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61 アドリアンヌの不幸と吹っ切れた自由 (実家サイド)

 いつになく重苦しい雰囲気の応接室の中。

 アドリアンヌは真っ赤なドレスをなびかせ、ソロソロとトーマスの隣に腰を下ろした。


(……この応接室で、トーマス様のお隣に座るの、すごく久しぶりねぇ……)


 この応接室は婚約中から、数えきれないほど足を運んでいた部屋だ。

 

 婚約中、アドリアンヌが来る時には、トーマスはいつも甘い香を焚いて、綺麗な花をたくさん飾っていてくれた。

 そうして夢みたいにロマンチックな空間で、二人は肌を重ね、愛を育んできたのだ。

 

 最近は甘い香は臭いと捨てられ、花は自分のためではなく『()()()()用意しておけ』と命令されるばかりのものになってしまったけれど。


 婚姻の儀の夜以降、肌だって重ねていない。あの日の夜だってトーマスの調子が悪くて、ほとんど口づけだけで終わってしまったのだ。


 この応接室に来ると、愛の温度が熱かった頃を思い出して、なんだか気持ちが落ちてしまう。

 なのであんまり近寄りたくはなかったのだけれど……


 父が来ているということで、一応挨拶に顔を出そうとしたのだった。

 来客にはちゃんと対応しないと、トーマスに後で叱られてしまうので。


 そうして寄った応接室の扉の向こうで、耳を疑うようなことを聞いてしまった。


『レジーナを第二夫人として迎える』


 なんて、とんでもない話を。

 驚きのあまり思わず、扉を開けて声をかけてしまった。

 

 そうして父オリバーとトーマスに呼ばれるがまま、こうしてソファーへと収まってしまった。

 

 

 アドリアンヌは胸のザワザワを抑えようと、豊かな胸元で両手をギュッと組む。

 その怯えた様子に構うことなく、トーマスは話し始めた。


「ちょうど良かったよ、アドリアンヌ。君にまだ話していなかったから、父君もそろっているこの場で、伝えておこうと思う」


 トーマスは一度深く息を吐き、固い声音で言う。


「アドリアンヌ、僕は君のお異母姉(ねえ)さん――レジーナを、第二夫人としてセイフォル家に迎えようと思う」

「…………」

「時期はまだ未定だが、なるべく早く。といっても、たぶん春頃になりそうだけれど」

「…………なんで、ですぅ……?」


 震える声で、アドリアンヌは問い返す。


「……なんで、今更お異母姉(ねえ)様を……?」

「僕が、レジーナを必要としているからだ」

「あたしじゃ……あたしじゃ駄目ってことですかぁ……? どうして? あたし、お異母姉(ねえ)様なんかより、ずっと可愛いでしょう!? お嫁さんはあたしだけじゃ駄目だと言うのですかぁ!?」


 きっぱりとしたトーマスの返事に、アドリアンヌはブワリと目に涙をためた。

 たかぶってきた感情のままに、言葉を連ねる。


「トーマス様は、お異母姉(ねえ)様に何をお求めになっているのですかぁ……!? きっとあの人じゃぁ、トーマス様を満足させられないと思いますよぅ! だってあの人、女の子のくせにこれっぽっちも『愛』を知らないのよぉ? 恋話の一つも出てこないし、口づけの仕方だって知らない女なのにぃ……っ!! そんなつまらない女を、どうしてトーマス様はお求めになるのぉ!?」


 アドリアンヌはボロボロと涙をこぼし、トーマスに詰め寄った。胸元にしがみつき、豊かな胸がトーマスの体に押し付けられる。


 密着する肉の膨らみを払い、トーマスは低い声で答える。


「あぁ、レジーナが初心(うぶ)なことは知っている。でもそんなことは大きな問題ではない。夫となる僕が教えてやればいいだけのことさ。とにかく、今僕に――セイフォル家に必要なのはレジーナなんだ。少なくとも、君の大きな胸は今の僕には必要ない」


