32 雪祭り
広場の中央あたりまで歩くと、大小様々な雪像がズラリと並び、実に楽しげな景色が広がっていた。
腰の高さほどの小ぶりなものから、二階建ての家くらいの大きさの大作まで、様々だ。
雪の城や、翼を広げた鷲。人の顔、狼、猫、オオツノジカ、などなど。
色々なものが、精巧に形作られている。
初めて見る雪祭りの景色に、レジーナは目を輝かせていた。
「とても楽しいお祭りですね! あぁ、見てくださいエイク様! あちらの像は精霊か何かかしら。すごく綺麗だわ!」
「ふふっ、楽しんでいただけて何よりです。雪像に夢中になるあまり、足元の注意をおろそかにしてはいけませんよ」
「す、すみません。わたくしったら、一人ではしゃいでしまって……」
うっかり、子供のように駆け出しそうになってしまった。
淑女らしからぬ浮かれっぷりに、恥ずかしさで頬が熱くなる。
エイクはそんなレジーナの様子に目を細めながら、ゆったりとエスコートする。
レジーナの手をとり支えて、精霊の雪像の方へ歩きながら、エイクは雪祭りの解説をした。
「この雪祭りは今では民の娯楽として定着していますが、元々はちょっとした、まじないのようなものだったんですよ」
「まじない、ですか?」
「えぇ、死の悪魔を抑えつけるまじないです」
思いもよらない言葉が出てきて、レジーナはギョッとする。
「死の悪魔……なんだか恐ろしいですね」
「あぁ、すみません、別に怪談というわけではなく。死の悪魔とは『雪崩』の別称です」
怪談ではない、と聞いて、いくらかホッとする。
怖い話はあまり耳に入れたくないので……
無意識に手に力が入ってしまい、エイクが笑いながら、安心させるようにレジーナの手を両手で包んだ。
エイクの手はレジーナよりずっと大きくて、ホカホカしている。
「この雪祭りは、雪像で雪の精霊を楽しませて、死の悪魔である雪崩を抑えてもらう、という目的で始まったそうです」
「そういう歴史があったのですね」
「こちらの精霊の像は、まさにその雪の精霊をかたどったものですね」
レジーナはまじまじと、目の前の大きな雪の精霊の像を見上げる。
その像は背中に雪の結晶形の大きな翼を背負い、長い髪をした女性の姿をしていた。
レジーナ二人分ほどの大きさがある。
この精霊に、恐ろしい悪魔――雪崩を抑える力があるのだろうか。
と、心配してしまうほど、雪の精霊は優美な姿をしていた。
「――ちなみにですが」
ゴホンと咳払いをして、エイクは突然、胸を張って得意げな笑みを浮かべた。
雪像に夢中になっていたレジーナは、キョトンとした顔を向ける。
「実は私も、当主として家を継いでからは、毎年雪像作りに参加していましてね!」
「あら! 素敵ですね、領主様自らお作りになられるとは」
「ふっふっふ。――見たいですか?」
見たいでしょう? 見ていきますよね?
