35 進捗報告と、愛と幸運のお守り
エイクとの街遊びを終えた夜。
神父と修道女長に帰院の報告と外出許可の礼を言い、その後わずかに残った自由時間には、好奇心にわくシスターたちにもみくちゃにされた。
そうして消灯時間の鐘が鳴り、そろそろベッドへ入ろうとした時。
三階の自室の窓に再び、雪玉がぶつけられた。
一応窓を開けて下を確認し、コートを着込んでコッソリと部屋を抜け出す。
暗く冷えた廊下と階段を抜け、一階端の扉を開いて外へと滑り出た。
修道院の庭の端。
前回と同じ雪壁の狭間で、例によって悪びれもせず待ち構えていたルカと対面する。
レジーナが来るや否や、ルカはいつもの意地の悪い笑みを浮かべて、今日の成果報告を求めて来た。
「こんばんは、レジーナお嬢様。――で、今日の街遊びはどうでしたか? 縁談の進捗は?」
「進捗って……もう……交遊を仕事みたいに言わないでよ」
「同じようなものでしょう。良い縁談を取り付けるのが、あなたの今の仕事でしょうが」
「そうだけど……。というか、あなたこそ仕事はどうしたのよ。わたくしの護衛の任をほっぽりだして、勝手に帰るだなんて」
「だって物語に関わるなと命じられていましたし。観劇もできないんじゃ、寒いし暇なだけなので」
帰って何が悪い? と、ルカはフンと鼻を鳴らした。
その様子に呆れた目を送りつつ、レジーナは話題を変える。
「――まぁでも、おかげさまで、楽しい一日を送ることが出来たのだけれど」
レジーナは顔を上げて表情をゆるめる。
今日一日の出来事を思い返し、ウキウキとした様子で語り始めた。
「まず雪祭りの雪像を見てまわったのだけれど、素敵な作品ばかりでとても楽しかったわ!」
「へぇ」
「あと祭りの由来のお話も聞いたの。雪像は雪崩を抑えるための、おまじないなんですって! もし雪崩に襲われてしまったら、鹿の手綱を腕に巻くと良いそうよ」
「ほう」
「広場をまわった後は劇場に移動して、演劇を鑑賞させてもらったのだけど。想像以上に素晴らしくて、感動してしまったわ……! まぁ、照れくささも、結構なものだったけれど」
「はぁ」
「……って、ちょっと! ちゃんと聞いてるの?」
あまりにも気のない返事にレジーナはムッとする。
ルカは腕を組み、心底面倒臭そうな声音で言葉を返した。
「お嬢様のクソどうでもいい観光感想じゃなくて、俺はあの男との関係の進展を聞いているのですが?」
「クソって……あなたはまた、そうやって下品な言葉ばかり……。……ふふっ、まぁいいわ。今日は少し、報告できそうなことがあるから」
レジーナは胸を張り、得意げな顔で言い切った。
ほう? と、ルカがわずかに興味をしめす。
着込んできたコートのポケットから、レジーナは帰りのソリでエイクから贈られた箱を取り出す。
パカリと開いて、中からハンカチを取り出した。
「見てちょうだい、今日エイク様からいただいたの。金糸の刺繍が綺麗なハンカチで――ほら、ここを見て! 桃色のマーガレットのモチーフが入っているわ。マーガレットよ、マーガレット!」
「はぁ、それが何か?」
「桃色のマーガレットの花言葉は『真実の愛』でしょう? これはもしかして、脈があるということでは?」
目を輝かせるレジーナとは対照的に、ルカは脱力し、盛大にため息をついた。
「そんなもので脈をはかって……刺繍の柄の意味なんて、わざわざ考える女々しい男いないでしょうよ。馬鹿らしい」
「そんなことないわ。だって相手はエイク様よ? 他人への心配りの水準が、あなたとは違って段違いに高いお方なのだから。この花にも、きっと何か意味が……」
レジーナはまじまじと、金と薄桃色で描き出されたマーガレットを見つめる。
これは『あなたを愛しています』という意味で渡されたものなのか。
はたまた単純に、『いかにも女性好みだから』という理由で、友好の証として無難に選ばれた品なのか。
