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38 もしも話とルカのハルバード

「――――でね、素晴らしく綺麗な景色だったのよ! 夕日が雪山を真っ赤に染め上げていて、燃えるように輝いていて――」


 夜の修道院の庭端。

 もうすっかり定位置となってしまった雪壁の狭間で、レジーナはウキウキとルカへ語る。


「たかが夕焼けでしょ。くだらない」

「……あなたって本当に、空気を読む能力が死んでいるわね。人が楽しく喋っているのだから、少しくらい調子を合わせなさいよ……もう」


 定例の進捗報告会にて。

 レジーナは絶景を極めていた夕日の雪景色を、ルカへと熱く語っていたのだった。

 残念ながら、これっぽっちも伝わらなかったが。


 呆れた顔で盛大なため息をつきながら、ルカはレジーナを睨む。


「で、他に報告は? もう家出から四ヶ月目に突入しますが?」

「待って待って、そう怒らないでちょうだい。今日は良い報告があるから!」

「グダグダと無駄なことばかり喋ってないで、それを先に話してくださいよ。で、何か大きな進展でも?」


 苛立たしさをあらわにしながら、ルカはレジーナに問う。

 レジーナはヘイル家のバルコニーで夕日を見た時の一幕を、得意げに語った。 


「エイク様が愛の祝福を願うお相手……勘違いでなければ、わたくしかもしれないわ……!」

「ほう?」

「彼がね、こう、わたくしの頬に手を添えて。目をまっすぐに見つめて――。という出来事があったの」

「は? いやなんだそれ」


 身振り手振りで説明するレジーナに、ルカは険しい顔で突っ込みを入れた。


「求婚されたとかじゃないんですか? 目を見つめ合っただけって……なんだこの、まどろっこしい馬鹿どもは。イライラする……」

「なんとでもおっしゃい。あの瞬間のわたくしたちの間に流れたロマンチックな空気感は、あなたなんぞには理解できませんとも」


 心底呆れたような、ジトリとした目を向けてくるルカ。

 それを無視してレジーナは続ける。


「勘違いでなければ、わたくしはエイク様に、特別な気持ちで好いてもらえているのかもしれないわ。勘違いでなければ」

「勘違いだったらどうするんです」

「……わたくしの空気を読む能力が、死んでいることになりますね」


 あの甘く優しく、ほのかに熱を帯びた空気を読み間違えるなんてこと、ないと願いたいけれど。

 万が一、勝手に勘違いして浮かれているだけならば、レジーナもルカを笑えない。


 乾いた声をこぼした後、レジーナは眉を下げる。

 やれやれ、と、困った顔で笑いつつ話をまとめた。


「――なんにせよ、この数ヶ月で結構順調に仲を深めていけてる実感があるし、今回のバルコニーでの出来事は、特に手ごたえを感じたわ。……と、同時に、考えてしまうことがあるのだけれど」

「何です?」

「……どうして、最初からこういう人と婚約できなかったのかしら……って」


 力なく、自嘲の笑みをこぼす。

 ここ最近、何度も頭によぎっていた思いを、ついつい愚痴ってしまった。


「最初からエイク様のような殿方と婚約を結べていたなら、何一つ滞りなく、なめらかに人生を進められていたというのに……。きっと婚姻の儀もサクッと終わって、今頃は執務を支えながら、家の跡継ぎのことを考えていただろうなぁ……なんて」


 考えても仕方ないとは思いつつ、つい頭に浮かんできてしまう。

 こういう『もしも話』に思いを馳せるようになったのは、物語を執筆し始めた影響もあるのかもしれない。

 すっかり、もしも、の別世界軸を考えるようになってしまった。


 ルカは鼻で笑う。


「またしょうもないことを考えて……あの領主みたいな人間なんて、そういないでしょう。お嬢様のような、口がまわって出しゃばりで異様に行動力のある珍妙な令嬢を、嫌わずに上手く扱える貴重な貴族男ですよ。こんな奴、地元にいないでしょ」