と、エイクは満面の笑みで詰め寄る。
そう来られると、もはや答えは一択しかないでしょうに。
「え、えぇ、では、是非」
「ご案内します!」
エイクは意気揚々と、レジーナをエスコートした。
雪の精霊像の脇を抜け、少し進んだところ。
ひときわ目立つ場所にエイクの雪像は佇んでいた。
このわかりやすい良立地は、領主権限によるものだろうか。
自信にあふれた顔で、エイクは雪像を披露した。
「こちらが私の作品です。いかがでしょう!」
そこにあったのは、やたらとキリッとした顔つきの、大きなヒヨコの像だった。
吹き出しそうになるのをこらえ、レジーナは感想を伝える。
「うっ……ふふっ……これは、可愛らしいですね。表情が……ふふふっ……すごく凛々しくて。まんまるで可愛いヒヨコなのに、キリッとしてるところが……あはははっ」
こらえきれずに、結局声を上げて笑ってしまった。
エイクは気の抜けた顔をして、肩を揺らすレジーナに説明する。
「いや、これはヒヨコではなくグリフォンです、グリフォン。神話の動物です」
「え? えぇ、グリフォンは知っています……知っていますが……ふふふっ、申し訳ございません……これは、ヒヨコにしか……っ」
「おかしいなぁ……くちばしや爪を結構尖らせたのですが、胴体が丸すぎましたかね?」
エイクは首をひねりながら、自作を色んな角度から眺め始めた。
「胴体を大きく作っておかないと、翼が取れてしまうんですよ。そんなにヒヨコっぽく見えます?」
「ふふっ、グリフォンのヒナ、ということなら、なんとか」
「う~ん……次の作品は、最初からまるっこい動物を作ろうかな……」
独り言のようにあれこれ言葉をこぼして、エイクは息をついた。
レジーナは笑いを抑えて声をかける。
「ふふっ、雪の精霊を楽しませるお祭りでしたら、エイク様のこの作品が一番だと思いますよ。他の雪像も美しいですが、このヒヨコ――グリフォンには、愛嬌があって可愛らしいですし」
「不思議と褒められているような気がしませんが、まぁ、レジーナ嬢に楽しんでいただけたのなら、良しとしましょう」
エイクは困ったような顔で笑いつつ、またレジーナへと手を差し出す。
ちょうどそのタイミングで、離れて見守っていた執事のアーバンが、エイクに声をかけにきた。
「旦那様、そろそろ劇場へ向かいましょう。レジーナ様も身支度の時間に余裕があったほうが良いでしょうから」
「あぁ、わかった。ではレジーナ嬢、ソリへと戻りましょうか」
「はい。ご案内いただきありがとうございました。とても楽しかったです」
エイクの手を取り、歩き出す。
もう少し、すべての雪像をよくよく鑑賞したい気持ちもあったけれど、今日のメインは雪祭りではなく演劇だ。
名残惜しみながら雪像のヒヨコ、もとい、グリフォンの元を後にした。
広場の入り口に向かって、ギュッギュと雪を鳴らしながら歩を進める。
通り過ぎていく雪像たちにチラチラと目を奪われつつ、レジーナはエイクに喋りかける。
「これだけ素敵な雪像で賑わっているのですから、雪の精霊もきっとご機嫌でしょうね」
「えぇ、そうあることを望んでいます。精霊が楽しんでくれれば、死の悪魔も抑えられますしね。――といっても、実際は自然現象ですから、なんだかんだ毎年雪崩は起きてしまうのですが」
「まぁ……それは……」
「あぁ、怖がらせてしまいすみません。大丈夫ですよ。予兆を見抜く、優れた目を持つ者が多くいますから」
浮かれた顔から一転、レジーナは神妙な顔をした。
ここ数年は地元の平野でも雪害が酷いけれど、土地柄、雪崩という災をくらうことはない。
想像もつかない災害に、恐怖をあおられる。
「……雪崩を防ぐことはできないのですか?」
「雪を止めるか、山を平地にするしか、策はないでしょうね。もしくは、ありったけの大金をつぎ込んで、山に柵壁を作ってまわるとか。さすがに家が潰れそうですが……」
「なるほど……一番現実的な策が、この雪祭りのまじないというわけですね」
「ははっ、その通りです」
なんてことないようにエイクは笑って、言葉を続ける。
「あとは、そうですね、山歩きの最中に巻き込まれてしまったら、オオツノジカの手綱を思い切りきつく、腕に巻くんです。鹿は人より頑丈ですから、雪に埋もれても、鹿が這い出すのと一緒に抜け出すことができるので」
