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46 アドリアンヌと金の馬車 (実家サイド)

 アドリアンヌはトーマスとともに金の馬車に揺られて、再び街路を進んでいた。


 先ほど礼拝堂で、神へと愛を誓う儀式――婚姻の儀を終えてきたところだ。

 愛の神の前で唇を重ねたあの瞬間から、二人はこれからの未来を共に生きる『夫婦』となった。


 今日この後は礼拝堂からセイフォル家の屋敷へ向かい、夕方からパーティーの予定である。

 もちろん、客をたくさん招いての大きな夜会だ。

 アドリアンヌとトーマスが主役となる、披露宴である。

 

 ――そう、アドリアンヌとトーマスは、本日の主役である。

 主役であるのだけれど……


 アドリアンヌは不安げな顔で、傍らのトーマスの顔をチラリとのぞき見た。

 とてもじゃないけれど主役とは思えない、疲れた顔をしているように思える。


 礼拝堂の控え室でも素っ気なくされてしまったし、そもそも朝から様子がおかしかったように思う。

 ……というか、様子のおかしさは今日に限らず。

 婚姻の儀が近づくにつれ、トーマスの態度は徐々に乾いたものになっていったような……今思えば、そんな気がする。


 トーマスへと視線を送りながら、アドリアンヌはため息をついた。


(トーマス様ぁ、どうしてさっきからあたしと目を合わせてくれないのぉ……? なんだか寂しいですぅ……)


 そう、先ほどから――礼拝堂で婚姻の儀を終えてから、トーマスは一度もアドリアンヌの顔を見てこない。

 寂しさを感じたが、なんだか声をかけづらくて、ただ顔をのぞき見るだけにとどめている。

 トーマスはぼうっと前を眺めていて、アドリアンヌからの視線にも気が付かない様子だ。

 

 仕方がないので、アドリアンヌはその腕にしがみ付きながら、同じようにぼんやりと思いをめぐらせることにした。




 アドリアンヌはこの婚姻の儀を、心から楽しみにしていたのだった。

 トーマスが異母姉(あね)のレジーナとの婚約を破棄し、アドリアンヌと婚約を結び直したあの日から、ずっと。


 だって結婚してしまえば、愛するトーマスとずっと一緒にいられるし、堂々と寄り添い合うことができるのだ。

 そして誰かに取られる心配だって、なくなるから。


 このトーマスへの熱い気持ちは、家の茶会で初めて顔を合わせた時に湧き上がったものだった。

 見目が好みで、心魅かれてしまったのだ。


 愛の衝動のままに、思わず腕に抱きついてしまったけれど、トーマスは笑顔で受け入れてくれた。

 そしてその日のうちに、二人は密やかに肌を重ねたのだ。


 トーマスと重ねた肌はとんでもなく心地が良かった。

 今までの秘め遊びの相手なんて、かすんでしまうほどに。

 体の熱に導かれるままに、アドリアンヌはトーマスを求め、トーマスもまたアドリアンヌを求め返した。

 

 二人は瞬く間に、愛の行為で結ばれたのだ。

 まるで神が仕組んだ運命のようで、これこそが『真実の愛』なのだと思った。

 

 肌を重ねたあの日、間違いなく自分たちは愛の神の祝福を受けたのだ。

 その聖なる二人の愛は、目障りな障壁――『婚約者レジーナ』をも容易く蹴散らしたのだった。


 先にレジーナが婚約を交わしていたから、アドリアンヌがトーマスを()()()ような形になってしまったけれど、それは不本意なことである。


 決して『盗んだ』わけではなく、ただ『聖なる愛に従った』だけだ。

 自分はトーマスのことを、レジーナなんかよりずっと情熱的に愛しているのに、なぜ悪者っぽい言い方をされなければいけないのか。


 これは未だに、理解も納得もできないところである。

 尊い真実の愛に身を任せた結果なのだから、悪く言われるいわれはないはずだというのに。


 ――と、レジーナにも言ってやりたかったのだけれど。

 異母姉はバカみたいに口がまわる人なので、残念ながら言い負かす隙はなかった。 

 