 ピシャリと言い切られた。

 ムッとして、レジーナは言い返す。


「例え話よ! もしも地元にそういう人がいて、そういう人と婚約できていたならば、っていう。わたくしの結婚がさっさと済んでいれば、あなただって――……」


 言おうとしたことを、レジーナは咄嗟に飲み込んだ。

 

『――あなただって、さっさとわたくしから解放されて、自由を楽しめたでしょうに』


 と、続けるつもりだったのだけれど。

 口をつぐみ、目を逸らす。

 

 これは十五歳の誕生日の夜、ルカと祖父が二人で密かに交わしていた会話を、一部盗み聞いて知った内容だ。

『レジーナが婚姻の儀を迎えたら護衛を辞め、レジーナと一切の縁を切りたい』と。


 わざわざレジーナのいない場所で密やかに交わされていた話を、当人相手に大っぴらに話すことは、さすがにはばかられる。

 不躾な盗み聞きがバレれば、きっとゴミを見るような目で(さげす)まされてしまうに違いない。

 

 それに何より、盗んだ話を持ち出すのは、この悪魔との口争いの勝負においてフェアじゃない。と、思う。なんとなく。

 勝負とは、正々堂々と戦ってこそである。

 

 急に黙り込んだレジーナに、ルカはいぶかしげな顔を向ける。


「お嬢様の結婚が済んでいれば――俺が、何です?」

「……ええと……わたくしの聖なる婚姻の儀に感化されて、その悪魔の巣くう心が、浄化されていたかもしれないのに」

「打算しかない薄汚れた貴族の結婚に、そんな神聖な力ないでしょう」

 

 アホですか? と、馬鹿にされた。


 苦しい修正だったが、なんとか会話を繋ぐことができたようだ。

 レジーナは心の内でホッと息をついた。


 けれど、ルカは結局、ゴミを見るような目を向けてくるのだった。


「もしも話なんて不毛なこと、考えるだけ無駄です。現実を見てください、現実を。お嬢様は地元でしょうもない男にフラれて、この辺境の地へ逃げ出してきた。それで今、ジジイに抱かれる未来を何とかしようと惨めに足掻いている。これが現実です。もしもとか、ありませんから」


 レジーナのもしも話を、ルカは容赦なく打ち砕いた。

 むくれつつ言葉を返す。


「また意地悪言うんだから……。あなたもちょっとくらい『もしもこうだったら~』って考えること、あるでしょう?」

「ありませんよ、馬鹿馬鹿しい」


 強い声音できっぱりと吐き捨てられた。

 どうやらルカは、筋金入りの現実主義者のようだ。

 夢と理想とロマンチックな妄想で、物語を一作作り上げたレジーナとは相容れない相手である。


(まったく、頭の固いこと。……ルカがわたくしの作品を読んだら、どうなってしまうのかしら。苛立ちが振り切れて、殺しに来そうだわ……)


 怖……

 想像して、思わず身震いをした。


 今日もルカは、その腰ベルトにハルバードを下げている。

 槍と斧と鎌とこん棒を合体させて、足の長さほどの柄を付けたような、恐ろしい武器。

 この武器を振り回して追いかけられでもしたら、ひとたまりもない。


(ルカに物語を読まれたら、『なんですかこのクソみたいな妄想は! 現実を見ろ!』なんて怒られて、酷い目に遭いそう……)


 悪魔が激怒する様を想像して、恐ろしさに身をすくめる。

 震えていると、ルカがいぶかしげな顔を向けてきた。


「何です? 寒いんですか? 貧相な体してるから冷えるんですよ……食えよ、もっと。ブタを見習ったらどうです。――それじゃ、解散ということで」

「いえ、違うの。ちょっと考え事をしていただけで。……――あ、そうだ! ねぇルカ」


 ふいにレジーナは軽やかな声を上げた。

 思いついたようにルカのハルバードを指さす。


「このハルバード、少しだけ持ってみてもいいかしら?」

「あ? 何を言い出すんです」

「物語制作の参考までに、ちょっとだけ!」


 戯曲作家のアルフォンから、『ヒーローの持つ武器を、何か特徴的なものに』という話が出ていたことを思い出した。

 エイク発案のクリスタルソードは現実的ではないので、他の案を考えているところだったのだ。

 

