31 初めてのデートへ
「さぁレジーナ嬢、どうぞこちらへ!」
昼をまわった頃、修道院の来客玄関にて。
美しい黒い毛皮のロングコートを着込んだエイクが、レジーナを迎えて手を差し出した。
門前にはヘイル家の立派なソリがとめられている。
ノートを預けてから半月。
ついに演劇鑑賞の約束の日が来たのである。
同じように白い毛皮のコートを着込んだレジーナは、笑顔で差し出された手を取った。
「わざわざ迎えに来ていただき、ありがとうございます、エイク様。今日という日をとても楽しみにしておりました」
二人は手を取り、修道院の正面門へと歩き出す。
建物の影から仕事中のシスターたちが顔を出し、こっそりと手を振ってきた。
レジーナは見送りのシスターたちに、心の中で返事をする。
(ふふふっ、行ってきます! 帰ってきたら良い報告ができるように、わたくし頑張りますね!)
雪の要塞クォルタールへの籠城開始から、約二ヶ月あまり。
ようやくエイクとの仲を深める機会が来た、と、レジーナは浮き立っていた。
今日はいわゆる、庶民がいうところの『デート』の日なのだ。
それも初デートである。
心は浮き立ち、気合も入るというものだ。
(――なんて。本音を言うと、初めての本格演劇鑑賞へのウキウキと、五分五分のような心地なのだけれど)
まぁ、そんな野暮なこと、絶対口には出さないが。
ポサポサと大粒の雪が舞い落ちる中、レジーナは門前にとめられたヘイル家のソリへと乗り込んだ。
艶やかな黒塗りのソリは金の装飾が美しく、洒落た意匠だ。
ソリの引手には、一頭のオオツノジカが繋がれている。
普通の鹿よりも毛色が黒味がかっていて、ソリの色とよく合っている。
周りには他に鹿が三頭と、騎乗する護衛騎士が三人。
ソリの中には執事のアーバンと、牧場から連行されたらしいルカが乗り込んでいた。
レジーナは乗って早々、つまらなそうな顔でふんぞり返っているルカを注意する。
舌打ちが出る前にペシンと膝を叩き、視線で『行儀良く、大人しくしていなさい』と命を出した。
一連の動作を流れるようにこなし、レジーナはソリの座席へと落ち着いた。
エイクも乗り込み、扉を閉める。
御者に声がかかり、ソリはなめらかに雪の上を滑りだした。
(どうか、素敵な時間を過ごせますように。愛の神様、お見守りくださいませ)
今日という日の武運を、胸の内で密かに祈る。
いよいよ、デートへ出発だ。
道中レジーナはエイクやアーバンと喋りながら、窓の外の景色を楽しんだ。
そうして街はずれの修道院から、ソリは徐々に市街地へ。
それに伴い、自然豊かな風景から、街並みへと景色が移り変わっていく。
「クォルタールへ入った初日も雪化粧の街に感動しましたが、冬が深まるとまたこんなにも景色が変わるのですね」
「よく『街が雪に埋まっている』なんて言われますね。もしくは『めり込んでいる』とか、『浸食されている』とか」
「ふふっ、それは確かに。そう表現されるような景色かもしれませんね」
来た時には、『雪化粧をした街』と、小洒落た呼び名がぴったりだった風景は、いまや『雪の塊に飲み込まれつつある街』という様相になっている。
建物の周囲には、屋根から落ちた雪が分厚い壁のようになっていて、落ち切らなかった雪は白い怪物のように、こんもりと建物の上に乗っかっている。
街路には雪かきのオオツノジカが動員され、木の板でできた大きな除雪具を引いていた。
外の景色に夢中になるレジーナに、エイクは笑いかける。
「今街ではちょうど、雪祭りが行われているので、劇場へ行く前に広場へ寄りましょうか」
「まぁ、雪祭り……! よろしいのですか?」
「えぇ、寒さがお辛くなければ。時間は十分にありますし、広場には雪像があるので、目を楽しませてくれますよ」
「是非! ありがとうございます、楽しみです!」
つい、はしゃいだ声音で返事をすると、エイクは目を細めて優しく笑った。
対照的に、ルカは思い切り顔をしかめてレジーナを睨みつける。
(もう完全に、そこらの浮かれた観光客じゃないですか)
(少しくらいいいじゃない! こんな機会、滅多にないのだから……!)
