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5 走るペンとルカの来訪

 良かれと思って開催したアドリアンヌとの『勉強会』は、結局彼女にとって、『よくわからない退屈なレジーナの長話』にしかならなかったようだ。

 そのうえ、逆に自分がアドリアンヌに指導――もとい、侮辱を受けてお開きとなってしまった。


 あまりの腹立たしさに、レジーナは小一時間クッションを殴ったり、ソファーを転がったりしていた。

 


 ――が、しばらくして。


 ふいにガバリとソファーから立ち上がると、レジーナは大股で机へと向った。

 勢いのままに引き出しを開け、まっさらなノートを一冊取り出す。


 まだ何も書かれていない、上質な紙のノート。

 セイフォル家に嫁いだら、このノートを使って執務を手伝っていこう、と、用意していたものだ。

 ……ちょっとした、自分への結婚祝いも兼ねて買ったもの。


 レジーナはペンを握ると、そのノートに驚くような速さで文字を書き連ねていった。

 

 美しく整った筆跡でサラサラと綴られていく文字。

 その内容は、『今日の出来事、および、自分の気持ち』。


 どうしようもなく気持ちが高ぶった時には、その感情を文字にして、自分の心から排出するといいのだという。

 昔、祖父に聞いた、感情の整理方法の一つだ。


 ペン先は止まることなく流れ、ノートのページは次々めくられていく。


『前から違和感を感じていた、婚約者と異母妹(いもうと)の仲の良さ。モヤモヤした気持ち』

『不貞の現場を目撃した時の衝撃』

『異母妹が正式に婚約し、自分は婚約破棄。人生の履歴に傷がついた悔しさと虚しさ』

『身売り同然の新しい婚約と、腹立たしさ』


 一連の出来事と感情を綴る。

 

 順を追って出来事を書き連ねた後、ふと、ペンを止めた。

 レジーナはしばし考え込む。


(……別に誰に見られるわけでもないし、もっとありのまま、素の気持ちを吐き出してみましょう……この胸をスッキリさせるためにも) 


 うむ、と頷き、また手を動かし始めた。


『本当は自分だって、年頃の乙女らしく奔放に振る舞ってみたかった』

『自分は手すら繋いだことがないのに、異母妹はいとも簡単に、想い人と肌を重ねてみせた』

『そんな異母妹が、自分は正直、羨ましくて妬ましいのだ。彼女がずるくて仕方がない。自分だって本当は……』

『真実の愛で結ばれる関係というのは、どれほど幸せなことなのだろう――……いいなぁ……ずるい……』



 ――思うがままに、取りつくろわず。

 今回の出来事をきっかけにして心の奥からこぼれ出してしまった、自分の偽りのない素直な気持ちを、記していった。




 どれほどの時間、夢中になって机に向かっていたのか。

 ふと窓から、カシャン、という音が聞こえて、ハッと我に返った。


 もう先ほどよりずいぶんと、気持ちは落ち着いていた。


 もう一度、二度、窓から音が鳴る。

 音と同時に、窓に雪の塊がぶつかってはじけた。


 誰かがレジーナの自室の窓に、雪を投げつけているようだ。

 こんなことをしてくるのは、あの男しかいない。


 レジーナは窓を開け、身を乗り出して下を見る。

 ここは二階、しかも夜。

 暗い地面から雪を投げてくる人物の姿は、よく見えない。

 

