表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

53/76

53 病院の看護手伝いと報告

 修道院からはレジーナを含めた十人ほどが、看護手伝いへ向かうことになった。

 今日から一週間から二週間の間、交代をしつつ患者のお世話をすることになる。 


 街から急遽手配された大きな乗合馬車に乗り、一行は病院へと急いだ。



 市街地の西側にある病院は、二階建ての石造りの建物だ。

 一階は診療の場、二階は入院患者の部屋となっている。


 病院の門のまわりには多くの鹿が繋ぎとめられていた。

 三十頭弱はいるだろうか。

 人も多く、騒然としている。


 繋がれた鹿たちの中に、荷を背負ったままの鹿もたくさんいた。

 見まわした限りでは十数頭はいる。この鹿たちは商隊に使われた鹿だ。

 ルカの乗った鹿がいないかと目を凝らしてみたけれど、見分けはつかなかった。


(……こんなことならお見送りの時に、鹿の角に印でも付けておくのだった……!)


 過ぎたことを思い、レジーナは顔を歪める。


 チラチラと周囲を見まわしながら、門前で乗合馬車を降りた。


 病院の敷地を忙しなく出入りしているのは、怪我人の家族や、(あきな)いの関係者だろうか。

 慌ただしく動きまわる人々の間をすり抜け、看護手伝いの面々は中へと急ぐ。

 

 病院の大きな玄関扉をくぐると、もう、すぐ目の前の床に怪我人の姿があった。

 

 ロビーに横たえ、処置をしているらしい。十人弱くらいだろうか。

 診療室に入りきらない人数がゆえの措置だろう。


 ロビーの長椅子は端にどけられ、床には毛布が敷かれている。

 怪我人の下に敷かれた毛布は、ところどころに血のしみが広がっていた。

 

 広いとは言えない病院の床一面に、怪我をした人々が横たえられている。

 その横たわる怪我人の間を、医者や看護の人々が忙しく行き来していた。

  

 手足の骨を折ってしまった人。

 肩の外れた人。

 肌を酷く擦りむいた人。

 暖炉の前にうずくまり、凍えた体を震わせている人。

 

 あまりの光景に言葉も出ず、レジーナは修道服のスカートをきつく握りしめた。

 一週間前、街の人々に見送られ、笑いながら出発した人たちが、まさかこんな姿になって帰ってくるなんて……

 

 手の震えを抑えながら、恐る恐る、もう一度ロビーを見渡す。

 視線を複数回往復させても、あの目立つ金髪――ルカの姿を見つけることはできなかった。


 到着した手伝いのシスターたちに気付き、病院の看護職の女性がてきぱきと指示を飛ばしてきた。


「早速で悪いけれど、布をばらして包帯を作る子を何人かちょうだい! あと廊下にも、怪我人が待っているから、傷を拭いてあげて!」


 挨拶をする間もなく、シスターたちは指示に従いアワアワと散っていく。

 レジーナは包帯を作る人員として振り分けられた。


 怪我人と医療者と関係者と、手当ての道具や毛布や布。色々なものがごちゃごちゃと入り乱れるロビーの隅っこに、包帯作りの面々が集められた。


 レジーナを含めた四人のシスターと、病院の看護見習いの女性。この五人での作業となるようだ。


 看護見習いの女性の指示に従い、山のように積まれた古着を丁寧に解いていく。

 服をばらして布をとり、傷あてや包帯、清拭(せいしき)に使うらしい。


 五人で古着を囲って床に座り、糸切りハサミを握って細々とした作業が始まった。



 レジーナは黙々と作業に勤しんだ。


 修道女長に誓った手前、ルカを探して大騒ぎするなんてことはできない。

 そもそもこの惨状の中、自分勝手な動きなどできようはずもない。


 けれど、それでも。

 心の内では気になって気になって、仕方がなかった。


(どんなことでもいいわ……何か、ルカの情報が欲しい……。廊下の方にいるのかしら? それとも、また勝手にプラプラ出て行っちゃったとか? あの人、人の多い場所苦手だし……)


 作業をしながら、視線だけでチラチラと周囲をうかがう。


 ――と、ロビーから廊下へ出るあたりに、エイクの姿を見つけた。


 床に膝をつき、二人の怪我人と話している。

 その顔にいつもの穏やかな笑みはなく、苦く険しい表情をしていた。


 廊下に座り込む怪我人のうち一人は、商隊の隊長のようだ。

 隊長のよく通る声は騒がしいロビーを抜けて、こちらにもわずかに届いてくる。


 レジーナはせっせと布解きをしながらも、耳をそちらへと集中させた。 


『……――三つ目の峠に向かうところで……』

『麓から少し登った……そう、そのあたりだ。山小屋より手前の……』

『……あんなところで雪崩が起きたのは、初めてじゃないか……?』

『ない……前兆は何も……突然だ……()()()()に裏切られた』


 こちらに流れ聞こえてくる声を拾いながら、レジーナはクシャリと顔を歪めた。

 

