43 進捗報告会の終わり
「本日の進捗を報告します。なんと、無事、求婚されました……」
ヘイル家でのパーティーを終えて、修道院へと帰ってきた夜遅く。
修道院の庭端の、いつもの雪壁の狭間で。
レジーナはルカへと、そのおめでたい言葉とは裏腹に、浮かない顔で報告をしたのだった。
「なんで求婚されて元気なくしてるんですか」
「だって……プロポーズがゴールじゃないでしょう? この後のことを考えると、また色々と胃が痛くなってしまって……」
はぁ……、と、レジーナは力なくしゃがみ込み、ため息をついた。
ルカも同じようにしゃがみ込み、わずかに慌てた声を出す。
「えっ? 本当に痛むんですか? なんか、薬とか――……」
「いえ、例えよ、例え。別に今は痛くもなんともないけれど……――でも場合によっては本当に、胃に穴が空くことになる気がするわ……」
「なんだよ……大げさな」
舌打ちをしたルカに構うことなく、レジーナはペラペラと続ける。
「……だって、縁談を進めるとなれば、エイク様とお父様がお話し合いをすることになるでしょう? 人の良いエイク様に、あの軽薄なお父様が絡むことを考えると……はぁ……不安でしかないわ……お父様の粗相でエイク様が嫌な思いをしたり、せっかくの縁談が流れてしまったりしたら、と思うと……。それに、」
うつむきながら、レジーナはさらに続けて心配事を口に出す。
「メイトス家にとっては良い話でも、ヘイル家にとっては、さして利益の無い縁を結ぶことになりそうじゃない? メイトス家の現状を知ったら、エイク様の気が変わってしまうかもしれないわ……」
「そんなことで気が変わるようなクソ野郎なんですか? あの男。とんだ甲斐性なしですね」
「……そんなことじゃないわよ。結婚は家と家との繋がりなのだから、家の事情は考慮されて当然。エイク様を悪く言わないでちょうだい」
「ははっ、良い家にお生まれになったお貴族様方は大変ですねぇ。しょうもない悩み事が多いようで」
ツンとしたレジーナの声に、皮肉を返すルカ。
二人で雪の上にしゃがみ込んだまま、睨み合う。
大粒の雪が舞う中での、しばしの無音。
その冷たく静かな空気に、再び言葉が放たれる。
「――そういうわけで、報告は終わりです。とりあえず、行けるところまでは行ったから、合格でしょう? 春になったら一度実家へ戻って、お父様にお話して……あとは、家同士の話し合いになるから、わたくしは愛の神の祝福を祈りつつ、結果を待つだけだわ。以上」
締めまで喋り切った後、レジーナはおもむろに立ち上がった。
合わせてルカも立ち上がり、一連の報告への感想を述べる。
「話を家へ持ち帰る前に、その場で返事だけでもしてしまえば良いものを。例え口約束でも、『もう愛の約束を交わした仲』って関係であったほうが、縁談は流れにくくなるのでは? 破談になりそうな時の脅しに使えるでしょう? 『あの時愛を誓い合ったのに、裏切るつもり?』って」
「そんなはしたない脅し材料のために、軽々しく求婚の返事なんてできないわよ。物事には手順というものがあるのだから、まずは家の当主へ話を通さないと」
ルカの俗っぽい提案を、レジーナはピシャリとはねつけた。
ジトリとした目でルカは言う。
「本当に生真面目ですねぇ……その可愛げのない面倒臭い性格、いい加減やめたらどうです? そんなだから、なかなか結婚できないんですよ」
「余計なお世話よ。トーマス様とアドリアンヌじゃあるまいし、ノリと勢いで結婚なんてできますか。わたくしの性格をとやかく言う前に、あなたこそ、そのひねくれた性格を何とかしたらどうなの? ――今日のパーティーだって、せっかくエイク様が誘ってくださったというのに、あなた返事も返さないなんて……」
叩かれた憎まれ口に、同じような憎まれ口を投げ返す。
と、同時に、ついでに今日の小言も添えてやった。
ルカは心底嫌そうな顔をして、腹立たしげに悪態をつく。
「あの男、本っ当にしつこいんですよ! 毎度毎度犬みたいに笑いながら走ってきて、鬱陶しいったら……次追いかけまわしてきたら、ぶっ殺してやる」
「こら! 殺すなんて物騒なこと、言うものじゃありません!」
「この前武器振りまわして俺を殺そうとしてきた人に、言われたくありません」
「あれは……事故よ…………」
うっかりハルバードでルカを叩っ切りそうになった時のことを思い出し、レジーナは口ごもる。
ごめんなさい……、とモゴモゴしつつ、改めて謝っておいた。
謝り終えるや、気まずさから逃れるために、レジーナはパッと話題をすり替えた。
「――そうだ、話変わるけれど! わたくしの物語、あと半月後くらいに都へ旅立つそうよ」
「ほう、それは笑えますね。都に行ったこともない田舎者のお嬢様を置いて、物語のほうが都入りを果たすとは」
「お黙りなさい。わたくしだっていつか一度くらいは都に……まぁ、それは置いておいて。次にクォルタールから出る商隊に乗せるのですって。もし上手く都で流行れば、結構まとまったお金が入ってくるそうなの。エイク様曰く『家が建つ』くらいなのだとか」
「ド素人のお嬢様の物語が、そんな金になるわけないでしょ。ガキの小遣い程度の間違いでは?」
サラッとけなされた。
レジーナはムッと頬を膨らませる。
――が、そんなレジーナを無視して、ルカはふいに、珍しく楽しげな顔を浮かべた。
「物語はどうでもいいですが、都行きはいいですね。商隊ですか……俺も乗せてもらえないかな」
「え!? あなたもしかして観光にでも行く気?」
「文句あります? レジーナお嬢様だって家出という名の観光を散々、散っ々! 楽しんだでしょう? あなたばっかりずるいんですよ。俺だって遊びたい」
「う……」
確かに、レジーナはクォルタールの街も、雪景色も、旅の道中さえも、結構観光気分で楽しんでいたのだった。
対するルカは従者という立場上、気楽に自由を楽しめる時間はほとんどなかったように思う。
押し黙ったレジーナに、ルカは意気揚々と語りだす。
「花の都、一度行ってみたかったんですよねぇ。都には美味い料理に美味い酒、良い女がたくさんいるんでしょう? この機会に、思い切り堪能して来ようかと。もうお嬢様の護衛の心配もいらなそうですし」
「…………」
意地悪く笑ってみせるルカ。
レジーナはその顔を、キッと見上げる。
そしてポソリと、小声をこぼした。
「…………お土産、よろしくね。都の一番美味しいお菓子。日持ちするものを」
「土産を自分から乞うな、ふてぶてしい」
「だって、羨ましいんだもの……! わたくしだって都を堪能してみたいのに!」
「ははっ、そうですか。では主人であるお嬢様の無念を晴らせるよう、従者の俺が代わりに、思い切り楽しまないといけないですね。あなたはここで雪にまみれながら、指をくわえていてください」
ルカはむくれるレジーナを小馬鹿にした笑顔で見下ろし、吐き捨てた。
結局この夜、土産を買ってくる約束は取り付けることができないまま、話は流れてお開きになってしまった。
まぁ、ルカの商隊への参加が本当に決まったなら、土産はまたその時にでも、ねだればいいか。
なんて、そんなことを思っていたけれど。
雪壁の狭間、悪魔との夜のお喋りは、この日が最後となったのだった。
もう悪魔が雪玉をぶつけてレジーナを呼び出すことは、なくなった。
この夜以降、もう二度と――……