44 悪魔のいない礼拝日と商隊の話
翌週末の礼拝日に、ルカは修道院へ姿を見せなかった。
一般開放で賑わう礼拝堂の中、全体での祈りの時間を終えた後。
いつものように喧嘩を吹っかけに来る姿を探したけれど、あの目立つ長身に金糸の髪は、どこにも見当たらなかった。
今日は比較的天気が良くお出かけ日和だというのに、どうしたのだろう。
大粒の雪が降りしきる日も、凍えるように強い風が吹く日も、一日も欠かすことなく顔を出していたというのに。
(あらやだ……風邪でもひいたのかしら?)
礼拝に訪れた人々で混み合う中、堂内をキョロキョロと一回り探して歩く。
ちょうど一周したところで、もう一人、良く目立つ黒髪の男の姿を見つけた。
その背に近づき、レジーナは声をかける。
「エイク様、こんにちは」
「レジーナ嬢! 今お姿を探していたところです。今日は人が多いですね」
「えぇ、雪が止んでいるからでしょうか」
エイクとにこやかに挨拶を交わす。
ひとまず、ルカのことは置いておくことにしよう。
そのうちひょっこりと顔を出すかもしれない。
レジーナとエイクは人の少ない壁際へと寄り、礼拝日定例のお喋り会を始めるのであった。
「――都行きの商隊は、じわじわと準備が進みつつありますよ」
しばらくとりとめのない雑談を交わし、いくつかの話題を終えた頃。
会話の内容はレジーナの物語から、商隊のことへと移っていった。
「じわじわと、ですか?」
「えぇ。旅に使う二十五頭ほどの鹿の選別が終わって、今は商隊の旅程とルートを練っているところです」
「二十五頭も鹿を使うのですか? それは、連なって歩く姿は迫力ある景色になりそうですね」
エイクによると、都度、商隊は組み直されるそうだ。
荷の量や内容、優先度や重要度などなど、諸々を考えて。
必要に応じて人の数と鹿の数、鹿の足の速さや体格などを考慮して、一つの商隊を組むらしい。
最近はオオツノジカの精鋭たちが揃ったそう。
強く頑丈な雄の鹿が選ばれると聞いたので、きっと雪の中を並び歩く姿は壮観であろう。
(なんだかすごそう! もし、お見送りができるのなら見てみたいわね)
景色を想像して、レジーナは胸をドキドキさせた。
と、その時。
エイクの口からポロリと告げられた。
「そういえば、ルカくんも商隊に入ることになったので、出発当日にはレジーナ嬢も見送りの会にお呼びしますね」
「え……本当に参加したのですね、あの男」
行動が早い上にそつがない。
都に行ってみたいとは言っていたが、そんなに遊びに行きたかったのか。
(まったく、ちゃっかりしているのだから……。もしかして礼拝に来ていないのは、準備に忙しいからかしら)
レジーナは呆れたような感心したような、複雑なため息をついた。
そして同時に、不安がよぎる。
「ルカが加わって、大丈夫なのでしょうか……? 道中、商隊の皆様と喧嘩をするようなことがあったら……」
「はっはっは、大丈夫ですよ。彼、商隊の中では無口を貫いているようなので。『静かに笑顔で会釈だけしてくる、ミステリアスな天使が加わった』と、密かに人気を集めています」
頭痛を感じ、レジーナは眉を寄せた。
クォルタール入りした当初、そういう命令を出したのはレジーナである。
あの男、人の命令をもはや一つの処世術として、自分のものにしてきている気がする。
渋い顔をして、一応忠告を入れておく。
「お気をつけくださいませ。天使の容姿で好意を持たせてから、悪魔のように叩き落とす、というのが、あの男が人を傷つける常套手段ですから……」
「まぁまぁ、そう心配なさらず。移動中はずっと鹿の背の上ですから。人と口争いをすることもないでしょう」
笑顔で言い切られてしまったけれど、本当に大丈夫なのだろうか。
レジーナは不安げな瞳を揺らす。
その様子を見て、エイクは眉を下げて困ったように笑った。
「都へ行くためには商隊を頼るのが確実ですから。ルカくんも道中でわざわざ問題を起こすようなことはしないと思いますよ。彼はどうしても、都へ行きたいそうなので」
「ルカは都で観光を楽しみたいそうです……」
「はははっ、若者らしくて良いですね。都は楽しいところですから、気持ちもわかります」
エイクの言葉を聞き、レジーナの胸にはルカへの不安の他に、羨ましさが湧いてきた。
子供っぽい羨みを口に出さないよう、グッと気持ちを飲み込む。
けれど、そんなレジーナの複雑な胸の内は、エイクの次の言葉で吹き飛んでしまった。
「――それに、商隊には私も参加する予定なので、揉め事は起こさせませんよ。といっても、行きの途中の峠までですが」
「え!? エイク様もお出になるのですか?」
レジーナは思わず目を丸くした。
(まさか、ルカの暴力防止のために!? 領主様自ら!?)
