57 キルヤックご隠居との破談と借金地獄 (実家サイド)
レジーナが遠い雪国で毎夜物語を紡ぎ、静かな祈りを捧げている頃。
その父オリバー・メイトスは、顔が真っ青になるような、大きな事態に直面していた。
「オリバー殿! まだレジーナ嬢との顔合わせは都合がつかないのか!! もう最初の予定から四ヶ月以上、日取りを遅らせているというのに!」
「も、申し訳ございません、キルヤック様……!」
レジーナの新しい婚約相手である金持ち老人――アードラ・キルヤックを前にして、オリバーは深々と頭を下げていた。
こうして頭を下げるのも、もう五度目である。
この日オリバーはアードラから五度目の呼び出しを受け、その邸宅に慌てて駆けつけたのであった。
転がるように馬車から降りて、アードラ邸の応接室への廊下を急ぎ、部屋の扉を開けて早々。
大声で怒鳴りつけられ、オリバーはその場にひざまずいて謝罪をするに至る。
アードラはずんぐりとした体を震わせ、禿げ上がった頭頂部まで真っ赤にして怒っていた。
それもそのはず。
縁談相手のレジーナと、待てども待てども一向に顔合わせが叶わないのだ。
五ヶ月近く待ち、とうとう激怒するに至ったわけである。
床にひれ伏し謝り倒すオリバーに、アードラはなおも怒声を浴びせかけた。
「もうその謝罪は聞き飽きた! いい加減にしろっ!! レジーナ嬢を連れて来いと文を送ったはずなのに、今日もいないではないか! 人を馬鹿にしているのかっ!!」
「申し訳ございません……! 娘はまだ、修道院に……」
「ええい! 言い訳ばかり! そんなもの、連れ出して来れば良いだけの話だろうが!!」
「ご、ごもっとも……! ですが……その……っ」
激高するアードラを前に、オリバーはダラダラと冷や汗をかく。
毎度『レジーナを連れてこい』と呼び出しを受けるたびに謝り倒してはぐらかし、対応してきたが、今回は怒りの度合いが段違いだ。
もやは床に頭を擦り付けるほど、深くひれ伏すことしかできない。
オリバーのいつもの平謝りを見て、アードラはさらに顔を歪めた。
地を這うような低い怒声を、オリバーに投げつける。
「貴様! さては何か隠しているな……! レジーナ嬢は本当に、存命の娘なのか!?」
「は、はい! それはもうっ、当然でございます!」
「ではなぜ、修道院から連れ出せないのだ! どう考えてもおかしいだろうが!」
「実は……む、娘はたぶん、その、少々遠くの修道院へ入っておりまして……」
レジーナが失踪していることに気が付いてから、オリバーも一応は、周辺を探してみたりしたのだ。
親戚や、縁のある家に文を送ってみたり。
隣の隣の隣街くらいまでは、修道院や宿屋にレジーナがいないかどうか探しまわった。
けれどまったく、レジーナの足取りはつかめなかった。
――と、なると。
地元で見つからないとくれば、やはりレジーナが向かった先は、遠い雪国クォルタールであろう。と、思う。
唯一の手がかりとして手元に残った、クォルタール領主との親しげな文通から予想するに。
(おそらく……いや、確定だ! レジーナの奴はクォルタールに引き籠っているに違いないんだ……!)
アードラの顔色をうかがいながら、オリバーは恐る恐る言葉を返す。
「た、たぶん、ですが……レジーナは遠い山間の街……クォルタールの修道院にでも、入ったのかと……」
「馬鹿を言え!! 小娘がそんな遠くまで出られるはずがなかろう!」
「そういうことをやってのける小賢しい娘なのです……! 本当に申し訳ございません……春になったら、必ずや……必ずや連れ出して、顔合わせを――」
「春だとっ!? まだワシに待てと言うのか馬鹿者め!! そんなに待てるか――ッ!!」
膨れ上がる怒りに、アードラはソファーから立ち上がって、全身を使って怒鳴り声を発した。
勢いのまま、言葉を返せずにいるオリバーに畳みかける。
「よくもまぁぬけぬけと、『春まで待て』だなんて生意気な口を叩けるな! 貴様、さてはワシを騙して、のらりくらりと金だけ搾り取ろうという魂胆だな!!」
「そ、そんなことは……っ! 滅相もございません……!」
「いいや、そうに違いない! 何やらおかしいと思っていたんだ! やれ妹娘の結婚資金だなんだと金ばかり要求して、当のレジーナ嬢は公の場に姿を現さないではないか! ――聞いたぞ! その妹の婚姻の儀にすら、レジーナ嬢は出席していなかったそうではないか!」
ぐうの音も出ず、オリバーは押し黙った。
婚姻の儀は、家にとって重要なイベントである。
例え修道院にて修練中の身であっても、その大事な儀式にすら顔を出さないというのは、相当な事情があるととらえられてもおかしくない。
