34 帰りの馬車と贈り物
上演が終わり、外に出た頃にはもうすっかり夜になっていた。
昼間の強い雪は勢いを弱め、チラチラとした小花のような、可憐な姿へと変わっている。
執事のアーバンは用がありカーテンコールの途中で退席したため、レジーナとエイク、二人での帰りとなる。
二人は四人乗りのソリにゆったりと、向かい合わせで腰を下ろした。
御者が黒灰色のオオツノジカを操り、ソリがゆるりと動き出す。
それと同時に、エイクが楽し気な笑顔で口を開いた。
「本当に素晴らしい劇でしたね。物語の起伏が大きくて、目が釘付けになると言いますか。夢中になってしまうようなお話です。一つ一つのシーンにも情感があふれていて、役者の演技が良く映えていたように思います」
「ありがとうございます。編集と、役者の皆さんの力をお借りした結果です」
こうもまっすぐな感想をもらうと、未だに少し照れてしまうけれど、顔にのぼりそうになる熱を何とかやり過ごす。
エイクは機嫌の良いのんびりとした声音で、話を続ける。
「戯曲といえば、神話や伝承、歴史に基づいたものや、小難しい芸術的な内容を意識したものが多いのですが、レジーナ嬢の物語は気取ったところがなくて、変に構えずに楽な気持ちで楽しめますね」
「今まであまり戯曲に親しむ機会がなかったのですが、そうなのでしょうか」
「えぇ、特に都に出まわっている戯曲は、ものすごく気取った内容が多くて。肩が凝りますよ」
ははは、と、エイクは眉を下げて笑う。
都で娯楽に触れたことなど一度もないので、レジーナはポカンとする。
というか、都に自体、行ったことがないのであった。
なんだか恥ずかしいので、わざわざ口にはしないけれど。
「都ではこうした娯楽の消費者に貴族と富裕層が多いので、彼らの見栄のためにわざと、小難しい内容の物語を作っているのだとか」
「なるほど……『難しい内容を好む、教養高い貴人』というものを、演出しているわけですね」
「そうです。ですが彼ら貴族たちも本音を言うと、純粋に気楽で面白い作品を求めているようでして」
「ふふっ、誰しも本音と建前は、違うものですからね」
本当は、好みに合った可愛い小花を髪に飾りたいけれど、体裁のために、好んでいない高価な宝石の髪飾りを身に着ける。
感覚的には、こういうことだろう。
貴族社会は特に、見栄や体裁を重んじるので。
「それで相談なんですが、レジーナ嬢」
「はい、なんでしょう」
急に真面目な顔をしたエイクに、レジーナは目をパチクリさせた。
エイクは真顔になると、麗しい容姿と宝石のような紫の瞳が不思議な圧を放つ。
レジーナはなんとなく背筋を伸ばし、姿勢を整える。
そうして次に耳に届いた言葉に、大いに驚くこととなった。
「この物語を都に流してみたいのですが、いかがでしょう」
「へ!?」
思いもよらぬ提案に目を丸くした。
本職の戯曲作家でもない小娘の作品が、花の都に渡って良いものなのか。
「ええと、それは……どういう……」
「今日の観劇で、これはいける! と、思った次第です」
「そ、そんなノリで……!?」
「はい。――というのも、元々ヘイル家の戯曲作家の作品は、クォルタールで上演するのと同時に、都に卸す用に作っている商品でもあるのです。ですので、レジーナ嬢の物語もこの流れに乗せてみようかと」
さすが、領地運営が手堅いと噂されているヘイル家である。
民に娯楽を提供するのと同時に、しっかりとリターンを得る仕組みがあるようだ。
感心しながらも、迷いつつの返事を返す。
「せっかく戯曲に仕上げていただけたものですし、構わないと言えば、構わないのですが……はたして都で、通用するのでしょうか? 都の人々は目が肥えていますでしょう?」
「もちろん、うちの作家――アルフォン氏とも相談して決めますが、先に許可だけは得ておきたくて」
「そういうことでしたら。えぇ、構いませんよ」
本職の人の目を通るのならば安心だ。
都向きか否か、きっぱりと判断してほしいところ。
商品としていまいちで、ヘイル家に大きな損を出してしまう、というリスクは一応避けられそうだ。
真剣に考え、ふむ、と納得するレジーナをよそに、エイクはカラカラと笑う。
「まぁ九割方、サクッと通るでしょうけど」
「な……!? 領主権限で無理やり通すとか、そういうのは無しにしてくださいね! 絶対ですよ!」
「はははっ、わかっていますよ」
さすがにそのあたりはわきまえています。
と、エイクは言い添えた。
そこで、はたと、レジーナは思い至る。
「あの、戯曲を商品として流すということは、もしかして作者の名前なんかも一緒に流れて行ってしまうものですか?」
「もちろんそうなります。人気が出れば、次作も求められるようになりますし。――あぁ、失念しておりました。名が流れることに障りがあるのでしたら、筆名をお使いください」
