33 演劇鑑賞
広場を出てから、オオツノジカの引くソリに揺られて、夕方前に劇場へと到着した。
レジーナはソリの窓から、建物の様子をうかがう。
円形外観の大きな劇場は、正面の玄関が開け放たれていた。
広く開かれた玄関扉の向こう、チラリと見えるロビーはとても煌びやかだ。
普段着の庶民から、着飾った富裕層まで、たくさんの人々で賑わっている様子が見える。
ソリは正面玄関にはとまらず、そのまま横へ通り抜ける。
ぐるっと円形の外壁をたどるように走り、建物横側にある別の玄関を目指すよう。
ほどなくして到着し、ソリの動きがゆるりと止まり、扉を開かれた。
エイクが先に降り、レジーナをエスコートする。
手を借りてソリから降り、まじまじと目の前に鎮座している華やかな建物を眺めた。
「わぁ……! 近くで見ると、思っていた以上に大きくて驚きました!」
「ふっふっふ、ようこそ、クォルタール劇場へ。中はもっと、楽しめる造りになっていますよ」
エイクに手を引かれ、玄関へと歩を進める。
正面玄関よりは小ぶりだが、こちらの玄関は煌びやかに飾り立てられていて、見事である。
彫刻扉に金銀の細工。美しい陶器に水晶工芸品の飾り。
まさに客をもてなすための玄関、といった様子だ。
玄関だけで圧倒されてしまったが、ロビーに入るとさらにもう一段、華やかな雰囲気が増した。
彫刻のほどこされた柱に、艶やかな絨毯。
天井には美しい花々の絵が描かれていて、雪に飲み込まれつつある野外とは、まるで別世界が広がっている。
人々で賑わう正面玄関とは対照的に、こちらのロビーには使用人以外、ほとんど人がいない。
どうやら特別な出入口らしい。
領主家や賓客、相応の身分がある者をもてなす空間なのだろう。
レジーナはエイクに導かれるままロビーを抜け、高いアーチ天井の廊下を歩く。
階段を上がり、通路をいくらか進むと、これまた豪奢な扉が目の前に現れた。
劇場の使用人らしき、上品な身なりの男が扉を開けて誘導する。
扉の中へ入ると、数台のソファーが並べられた、小部屋のような空間に出た。
小部屋、といっても正面に壁はない。
正面向こう側には、とてつもなく大きく開けた、舞台空間が広がっているのだった。
(か、観劇席ならぬ、観劇部屋……!? すごい……お部屋の中から舞台を見られるなんて……!)
レジーナは感動の息をつきながら、小部屋の最前まで歩を進める。
部屋端の手すりから身を乗り出すようにして、劇場の大ホール全体をぐるりと見まわした。
劇場内はコの字を丸くしたような形をしていた。
真正面にステージがあり、たっぷりとしたドレープの幕が下がっている。
ステージ前の一階席にはたくさんの長椅子が並び、その後ろ側には立ち見客用のスペースがあるようだ。
ステージを囲う三方の壁には小部屋のようなボックス席が並び、こちらは三階建てとなっている。
レジーナのいる場所は、ステージ真正面の二階ボックス席。
ボックス席というより、もはや部屋のような空間だ。
きっと一番良い場所なのだろう。
思わず感動の声とともに、大きなため息がこぼれてしまった。
「はぁ……すごい……まるで別世界ですね……なんだか感動を超えて、いたたまれなくなってきました……わたくし、ここにいて良いのかしら」
「はははっ、あなたは今日の主役ですから、いてもらわないと逆に困ります。この劇場は造りはなかなかに派手ですが、庶民も気軽に利用する施設ですから。どうぞお気を楽に」
一階席を眺めると、確かに軽い身なりをした庶民が喋り、くつろいでいる様子。
力を抜いたレジーナに、エイクは説明を加える。
「この席――というか部屋には、専用のクロークとドレスルームがありますから、ご自由にお使いください」
