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39 商戦略とお金の話

 レジーナがエイクと演劇鑑賞をした日――物語を都へと売り出す計画が動き出した日から、一ヶ月ほどが経った頃。

 戯曲作家アルフォンの手も借りて、改稿と編集を繰り返し、ようやく小説と戯曲が完成した。


 本日の打ち合わせにて、一区切り。

 レジーナは一つの大仕事をやりとげたことになる。


 ヘイル家のいつもの応接室にて、レジーナとエイク、そしてアルフォンの三人は、久しぶりにまったりとした時間を過ごしていた。


 いつも紙の山が広がっていたテーブルにも、今日は冊子の状態にまとめられた物語と、わずかな書類しか乗っていない。


 エイクは冊子を手に取り、パラパラとめくった。

 

「写本師が少なくてあまり多くは作れなかったけれど、何冊か都に送ってしまえば印刷屋に頼めます。そうすれば市場へ大量に出ることになるかと」

「なんだか緊張してしまいますね。時期はいつ頃なのでしょう? 冬明けの春から夏頃なのでしょうか?」

「いいえ、半月後に送ります。なるべく冬の間が良いので」

「半月後ですか……!?」


 てっきり雪が解けて道が開く、春頃からを想像していた。

 半月後というと、もうあっという間である。


 レジーナは目を丸くしながら、エイクの説明を聞く。


「どこの土地でもそうですが、冬は天候の良い春夏に比べて物流が鈍ります。都も例外ではなく、冬の間は飢えるのです。それに加えて冬は外の寒さと暗さから、人々は屋内で過ごすことを好みます。その飢えた人々の中に、屋内で楽しめる極上の娯楽を投入する、と」

「なるほど……商売ですねぇ」


 エイクの説明にレジーナは感心する。

 一番需要が増している冬の時期に、供給をするという。

 さすが手堅いヘイル家である。商売が上手い。


 ふむふむ、と頷きながらも、質問する。


「冬に都へ行けるものなのですか? あの分厚い雪をかぶった山々を越えて」

「えぇ、冬の間も商隊は行き来しているのです。といっても、ごく限られた商人と商品で、わずかな回数の行き来ですが」

「あの雪山を行き来……さぞ大変なことでしょう……」


 レジーナは冬の入りに山越えをしてクォルタールへ来たが、それでも山の雪はものすごかった。

 今は冬の真ん真ん中。

 あれ以上に、山越えは厳しいものとなることだろう。 


「そこは、山越えの経験豊富な精鋭たちで組まれた商隊ですから。ご安心を。オオツノジカも、体が丈夫で体力のある雄だけを使います」

「へぇ、鹿も精鋭なのですね」


 分厚い雪を蹴散らして難なく進んでいく、力強いオオツノジカ。

 その鹿たちの中でも特に強い鹿を選ぶらしい。

 それならば、厳しい雪山も越えられそうな気がする。


 納得した様子のレジーナに、エイクはニコリと微笑む。

 と、同時にサラリと告げた。


「――というわけで。まず今作を半月後の商隊に乗せて、冬の間に都で流行らせる。その間にレジーナ嬢には次作を書いてもらって、冬明けの春に街が賑わいだしたところで、新作を投入する。という流れを考えているのですが」