目を合わせたわずかの間に、口争いならぬ、視線争いを繰り広げる。
二人が水面下でやり取りをする中、エイクはニコニコとした顔で喋りだした。
――言葉は悪いが、余計なことを。
「ルカくんも、レジーナ嬢の物語はもう読んだかい? 冒頭のシーンが結構衝撃的で――」
「あああああ――っと! エイク様! あれっ、あれは何です? あの丸い建物……!!」
レジーナは腰を浮かす勢いで、慌てて外の景色を指さす。
ドッと冷や汗をかくレジーナをよそに、指さす先を見て、エイクはのほほんと説明する。
「――え? あぁ、あれが劇場です。結構大きいでしょう? 一番良い席にご案内しますから、どうぞお楽しみに」
「楽しみです! とても! ええと、あと、あの建物は何でしょう?」
「あそこはですね――」
大慌てで質問を繰り返すレジーナと、楽しそうに観光ガイドをしていくエイク。
ルカは顔を背けて、肩を揺らしていた。笑いを堪えているようだ。
(笑い事じゃないわよ……! はぁ、もう……わたくしとしたことが、エイク様の口から物語がルカにもれる危険を、考えていなかったわ……)
ちょっと考えればすぐ思い至ることだが、浮かれた気持ちに押しのけられて、すっかり頭から抜け落ちていた。
社交的なエイクはレジーナの物語を、場の共通の話題として口にするだろう、ということを。
一応、『レジーナの物語』は、今日の主役のような位置でもあるので。
話題が出ないはずがない。
(くっ……絶対に、悪魔には内容を知られたくない……! 観劇中は劇場に近づかないように、街で自由行動を――と命を出すつもりでいたけれど……こんなことなら、耳に綿でも詰めて塞いでくるように、とでも命じておくべきだったわ!)
なんて、めちゃくちゃな命令を頭によぎらせつつ、レジーナはアワアワと、エイクとの会話に勤しむ。
「えっと、この道の脇の水路に、かいた雪を捨てるのですね。素晴らしい仕組みです!」
「この仕組みは、ヘイル家の先々々代くらいが整えたんだそうです。たまに水路に雪詰まりを起こして、水があふれ出すことがあるのが欠点ですが」
「なるほど……あ、ではあちらの道の、あれは何でしょうか?」
物語に関する話を出されないよう、レジーナは必死に話題をコントロールする。
なんだか行きの道中だけで、気疲れでやつれそうだ……
当たり障りのない話を繰り出し続けるレジーナを見て、ルカは呆れたように笑っていた。
■
良くまわる口をさらにまわして、レジーナが一人おかしな戦いを繰り広げるうち、ソリは市街地中央の大広場へと到着した。
心の内で息を切らしながら、レジーナは外へ出る。
ソリを降りると、広場の中になにやら巨大な、白いオブジェが並んでいるのが見えた。
レジーナは遠目にオブジェを眺め、パチリと瞬きをする。
白い息を吐きながら、感動の声を上げた。
「もしかして、あれが雪像ですか? こんなに大きいものとは……わたくし、雪だるまくらいのサイズを想像していました」
雪でできた白いオブジェは、一つ一つが建物のような大きさであった。
まさか、雪でこんなに大きなものを作れるとは。
驚くレジーナの様子に、エイクが得意げな顔をする。
「ふっふっふ、これが雪国の本気です。平野の雪ではこうはいかないでしょう?」
「えぇ、すごいです、本当に……!」
「さぁ、是非もっと近くで。大雪像だけではなく、広場の中には小さな作品も多くあって、面白いですよ!」
無邪気な笑顔で、エイクはレジーナに手を差し出す。
その手を取ったところで、ふいにルカが声をかけて寄越した。
「俺寒いの嫌いなんで、帰っていいですか?」
「こら、護衛が子供みたいなわがままを言うんじゃありません」
「護衛なら他にもいるし、いいでしょう。――では、さようなら。良い観劇を」
ルカは一行へと雑に手を振ると、さっさと背を向け、歩き去ってしまった。
レジーナはエイクへ謝る。
「……申し訳ございません……不躾な態度ばかりで……」
「いえ、そもそも引っ張ってきてしまったのは私ですし、こちらこそ悪いことをしてしまいましたね。寒さを嫌う人は多いですし……あ、送る馬車を呼べばよかったな、気がまわらず申し訳ない!」
エイクは眉を下げ、ルカが歩き去った方を見やる。
