せていたので、納得もできるような。
どうにも不思議な心地がする。
あれこれ考えながらも、ふぅ、とレジーナは一つ大きく息をついた。とりあえず居場所がわかっていることに安堵する。
わざわざ修道院――厳格な生活を是とする場所に入ったということは、街を遊び歩く気がないのだろう。
ウロウロされて行方がわからなくなってしまう心配は、ひとまず置いておける。
レジーナは立ち上がり、姿勢を正して執事に礼をする。
「ルカに目をかけていただき、改めて、お礼申し上げます」
「頭を上げてくださいませ、レジーナ様。エイク様からも書状にて、『我が友人をもてなすように』との命を受けておりましたから。むしろ、逃がしてしまう手落ちがあったことを、謝罪させていただきたく思います」
申し訳ございませんでした。と、執事は胸に手を当て深く頭を下げた。
執事が姿勢を戻すのを待ち、レジーナは問いかける。
「その男性修道院というのは、女性がうかがっても良い場所なのでしょうか?」
「週末の礼拝日に限り、都の民に向けて礼拝堂が開かれます。その時でしたら、女性も修道士との面会が叶うかと」
「では、週末を待つことにいたします。直接会って、ルカと二人で話をしたいので……」
「かしこまりました。では週末には、修道院まで馬車をお出ししましょう」
執事の申し出に、レジーナはまた礼をした。
「――では、レジーナ様。お部屋の支度が整うまで、もう少しこちらでお待ちください」
ごゆるりと、お過ごしくださいませ。と、言い添えて、執事は談話室を出て行った。
付き人の女性二人もソファーに座り、しばし三人での茶会となる。
紅茶を飲みながら、付き人たちがニコニコとした顔で声をかけてきた。
「レジーナ様、当日のドレスはいかがなさいます?」
「殿方との『勝負』をしに行くのでしょう? 一等、美しいものをご用意いたしましょう」
「ありがとうございます。でも、せっかくなのですが……わたくしは手持ちの、着慣れたドレスで向かおうかと思います」
付き人たちの提案をやんわりと断った。
そしてレジーナは、凛とした声音で言い放つ。
「わたくしは、着飾ることなくありのままの姿で、『勝負の決着』に臨みたく思います」
週末まではあと三日。
三日後には、七歳の頃のあの瞬間から始まった勝負に、終わりが来る。
きっと思い切り泣くことになるのだろう。
だって勝負はもう、『自分の負け』が決まっているのだから。
ルカはずっと縁を切りたがっていた。それくらい、自分は嫌われているのだ。勝つ見込みなんて、これっぽっちもない。
勝負の決着もなにも、ただ自身の気持ちを振り切るために、負けを認めに行くだけなのだ。
レジーナは少し考えた後、言い添える。
「その……ドレスではなく、もしよろしければハンカチをいただけませんか。代金はもちろんお支払いいたします。涙をよく吸って、顔を覆えるほどの大きなハンカチを」
苦く笑いながら、付き人にお願いをしておいた。