 『悪魔の裏切り』とは、前兆の見られない突然起こる雪崩のことだと、前に聞いた。

 回避しようがないものである。


 よりにもよってどうして、そんな災にあたってしまったのか。

 本当に、もう、どうして……


 やり場のない気持ちに唇を噛みながら、会話の続きに耳を傾ける。


『……足の折れた鹿は置いてきた……四頭……いや、五頭……五頭だ』

『鹿の気付きが早かったから……先頭のほうはなんとか……そう、抜けられたんだ……』

『……でも後ろが…………後ろを、もってかれた』


 言葉を聞き、レジーナは布解きの手を止めた。

 指先が大きく震え出して、上手くハサミを握れない。


 ルカは、どこを歩いていたのだったか。

 一列に並び歩く商隊の、どこにいたのだったか。


『全員、のまれて埋まったんだ……でも、前の方は……雪崩の走路を、ほぼ抜けてたから……軽く済んだ……あぁ、自力で這い出て』

『動ける数人で、すぐに救助を…………助けられたのは、ここにいるだけだ……十一人……』

『……もう一人は…………どうしても、見つからなかった…………すまない……本当に…………』



 ……誰が?


 誰が見つからなかったの?



 騒がしいはずのロビーの音が、急に遠くに聞こえた。


 おかしな静けさの中で、レジーナの耳は隊長の男の、掠れた声だけを拾った。


『……そう……一番後ろにいた……金髪の…………本当に……すまないことをした…………もう一週間経ってる……どうか、雪から出してやってくれ…………』




 その言葉が耳に届いてから、一体どれくらいの時間、固まっていただろう。

 息をすることも忘れていて、苦しさでハッと意識を取り戻した。


 いつの間にか膝の上に落としていた古着と、ハサミを持ち直す。


 レジーナはまた、布解き作業の手を動かし始めた。

 手はブルブルと震えるし、視界は揺らいで手元が全然見えないけれど。


 でも、何かしていないと、叫び出してしまいそうだったから。

 暴れ出しそうな気持ちを押さえつけるために、無理やり手元の作業を続ける。

 目にいっぱいに溜まりだした涙を、修道服の袖で何度も拭いつつ。


 何度も何度も。

 

 拭っても拭っても。


 あふれてくる涙はとまらなかった。


 もう行儀や、淑やかな振る舞いなど気にもせず、ゴシゴシと大きく目元を拭う。

 不良な視界で遠目に、こちらの様子をうかがうようなエイクが見えたけれど、気が付かないふりをした。


 深くうつむいて、ただひたすらに手元の作業に集中する。


 こういう時に単調な作業は、ありがたいものである。

 頭が働かず、何も考えられずとも、手が勝手に動いてくれるので。

 

 エイクは何度かこちらをうかがった後、人に呼ばれて病院を後にした。

 従者に何やら指示を出していたように思う。

 『鹿の数の確認を――』とか、『捜索隊を――』とか。


 たぶんエイクは、ルカのことを教えてくれようとしたのだろう。

 誠実な人だから、例え話しづらい事であっても変に誤魔化すことをせず、現状を報告してくれるはずだ。


 けれど、こちらを気にする彼の視線を、思い切り拒んでしまった。

 この戦場の様相を呈している病院で、自分だけ特別扱いで話に連れ出されるようなことは、はばかられたので。


 それにエイクだって、大忙しの身であろう。

 なにせ大事な商隊が、まるっと雪崩にのまれてしまったのだから。

 

 ――なんて……

 

 そんなことはすべて言い訳である。

 

 本当は、ルカに関する話を聞きたくなかったから、エイクの気遣いを拒んでしまっただけなのだ。

 だって、直接話を聞いてしまったら、()が確定してしまう。


 『ルカは雪に埋まってしまって、帰って来られなかった』ということを、現状として認めなくてはならないではないか。

 

 そんな話、聞きたくない。認めたくない。


 今、話を受け取ってしまったら、病院という場所をわきまえることもできずに、大声で名を呼びながら、泣き崩れてしまうだろうから。



 あふれ出てくる涙を手元に落とさぬよう、袖に吸わせながら、ひたすらに作業の手を動かす。


 慌ただしい戦場のような病院のロビーで、レジーナはただただ作業に没頭し続けた。





 ――結局、それも昼前までの話だったのだけれど。


 布解きの仕事を終えて立ち上がったら、頭がクラクラしてきて動けなくなってしまったのだった。

 修道院に強制帰院となってしまい、レジーナの看護手伝いはこの半日で仕舞いとなった。



 そうして翌日訪ねて来たエイクにより、改めて報告を受けることとなる。


 今回の雪崩の被害は、軽傷三人、重傷八人。

 オオツノジカは十七頭が帰還、五頭が重傷。


 最後尾の一人が不明。

 鹿は後ろ三頭が不明となったそう。


 商隊の軽傷者からの話だと、こういうことだそうだ。



 そしてもう一つ、軽傷者の話によると。


 ルカは最期、雪崩に向かって喧嘩を売り、大きな声で笑っていたらしい。


ここからハッピーエンドへ向かっていきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