そして苦笑しながらポロリと言葉をこぼした。
「本当は今日こそルカくんとも仲良くなれたら、と思っていたんだけれど、なかなか難しいみたいです」
「……あの、今日こそ、というのは」
「週末の礼拝日にいつも、隙をついて声をかけることはしていたのですが……いやはや、その度に厳しい言葉を投げられてしまっていて。なかなか撫でさせてくれない、野猫のようですね、彼」
はっはっは、と、エイクは困り顔をしつつも、大きく笑った。
(エイク様ったら、そんな試みを続けていたの……? そういえば確かに、礼拝で近くに座っているところを見たことはあったけれど……)
どうやらエイクは、もう何度もルカの暴言を浴びているようだ。
それなのに、まだめげずに仲良くなろうとしているとは。
(エイク様の正体は……聖人かなにかかしら……)
レジーナは心の中で、思わずエイクを拝むのだった。
そしてその聖人に容赦なく暴言を叩きつけるルカは、やはり悪魔である。
レジーナは身をすくめて、重ねて謝罪する。
「わたくしの従者が、いつも申し訳ございません」
「いいえ、気にしていませんよ。ルカくんはまた今度誘ってみましょう。今日はヘイル家の護衛も三人連れていますし、執事のアーバンもいますから、レジーナ嬢の身の安全は保証します」
「はい、ありがとうございます。甘えさせていただきます」
「――では、参りましょうか」
一区切りついた会話に合わせて、エイクはそっとレジーナの手を引いた。
うながされるまま歩き出し、広場の中へ進んでいく。
大粒の雪が舞う天気でも、広場は賑わいに満ちていた。
身を寄せ合って歩く夫婦、雪を投げて遊ぶ子供たち。
出店に立つ元気の良い娘に、新しい雪像制作に勤しむ男たち。
雪にまみれた、冷え切った空気の中にいるはずなのに、なんだか不思議と暖かさを感じる景色が広がっている。
領主の姿を見かけて手を振ってきたり、会釈をしてくる人たちに、エイクはやわらかな笑顔を返す。
その姿にふと、祖父のことを思い出した。
農地に出向く時、祖父はよくレジーナとルカを連れて行った。
祖父が顔を出すと、農民たちは畑から笑顔で手を振ってきたのだった。
(エイク様は領民に慕われているのね。とても良い関係に見えるわ)
雪とエイクと人々の作り出す暖かな景色に、思わず顔がほろこんだ。
――と、少し歩いたところで、ふいにエイクが足をとめた。
レジーナも足をとめ、顔を見上げる。
エイクはレジーナの髪に優しく手を添えて、気遣うような声音でたずねてきた。
「今日は雪が結構強いですね。レジーナ嬢、髪に雪が乗っています。寒くはないですか?」
「えぇ、平気です。ふふっ、髪に乗る雪でしたら、黒髪のエイク様のほうが目立っておいでですよ」
「私は良いのです。生まれた時から雪をかぶっていますから。もはや装身具のようなもので――あぁ、そうだ」
何か思いついた顔をして、エイクは着込んだコートの衿元をゆるめる。
首に巻いていた紫のストールを外し、フワリと広げてレジーナの頭から肩へとかぶせた。
「これを、ショール代わりにお使いください」
やわらかなストールがレジーナを包む。
エイクの体温が移っていて、やんわりとあたたかかった。
こういう甘い優しさを与えられると、なんだか困ってしまう。
どうすれば良いのかいまいちわからず、アワアワしてしまって。
悪魔が相手だったら、簡単に対応できるというのに。
レジーナは与えられたストールの端をギュッと握り、心からの礼をする。
「ありがとうございます……本当に、お優しいですね。ふふっ、このストール、エイク様の香りがしますわ」
「……えっ、あ、すみません! 臭うのでしたら、その……っ」
「いいえ、とても良い香りです」
ストールからは、ほのかに香水の香りがした。
甘く爽やかな、ライムの香り。
ストールの端を胸元で緩く結び、レジーナはエイクへ微笑んだ。
「エイク様の香りは、なんだか気持ちがほぐれるような、心地の良い香りですね。――あら? エイク様、どうされました?」
「……いえ、少し顔を冷やしたくなり……お気になさらず」
エイクは目を閉じ、なぜか天を仰いでいた。
二人を後ろの方から見守るアーバンと護衛たちは、そんな主人の様子にやれやれと、口々に呆れた呟きをもらすのだった。