にこやかなエイクとは裏腹に、レジーナの背には一瞬冷や汗が流れた。
(障りしかないわ……都に流れたものは、遅れて地方にも話が流れてきたりするから……万が一、地元に届いてしまったら、いたたまれない……)
なにせ、地元には物語の元となった人物たちがいるのである。
物語の内容が内容だけに、おかしな恨みを買いそうで恐ろしい。
「ええと、はい、筆名でお願いします……!」
「何か、決めている名前はありますか?」
「そうですね……では、音の響きを少しひねって……『リージア・メルト』で、どうでしょう」
「素敵だと思います」
綴りも伝えて、ひと心地つく。
これで万が一、地元に流れて来ようとも、レジーナに直結することはないだろう。と、思いたい。
その後しばらく、二人は演劇鑑賞に関する話で盛り上がり、市街地を出たあたりで一度話題が落ち着いた。
建物がまばらになっていき、徐々に街明かりが遠ざかる。
ソリの引手と、前後を歩く護衛のオオツノジカには、その巨大な角の端にランプが吊られている。
歩みに合わせてゆらゆら揺れるほのかな灯りが、周囲の雪に反射して、ぼうっとした不思議な明るさを生み出していた。
ぼんやりとした夢の中にいるような、幻想的な景色が広がっている。
会話がやむと、ソリが雪を踏んで滑る音だけが耳に届く。
心地良いほの明るさと静寂の中で、ふいにエイクは自身の鞄へ手を伸ばし、中から平たい箱を取り出した。
レジーナに差し出しながら、エイクは微笑む。
「修道院に着く前に、こちらを。最初にご挨拶をいただいた時に、恥ずかしながら何も贈り物の用意がなかったので……遅くなってしまいましたが、どうかお受け取りください」
「まぁ……! お気を遣わせてしまい申し訳ございません。――ここで開けてみてもよろしいですか?」
平たい箱を受け取り、慎重に開ける。
中から覗いた、透き通る薄さの包装の紙を開くと、白い布が姿を現した。
箱を膝に置き、布を手に取る。
贈られた品はシルクのハンカチだった。
なめらかな白地の布に、美しい金糸の刺繍が入っている。
布ふちを囲うように金糸が走り、四隅の一か所には、金と薄桃色の糸で花のモチーフが描かれていた。
この花はたぶんマーガレットだ。
桃色のマーガレットの花言葉は、『真実の愛』。
そこまで考えて、レジーナはパチリと瞬きをした。
まわりだす思考を一度止め、まずは礼を言うべきだ。
そう思い至り、慌てて顔を上げる。
「ありがとうございます。とても可愛らしいです」
「好みに合わなかったらすみません。適当にお使いください」
「いいえ、こんなに上等なもの……! 大切に使わせていただきます」
丁寧に畳み直し、箱へと納める。
カパリとふたを閉め終えた時、ちょうどソリの揺れが止まった。
修道院へ到着したようだ。
ハンカチの箱を丁重に鞄へとしまい、レジーナは毛皮のコートの衿元を整える。
エイクが先に降り、レジーナへと手を差し出した。
手を取ってソリを降り、歩き出す。
「玄関までお送りします。また滑ってしまわれたら、私の肝が冷えるので」
「う……今日のことは、お忘れください……」
「ふふっ、忘れませんよ。レジーナ嬢の支えになれたこと、誇りに思います」
「もう。意地悪はおやめくださいませ」
軽やかに会話を交わしながら、門前から玄関までの雪道を歩いた。
たどり着いた玄関先で、レジーナはにこやかに別れの挨拶をする。
「エイク様、今日はとても楽しい時間をいただき、本当にありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました。今日は雪祭りをまわりきれなかったので、またお誘いしてもよろしいでしょうか」
「神父様と修道女長様のご許可を得られれば」
「ふっふっふ、そこは領主権限を使わせていただきます」
得意げな顔で、エイクは悪戯っぽく笑った。
職権乱用では? なんてことを思ったが、黙っておくことにする。
続けて二言、三言、言葉を交わして、お喋りを終わりにする。
「――それでは、おやすみなさいませ、エイク様。良い夜を」
「はい。レジーナ嬢も」
最後の挨拶をして、重ねていた手を離そうとした時。
高い背を屈め、エイクはレジーナの手の甲へと口づけを落とした。
思わずパチクリと瞬きをするレジーナを、美しい紫の瞳がとらえる。
細められた目には熱が宿り、優し気な笑顔は、香るような甘さをまとっていた。
エイクは名残惜しそうに、ゆるやかに手を離す。
甘い顔をしたまま眉を下げて笑いかけ、レジーナへと背を向けて歩いていった。
去りゆく背中を眺めながら、レジーナは呆ける。
「口づけ……初めてされたわ…………」
すごく優しくて、あたたかかった……
レジーナは今起きた出来事を消化しきれず、そのまましばらくの間、玄関先に立ち尽くしてしまった。




