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45 トーマスとアドリアンヌの結婚と解け消えた祝福 (実家サイド)

 この日、セイフォル家のおさめる街はいつもとは違う種類の賑やかさ――なにやら騒がしい、祭りの様相をていしていた。


 というのも、街では今、大きなパレードが執り行われているからだ。

 パレードの主役は、この街をおさめる領主家の当主と、その妻になる女性。


 ――そう、今日は婚姻の儀の当日。

 

 いよいよ、トーマス・セイフォルとアドリアンヌ・メイトスの『婚姻の儀』当日がやってきたのだった。

 



 本日の天気は、一面の雪雲による曇り。

 厚い雪雲は今にも雪をこぼしそうだ。

 この様子だときっと遅くても、夕方までには大粒が降り落ちてくるに違いない。


 婚姻の儀はアドリアンヌおよびメイトス家側の希望通り、街をあげた大きなものとなった。

 建物には色とりどりの布の垂れ幕、街路には派手な花飾り。

 そして見物に来た多くの人々。

 

 飾り立てられた街の中央通りを、三頭の馬が引く立派な馬車に乗って、ゆっくりと練り歩く。

 

 馬車はアドリアンヌの提案通り、豪奢な金の馬車である。

 天井のない美しい白塗りの車体に、華やかな金細工がこれでもかと盛られている。

 遠くからでも目を引くような、派手な作りだ。


 その馬車の座席に座り、トーマスとアドリアンヌは寄り添い合って、街の中を礼拝堂へと進んでいた。


 トーマスは腕にベッタリとしなだれかかる婚約者――今日から妻となる相手、アドリアンヌへ目を向ける。


 アドリアンヌは高価な布をたっぷりと使った薄赤色のドレスを身にまとい、そのドレスに合わせて桃色に染め上げた毛皮のケープをまとっている。

 ウェーブの赤毛はフワリと結い上げられ、耳と首元には大きな宝石の装飾品が煌めく。


 街路の段差で、ゴトリゴトリと揺れる馬車。


 この道は昼前までは、雪に埋まっていたのだった。今は綺麗に除雪されているけれど。

 もちろん、馬車を出すために道を綺麗にしたのだ。

 思ったより雪が深くて時間がかかってしまったけれど、無事に通れて良かったと思う。


 ――良かったと、思う。


 なんて。


(……僕は何を、思い込もうとしているんだ……何も良いことなんてないのに……)


 金の馬車に揺られ、アドリアンヌにへばりつかれながら。

 トーマスは先ほどからずっと、祝い事の日とは思えぬほどに険しい顔をしていたのだった。


 そしてそれは、アドリアンヌも同様であった。

 あんなに婚姻の儀を楽しみにしていたというのに、今は不安そうな、怯えるような顔をしている。


 ――と、いうのも、祝い事の見物に街路に詰めかけた、街の人々の『とある声』を聞いたことが、暗い顔の理由である。

 

 アドリアンヌも最初のうちは、街路に沿って並ぶ見物客たちに笑顔で手を振ったりしていたのだ。

 物珍しい貴族の派手な結婚パレードを、人々は純粋に楽しんでいるように見えたので。

 

 けれど、それも最初のうちだった。


 街中を練り歩いていると、徐々にとげとげしい声が耳につくようになってきたのだった。


『領主のお惚気パレードのために、朝っぱらから雪かきに駆り出されてクタクタだよ』

『あんなドレスに金をかける前に、この雪の害を何とかしてほしいものだわ』

『またあそこの水路で、雪が詰まったらしい。水があふれて大変だってさ。結婚で浮かれた領主は気付きもしないだろうけど』

『こっちは雪のせいで仕事の馬車も使えず、ヒィヒィ言ってるっつーのに……あいつらはあんな馬鹿げた馬車を嬉しそうに走らせやがって』


 などという文句が、あちらこちらから聞こえてきた。


 もちろん、純粋にパレードを喜び、歓声を上げる人々も多くいた。

 けれど人間の耳と言うものは、負の声のほうを優先して拾い上げてしまうものなのだ。

 