だとしたら、申し訳なさすぎる。
エイクの前だというのに、つい思い切り顔を歪めてしまった。
「あ、あの……もしかして、それは、ルカのせいで……?」
「いえいえ! 元々決めていたことでして。私の用事にたまたまルカくんが加わった、というだけですから。そう怖いお顔をされずに」
「あ、そ、そうでしたか……申し訳ございません」
レジーナは慌てて表情をやわらげる。
てっきりエイクが、ルカの並々ならぬ人当たりの悪さを気遣って、同行を決めたのかと思ってしまった。
さすがにそういうわけではないようで、心底ホッとした。
顔色を戻したレジーナに、エイクは説明する。
「都方面へ出る途中にあるはずの山小屋が、なんとまるっと、消えてしまったようでして。そこを確かめに行く用事があったのです」
「え? 消えた……のですか? それは、怪談方面のお話です……?」
山小屋が消えてしまうなんて、どういうことだろう。怪談的な話だろうか。
努めて淑やかな微笑を保ちながらも、レジーナは身をすくめた。
怖い話はあまり好きではないのだ。夜の廊下を歩けなくなってしまうと困るので。
「いえいえ、単純に雪のせいですよ。まれにですが、この雪の深い時期はこういうことがあるのです。おそらく雪崩で崩れたか、埋まったか。もしくは屋根雪の重みで潰れたか」
「あぁ……そういうことでしたか。雪に埋まってしまったのでしたら、雪の消えた春夏にご確認なさるほうが良いのでは?」
レジーナの純粋な疑問に、エイクは難しい顔をした。
「そうできたら良いのですが。山小屋の修復や再建は、雪のない間――短い春夏期間にしかできないので……現状の確認を雪解け後の春以降に行ってしまうと、それだけ工事の着工が遅れてしまうのです」
「なるほど。工事が遅れるとまたすぐ冬が来て、雪が降り積もってしまう、と」
「そういうことです。なので、なるべく今のうちに状況を確認して、必要な資材や予算などの計画を立てておきたく。春が来たら即、着工したいので」
険しい山中での工事となると、資材を運ぶだけでも大事だ。
そのうえ雪のない期間が短い土地では、工期を長く取れないらしい。
山越えの命綱となる山小屋がなくなると、商隊の行き来に支障が出てしまう。
ただでさえ鈍りがちなクォルタールの物流が、さらに痛手を負うことになるそう。
今回のエイクの用事は、なかなかに重大なもののようだ。
神妙な顔をするレジーナをよそに、エイクはケロッと笑って見せる。
「今回は商隊の後ろに、私を含めた三人程度の視察隊をつけることになっています。私たち視察隊は、行きの道中三つ目の峠を越えたら、商隊からは切り離されますが……そこまでは、後ろからルカくんの様子も見守ることができますので。何かあったら私が抑えてみせましょう」
はっはっは。と朗らかに笑うエイクに、レジーナはすまなそうに頭を下げた。
ただでさえ大事な用があるというのに、余計な保護者役までやらせてしまうことになるとは。
平謝りをするレジーナとは対照的に、エイクは得意げな顔で語る。
「ふっふっふ、大丈夫ですよ。ルカくんとは最近結構、仲が良くなってきたような気がしないでもないので」
「……その言いぶりでは、あまり大丈夫とは思えないような……」
エイクはニコニコしていたが、レジーナは気が気ではなく、背中に冷や汗をかいたのだった。
この日は鹿や積み荷の話など、しばらく商隊の話で盛り上がった。
エイクは仕事があるため、今日はいつもより早めに礼拝堂を後にするそう。
会話の最後に、エイクは旅程を言い添える。
「おおよそですが、商隊は一週間ほどをかけて山を越え、さらに一週間をかけて、平野を都へ移動する予定です。往復で大体一ヶ月強くらいはかかるかと。私たち視察隊は身軽で足の長い――歩みの速い鹿を使うので、五日ほどですぐ帰れるかと思います。復路は駆け足なので、調子が良ければ四日くらいです」
「この大雪の中での山行はさぞ大変でしょう……頭が下がります。どうか道中、お体にお気をつけくださいね」
エイクはいつもの穏やかな笑顔で返事をした。
――けれど。
まさかエイクの旅程が、まるっと崩れることになろうとは。
この時のレジーナもエイク本人も、まったく考えてはいないのだった。