 今ちょうど良いものが、ちょうど良く目の前にあるではないか。是非手に取って、よくよく観察しておきたい。

 という気持ちで、レジーナはハルバードを見つめた。


 迫るレジーナにルカは呆れた息をつく。

 嫌々ながら剣帯から外し、手渡してきた。


 ルカがゆっくりと手を離していくにつれ、レジーナの両手にズシリと重さがかかってくる。


「わぁ、結構重たいのね!」

「あなたどんくさいから気を付けてくださいよ。足の上とかに落とさないように――」

「ふふっ、今後は戦いのシーンなんかも書けそうだわ! ちょっと振るってみるから、どいててちょうだい」

「おいっ!」


 言うや否や、レジーナは両手でガシリと掴んだハルバードの柄を、肩の高さに振り上げた。

 

 ――が。

 柄の先にある厳めしい金属の刃部分が、思ったよりも重たくて、盛大にふらついた。


 ふらついた拍子に、意図せぬ方向へハルバードが振るわれる。

 刃がブンッと空を裂いた先には、ルカがいた。


「おわぁっ!?」


 ルカは声を上げ、身をよじってかわす。

 ハルバードの先はそのままザクリと雪壁に突き刺さった。

 

 二人でギョッとした顔を見合わせる。


「ごごごごめん……! ごめんなさいっ!!」

「こいつ……ッ! 殺す気か!!」

「ごめんなさいって! 事故よ、事故!」

「ごめんで済んだら警吏はいらねぇんだよ!!」


 乱暴に言葉を吐きつつ、ルカは雪壁に刺さったハルバードを引っこ抜いた。


 さすがにしゅんとした様子で、レジーナは謝る。


「……本当にごめんなさい……殺意はなかったの……」

「人殺しはみんなそう言うんですよ」

「…………大変……申し訳ございませんでした……」


 レジーナはしょんぼりと背を丸め、深く頭を下げる。

 もはやどちらが主従かわからない光景だが、調子に乗ってふざけてしまったレジーナが悪いので、仕方ない。


 ルカは舌打ちの後、大きく息をついた。


「武器ではしゃぐなんて、淑女もクソもない……。そんなにこれが気になるなら、差し上げましょうか? 何の参考にするのか知りませんが、欲しけりゃあげますよ。もう俺にも必要なさそうなので」


 どうします? とたずねてくるルカに、レジーナは目をパチクリさせる。


「必要なさそう、って……メイトス家への帰りの道中でも自衛の武器は必要でしょう」

「お嬢様、帰りも俺に頼る気ですか?」

「えぇ、あなた以外にいないもの」


 そう答えたレジーナに、ルカは複雑な顔をした。

 呆れたような、苛立ったような。


 寂しげに、笑ったような。


 ルカはそんな曖昧な表情のまま、レジーナへと言葉を返した。


「レジーナお嬢様。この冬が終わる頃には俺ではなく、あなたは()()()()()()()に、しっかりと守られて、家へと帰ってください」


 返事を受け取り、レジーナは苦笑する。


 春までにヘイル家と確かな縁を結び、護衛を頼んで帰れ。

 今のルカの言葉は、そういう意味だろう。


 さらに加えると。


 ――この冬で護衛を辞めたいので、さっさと結婚しろ。


 言外に、そう言っているのだと悟った。


 やれやれ、と、レジーナは返事をする。


「……あなたは本当に、意地悪なことばかり言うのだから。……わかったわ。ヘイル家に護衛を頼めるよう、頑張ります。けれど万が一、一人で帰ることになってしまったら困ってしまうから……このハルバードは、まだあなたが持っていて」


 ハルバードを押し返して、レジーナは眉を下げて笑った。


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