オリバーの様子を見て、アードラはフンと鼻を鳴らした。
「やっぱりな! やっぱりレジーナ嬢には、何か顔を出せない障りがあるのだろう!!」
「そういうわけでは……! お願いいたします、どうか、春までお待ちください……! 春になったら本当に、必ず、絶対に娘を連れてきますので……! どうか――」
「もう良い!!」
縋りつくようなオリバーの言葉を、アードラは短い怒声で封じた。
そして怒りに満ちつつも、冷たさを帯びた声音で言い放つ。
「レジーナ・メイトス嬢との縁談は、なかったことにしてもらう! 何度顔合わせを願おうとも、メイトス家は一向に応じる気がないようなのでな。すべてそちらの非だ。ワシの残り少ない人生の時間を無駄にした慰謝料と、今まで援助してきた金の返還を求める。利子をつけて返してもらおう!」
放たれた言葉に、オリバーは顔色をなくした。
「そ……! そんな……っ!! お待ちください!! どうか! どうかお考え直しを……っ!!」
「メイトス家には後日改めて、弁護人を通して書状をお送りする。以上だ」
冷たく言い放ち、アードラは廊下に控えている屋敷護衛を呼んだ。
オリバーはアードラの足元に縋りついたが、あっという間に引きはがされてしまった。
「お待ちください!! キルヤック様っ!! キルヤック様ぁ……っ!!」
アードラ・キルヤックの邸宅の廊下に、オリバーの絶叫が響き渡る。
数人の屋敷護衛に引きずられ、オリバーはポイと、屋敷の外へ放り出されてしまった。
色を失い真っ白になった顔のまま、地面へと膝をつく。
街路は一応、除雪されているとはいえ、道脇は雪まみれだ。膝をついたところから、雪の水がじわりとズボンにしみてきた。
待機していた馬車の御者が、何事かとチラチラ見てきたが、もはやオリバーには周囲の景色など何も見えてはいなかった。
震える手で頭を抱えながら、ブツブツと独り言をもらす。
「……キ、キルヤック様からの援助金……今まで……いくら使ったのだったか…………もうアドリアンヌの式に、すべて使ってしまっているはず……利子……を、含めると、いくらになるんだ……?」
明細なんてもの、保管していただろうか。
レジーナの珍しい銀の髪を喜んだキルヤックご隠居は、ねだれば援助の金を気前良く、じゃんじゃんと寄越してきたのだった。
その大金に浮かれて、諸々の金勘定なんて適当に処理していた。
「と……とてもじゃないが、すぐに返せる額ではない……ことだけは、確かだ……」
アドリアンヌの求めた、豪奢な金の馬車。高価な布を贅沢に使って仕立てた新しいドレス。美しい靴。宝石のアクセサリー。嫁入りの祝いとしてそろえた調度品、高い化粧品や香水。
パレードのための道路事業費。諸侯を招いた盛大なパーティーのための費用。
セイフォル家とともに組んだ予算とはいえ、相当な額である。このすべてを、メイトス家はアードラ・キルヤックからの援助に頼っていた。
利子をつけて返還となると、地獄のような借金生活が待っている。
「……妻の――……アンドレアの宝石とドレスを売って……あとは家に残っているレジーナの私物と、アドリアンヌの私物も全部売り払って……ええと、あとは……」
白い顔でボソボソ呻きながら、今後の算段をつけていく。
物を売るだけでは足りない。他に、何か売れるものは――……
「そうだ……レジーナだ。あいつ自体、金になるんだった……! アドリアンヌの婚姻の儀の夜会で、やたらと縁談を求める輩が寄ってきていたじゃないか……!」
はたと思いついたオリバーは、パチリとまばたきをした。
一、二ヶ月ほど前、婚姻の儀の夜。
セイフォル家の屋敷にて催されたパーティーで、レジーナは多くの家から注目されていた。
これを金策に使わない手はない。
「そもそも、レジーナのせいでこうなったのだ……! なんとしても、あいつに責任を取らせねば……!!」
キルヤック家ご隠居との縁談は破談となったが、レジーナはまだ若い。
また次の相手を見つけて、その相手の家から金の援助を受ければ良いのだ。
あのパーティーの夜は、結構な数の声をかけられた。もしかしたらキルヤックご隠居なんかより、もっと金持ちな家と縁を結べるかもしれない。
そうすれば、借金はきっとなんとかなるだろう。
そう思い至り、オリバーはいくらか顔色を戻した。
「……とにかく春だ……! 春になったら、あの馬鹿女を引きずり出す! それまでは、なんとか家の傾きに耐えなければ……。いざとなったら、セイフォル家にも相談して援助を願えばなんとか――……」
呟きながら、立ち上がる。
遠くに見える雪山の端を睨みつけ、オリバーは渋い顔で、早い春の訪れを祈るのだった。