 トーマスの耳はこれらの批判の声をしっかり聞きとっていたし、はしゃいでいたアドリアンヌも同じように聞きとっていた。


 パレードの馬車が礼拝堂に近づく頃には、もうアドリアンヌは観衆に笑顔を見せることも、手を振ることもやめ、トーマスに縋りついてじっとしているのだった。

 人々に悪口を投げつけられないよう、隠れるように身を縮こめて。


 腕に絡んで泣きそうな顔をしているアドリアンヌ。

 その姿を見つめながら、トーマスはぼんやりとこれまでのことを思う。


 

 ――あの日……。

 『真実の愛』を語り、アドリアンヌへ正式に婚約を申し込んだ、冬の入りの日。

 

 あの時はただただ、若い体に湧き上がる熱の発散と、目先の癒しを求めてアドリアンヌの手を取った。

 この衝動を『愛の神の祝福』なのだと理由づけて肯定し、満足していたのだ。


 ……満足していたはずなのに。


 彼女との時間を作れば作るほど、ただでさえ慣れずに四苦八苦していた執務は、さらに滞るようになっていった。

 『やれ構ってくれ。相手にしてくれ。遊んでくれ』と、彼女はそればかりだったので。

 それに伴い身にも心にも疲れは溜まっていき、熱の発散や癒しを求めるどころではなくなってしまったのだった。


 さらには婚姻の儀の予算に関しても、トーマスの思うようにはいかずに酷いストレスとなった。

 メイトス家側の用意した金が、当初聞いていた額よりもうんと少なかったのだ。


 『想定外のことが起き、あまり用意できなかった』と言われたが、何を金のあてにしていたのかは聞かなかった。

 今の疲れた身で、込み入った話に首を突っ込みたくなかったので。


 結局足りない結婚資金は、ひとまずセイフォル家が持つことになったのだった。

 さっさと婚姻の儀という面倒なイベント事を終わらせるために、手を打った形だ。


 ――そう、もう面倒だった。

 面倒なイベント事でしかなくなっていたのだった。


 アドリアンヌ・メイトスとの結婚が――……


 

 ゴトリと馬車が揺れると同時に、またトーマスの頭に別の思いが浮かび上がる。

 婚姻の儀の衣装選びをしていた日に、執事のエメットに言われた言葉が、ふと頭の中に蘇った。


『今が、お考え直しになる、最後の機会ですよ』


 この言葉を、自分は意地になって振り切ってしまった。

 自分が選んだのはアドリアンヌであり、必ずアドリアンヌと結婚するのだと。


 そう言い切ってしまった手前、愚痴もこぼせない。 

 自分は疲れた体と疲れた心に鞭を打ち、ストレスに呻きながら一人で戦っていくしかないのだ。

 面倒ごと――結婚相手を選び取ってしまったのは、他でもない自分自身なのだから……


 言いようのない疲れと不安と緊張で、背に嫌な汗が流れる。

 こういう時に隣に添い立ってくれるような、頼もしく凛とした()()姿()は、もうトーマスの隣にはない。


 ――()()()()は、もうトーマスの隣にはいないのだ。

 自分が、別の女を隣に置いてしまったから。


(……僕は選択を、間違えてしまったのだろうか…………)



 頭に浮かんだ思いを、もうトーマスは振り払うことができなかった。



 