「こら、何をしているのです! どうせルカでしょう!? やめなさ――……んぎゃっ!」


 レジーナの顔面に、雪玉が命中してはじけた。

 慌てて両手で顔を払い、眉を吊り上げて階下の人物へ声を投げる。


「なんという無礼です! そんなにわたくしのお説教が欲しいのですか! えぇ、いいでしょう! ちょっと待ってなさい、顔を突き合わせて叱りつけてやりますから……!」


 言い終えるや、ピシャリと窓を閉め、厚手のショールを羽織って部屋から出る。

 暗く冷えた廊下と階段を、躊躇(ちゅうちょ)することなくスタスタ歩み、一階の廊下の端へと向かった。


 自室から一階の廊下端までのルートをたどるのは、もう慣れたものである。

 なにせルカと出会った七歳の頃から、数えきれないくらい往復した道のりなので。


 もはや夜であろうが、暗さや人気(ひとけ)のなさに怯えることなど、ほとんどない。

 怖い話を聞いた後だけは、少しだけヒヤヒヤしてしまうけれど。


 たどり着いた一階の廊下端で、腰高窓を開ける。

 と同時にレジーナは、窓の外へと文句を飛ばした。


「いい加減、窓に物を投げるのはやめなさいと言っているでしょう! もう子供じゃないのだから」

「はっ、日中ガキのように泣きべそをかいていたお嬢様が、よく言いますね」

 

 窓の向こうには、髪と肩にホロホロと雪をくっつけたルカが立っていた。

 

 彼はメイトス家の屋敷の離れ――使用人が使う棟に住んでいる。

 けれど子供の頃から度々こうして、時間をわきまえず不躾に、主人一家の屋敷へ現れるのだった。


「お嬢様の泣きっ面があまりにも不格好で面白かったもので、もう一度拝んでおこうかと思い参りました」 

「本当に意地の悪い、酷い男。でもおあいにくさま、ご覧の通り、わたくしもう泣いてなどいません。……というかもう、涙も枯れ果てちゃったわ」


 自嘲の笑みとともに、ため息をつきながら言葉を返す。

 意地悪く笑っていたルカが身じろいだ気がしたが、きっと大粒の雪が首元に舞い落ちたせいだろう。

 寒いだろうに、上着くらい着て来れば良いものを。


 わずかに開いた会話の間を埋めるかのように、レジーナは口を開く。


「ねぇ、ルカ。わたくしの顔に雪玉をぶつけた罰として、少しわたくしの愚痴につきあってちょうだい。もちろん、他言は無用よ。いいかしら?」


 レジーナは憂さ晴らしに、先ほどの家族とのやり取りを喋ることにした。

 これも感情を整理する方法の一つである。人に話すことによって、心はいくらか軽くなるものなのだ。


「お嬢様の話は長くて疲れるので、さっさと終わらせてください」

「うんと長く話して、あなたを寒さで凍えさせてあげるわ。――さて、どこから話しましょう――……」


 サラリと悪口を言い合うと、レジーナは言葉を紡ぎ始めた。

 

 ルカは腕を組み、窓枠に寄りかかる。

 レジーナに背を向けているため、その表情はわからないが、きっと心底、面倒臭そうな顔をしていることだろう。



 ルカは高い背で、語り始めたレジーナの声を静かに受け取る。

 その不思議な静謐(せいひつ)さは、まるで音を吸い取る雪のようだった。 








「――そういうわけで、わたくしはこの冬の間、山向こうの街、通称『雪の要塞』へと籠城することに決めました」

「は?」


 レジーナの話を大人しく聞いていたルカが、ようやく反応を返したのは、『嫁入り回避の籠城作戦』を話し終えた後だった。


「気でもおかしくなりましたか、お嬢様。あなたのような小娘ごときが、単身で冬山を越えられるとでも思っているのですか。あまりにも馬鹿げている。早々に野垂れ死んで、狼の餌になるのが関の山でしょうね。ははっ、骨も残らなそうですから、葬儀の棺代が浮きそうだ」


 意地悪な笑みと共に、作戦を思い切りけなされた。

 

 しかしレジーナは怯まない。

 この男にそう言われることなど、織り込み済みだ。


「えぇ、えぇ。もちろん単身では不可能でしょう。歳若い娘が遠路はるばる一人旅など。仮に旅の足や同行者を上手いこと手配できたとしても、道中で裏切られて襲われでもすれば、女のわたくしにはひとたまりもありませ――」

「俺でいいでしょ同行者!! 馬車なら俺が扱える! よくわからん(やから)と旅をするなど、婚前の女に許されるわけがないでしょう! これ以上馬鹿なことを言い出したら、父君にバラしますよ!!」


