48 商隊の出発と勝負の決着
商隊の出発日――レジーナの物語が都へ旅立つ日が来た。
天気はいつも通りの雪。
親指大の白い粒がポサポサと舞い降りる中、市街地の中央大通りの一角に、商隊はズラリと整列していた。
商隊は荷を運ぶ商人十一人にルカが加わり、計十二人のメンバーだ。
隊の使うオオツノジカの数は大迫力の二十五頭。
ガッシリとした巨大な体躯に、頭の左右から伸びる大きな角。
一頭でも迫力があるけれど、二十五頭も並ぶと、もはや生きた壁のようである。
そしてその商隊の後ろに、エイク率いる視察隊がついて歩く。
――と、聞いていたのだが。
レジーナは自身の隣に並び立つ、普段通りの身軽な服装をしたエイクに問いかける。
「あの、エイク様? エイク様も発つご予定だとうかがっていたのですが……どうしてエイク様がこちら側に?」
「はっはっは。ちょっと、色々ありまして」
鹿を連れて勇ましく出発するはずだったエイクは、なぜかレジーナの隣で隊を見送る側にいるのであった。
それも、その麗しく整った顔に湿布薬を貼り付けて。
レジーナは心配しつつ、次々質問を続ける。
「その目元の湿布薬は一体どうされたのですか? お怪我の具合は大丈夫なのです?」
「いやぁ、それがル――……友達に、視察隊の長として商隊に同行する、という話をしたら、『領主が軽々しく街を出るな』と叱られてしまい。殴られました」
「まぁ……」
この美しい芸術品のような顔に、拳を叩きつけられる人間がいるとは……
友人とのことなので、気安い関係なのかもしれない。
にしては、結構ガッツリ腫れているけれど。
エイクの左目には、目尻上あたりに湿布薬が貼られていた。
目に影響はなさそうだが、目蓋が腫れているようで、なんだか開けづらそうである。
痛そうなその様子に、レジーナは眉をひそめた。
困ったように笑いつつエイクは続ける。
「片目での山行はさすがに疲れそうなので、今回の視察は見送ることにしました。あと他の視察隊のメンバーも、私と友のじゃれ合いに巻き込まれて、少しばかり怪我をしたので」
「お怪我をするほどのじゃれ合いを……? ええと……どうかお大事になさってくださいね」
「ふっふっふ。これも男同士の良き友情というものです。視察隊はまた日を改めて、人を選んで組み直そうかと思います。私がメンバーに入ると、また殴られてしまうので」
それは本当に友情の域なのだろうか?
なんてことを思ったが、人の友達関係に口を出すのは野暮かと思い、黙っておくことにした。
レジーナとエイクは会話をしながら、広い道脇で荷の固定やら鹿の騎乗具やらを確かめる商隊を眺めた。
人を乗せる役目を負った鹿も、荷だけを負う役目の鹿も、皆、荷物配分は綺麗に均等である。
ルカが連れている鹿も例外なく、同じだけの荷を背負っていた。
それなりに大荷物だ。
その様子を見ながら、レジーナは何気なく言葉をこぼす。
「ルカは皆様にくっ付いていくだけなのかと思ったのですが、なんだか普通に商隊の一員になっていますね。あんなにしっかり荷を負って」
「商隊は一丸となって荷を運びますからね。荷の分散はリスクの分散でもあります。万が一、山中で鹿が一頭転げ落ちてしまっても、他のメンバーが同じ物を運んでいますから、決定的な痛手にはならな――……と、出る前にこういう話はやめておきます」
サッと言葉を止め、エイクはすまなそうにしゅんとした。
確かに、転げ落ちるだなんてあまり想像したくない事だ。
けれど、そういうことを想定した荷運びの仕組みは、理にかなっているように思える。
昔戦争の多かった時代には、書状を確実に届けるために複数用意して、複数人に運ばせたと聞いたことがある。
道中何人かが敵の刃に散っても、他の誰かが書状を届け切れるように、と。
商隊の荷の分散も、似たようなことなのだろう。
(……あら? 荷を分散させるということは……わたくしの物語も?)