 金の馬車は人々のあらゆる声を浴びながら、街の中を進んでいった。



 そうして、ぼんやりととりとめのないことに思考を飛ばしているうちに、いつの間にかもう、礼拝堂へと到着していたのだった。


 トーマスとアドリアンヌは言葉も少ないままに、そそくさと馬車を降りて、建物脇の関係者玄関から中へと入っていく。


 街の修道院の中にある礼拝堂は、城のように見事な外観を持った石造りの建物だ。

 内部は高いアーチ天井が美しく、神々の壁画や彫刻がいたるところに散りばめられている。


 二人は案内されるまま、控えの部屋へと歩を進めた。

 そこで衣装を整えてから、二人分かれての入場となる。


 先にトーマスが礼拝堂に入場し、後から入場してくるアドリアンヌを待つ流れだ。

 もう何度か練習をしたので、あとは予行通りにこなすだけ。何も考えずとも、体が勝手に動いてくれるはず。 


 アドリアンヌは使用人にドレスを整えられながら、トーマスへとウジウジした声をかけてきた。


「……トーマス様ぁ、あのぅ……あたし、緊張してきちゃいましたぁ……礼拝堂の中には、たくさんお客様が来ているんでしょう……? また……何か酷いこと言われちゃったりしたら、どうしようって……」

「大丈夫さ。何を言われようと、僕たちは予行通りに動けばいいだけだから。……じゃあ、僕はそろそろ行くよ。中で待っているから、また後で」


 さっさと支度を整えて、トーマスは控え室を出た。

 出際にアドリアンヌに何か声をかけられた気がしたが、聞こえないふりをした。

 

 パレードのための除雪が遅れたせいで、もうずいぶんと時間が押しているのだ。

 ここでアドリアンヌにグズグズされると、客として招いた多くの貴族や有力者たちの不興を買うことになる。

 アドリアンヌに泣かれるより、そちらのほうが遥かにまずいので、長くなりそうな泣き言は黙殺することにした。



 礼拝堂の横扉が開かれ、トーマスが入場する。

 湧き上がる拍手の中、広い来賓席をそれとなく見まわす。


 領地の近い家々に、有力商人。この機会に繋がりを作っておきたい家。

 派閥を同じくする貴族家や、逆に緊張関係にある貴族家も、金をかけた式を見せて牽制するためにいくらか呼んである。

 

 この家を呼ぶならこの家も、と選んでいるうちに、ゲストの数は膨れ上がってしまった。

 そして当然、その分の予算も……



 礼拝堂中央の通路で聖歌と演奏を聴きながら、アドリアンヌの入場を待つ。


 しばらくして、アドリアンヌは礼拝堂の正面扉から、父オリバーとともに入場してきた。


 中央通路の真ん中で、オリバーからアドリアンヌの身をもらい受け、二人で祭壇正面へと歩んでいく。

 アドリアンヌのふくよかな頬が見るからにこわばり、目はしょんぼりと揺れていたが、何も気付かないことにする。

 

 大方、先ほど控え室でアドリアンヌの泣き言を黙殺したことに、しょげているのだろう。わかりやすい。

 感情表現が素直といえば聞こえはいいが、貴族令嬢たるもの、本音と建て前――胸の内と見た目の振る舞いはきっぱりとわけるべきである。

 式が終わった後にでも注意しておかなければ。彼女にはこれから、当主夫人という肩書きも加わるのだから。

 

 


 祭壇の前に、二人は並び立った。

 流れていた演奏が止み、礼拝堂に静けさが満ちる。

 

 神父がいくつか口上を述べ、二人はそれに答えていく。


 しばらくの形式的なやり取りの後、トーマスとアドリアンヌは二人寄り添い、神父にうながされるまま神への誓いの言葉を口にした。



『……――生涯、愛を交わし合うことを誓います――……』



 二人の誓約の口上に、神父が愛の神に代わり、朗々とした声で言葉を返す。


「トーマス・セイフォル、アドリアンヌ・セイフォルに、愛の神の祝福を!」



 トーマスはアドリアンヌの腰を抱き、頬に手を添えた。

 そのまま緩慢な動作で、唇を重ね合わせる。


 アドリアンヌの肉付きの良いやわらかな腰を抱いても、豊かな胸元が体に押し付けられても、熱を持った唇に触れても――……


 もうトーマスの身に、突き動かされるような堪えがたい『真実の愛』の衝動が、起きることはなかった。


 信じていた愛の神の祝福は、いつの間にか泡雪のように解け消えていたのだった。


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