 突然、ルカは怒声を上げた。

 予想外の剣幕に、レジーナは身をすくめる。


「え、えぇ。そう思って、わたくしもあなたにお願いするべきだと判断して、今から話そうと思っていたのだけれど……えっと、引き受けてくれる、のね?」

「あ……っと、えぇ、仕方ないので。本当に仕方ないので! 引き受けてあげましょう。お嬢様が婚前に傷物になってしまったら、護衛として、あなたのお祖父(じい)様に申し訳も立たないので」

「ルカ、あなた本当に、お祖父(じい)様に対してだけは忠誠心が厚いのね」


 あくまでも、ルカの主人は祖父である。

 拾われて育てられた恩があるのだろう。生前から祖父に対しては忠義を尽くしているようだったし、今でもその心は変わらないらしい。

 

 それゆえレジーナには勝算があった。

 なぜなら、ルカが祖父と交わしている約束は、『レジーナが結婚するまで、護衛としてその身の安全を守ること』であるからだ。


 祖父への忠義に生きるルカならば、危険をおかそうとするレジーナを決して見放さない。

 そしてレジーナの決断力と行動力とを、よく見知っている幼馴染の彼のことだ。

 レジーナの計画を止められないことも、わかっていることだろう。


 なので、ルカは必ずついてきてくれる。レジーナはそこまで見通していた。

 ――気圧されるような剣幕は、想定外だったけれど。


(びっくりした……怒鳴ることないじゃない。まさか自分から名乗り出てくれるとは思わなかったわ……。でも、良かった。これで第一関門はひとまず突破ね)

 

 レジーナは少し肩の力を抜く。

 気を抜いたと同時に、急に寒さを思い出したかのよう体が震えた。


「ごめんなさい、本当に長くなってしまったわね。雪玉の罰――わたくしの愚痴は、もう終わりよ。それじゃあ、明日は朝から街で準備を整えたいから、屋敷の裏にわたくしの馬車をつけておいてちょうだい。よろしく頼むわね」


 今の話はくれぐれも、他言無用よ。

 そう言い添えて、窓を閉めようとした時――


 ポフッと、レジーナの顔面にまた何かが投げつけられた。

 

 今度は固く冷たい雪ではなく、包装紙で包まれた、何か柔らかいもの。

 レジーナは顔に当たって落ちたそれを、文句を言いながら拾い上げる。


「ちょっと! せっかく雪玉を許してあげたのに、今度は何よ……って、本当に何? これ」

「お嬢様に……プ、プレゼントです。またグズグズと泣かれでもしたら、心の底から本当に鬱陶しくて、うざったいので。……それ、あげます」

「はぁ? プレゼント? またそのへんで見つけた、ヘビとかじゃないでしょうね?」


 子供の頃、レジーナはルカの寄越したプレゼントに、大泣きしたことがあった。

 渡された紙袋を開くと、中にはそれはそれは色鮮やかなヘビが入っていたのだ。

 レジーナは驚いてひっくり返り、お気に入りだった水色のドレスを泥まみれにして泣いたのだった。


 それ以来、ルカから受け取るものには慎重になっていた。

 中身の見えないものは、特に。


 恐る恐る、紙袋を開けていく。

 ――と、中から現れたものは、ヘビでも虫でもなく、白いハンカチだった。


 柔らかく肌触りの良い、上等な綿のハンカチ。

 布端にはぐるりとレースがあしらわれ、角に一つ、刺繍がほどこされている。

 青と銀の糸で描かれた刺繍のモチーフは、『二羽の鳥が、仲睦まじく一つの花を口にくわえて飛ぶ姿』。


 このモチーフは――……


「これは、結婚のお祝い品ね……」

 

 婚姻の儀を前にして破談になったうえ、新たにほぼ身売りのような酷い婚約を結ばされようとしているレジーナ相手に、この結婚祝いのハンカチ。

 

 これはどう考えても……


「……酷い嫌がらせだわ。ヘビより心にくる酷さ……。あなた、やっぱりわたくしを泣かせたいんじゃない……さすがに傷ついたわ……本当に酷い人」

「え、あ、いや……結婚祝い、なんですか、それ。さっき適当に買ったんですけど……えっと、はははっ、これは失敬」


 黙り込むレジーナに、ルカは意地の悪い笑みとともに矢継ぎ早に言葉をかける。


「まぁでも、キルヤックとかいう爺さんとの結婚を回避したところで、どうせすぐそのへんの男と結婚するんでしょう? だったら良いでしょう、前祝いということで。ふははっ、どうぞ、どっかの誰かとお幸せに」