「それは……結構力技と言いますか……」
「ほとんど運試しの域ですね。鹿が駄目になっていれば、ともに雪の下で眠ることになりますし。例え鹿が生きていても、人のほうが力尽きている時もあります。私の父も――……」
何かを言いかけて、エイクは言葉をとめた。
レジーナは、自身の手に添えられているエイクの手を、ギュッと、力強く握り返す。
ふいにぽっかりと開いてしまった会話を、穏やかな声音で継いだ。
「――エイク様、先ほどあなたのグリフォンを笑ってしまったことを、心からお詫びします。そして感想を改めさせていただきますわ。あの雪像はあなたの真心がこもった、とても素敵な作品でございました。きっと雪の精霊も、エイク様の雪像を大のお気に入りにしていることと思います」
エイクはわずかに目を見開き、一瞬、宝石のような紫の瞳を揺らした。
すぐに表情を整え、いつもの穏やかな笑みへと戻ってしまったけれど。
レジーナの手を握り返し、エイクは白い息をたっぷりとこぼして大きく笑う。
「ははっ、ありがとうございます! ですが私の雪像は、改善の余地があるのは確かですから、もう少し練習を重ねようかと。次作はドラゴンか、ペガサスを考えておりますので」
「ド、ドラゴン……? ええと、エイク様はどちらかというと、可愛らしい方面の作品のほうが、お上手な気がします。ふっくらとした雪兎とか、まるっこいカエルとか……」
「いいえ、男ならば格好良さを追及していきたいところ。――よし、次作はドラゴンに決めました! 頑張ります」
エイクは熱の入った声音で、高らかに次作を宣言した。
聞きながら、レジーナは少し困ったような笑みをこぼす。
(ドラゴン……どうしましょう、きっとエイク様の手にかかったら、卵を飲み込んだまんまるのトカゲになってしまうわ……)
それはそれで可愛らしいので、ちょっと見てみたい気はするけれど。
――なんてことを思った時。
ツルッ、と。
レジーナの足の裏が、雪の上を滑った。
「――ッ!?」
悲鳴を出す間もなく、よろけてひっくり返る。
次に来るであろう、尻もちの衝撃を覚悟した。
――が、倒れることなく、レジーナの体はエイクの腕の中へと着地した。
咄嗟に支えてくれたらしい。
焦りでドキドキする胸をおさえながら、慌てて体勢を整える。
「も、申し訳ございません! 助かりました……」
「足を痛めませんでしたか?」
「はい、大丈夫です……」
修道院での生活中にも、何度か滑りそうになったことはある。
けれど、こんなに派手にすっ転びそうになったのは初めてだ。
雪祭りに浮かれて、注意が散漫になっていたのだろう。
恥ずかしさに顔を赤くするレジーナに、エイクは説明する。
「雪の上では足の裏全体で、グワッ、という風に歩くと、滑らずに済みますよ」
「グワッと?」
「そうです。こう体重を乗せて、ワシッ、ワシッ、と」
「ふふっ、全然わかりません」
大真面目な顔をして、擬音と手振りを駆使して説明するエイクに、思わず吹き出してしまった。
エイクは少し考える顔をした後、レジーナの手を自身の肘へと導いた。
「――では、私の腕を支えにお使いください。私は雪道に慣れていますから、遠慮せずにしがみついていただいてかまいませんよ」
「え、す、すみません……人様の腕を手すりのように、不躾に……」
「いいえ、むしろ私としても嬉し――……いえ、なんでもありません。さぁ、どうぞ私をお使いください。ガッシリとどうぞ。ガッシリと」
「では、失礼して」
両手を使ってエイクの腕に掴まり、歩き出す。
先ほどまでの手のひらだけの支えより、ずいぶんと頼もしくて安定感がある。
(縋りつくような形になってしまって、なんだか恥ずかしいけれど……。エイク様、歩きづらくないかしら?)
チラリと顔をうかがう。
エイクは何てことない顔で、しっかり前を見据えて歩いていた。
さすが雪の城の主人である。頼もしいことだ。
耳が真っ赤になっていたのは、きっと寒風が肌をかすめたせいだろう。
レジーナは一人納得して、エイクに身を寄せ、ともに雪道を歩いていった。