まだいまいち、決め手に欠ける。けれど……
うーん、と悩みながら、レジーナは独り言のような声をもらす。
「……ここは脈ありに賭けたいところだけれど。口づけもされたことだし……」
「えっ!? 口づけ!?」
「でも口づけと言っても、された場所が場所だったから……意味合いがいまいち、つかめないというか――……」
「どこにされたんだよっ!? 大丈夫だったのか!?」
ルカは思い切り顔を歪め、勢いよくレジーナの肩をつかんだ。
突然のことに驚きながら、レジーナは慌てて言い添える。
「手よ、手。手の甲!」
「――んだよ、まぎらわしいっ!!」
「何がよ? 唇への神聖なる愛の口づけは、婚姻の儀までしてはいけない、と決まっていますから当然でしょう?」
道徳的規範は守るべきです。
と、レジーナは澄ました顔でピシャリと言い放った。
けれどすぐ後に、少し困った顔で笑う。
「……でも、唇にされていたほうが、いっそわかりやすくて良かったかもしれないわね。手の甲への口づけは、愛情表現が豊かな人だと、友人や家族にもするものでしょう? エイク様も大型犬のような――……感情豊かなお方だから、いまいち決め手としては弱いというか……」
はぁ、と、レジーナは息をこぼす。
ルカはよく聞き取れないような小声で、何やらブチブチと文句を吐き捨てていた。
「……手かよ……てっきり服の下とかかと……はぁ……もう…………」
レジーナの肩からルカの手がソロッと離れる。
その手を見て、ふと思いついたようにレジーナは悪戯めいた顔をした。
「手への口づけといえば、従者が主人への忠誠を誓う時にもするものよね。護衛の仕事を放棄して帰ったあなたも、今一度、わたくしへの忠誠を誓い直してみてはどうです? 主人の手への、口づけをもって」
ほら、どうぞ。
と、レジーナはルカへ手を差し出す。
ルカは間髪入れずにその手を払い、ついでにレジーナの頭をペシリと叩いた。
「痛ぁっ……!」
「あいにくですが、不出来な主人に捧げる忠義など、持ち合わせておりません」
「冗談だったのに……淑女の頭を叩くなんて……」
叩かれた頭をさすり、ルカを恨めしそうに睨む。
ジトリとした目を向けつつ、レジーナは会話の締めに、ため息まじりの言葉をこぼした。
「……――ええと、まぁ、というわけで。今日の報告は以上です……」
「お嬢様、もうメイトス家を出てから、三ヶ月も後半に入っているんですからね。真面目に事に取り組んでください。手ぶらで帰るおつもりですか? 呆けているとあっという間に春が来て、どこぞの色ボケジジイに抱かれてしまいますよ」
「生々しいこと言わないでちょうだいよ……気が滅入ってくるわ……」
もうそろそろ、冬も折り返すくらいの時期だ。
真面目に婚活に取り組まないと、手ぶらで帰路につくことになる。
(ルカの言う通り、手ぶらの帰宅はリスクがあるから避けたいところよね……。今こうして時間稼ぎをしているうちに、メイトス家にわたくしあての他の縁談が舞い込んでいれば良いのだけれど……。もし一つもなかった場合、時間稼ぎの意味がなくなってしまう……)
そうなればレジーナはただの、『突発観光旅行を楽しんできた令嬢』という、しょうもない肩書きだけを背負うことになってしまう。
家族の怒りを買う上に、結局仕舞いには、父の予定通りに身売り結婚を迎えることになるのだ。
家出前と、何も状況は変わらずに……
そのリスクを回避するのに有効なカードが、『ヘイル家との縁談』なのだ。
メイトス家に一つも縁談が来ていない場合の保険に、ヘイル家との縁談というカードを一枚、自分自身で手に入れた状態で帰宅したいところ。
考えをめぐらせながら、レジーナはうつむいていた顔を上げる。
「――エイク様には、また街遊びにお誘いいただけるみたいだし、戯曲のことで打ち合わせの機会もありそうだから……ここからが勝負所ね。頑張らなければ」