 ルカは腰高窓からレジーナを見下ろして、馬鹿にしたように笑いかけてきた。

 ――が、ふいにその顔にペシリと何かが当たり、彼はキョトンとする。

 

 レジーナがハンカチの包装紙をクシャクシャに丸めて、投げつけたのだった。

 不意打ちをくらったルカのポカンとした顔に、思わず吹き出す。


「ふふっ、なーんてね。あなたの嫌がらにはもう慣れっこよ。これくらいの仕打ち、もうこれっぽっちも傷つきません。――にしてもあなた、護衛のくせに隙だらけね。わたくしの紙玉を、やすやすと顔面にくらうだなんて。そんな体たらくじゃあ、敬愛するお祖父(じい)様に叱られてしまうわよ」

「……うるさいですよ。淑女が人にゴミを投げつける行儀の悪さのほうが、もっと叱られるべきことかと思いますが――って、あ、このっ!」


 ルカの憎まれ口が終わる前に、レジーナはさっさと窓を閉めてしまった。

 窓からのぞく恨めしそうな顔に背を向け、レジーナは少しばかり勝ち誇った顔をして、自室へ戻る道をたどる。

 

 ルカとの口争いの勝負はいつも、五勝五敗くらいの引き分けで終わる。

 何をもって勝ち負けとするのかは、その時々の気分でしかないのだけれど。

 今回はなんとなく、レジーナは勝った気分を感じた。ただ、それだけのこと。



 廊下と階段をスタスタと歩み、自室の扉をパタリと閉めて、ソファーに落ち着く。


 なんだかんだ、ちゃっかり受け取ってしまったハンカチを広げ、もう一度よくよく眺めてみる。

 室内はランプの火で明るい。先ほどの暗い廊下の端で見た時よりも、銀の刺繍糸がきらめいて見えた。


「……結婚祝いの贈答品でなければ、良い品だと喜べたのかもしれないけれど」


 単純にデザインだけ見ると、実にレジーナ好みであった。

 青と、銀と、白のハンカチ。

 母から受け継いだ、お気に入りのこのソファーと同じ色合い。


 アドリアンヌには地味だと評されてしまったけれど、レジーナは雪のようなこの配色が、大好きだった。


「わたくし実は結構、雪が好きなのよねぇ」


 領地が雪害に苦しみつつある状況で、こんなこと、口が裂けても言えないけれど。


 

 しばらく眺めて、ハンカチを丁寧に畳む。

 そしてレジーナはおもむろに立ち上がり、再び机へと向かった。


 椅子に腰かけ、開きっぱなしだったノートに手を添える。

 ペンを取り、またつらつらと字を綴りだした。


 今度は負の感情――悔しさや悲しさや怒りを書き連ねるのではなく、ちょっとだけ前向きなものを書いてみることにしよう。

 気持ちの切り替えをかねて。

 思い切り爽快で、気分の良くなるような、夢物語みたいなものを。


 誰が読むわけでもないし、少しくらい面白おかしい、とんでも妄想話を書いてみても良いではないか。

 妄想の中でなら、どこぞの大国の王と結婚したって、はたまたハンサムで心優しい農民と駆け落ちをしたって、自由なのだ。


 レジーナは流れるように文字を並べていく。


『婚約者と異母妹の不貞からの、婚約破棄。そして金持ち老人との、身売り婚約。不幸の続くわたくしの元に、なんと白馬に乗った、とんでもなく素敵な王子様が現れて――……』


(――なんてね。ふふっ、わたくしも、皮算用をしていた家族のことを笑えないわね)


 自分で書きながら、とんでも展開の夢物語に笑みをこぼす。



 レジーナの空想を紡ぎながらスラスラと走るペンは、夜を越えて、明け方頃まで止まることなく動き続けた。




 ――この、誰にも読まれる予定のない妄想ノートが、まさか広く世間の目に晒される日が来ようとは……

 この時のレジーナは、想像もしていなかったのだった。


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