42 水晶と銀細工のプロポーズ
結局パーティーの終わりごろまで、レジーナはエイクとともに広間端のソファーで時を過ごしたのだった。
途中、立食に疲れたアルフォンや神父が休憩がてら話しに来たり、領主とお近づきになりたい商人が娘を伴って挨拶に来たり、なんやかんやと人の絶えない、実に賑やかな時間であった。
娘たちの対応をした後のエイクは見るからに気疲れした顔をしていて、それがなんだか新鮮で少し笑ってしまった。
笑わないでください、とむくれた顔も、不機嫌な大型犬のようで愛嬌がある。
それをそのまま伝えたらキョトンとした顔をされてしまったけれど。
その時側にいた執事のアーバンは笑いを堪えていて、それがまた面白かった。
そういう心安い、楽しい時間を過ごした後。
パーティーはお開きとなり、来賓は別れの挨拶を交わしながらヘイル家の屋敷を後にしていった。
レジーナは最後まで残り、エイクとともにロビーで人々を見送った。
パーティー後に少し時間が欲しいとエイクに頼まれたので、神父とは別の帰りとなる。
きっとパーティー内ではしづらい商談絡みの話でもあるのだろう、と、のんびりとした気持ちでその時を待っていたのだけれど……
帰路につく最後の客を見送って、エイクに案内された先。
そこはいつも打ち合わせに使っていた応接室ではなく、バルコニーで燃える夕日を眺めた時の、窓の大きな上階の広間だった。
暖炉には火が入っていて暖かい。
小ぶりなシャンデリアにも明かりが灯っていて、ほの明るい室内はなんだか気持ちが落ち着くような、優しい空気が満ちていた。
美しい柄のフワフワした絨毯の上を歩き、レジーナは窓際へと歩み寄る。
あの夕焼けの絶景を見せてもらった時と同じように、また何か美しい風景を紹介してもらえるのかと思っていた。――の、だけれど。
広間の大きな窓からは、今は夜の闇を舞う、大粒の雪しか見えなかった。
レジーナを呼び止めた理由が、商談の話でも景色のことでもないならば――……
落ち着かないような、緊張するような、いぶかしがっているような――そんな複雑な表情を顔に浮かべ、レジーナは傍らのエイクを仰ぎ見た。
エイクはいつもより一層、穏やかな笑顔をたたえながら、レジーナへと語りかける。
「お疲れのところに、お時間を取っていただきありがとうございます。一つ、あなたに贈りたいものがありまして」
「贈り物、ですか?」
思わぬ言葉にレジーナはポカンとする。
つい一ヶ月ほど前にも、金糸の刺繍が入った上等なハンカチをもらったばかりである。
また何か頂き物をすることになるとは。なんだか気が引けてしまうような。
心の内で慌てるレジーナをよそに、エイクは上着の内側から、手のひらの大きさほどの黒い小箱を取り出した。
箱を開けながらレジーナへと差し出す。
贈り物らしきその箱を、レジーナは両手でうやうやしく受け取った。
そして中を覗き込みながら、思わず、わぁ……! と感動の声をこぼした。
「これは……! なんて綺麗なお花なのかしら! もしかして、水晶細工ですか?」
箱の中には、透明に輝く水晶の花弁を持った、一輪の花が収められていた。
細かいカットをほどこされた水晶は、部屋のほのかな明かりをキラキラと反射している。
花芯は銀細工で表現されていて、繊細な結晶のよう。
目を輝かせて見入るレジーナに、エイクはホッとしたような声音で説明を加える。
「この水晶細工はクォルタールの工芸品です。気に入っていただけたなら、是非お納めください」
「とても美しく、素晴らしいお品ですね。……ですが、こんなに高価なものを頂くわけには――」
「レジーナ・メイトス様」
突然、改まった敬称で名を呼ばれ、レジーナはハッとする。
エイクはレジーナの手を取ると片膝をついた。
先ほどまでの笑顔をしまい、真剣な面持ちでレジーナを見る。
そして耳に心地良い静かな声で、言葉を紡ぎ出した。
「レジーナ・メイトス様。あなたがこの地へと、まるで雪のように舞い降りてくださったあの日……あなたと初めて顔を合わせ、言葉を交わしたあの時から、私はあなたに魅了されておりました。……いえ、正しく申し上げるならば、手紙のやり取りをしていた時から、あなたのことを密かにお慕いしておりました」
レジーナはわずかに驚いた顔をしながらも、身じろぐことなく言葉を受け止める。
「ともに時間を過ごすほどに、あなたへの気持ちは増すばかりで……。この先の長い人生を、あなたとともに……あなたと愛を交わし合いながら、過ごしていけたらと……そう、神に願うほど、レジーナ様のことを深く愛しております」
取った手にそっと力を込めながら、エイクはレジーナをまっすぐに見つめた。
熱を宿した紫の瞳が、レジーナだけを映して揺れる。
パチパチと、暖炉の火がはぜる音のみが鳴る部屋の中。
夜の空を踊る雪たちに見守られながら、レジーナは、続くエイクの言葉を受け止めた。
「私、エイク・ヘイルは、レジーナ・メイトス様との愛の契約を望みます。生涯、愛を交わし合う、婚姻の契約を」
静謐な空気の中に、その言葉だけが響き渡った。
音もなく、二人はただ静かに見つめ合う。
時が止まったかのような、不思議な心地がした。