部屋には出入り口の扉の他に、脇にいくつか小ぶりな扉があった。
クロークと、男性用と女性用にわかれたドレスルームのようだ。
「ありがたく使わせていただきます。それでは、少し失礼いたしますね」
断りを入れて、劇場の使用人にコートを預ける。
そのままドレスルームを借りて、小休憩を兼ねて身なりを整えることにした。
ドレスルームに入り、パタリと扉を閉める。
ショールとして肩にかけたままになっていた、エイクのストールを外した。
綺麗に畳みながら、しみじみと感慨深さに浸る。
(はぁ~……なんだかわたくし、貴族みたいな扱いを受けているわ……)
実際、身分としては正しく貴族なのだが。
なんだか格が違い過ぎて、頭がフワフワ、クラクラしてきた。
貴族扱いで眩暈を感じる原因には、エイクの態度も大きく関係している。
レジーナにとって他貴族家の男となると、深く関わったことがあるのはトーマスだけだ。
今思えばトーマスは結構、レジーナの扱いが雑だったように思う。雨に降られても、ハンカチ一つ貸してこない程度には……
それに比べてエイクは、レジーナに対してしっかりとした対応をしてくる。
これが普通なのかもしれないが、レジーナにとってはどうにも慣れない、照れを感じるような心地で、ムズムズした。
「わたくしは田舎の小領主家の出とはいえ、一応貴族の娘なのだから……この扱いが普通、これが普通なのよ。今までがちょっとおかしかっただけ……これが普通……」
ぶつぶつと、自分に言い聞かせるように唱える。
変な気後れも、照れも、浮かれて調子に乗るようなことも、ご法度。
普通に受け入れて、澄ました顔でなんてことなく過ごすのが、貴族家の淑女というもの。
よし! と気持ちを切り替え、ドレスルーム内にある鏡へと向かう。
持ち込んだ小さなクラッチポーチから、化粧道具を取り出した。
目元に鮮やかなブルーの粉を足し、薄桃色の口紅をつけ直す。
三つ編みを結い上げてまとめた、それなりに華やかな髪型を確認。
装飾品がないのは仕方なしとして、まぁまぁ恥ずかしくはない身なりだろう。
なんやかんやと用を済ませ、最後に深青色のドレスを整えて、レジーナはドレスルームを後にした。
先にソファーでくつろいでいたエイクに、礼とともにストールを返して、改めて本日の挨拶をする。
「改めて、本日は演劇鑑賞にお招きいただき、ありがとうございます、エイク様」
「こちらこそ、あなたと素敵な時間を共有できること、大変嬉しく思っています。さぁ、どうぞ隣に」
「はい、失礼いたします」
ボックス席の小部屋の最前。
二人掛けのソファーに、レジーナとエイクは並んで座る。
給仕の注ぐ茶を飲みながら、しばらく会話を楽しみ――……
――――ほどなくして、上演開始の鐘が鳴った。
舞台の幕が上がると同時に、朗々とした口上の声が響く。
それと同時に少しだけ、エイクがレジーナへと身を寄せた。
膝に置かれたレジーナの手に、大きな手が優しく重なるのは、開幕から少し経ってのことだった。
■
この日上演された演劇は、レジーナの執筆した物語を、ヘイル家の戯曲作家アルフォン・エルケルが編集したものである。
物語はおおまかに、こういった内容だ。
『婚姻の儀を間近にして、異母妹に婚約者を寝取られてしまう哀れな令嬢。
そのうえ悪しき家の当主の命で、身売り同然の惨めな縁談を迎えることになってしまう。
そんな不幸が続く中、突如、令嬢に救いの手が差し伸べられる。
古き縁に導かれて、麗しき王子が迎えにきたのだった。
王子は情熱的な愛の言葉とともに令嬢をさらっていき、雪の城へとかくまった。
令嬢はその地で王子と甘く優しい愛を育む。
そうして春の訪れとともに愛の神の祝福を受け、契りを交わして幸せに暮らしていくのであった――……』