思いをめぐらせるうち、ふと気が付いた。
恐る恐るエイクへ問う。
「あの……ということはもしかして、わたくしの小説や戯曲も、皆様の荷の中に分散されているのですか……?」
「はい、もちろん。皆の荷の中に、小説と戯曲の冊子を数冊ずつ。あとはヘイル家の馴染みの印刷屋への手紙と依頼書と、諸々の必要書類などですね。各人一式まるっと、積んでいますよ」
「……ル、ルカも……ですか……?」
「えぇ、もちろん」
それが何か? と、エイクはニコリと笑う。
対するレジーナは顔を青ざめ、盛大に頭を抱えた。
(こ……ここにきて、物語がルカの手に渡ることになろうとは…………道中、暇つぶしとか何とかいって読まれでもしたら…………死……)
突然複雑な表情で呻き出したレジーナに、エイクはキョトンとする。
今更やめてくれ、なんて言えるはずもないので、レジーナは腹をくくることにした。
(せめて、読まないよう念押しだけはしておかなければ……悪あがきかもしれないけれど)
ほどなくして出発の儀式に呼ばれ、エイクは商隊の長の元へと向かっていった。
レジーナは準備を終えたらしいルカの元へ歩み寄る。
ルカと喋るのは実に半月ぶりである。
最後に喋ったのはパーティーの日の夜の、縁談進捗報告会。
それ以来、礼拝日にも顔を出さなくなってしまったので、久しぶりの会話だ。
こんなに長い期間喋らずにいたのは初めてなので、なんだか妙にソワソワする。
七歳の頃、出会った最初の瞬間から、止むことのない口争いに勤しんできた仲なので。
こちらに気付いたルカが顔を上げる。
レジーナを見るや否や、思い切り顔をしかめてきた。
そうそう、その機嫌の悪い顔、しっくりくるわぁ、と、レジーナは心の内で笑う。
「ルカ、道中では絶対に、絶対絶対に、わたくしの物語を読まないように。命令ですからね」
「読みませんよ、そんなもの。読んだら頭が悪くなりそうなので」
半月ぶりの悪態に、レジーナはつい笑顔をこぼす。
すかさずルカが突っ込んできた。
「何、人の顔見てニヤニヤしてるんですか、気持ち悪っ」
「ふふっ、つい眺めてしまいました。あなたやっぱり顔だけはキラキラしてて良いわねぇ、と思って。顔だけは」
「ははっ、それはどうも。レジーナお嬢様はお召しになっている、そのコートだけは良いですよね。コートだけは」
コートを指さされ、同じ言い回しで悪口を返される。
今度はレジーナが、人に指をさすな、とすかさず突っ込みを入れる。
このしょうもないやりとりも、ルカが観光から帰ってくるまでは、交わす相手がいなくなる。
「ルカが帰ってくるまでは、わたくしたちの口争いの勝負も休戦ね」
「しばらくの平和を楽しめそうで、気分が良いですね」
「あ、そうだ。お土産よろしくね」
「はいはい」
サラリと返ってきた返事に、レジーナはギョッとした。
え? 本当に買ってきてくれるの? と、驚きつつ目を輝かせる。
「わたくし雪玉菓子を食べたいわ! 知ってる? 一口大の丸いお菓子よ。口に入れるとホロホロしてとても美味しいの。都で人気のある菓子店を探して、美味しそう且つ可愛いものをお願い」
「雪玉菓子ですか。美味そうですね。まぁ、買いませんけど」
「ちょっと! 喋らせておいて買わないとか……!」
「勝手に喋り出したんでしょう。都土産はどうぞご自分でお買い求めください。田舎臭ただようお嬢様に、都入りする機会があるかはわかりませんが」
ちょっと期待した自分が馬鹿だった、と、レジーナは呻き声を出す。
ルカは勝ったように意地悪く笑った。
レジーナとルカが久しぶりの勝負をしているうちに、エイクと隊長が出発式を済ませたようだ。
出発式と言っても、山越えの時に麓の村で催されたものに比べ、ごく簡単なものであった。
地面に酒と菓子をまき、短い祈りを捧げるだけである。
隊長はエイクとわずかな会話を楽しんだ後、商隊のメンバーに大きく声をかけた。
「――では、そろそろ行きましょう! くれぐれも、道中酒を飲み過ぎて、ひっくり返らないように!」
隊長の冗談めかした号令に、周囲から笑いがもれる。
同時に、商隊の鹿たちがのそのそと動き始めた。
街路にはレジーナの他にも、街の人々がチラホラと見送りに出て来ていた。
鹿を引いてゆったりと歩き出した商隊に、手を振ったり声をかけたりしている。
市街地を抜けるまでは鹿を引き、郊外から騎乗して、鹿の足に頼るのだそう。
そこからが、いよいよ本格的な旅の始まりである。
二十五頭の巨躯の鹿が、列をなして進んでいく。
ルカは一番後ろを、静かについて歩いて行った。
さて、見送りも済んだし、エイクと合流しようか。
と、体の向きを変えかけた時。
「――――レジーナ!」
通りの先から名を呼ばれた。
驚き、振り返ると、ルカがこちらを向いて立ち止まっていた。
ルカはレジーナの姿をまっすぐに見つめて、いつになく朗らかな声を投げて寄越した。
「ありがとう」
「え? 何がよ?」
突然放たれた感謝の言葉に、目を丸くする。
「七歳の時の飴玉の礼、あなたにまだ伝えていなかったので」
レジーナは目をパチクリさせた。
そんな昔のことを、今頃? なぜ今? というか、よく覚えていたわね。
なんて、思いつつ。
ルカは言葉を続ける。
「口争いの勝負は、俺の負けです」
「何よ急に。どうしちゃったの?」
ひたすらキョトンとするレジーナ。
それを無視し、ルカはいつもの意地の悪い笑みを浮かべて、別れの言葉を口にした。
「では、行ってきます。さようなら」
言うや、踵を返してさっさと歩き去ってしまった。
ついでのように、雑に手を振りながら。
今度こそ歩き去っていった背中に、レジーナはポツリとこぼす。
「何なのよ、あの人……」
また何か言いに戻ってくるのではないか、と、少しの間待ってみたけれど。
もうルカの姿は遠ざかっていくばかりであった。
……――この『さようなら』が本当の別れの挨拶になるなんて。
この時のレジーナは、これっぽっちも想像できずにいたのだった。
物語は終盤に入っていきます。