深く息をして気持ちを整える。
少しの静寂の後、レジーナは答えた。
「エイク様のお気持ち、確かに、お受け取りさせていただきました。身に余る愛のお言葉、とても嬉しく思います。婚姻のお申し出も……心より、御礼申し上げます」
淑やかに、うやうやしく、レジーナは礼とともに言葉を返した。
形式的な、かしこまった文言を述べた後。
レジーナはふっと表情をやわらげて、エイクへと微笑みかけた。
「……ありがとうございます。本当に、とても嬉しいです。まさか文通をしていた時から、気にかけていただいていたとは知らずに、少し驚いてしまいましたが」
「ははっ、本当は黙っておこうと思っていたのだけれど、つい口がまわってしまいました。……レジーナ嬢、」
やわらいだ空気とともに、エイクはいつもの優しげな笑顔で立ち上がった。
「私の気持ちに耳を傾けていただき、感謝いたします。……改めて申し上げます。私は、あなたのことを心から愛しています。この雪の城で手を取り合い、寄り添いながら、ともに未来を歩む伴侶として……私は、あなたのことを求めております」
甘い眼差しを落としながら、穏やかな声音で愛の言葉を紡いでいく。
レジーナの頬に手を添え、エイクは続ける。
「お返事はもちろん、今すぐにとは言いません。婚姻の契約は家同士の契約でもありますから、まずはご実家とご相談ください」
「はい。……冬が明けて、家に帰った後。――春のうちにお返事をいたします」
「お待ちしております。いつも冬明けは待ち遠しいものですが、今年は特に、春の訪れを楽しみに過ごすことになりそうです」
レジーナとエイクは顔を見合わせ、フワリと笑い合った。
会話に区切りがついたことで、体に入っていた力が抜ける。
愛の告白など初めて受けたので、結構緊張していたらしい。
レジーナは気付かれないようコッソリと息をつき、改めて、贈られた水晶細工へと目を向けた。
「こちらは……本当に、頂いてしまってもよろしいのでしょうか?」
「えぇ、もちろんです。置物としても使えますが、首飾りや髪飾り、ブローチに加工することもできます」
エイクの説明を聞きながら、箱を傾けたりして、色々な角度から鑑賞する。
光のあたり方によって輝きの散り方が変わり、いつまででも眺めていられる美しさだ。
嬉しそうなレジーナの様子にエイクも調子づいたのか、弾んだ声で言葉を続ける。
「ふっふっふ、クォルタールの工芸品はなかなかに見事でしょう? 銀細工を足して、さらに華々しく豪奢な意匠にすることもできるので――……あぁ、でも、レジーナ嬢は派手なものより、繊細な意匠を好まれるのでしたね」
「え? はい、そう、ですね。どちらかというと」
はて? エイクに自分の嗜好の話をしたことがあっただろうか。
と、レジーナはキョトンとする。
何かの雑談の時にでも、そういう話をこぼしたのだったか?
エイクはペラペラと話を続ける。
「今更ですが、謝らなければいけませんね。私はレジーナ嬢のご趣味をまるでわかっておらず、この前は金糸刺繍のハンカチなどをお贈りしてしまって……」
「はぁ、ええと……? 素晴らしいお品を頂いて、とても嬉しく思っておりますが」
「いえ、謝らせてください。あなたは金色より銀色のほうが好みなのだと、怒られてしまったので――…………あっ」
突然言葉を止め、エイクはサッと手で口を覆う。
口止めされているんだった……、というモゴモゴとした呻き声は、レジーナには上手く聞き取れなかった。
急におかしな態度を取り始めたエイクを、レジーナは不思議そうな顔で眺める。
エイクはしどろもどろに話を逸らした。
「ええっと、その……レジーナ嬢の身に着けていらっしゃるドレスや装飾品が、銀色なので……銀色がお好きなのかと、最近、気がつきまして……っ!」
「あぁ、そういうことでしたのね。わたくしは銀色の方が、自分の髪や目の色にも合う気がするので、好んで身に着けています。もちろん、金色も華やかで好きなのですが」
レジーナの返事に、エイクはホッと息をついた。
眉を下げて照れたような顔で笑う。
「……すみません、恥ずかしながら、どうにも気持ちが浮ついているようで……さっきから、つい余計な口ばかりまわってしまいます」
「お気になさらずに。実はわたくしも地元では、余計な口のまわりには評判を得ていますので、一緒ですね」
照れるエイクを庇うように、レジーナは笑いかけた。
良くまわる口に評判を得ている、というのは本当のことである。
ただし、悪評だけれど。トーマスや家族には思い切り嫌われているので。
冗談めかしたレジーナの言葉を聞き、エイクは力の抜けたふにゃりとした笑みを浮かべた。
笑いを含んだ声で返事を返す。
「一緒、ですか。ふふっ、心地の良い言葉です。私は、私とレジーナ嬢が二人似合いであれたら、と思います」
言いながら、エイクは両腕を広げた。
そしてその内側に、ふわりと優しくレジーナを閉じ込めた。
そっと抱き寄せながら、エイクは甘い声音で祈りを告げる。
「冬が去り、暖かな春の訪れとともに、この縁が成就することを祈っています。――愛の神よ、どうか私たちに祝福を」
エイクの腕の中はあたたかで、甘く爽やかなライムの香りがした。