55 捜索の終わりとすべての打ち明け
(……――あれから一週間……。時間はあっという間に過ぎていってしまうのね)
この一週間あまりのことに思いを馳せながら、レジーナはこの日、ヘイル家のソリに揺られていた。
夜の礼拝堂にて、神と修道女長に立てた誓い――『生涯をかけて、ルカへ愛と真心を届ける』誓いは、密やかに守られた。
レジーナはそれから毎夜、消灯時間の少し前に礼拝堂を訪れて、祈りを捧げるようになったのだった。
祈りの道へ入ることは、まだ公言はしていない。
まずは捜索隊の報告を待ちたかった。
少しの可能性を信じて。
その可能性が散ってしまったら……
手順を踏んで、正式に修道院に入るつもりである。
家へ報告し、当主オリバーの許しを得て、修道院にて本格的な数年の修練をこなして――……と。
けれどまぁ、父の許しは絶対に得られないだろうから、いよいよ本当に家出することになるのだろう。
先に家出の大先輩である修道女長に、手ほどきを受けておこうと思う。
きっとルカに話したら、『わざわざ当主の顔色をうかがってないで、最初から勝手にすればいいのに』なんて、呆れたようなイラついたような、冷めた目を向けられそうだ。
まるで隣にいるかのように、容易に想像できる。彼の表情も、声も、仕草だって、何もかも。
十年以上、しょうもない勝負を毎日続けてきた腐れ縁は、伊達ではない。
……――なんて。
取り留めのないことをつらつらと、意識にのぼらせる。
今日これから向かう先はヘイル家の屋敷である。
一週間を越える活動を終え、捜索隊が帰ってきたそう。
昨日ヘイル家の使いが来て、その旨が書かれたエイクからの手紙を受け取った。文面の雰囲気から察するに、おそらく良い知らせはないのだと思う。
いつもエイクの手紙の端に添えられていた、ゆるっとした動物のイラストは、今回その姿を現さなかった。
ソリの窓から外を見て、静かにため息を吐く。
ヘイル家屋敷の立派な門が見えてきた。
レジーナは毛皮のコートの衿元を整え、降りる支度を始めた。
首にはムーンストーンの首飾りを付けている。白い石と繊細な銀細工の意匠は、今日の水色のドレスにもよく映えている。
ゆったりと門を通り、ソリは屋敷の玄関前へととめられた。
使用人に扉を開けられる前に、レジーナは両手で自身の頬をペシリと叩く。ぼうっとした気持ちを払い、気合いを入れたかったので。
扉が開かれ、使用人の手を借りてソリを降りる。
レジーナは心の内でもう一度、自身を奮い立たせた。
(今日、どんな報告を受けようとも、泣かないようにしましょう。いつまでもめそめそジメジメとしていたら、ルカの機嫌を損ねてしまうから)
ルカはジメジメとしたカエルや爬虫類が嫌いなのだそう。
子供の頃は捕まえては嬉々として持ってきたものだけれど、いつの間に嫌いになってしまったのだろう。
……なんて、もうそんな、何てことない話をする機会もないのが、残念でならない。
玄関扉をくぐり、ロビーで使用人にコートを預ける。出迎えた執事のアーバンに案内され、レジーナは応接室へと歩を進めた。
ヘイル家の城のような、長い長い廊下を歩く。
もう何度も歩いた廊下。
この冬の間に、すっかり歩き慣れてしまった。
廊下だけではない。応接室や、談話室、上階の広間。屋敷の図書室にだって、何度も入らせてもらっている。
それもこれも、エイクと良い縁を築くことができたからだ。
このままさらに縁を深め、婚姻関係を結んだならば、他にももっと色々な部屋を知ることになるのだろう。
執務室や、エイクの自室、主寝室など――……
(――でも、わたくしはきっと、男の人の寝室など見る機会もなく、この人生を終えることになりそうね)
レジーナは眉を下げ、小さく苦笑した。
――今日、レジーナはエイクにすべてを話すつもりである。
この前、パーティーの夜に受けたプロポーズの返事も含めて、すべてを――。
色々と思いをめぐらせているうちに、応接室の扉の前にたどり着く。
アーバンが中へ声をかけ、扉を開いた。
レジーナは息を整えて、部屋の入り口でいつものように淑やかに挨拶をする。
「こんにちは、エイク様。ご連絡いただきありがとうございます」
「レジーナ嬢、お待ちしておりました。お呼び立てしてすみません。体が冷えたでしょう、どうぞ、こちらへ」
「ありがとうございます。失礼します」
エイクが歩み寄り、レジーナを暖炉近くのソファーへと招いた。
いつも物語の打ち合わせに使っていた、部屋中央の二人掛けソファーではなく、その奥へと誘導される。
部屋の端、暖炉近くには一人掛けのソファーが二つ。
美しい彫刻の、小さい茶置きテーブルをはさんで、向かい合わせに置かれている。
ソファーの一つに腰をかけ、レジーナは火のあたたかさに、ほうっと、息をついた。
給仕が茶を入れる間、いくつか挨拶代わりの気安い会話を交わす。
仕事を終えた給仕が部屋を出て、アーバンも下がったところで、熱い紅茶を一口すすった。そうしてカップを置いたところで、話は本題へと入っていく。
エイクが姿勢を改め、真剣な面持ちで語り始めた。