 それどころか、トーマスとの関係が明るみになったあの日、彼女には『淫らだ』とか『下品だ』とか散々意地悪なことを言われて、泣かされてしまった。

 レジーナには、自分とトーマスの燃え上がる愛を『まったくもって理解しかねます』と、バッサリ吐き捨てられてしまったのだった。


 きっと厳格で生真面目なレジーナは、『愛』というものを、そもそも知らないのだろう。

 いつも澄まして気取った振る舞いばかりで、女の子らしい可愛げのない、冷ややかな人だったので。


 そんな愛を知らぬ冷めたレジーナは、きっと愛の神からも嫌われているに違いない。

 だからレジーナが破談で落ち込もうが謝る必要も感じなかったし、老人との身売り婚約を迎えようが、何とも思わなかった。


 だって神ですら、レジーナにはこれっぽっちも目を向けていないだろうから。

 神にも愛されていない女を、自分が気にする必要もないだろうと判断した。


 対する自分は情熱的な愛をこの身に宿しているので、きっと愛の神に気に入られているに違いない、と、そう信じていた。


 そういうわけで今日の婚姻の儀は、愛の神からの祝福を思い切り全身で受け取ってやろう! という気持ちで、張り切っていたのだ。

 盛大に派手な式にして、目一杯楽しんで、人々から思い切り祝われて。

 愛と幸せがあふれる情熱的な夫婦の姿を披露して、愛の神のひいきに応えよう! と――……



 ――それなのに……




 アドリアンヌは一向に視線の合わないトーマスを見つめながら、何度目かのため息を吐いた。


 どうやら彼は相当に疲れているらしい。

 確かに婚姻の儀の前は特に、とても忙しそうにしていた気がする。


 見かねたアドリアンヌも一生懸命に()()をしたが、セイフォル家の怖い執事に追い出され、最近はなかなか会うことすら出来なくなっていた。


(……今日は久しぶりに、一日中トーマス様とベッタリできると思っていたのに……このご様子じゃぁ……全然イチャイチャできないですぅ……)


 ここ最近の寂しさを晴らすため、今日こそは思い切り甘く過ごそうと思っていたのだが、今日は今日でこの様だ。

 どこか虚ろなその表情に、言いようのない不安が込み上げてくる……

 

 さらにトーマスの顔色に加えてもう一つ、アドリアンヌを不安にさせたのが、人々の声であった。

 

 礼拝堂への行きの馬車で『金の無駄遣い』だの『領民への嫌がらせか』だの、意地悪な言葉を投げつけられた。

 みんなに喜んでもらうために企画したパレードだったのに、おかしな難癖をつけてくる人がチラホラいたので、アドリアンヌはすっかり怖気づいてしまったのだった。


 今は礼拝堂からセイフォル家の屋敷へ向かう、帰りの道中。

 アドリアンヌとトーマスの乗る金の馬車を先頭に、周囲にはパーティーへ向かう他家の馬車がゴトゴトと車輪の音を立てている。


 ふと後ろを見やると、どこかの家の六人乗りの、大きな馬車が目に入った。

 個室タイプの作りではない、ほろ布天井の開放的な馬車だ。

 乗車している貴族たちが、談笑する様子がよく見える。


 その人たちはこちらを見ながら、ケラケラ笑っているようだった。


『――にしても、まぁ、すごい馬車だこと。見栄を張っちゃって』

『はっはっは、若気の至りでしょうな。ご当主もずいぶんとお若いようですし』

『金使いの荒いこと。十年後、いや、五年後まで続いていますかねぇ。セイフォル家とやらは』


 馬車の音にかき消されながらも、そういうような会話が耳に届いた気がした。


 アドリアンヌは慌てて前を向き直し、隣のぼんやりとしたトーマスへとしがみ付く。

 なんだか怖くて、不安で、落ち着かない……


 せっかくの婚姻の儀――祝い事の日だというのに、どうして主役である自分がしょんぼりとした気持ちにならないといけないのか。


 アドリアンヌはわずかに目を潤めながら、豪奢な金の馬車に揺られていった。


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