上演が終わり、エピローグの口上が流れる。
幕が下り始めるのと同時に、劇場内には大きな拍手と歓声が響いた。
『はっはっは! 珍しいストーリーの演目だったね! 新しい戯曲作家でも雇い入れたのかな?』
『ヒーローとヒロインのラブシーン、ロマンチックで素敵だったわ~!』
『婚約者の浮気シーンに私まで腹が立っちゃった。ついヒロインに感情移入しちゃって……最後には幸せな結婚ができて、本当に良かったわ』
『私も父がおかしな縁談を持ってきたことがあったから、あの時を思い出して涙が……』
『ヒーローがヒロインをさらっていくシーンは実に爽快だったね! いやぁ面白かった!』
耳に届いてくる色々な感想の声をよそに、レジーナは両手で顔を覆って、深くうつむいていた。
今きっとこの肌は、頬も耳も、首元までも、真っ赤に染まっているに違いない。
レジーナは顔を隠す体勢のまま、思い切り呻き声をもらした。
「……は……恥ずかしい~……っ!! これは、この感覚は……なんと例えれば良いのでしょう……っ! こう、まるで裸を、見られてしまったかのような……! う~……っ!!」
プルプルと身を震わせ、なんとも例えがたい猛烈な照れに耐えるレジーナ。
たぶん、物語の内容が『最初から最後まで、まるっとすべて純粋なる架空の話』だったのなら、ここまでむず痒さを感じることもなかったのだろう。
けれど残念ながらこの物語は、レジーナの実体験と夢と理想で構成されている。
己のしょうもない日記と欲望をまざまざと見せつけられたようで、なんともいたたまれない心地だ。
そんな事情は露知らず、エイクは笑顔で拍手を送る。
「はははっ、こんなに面白く、好評を博しているというのに、何を恥ずかしがることがありましょう! いやはや、素晴らしい戯曲でしたね!」
「……えぇ、演劇自体は大変すばらしいものでした……! けれど……なんといいますか……内容が、内容が~……っ」
劇を思い返して、レジーナは大きく呻く。
『真実の愛を君に捧げよう』『もう僕には君しか見えない、君だけを愛している』『僕が君を幸せにしてみせるよ』なんてセリフを、ヒーロー役の役者が高らかに言い放っていた。
これらのセリフはレジーナの考えた最強の、『キラッキラの王子様に言われてみたい口説き文句』である。
実際声に出されると、ときめくやら照れるやら恥ずかしいやら痒いやらで、死にそうになるのだと今日知った。
顔を覆ってうつむき、未だ上げられないままでいるレジーナ。
その震える肩にそっと手を添え、エイクはやわらかな笑みとともに、顔を覗き込む。
「お照れになっている姿も大変可愛らしいですが、そろそろお顔を上げてください。カーテンコールが始まりますよ」
うながされて、ようやくレジーナは顔を覆う手をどかす。
涙目になりながら正面のステージを見ると、再び幕が開いて、出演した役者がズラリと並んでいた。
役者たちは客席へと大きく手を振り、挨拶をする。
レジーナ役、もとい、ヒロイン役の役者は、細いウエストに豊かな胸元をした、美しい女性だった。
ヒーローの王子役は、茶色の髪をした男前の役者だ。
レジーナは気持ちを切り替え、彼らに大きな拍手を送る。
(作者のわたくしが恥ずかしがっていては、演じてくださった役者の皆さんに失礼ですね……シャンとしなければ)
内容には照れがあるが、演劇そのものはとても素晴らしかったのだ。
心を込めて拍手を送らなければ。
ステージへと目一杯の称賛を送るレジーナ。
その隣で、エイクは何やら考え込むような顔をしていた。
その美しく整った口元から、ポツリと独り言がもれる。
「これはもう少し手を加えれば、都でも人気が出そうだな」
歓声にかき消されたこの独り言は、帰りのソリの中で、改めてレジーナに披露されるのであった。