表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

55/76

55 捜索の終わりとすべての打ち明け

(……――あれから一週間……。時間はあっという間に過ぎていってしまうのね)


 この一週間あまりのことに思いを馳せながら、レジーナはこの日、ヘイル家のソリに揺られていた。


 

 夜の礼拝堂にて、神と修道女長に立てた誓い――『生涯をかけて、ルカへ愛と真心を届ける』誓いは、密やかに守られた。

 レジーナはそれから毎夜、消灯時間の少し前に礼拝堂を訪れて、祈りを捧げるようになったのだった。


 祈りの道へ入ることは、まだ公言はしていない。

 まずは捜索隊の報告を待ちたかった。

 少しの可能性を信じて。


 その可能性が散ってしまったら……

 手順を踏んで、正式に修道院に入るつもりである。

 家へ報告し、当主オリバーの許しを得て、修道院にて本格的な数年の修練をこなして――……と。

 

 けれどまぁ、父の許しは絶対に得られないだろうから、いよいよ本当に家出することになるのだろう。

 先に家出の大先輩である修道女長に、手ほどきを受けておこうと思う。


 きっとルカに話したら、『わざわざ当主の顔色をうかがってないで、最初から勝手にすればいいのに』なんて、呆れたようなイラついたような、冷めた目を向けられそうだ。


 まるで隣にいるかのように、容易に想像できる。彼の表情も、声も、仕草だって、何もかも。

 十年以上、しょうもない勝負を毎日続けてきた腐れ縁は、伊達ではない。


 

 ……――なんて。

 取り留めのないことをつらつらと、意識にのぼらせる。


 今日これから向かう先はヘイル家の屋敷である。

 一週間を越える活動を終え、捜索隊が帰ってきたそう。


 昨日ヘイル家の使いが来て、その旨が書かれたエイクからの手紙を受け取った。文面の雰囲気から察するに、おそらく良い知らせはないのだと思う。

 いつもエイクの手紙の端に添えられていた、ゆるっとした動物のイラストは、今回その姿を現さなかった。


 ソリの窓から外を見て、静かにため息を吐く。

 ヘイル家屋敷の立派な門が見えてきた。

 

 レジーナは毛皮のコートの衿元を整え、降りる支度を始めた。

 首にはムーンストーンの首飾りを付けている。白い石と繊細な銀細工の意匠は、今日の水色のドレスにもよく映えている。


 ゆったりと門を通り、ソリは屋敷の玄関前へととめられた。


 使用人に扉を開けられる前に、レジーナは両手で自身の頬をペシリと叩く。ぼうっとした気持ちを払い、気合いを入れたかったので。


 扉が開かれ、使用人の手を借りてソリを降りる。

 レジーナは心の内でもう一度、自身を奮い立たせた。


(今日、どんな報告を受けようとも、泣かないようにしましょう。いつまでもめそめそジメジメとしていたら、ルカの機嫌を損ねてしまうから)


 ルカはジメジメとしたカエルや爬虫類が嫌いなのだそう。

 子供の頃は捕まえては嬉々として持ってきたものだけれど、いつの間に嫌いになってしまったのだろう。


 ……なんて、もうそんな、何てことない話をする機会もないのが、残念でならない。



 玄関扉をくぐり、ロビーで使用人にコートを預ける。出迎えた執事のアーバンに案内され、レジーナは応接室へと歩を進めた。


 ヘイル家の城のような、長い長い廊下を歩く。


 もう何度も歩いた廊下。

 この冬の間に、すっかり歩き慣れてしまった。


 廊下だけではない。応接室や、談話室、上階の広間。屋敷の図書室にだって、何度も入らせてもらっている。

 それもこれも、エイクと良い縁を築くことができたからだ。


 このままさらに縁を深め、婚姻関係を結んだならば、他にももっと色々な部屋を知ることになるのだろう。 

 執務室や、エイクの自室、主寝室など――……


(――でも、わたくしはきっと、男の人の寝室など見る機会もなく、この人生を終えることになりそうね)


 レジーナは眉を下げ、小さく苦笑した。


 ――今日、レジーナはエイクに()()()を話すつもりである。

 この前、パーティーの夜に受けたプロポーズの返事も含めて、すべてを――。

 


 色々と思いをめぐらせているうちに、応接室の扉の前にたどり着く。

 アーバンが中へ声をかけ、扉を開いた。


 レジーナは息を整えて、部屋の入り口でいつものように淑やかに挨拶をする。


「こんにちは、エイク様。ご連絡いただきありがとうございます」

「レジーナ嬢、お待ちしておりました。お呼び立てしてすみません。体が冷えたでしょう、どうぞ、こちらへ」

「ありがとうございます。失礼します」


 エイクが歩み寄り、レジーナを暖炉近くのソファーへと招いた。

 いつも物語の打ち合わせに使っていた、部屋中央の二人掛けソファーではなく、その奥へと誘導される。


 部屋の端、暖炉近くには一人掛けのソファーが二つ。

 美しい彫刻の、小さい茶置きテーブルをはさんで、向かい合わせに置かれている。


 ソファーの一つに腰をかけ、レジーナは火のあたたかさに、ほうっと、息をついた。


 給仕が茶を入れる間、いくつか挨拶代わりの気安い会話を交わす。


 仕事を終えた給仕が部屋を出て、アーバンも下がったところで、熱い紅茶を一口すすった。そうしてカップを置いたところで、話は本題へと入っていく。


 エイクが姿勢を改め、真剣な面持ちで語り始めた。


「――今日は二つ、レジーナ嬢にお知らせしたいことがあります」

「はい。どのような事でも、覚悟はできております。なんなりとお話しくださいませ」


 レジーナも姿勢を正して答える。

 