「はぁ、新作を…………新作!?」


 なんだかサラッと新しい話が出てきている。

 レジーナが目をパリクリさせていると、アルフォンとエイクがにこやかに話を進めた。 


「重く小難しい長編小説はもう都にあふれていますから、ここは新しさを狙って、レジーナ様の次作は今作同様、気楽に読める中編から短編の物語がよろしいかと」

「また戯曲への展開を意識してもらえるとありがたいです。内容は娯楽に特化した軽妙で楽しい愛憎劇、もしくは恋物語、という感じで」

「レジーナ様の作品は、女性の登場人物の心理描写が卓越しているので、愛憎劇は映えるでしょうなぁ」


 はっはっは、と、二人はなごやかに笑い合う。

 進んでいく話にレジーナはオロオロした。


「わたくしに新作を、ですか? ……ちゃんと求められているものを、書けるかしら……」


 今回の物語はレジーナの日記をベースにしたものだ。

 しかし次作となると、新しいものを一から生み出さなければならない。

 はたして自分に、その地力があるのだろうかと心配だ。


 考え込むレジーナを見て、エイクはやわらかな声をかけた。


「そう肩に力を入れず、どうぞ自由な気持ちでお書きになってください。変に気取っていない親しみやすさが、あなたの物語の魅力ですから」

「そうでしょうか……」


 ソファーの隣に座るエイクが、そっとレジーナの背に手を添えた。

 エイクの優しく大きな手のひらからは、不思議な安心感と勇気をもらえる。


 押された背中に応えるように、レジーナは胸の内で前向きな気持ちを奮い立たせる。

 想像力と筆力が鍛えられた今ならば、短編程度の長さであれば、書けそうな気がしないでもない。ような気がしてきた。


 ベースとなる日記がなくても、自分の心の中にはまだまだ夢と理想とロマンチックがあふれているのだ。

 物語の登場人物たちに、その夢物語を叶えてもらうような感覚で書けば、筆も進みそうである。


 よし、と気合いを入れ直し、レジーナは顔を上げた。

 エイクとアルフォンへ笑顔を返す。


「――少し心配な気持ちはありますが、短いお話でしたら、何か書けそうな気がします。いつ頃までに仕上げればよろしいのでしょう?」

「商隊の都合にもよりますが、二ヶ月半から三ヶ月後を目安にしていただければ、と。ちょうどそのあたりが、平野の冬明けにもなりますし」

「ふふっ、執筆に夢中になっているうちに、あっという間に春が来そうです」


 ――なんて。淑やかに笑ってみせたけれど。


 春が来ると同時に、レジーナには現実が襲い掛かってくるのである。

 現状、笑っている場合ではないのだが……


 ここにルカがいたら思い切り突っ込まれ、悪態を投げつけられたことだろう。

 『優雅に笑ってんじゃねぇよ』と。


 遠い目で、ほほほ、と乾いた笑いをもらしつつ、レジーナは現実から目を逸らすことにした。


 そうしているうちに会話は次の話題へと移っていく。

 商戦略の話の次はお金の話だ。


 エイクはレジーナへ説明する。


「都の人々の手に渡るまでに、印刷屋や商人や店など、色々と人の手を通ることになるので、手元に入る額は想像より少なくなると思います。先にご了承ください」

「えぇ、承知しております。エイク様とアルフォン様にもたくさんお世話になりましたし、わたくしの元には小遣い程度でも――」

「都で上手く流行れば、家が建つ程度の額にはなるかと」

「ひえ……」


 思わず変な声が出た。

 もしかして、とんでもない世界に手を出してしまったのでは? なんて思いがよぎる。

 まったく想像がつかないけれど、商品が都で流行る、というのは、なんだかすごいことらしい。


 まぁ、そう上手くいくわけではない、ということは重々承知はしているけども。


 大貴族家当主であるエイクは、日頃から大きな金を動かしているのだろう。

 ケロッとした顔で話を続ける。


「上がってきた利益は、後でメイトス家へお送りしましょう」

「…………お待ちください……」


 エイクの提案にレジーナは待ったをかける。

 頭の中を実家事情が、高速で駆けめぐった。


(軽薄なお父様の元に大金が渡るのは、とてもまずいわ……あっという間にぜいたく品に使い込まれてしまいそう……)


 レジーナは頭を抱える。


 真っ当に領主を務めているエイクには想像もつかないだろうが、世の中には人の上に立つ器を持たない領主が、ごまんといるのだ。

 レジーナの父もそのうちの一人である。

 ヘイル家から大金を送られる、なんて事象が起きれば、何が起こるかわからない。


(それに、小娘が家出中に金儲けをしていたなんて知れたら……世間体が……。というか今、メイトス家はどうなっているのかしら……異母妹(いもうと)はもう、婚姻の儀を無事に終えた頃……?)


 家出を決行してから、旅や雪景色や真新しい環境に夢中になるあまり、実家の現況へ思いをめぐらせることが、ほとんどなかった。

 そのタイミングでエイクの口から『メイトス家』という単語が出てきたものだから、反動のようにあれこれ考えだしてしまう。


 余計な回転を始めた頭をもてあましながら、レジーナは渋い顔で答えた。


「……ええと、その、お金はしばらく、エイク様の懐に預けさせていただく……ということは、できませんか……? まずメイトス家当主――父に、わたくしの口から話を通したく思い……」

「あぁ、そういえば、レジーナ嬢は修道院にて修練中の身なのでしたね。失念しておりました。ご当主に商売事の話をしづらい、ということであれば、私が口を添えますが」

「いいえ! お気遣いなく! 父にはわたくしの口から説明いたしますので……!」


 エイクは『仮にも修練中のシスターの身で金儲けに関わった』というレジーナの体裁の悪さを気遣ってくれたようだ。

 が、申し訳ないけれど、その心配りを受け取るわけにはいかない。

 実家とレジーナの騒動に事情を知らない第三者が入ってしまうと、余計にこじれる気がするので。


 勢いで押し切り、エイクの申し出を断る。

 エイクは気にしていない様子でにこやかだったが、レジーナはこのやり取りだけで、背中にドッと冷や汗をかいてしまった。



 そうこうしているうちに、お金の話も一段落つく。

 

 新しくつがれた紅茶を飲み終えると、エイクが本日最後の話題を口にした。


「物語の完成を祝って、軽いパーティーでも開こうかと考えているのだけれど……レジーナ嬢のご都合はいかがでしょう」

「まぁ、素敵ですね。参加させていただいてもよろしいのであれば、わたくしも是非に。いつ頃になりますか?」

「主役としてご参加いただきたいので、あなたのご予定に合わせたく」

「わたくしはいつでもかまいませんよ。修道院の許可さえ得られれば、ですが」

「ふっふっふ、そこはご安心ください。――では、日取りは追ってご連絡します」


 主役、という単語にレジーナは心浮き立った。


 地元ではごくたまに催される、街での富裕層の夜会に顔を出したりしていたが、華やかなパーティーの中心になるのは、いつもアドリアンヌだった。

 けれど今回のパーティーは、レジーナを主役に据えてくれるらしい。

 少しばかりソワソワしてしまうのも仕方ない。


「ふふっ、お待ちしております。今からとても楽しみです」

「ごく小さな内輪の会を予定しているので、ご期待に添えるかどうか。……――私のほうこそ、心から楽しみにしています」


 心浮き立ち笑みをこぼすレジーナを見つめて、エイクも微笑む。


 その紫の瞳がいつになく真剣な色を帯びていることに、この日の浮かれたレジーナが、気が付くことはなかった。

 

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