口に出すことで、自分を奮い立たせる。
一人気合いを入れ直したところで、ルカが自身のコートのポケットから、なにやら小箱を取り出した。
銀色の艶やかなビロードの小箱。
これは家出の前の墓参りで、レジーナがルカへとあげたムーンストーンの箱である。
キョトンとするレジーナに、ルカは小箱を押しつけ渡した。
落とさないよう、慌てて受け取る。
「えっ!? ちょっと! 何?」
「返します、それ」
「えぇ……? 何よ急に……あなたにあげたものなのに」
「それ、お嬢様の母君の形見なんでしょう? 他人の遺品押し付けられても、迷惑なんですよ。祟られそうで売るに売れないし。――それに、」
レジーナに口を開く隙もあたえず、ルカはペラペラと憎まれ口を投げ寄越す。
「男と遊ぶのに、装飾品の一つもつけずに来る令嬢がどこにいるんですか。あなた容姿が寒々しいんだから、宝石くらい身につけておかないと、そこらの賤民と見分けがつきませんよ。あまりにも洒落っ気がなくて、見るに堪えません。さらに言わせてもらうと――」
まだ続くのか。と、レジーナは気圧される。
日頃から悪口雑言が絶えない男ではあるけれど、今日はなんだか、いつも以上に口がまわっているような……
なかなか反撃の機会が来なくて、もどかしい。
ジリジリと後退するレジーナに、ルカは続ける。
「それ、『愛と幸運のお守り』なんでしょう? お嬢様はしょうもない不幸体質のようですから、こういう小道具にでも頼らないと、男一人、落とせやしないでしょうから。だから返します。次はもうちょっと、まともな令嬢らしく着飾って出掛けてください」
ようやく区切りのついたルカの悪口を聞き終え、レジーナはジトッとした目でルカと小箱を交互に見る。
押し付けられるように返ってきた小箱を開けつつ、文句を言い返そう――と、した瞬間。
風のように、ルカが逃げ出した。
一瞬で、すり抜けるように走り去ったルカの様子に、レジーナは驚きつつ身をすくめる。
もしかして、誰かに見つかったのだろうか。
と、恐る恐る周囲を見渡したが、特に人の気配はなかった。
(び、びっくりした~……なんなのよ急に……。というか、足速っ。雪の上をあんなに軽やかに走って……今度わたくしにも、コツを教えてくれないかしら)
なんてことを思いつつ、呆れたように息を吐く。
突然ポツンと一人取り残されて、手持ち無沙汰になってしまった。
やれやれ、と手元に目を向け、返された小箱のふたを改めてパカリと開ける。
中を確認すると、ルカが逃げ出した理由がなんとなくわかった気がした。
「やだ、なによこれ……とっても綺麗……!!」
小箱の中に収まっていたものは、まったく予想していなかった代物だった。
ルカに渡した時には、石だけの状態にばらしてあったはずの、三粒の白いムーンストーン。
それらが三粒すべて、美しいアクセサリーに仕立て直されていた。
氷雪の白い宝石は新しい石座に固定され、その周囲をレースのように繊細な、銀細工が飾り立てている。
一粒は首飾り、もう二粒は耳飾りに仕立てられていた。
糸のように細いチェーンをつまみ、華奢な意匠の首飾りを持ち上げる。
宙に揺らすと白い石と銀細工がきらめいて、まるで雪の結晶のようだ。
「もう、あの男は……お礼の言葉くらい、言わせてくれれば良かったのに」
逃げ出したのは照れか、嫌悪感か。
口争いの勝負の相手であるレジーナに、からかわれるネタを提供してしまった悔しさか。
「ルカはわたくしに褒められると、具合が悪くなると言っていたわね。ふふっ、次会った時には思い切り褒めちぎって、寝込ませてやりましょう」
白い息をこぼして、レジーナは静かに笑った。
雪壁の狭間で一人、押し付けられた銀と氷雪の宝石を見つめる。
レジーナは体が冷え切るまでたっぷりと、その意匠を味わうのであった。