 あれから一週間、毎日礼拝堂へ通い、一応の気持ちの整理はつけてきた。

 もう看護手伝いの時のように、聞きたくないと避けることはしない。


 落ち着いたレジーナの様子を確認し、エイクは、では、と話を始めた。


「一つ目のお話ですが、明日、商隊の二陣を出します。先の隊が雪崩の災に遭ってしまったので、予定より半月以上は遅れてしまいますが……なんとか冬の内に、都に小説と戯曲を売り出したく思います」


 話を聞き、レジーナはハッとした。

 雪崩の衝撃ですっかり頭から抜け落ちていたけれど、そういえば、そういう商戦略を話していたのだった。


 エイクは被災対応と同時に、こちらも抜かりなく準備していたらしい。

 頭が下がる思いである。


「よろしくお願いします。……商隊の安全を願い、微力ながら、毎日祈りを捧げさせていただきたく思います」


 レジーナが短く返事を返すと、エイクは頷く。


 そしてわずかに顔をしかめて、次の話に移った。表情からして、どうやらこちらの話が本題のようだ。


 深呼吸をしながら、レジーナは言葉を待った。

 エイクが静かに、口を開く。


「……二つ目のお話ですが、雪崩跡の雪の下から鹿が二頭見つかりました。不明だった三頭のうちの二頭です。もう残り一頭と、騎乗していたと思われるルカくんは……残念ながら今回の捜索では、見つけることができませんでした」


 言葉を聞き、レジーナは目をつぶった。

 

 ゆっくりと、深い呼吸に身を預ける。波立ちそうになった気持ちを静めるように、二度、三度と。


 そうしてわずかに間をあけてから、まぶたを持ち上げた。

 努めて穏やかに、言葉を返す。


「……覚悟はしておりましたが、やはりどうしようもなく、苦しいものですね……。探していただけたこと、心より感謝申し上げます。本当に、ありがとうございました」


 レジーナは深く丁寧に、頭を下げた。

 

 涙は、出なかった。

 出さないように努力した。


 帰ってから礼拝堂で、思い切り泣けば良い。

 今は不躾に泣き喚いて良い場所ではないのだ。


 グッと堪えつつ、頭を上げる。

 大丈夫、目に涙はたまっていない。

 我ながら優秀な涙腺だ。


 礼を言い終え、まっすぐにエイクの目を見つめる。

 どちらかというと、レジーナよりエイクのほうが辛そうな、複雑な顔をしていた。

 

 エイクは一つ、重い息をつく。

 レジーナの目を見つめ返して、続きを話し始めた。


「捜索隊の一陣、二陣共に帰り着き、これで一度、捜索は打ち切りとなります。次は春を迎え、雪が解けてから……ルカくんを、お迎えに行くことになります」

「……承知いたしました。早い冬明けを、神へとお祈りしておきます……ルカもずっと、春の訪れを望んでいるようでしたから」


 レジーナはくしゃりとした顔で笑った。

 喋るうちに少し目に水の膜が張ってしまったけれど、こぼれていないので合格としよう。



 一度気持ちを切り替えるため、レジーナは紅茶へ手を伸ばした。いくらかぬるくなってしまったものを、一気に飲み干す。


 エイクも同じように飲み干し、カチャリと軽い音を立て、カップを置いた。

 茶の継ぎ足しに給仕を呼ぼうと、エイクが動きかけた時――

 

「エイク様、今、少しお時間をよろしいでしょうか。わたくしからも、お話ししたいことがあるのです」

 

 ふいにレジーナは、エイクを呼び止めたのだった。

 凛とした、決意に満ちた声音で。


「……――うかがいましょう。時間はお気になさらずに」


 雰囲気の変わったレジーナの様子に、エイクは動きを止めた。

 ソファーへ体を預け直すと、紫色の澄んだ瞳をしっかりと、正面からレジーナへ合わせる。


 その真摯な姿勢に、レジーナは密かに胸を痛くした。


 エイクは誠実な人柄に加え、人の話を良く聞き、受け入れる包容力に満ちている。――今から自分は、その包容力を試すようなことを話すのだ。


 エイクはどんな反応をするだろう。

 さすがに呆れて、愛想を尽かしてしまうだろうか。


 ここまで考えをめぐらせ、いや……、と、レジーナは小さく首を振る。


(……エイク様は思慮深く、聡明なお方だから……わたくしの話にだって、しっかりと耳を傾けてくださるわ……どんなにしょうもない話であっても……きっと。……だから大丈夫。もう、話してしまいましょう)


 チリチリと痛む胸の内で覚悟を決める。


 紫色の目を見つめ、レジーナは静かに口を開いた。


「エイク様に……わたくしのことを、お話ししてもよろしいでしょうか」

「レジーナ嬢のこと、ですか?」

「はい」


 エイクは驚いたような、不思議そうな顔をした。

 ゆるく息を吐きながら、レジーナは言葉を続ける。


「お話ししたいのはわたくしの、ここに至るまでのすべての事と、これからの事です。どうしようもなく愚かな、わたくしの()()()を、お話しいたします――……」 



 レジーナは雪のようにしんしんと、これまでのすべてを語り始めた。


 誰にも打ち明けていない、レジーナの心の中だけにある、()()の話を――……


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