 トーマスはソファーの端に座り直し、アドリアンヌと距離をとった。

 途端に、アドリアンヌは声を上げて泣き始めた。


「そんなっ……そんな酷いわぁ……トーマス様ぁ……っ! あんなにあたしを求めてくださったのにぃ……! あたしに誓ってくださった、あの愛の言葉は嘘だったのですかぁ……っ!?」


 わんわん泣き喚きながら、チラチラとトーマスの顔をうかがう。婚約を交わしたあの日のように、ハンカチを差し出されるのを期待したのだけれど。

 トーマスは腕を組んでこちらを見据えたまま、身じろぎもしなかった。


 その素っ気ない態度に、アドリアンヌの感情はさらに大きく波打った。

 しゃくりあげる泣き声と共に、大声で言い放ってやる。最終手段の、とっておきのキメ台詞を。


「……もうっ! そんなにお異母姉(ねえ)様がいいのなら、あたし出て行っちゃいますからぁっ!!」

「あぁ、好きにすればいい」

「へぁ……っ!?」


 サラリと返された言葉に、アドリアンヌは目をむいた。

 新婚の妻が出ていくと言って、止めない夫がいるだなんて。


 想定外の返事に、思わずポカンと固まる。


 涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま呆けるアドリアンヌに、トーマスは容赦なく、これまでの鬱憤を思い切りぶつけに来た。


「僕が止めるとでも思ったのかい? そんなはずないだろう。だって正直、君がいなくなってくれたほうが、仕事がはかどるんだから。毎日毎日、『新しいドレスを見て!』だの、『街でデートをしたい!』だの、『口づけをしろ、化粧を褒めろ、お喋りしよう』だの……構って構ってって、僕の邪魔ばかりして……もういい加減、君の面倒を見るのはうんざりなんだよ! 君はまるで、ちやほやされて喜ぶ幼女のようじゃないか! 君に比べたらレジーナのほうがよっぽど、大人の女性としての魅力を持っていたように思うよ」


 勢い良くまくしたてられ、気圧されたアドリアンヌは口をパクパクさせた。


 トーマスに、これほどまでに直接的に悪態を吐かれたのは、初めてのことだった。いつもは叱られるといっても、遠まわしに注意されるだけだったので。


 酷い。悲しい。怖い。悔しい。

 込み上げてきた色々な感情を抑えきれず、アドリアンヌはブルブルと体を震わせた。


 数瞬の後。

 ふいにガタリと立ち上がり、父オリバーの隣へと飛び込んだ。


 ギャンギャンと大きな泣き声を上げながら、オリバーの腕に縋りつく。


「ああああああんお父様ぁっ!! 酷いですぅ……っ……トーマス様が意地悪をしますぅっ!! 妻をけなして、別の女を褒めるだなんてぇ……っ!! お父様ぁっ、お叱りくださいませぇっ!!」

「アドリアンヌ、」


 上体にベタリとへばり付くアドリアンヌを引きはがし、オリバーは静かな声を返す。


「お前がもし本当にセイフォル家を出ると言うのなら、私は止めないよ。うちに帰ってくるといい」

「ううううっ……お父様ぁっ……お父様はやっぱりお優し――」

「一度お前を手元に戻して、改めて新しい縁談を組もうかと思う。今考えているのは、『キルヤック家のご隠居』だ」

「……ふぇ……っ!?」


 アドリアンヌはギョッとして、涙を止めた。

 皿のように見開かれた目が、オリバーを見つめる。


「さっき考えたんだ。アドリアンヌ、お前もメイトス家の力になる。アードラ・キルヤック様は、女の髪に並々ならぬ情熱をお持ちのようでな。お前の髪はウェーブの赤毛で、世間的に見ても相当に美しい部類だろう。加えて、アードラ様のコレクションに、赤毛はいなかったはずだ。――レジーナの詫びに、お前を貢げば、借金を軽くしてもらえるかもしれない」