「――今日は二つ、レジーナ嬢にお知らせしたいことがあります」
「はい。どのような事でも、覚悟はできております。なんなりとお話しくださいませ」
レジーナも姿勢を正して答える。
あれから一週間、毎日礼拝堂へ通い、一応の気持ちの整理はつけてきた。
もう看護手伝いの時のように、聞きたくないと避けることはしない。
落ち着いたレジーナの様子を確認し、エイクは、では、と話を始めた。
「一つ目のお話ですが、明日、商隊の二陣を出します。先の隊が雪崩の災に遭ってしまったので、予定より半月以上は遅れてしまいますが……なんとか冬の内に、都に小説と戯曲を売り出したく思います」
話を聞き、レジーナはハッとした。
雪崩の衝撃ですっかり頭から抜け落ちていたけれど、そういえば、そういう商戦略を話していたのだった。
エイクは被災対応と同時に、こちらも抜かりなく準備していたらしい。
頭が下がる思いである。
「よろしくお願いします。……商隊の安全を願い、微力ながら、毎日祈りを捧げさせていただきたく思います」
レジーナが短く返事を返すと、エイクは頷く。
そしてわずかに顔をしかめて、次の話に移った。表情からして、どうやらこちらの話が本題のようだ。
深呼吸をしながら、レジーナは言葉を待った。
エイクが静かに、口を開く。
「……二つ目のお話ですが、雪崩跡の雪の下から鹿が二頭見つかりました。不明だった三頭のうちの二頭です。もう残り一頭と、騎乗していたと思われるルカくんは……残念ながら今回の捜索では、見つけることができませんでした」
言葉を聞き、レジーナは目をつぶった。
ゆっくりと、深い呼吸に身を預ける。波立ちそうになった気持ちを静めるように、二度、三度と。
そうしてわずかに間をあけてから、まぶたを持ち上げた。
努めて穏やかに、言葉を返す。
「……覚悟はしておりましたが、やはりどうしようもなく、苦しいものですね……。探していただけたこと、心より感謝申し上げます。本当に、ありがとうございました」
レジーナは深く丁寧に、頭を下げた。
涙は、出なかった。
出さないように努力した。
帰ってから礼拝堂で、思い切り泣けば良い。
今は不躾に泣き喚いて良い場所ではないのだ。
グッと堪えつつ、頭を上げる。
大丈夫、目に涙はたまっていない。
我ながら優秀な涙腺だ。
礼を言い終え、まっすぐにエイクの目を見つめる。
どちらかというと、レジーナよりエイクのほうが辛そうな、複雑な顔をしていた。
エイクは一つ、重い息をつく。
レジーナの目を見つめ返して、続きを話し始めた。
「捜索隊の一陣、二陣共に帰り着き、これで一度、捜索は打ち切りとなります。次は春を迎え、雪が解けてから……ルカくんを、お迎えに行くことになります」
「……承知いたしました。早い冬明けを、神へとお祈りしておきます……ルカもずっと、春の訪れを望んでいるようでしたから」
レジーナはくしゃりとした顔で笑った。
喋るうちに少し目に水の膜が張ってしまったけれど、こぼれていないので合格としよう。
一度気持ちを切り替えるため、レジーナは紅茶へ手を伸ばした。いくらかぬるくなってしまったものを、一気に飲み干す。
エイクも同じように飲み干し、カチャリと軽い音を立て、カップを置いた。
茶の継ぎ足しに給仕を呼ぼうと、エイクが動きかけた時――
「エイク様、今、少しお時間をよろしいでしょうか。わたくしからも、お話ししたいことがあるのです」
ふいにレジーナは、エイクを呼び止めたのだった。
凛とした、決意に満ちた声音で。
「……――うかがいましょう。時間はお気になさらずに」
雰囲気の変わったレジーナの様子に、エイクは動きを止めた。
ソファーへ体を預け直すと、紫色の澄んだ瞳をしっかりと、正面からレジーナへ合わせる。
その真摯な姿勢に、レジーナは密かに胸を痛くした。
エイクは誠実な人柄に加え、人の話を良く聞き、受け入れる包容力に満ちている。――今から自分は、その包容力を試すようなことを話すのだ。
エイクはどんな反応をするだろう。
さすがに呆れて、愛想を尽かしてしまうだろうか。
ここまで考えをめぐらせ、いや……、と、レジーナは小さく首を振る。
(……エイク様は思慮深く、聡明なお方だから……わたくしの話にだって、しっかりと耳を傾けてくださるわ……どんなにしょうもない話であっても……きっと。……だから大丈夫。もう、話してしまいましょう)
チリチリと痛む胸の内で覚悟を決める。
紫色の目を見つめ、レジーナは静かに口を開いた。
「エイク様に……わたくしのことを、お話ししてもよろしいでしょうか」
「レジーナ嬢のこと、ですか?」
「はい」
エイクは驚いたような、不思議そうな顔をした。
ゆるく息を吐きながら、レジーナは言葉を続ける。
「お話ししたいのはわたくしの、ここに至るまでのすべての事と、これからの事です。どうしようもなく愚かな、わたくしのすべてを、お話しいたします――……」
レジーナは雪のようにしんしんと、これまでのすべてを語り始めた。
誰にも打ち明けていない、レジーナの心の中だけにある、秘密の話を――……