 ふむ、と考え込みながらも、どこか明るい表情をしているオリバー。

 なんだか恐ろしくなって、アドリアンヌはガバリと、オリバーから身を離した。


「な……なんで……っ!? どうしてみんな酷いことばかり言うのぉ……!? もうっ……もうあたし……トーマス様もお父様も、大っ嫌いよぉっ!!」


 アドリアンヌは金切声を上げ、勢いよく立ち上がった。


 応接室の入り口に走り込み、バン、と壊さんばかりの勢いで扉を押し開ける。

 そのまま部屋から飛び出し、全力疾走で廊下を走り抜けた。



(どうして……!? どうしてあたしばかり、こんなに酷い目に遭わないといけないの!? あたし、何にも悪い事してないのにぃ……っ!! 酷いわぁっ!!)


 涙の雫を散らしながら、バタバタと走り逃げる。

 

 どうして自分が、こんな目に遭うことになっているのか。まるで理解できない。

 本来であれば、新婚ほやほやで一番幸せを感じるべき時期だと言うのに。

 

(トーマス様は冷たいし、浮気をするし……! お父様はお金なんかのために、あたしを売ろうと考えてるし……っ! どうして……どうしてあたしばっかりぃ……っ)


 ここまで考えたところで、はたと思い至る。

 自分ばかり、と思っていたが、そういえば同じ目に遭った女がいるではないか、と。


 アドリアンヌは、はぁはぁと息を切らして、廊下の端で立ち止まった。


(……そうだわぁ……お異母姉(ねえ)様も、同じだった……)


 考えるのは、異母姉のこと。

 

 もう半年は前になる、冬の入り。

 異母姉レジーナも、まったくと言っていいほど、同じ目に遭っていたのだった。


 そして、そんな彼女は――……


(――お異母姉(ねえ)様は、逃げ出した……あの女は、自分勝手に逃げ出したのよ……! ずるい! ずるいわぁ……っ!!)


 思い至った瞬間。

 逃げた異母姉に、羨望と憎しみの情がブワリと込み上げてきた。


 婚約破棄に機嫌を損ね、老人との結婚を嫌がって、駄々をこねて逃げ出した女。

 なんと無責任で、奔放な女だろうか。


 彼女にそんなわがままが許されたのなら、自分だって――……


「……あたしだって、お異母姉(ねえ)様みたいに自由に、好き勝手してやるんだからぁっ!」


 フンと鼻を鳴らし、懐からハンカチを取り出す。

 ぐしぐしと涙を拭うと、アドリアンヌはそのハンカチをポイと廊下に放り捨てた。


 捨てたハンカチは、前にトーマスからもらったものだ。

 婚約を結んだあの日、涙を拭くように、と差し出されたままもらってしまった、トーマスのハンカチ。


 アドリアンヌはもう見向きもせずに歩き出す。


 向かう先は屋敷の裏口の一つ。

 歩きながら、髪とドレスの胸元を整える。


 ほどなくしてたどり着いた、小さな裏口。

 そこに立つ屋敷護衛に、アドリアンヌは上目遣いで甘い声をかけた。


「こんにちはぁ、護衛さん。……ねぇ、あたしねぇ、今すごぉく悲しいことがあったのぉ。……お願い、ほんのちょっとだけ慰めてくださいませんかぁ? 心も体も、とっても寂しいのぉ……」


 言いながら、護衛のたくましい腕に抱きつく。

 

 前から少し気になっていた護衛がいたのだ。そこそこ男前で、体格の良い男らしい護衛。

 全然相手にしてくれなくなったトーマスより、ずっと体力のありそうな男の人。


 腕に抱きつき、たゆんと胸元を押し付ける。


 護衛の、ゴクリとのどを鳴らす音に、アドリアンヌはにっこりと微笑んだ。


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