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28 ノートとエイクと新手の拷問

 修道女長へノートを貸し出してから数日経った、とある平日。


(……ご、拷問…………拷問だわ……)


 レジーナは再び、新手の拷問をくらっていた。


 昼に突然、修道女長に呼び出されて午後の仕事を取り上げられた。

 そしてそのまま修道院の応接室へと連行され、現在、ソファーへと縫い留められているような状態だ。


 レジーナの隣には澄ました顔の修道女長。

 向かいのソファーには、なぜか得意げな顔をした神父。

 ――と、その隣に領主エイクと、その連れのふくよかな中年の男。


 エイクとふくよかな男が二人で身を寄せ合い、先ほどから熱心に覗き込んでいるものは、レジーナのノートである。


(……どうして……修道院の外の人にまで……)


 どうやら、物語を気に入った神父が、懇意の仲であるヘイル家へと推したらしい。 

 そうして意気揚々と読書に来たエイクに、目の前で物語を読み込まれている、というわけである。


 初めてシスターたちに読まれた時や、修道女長に目を通された時にも、恥ずかしいやら気まずいやら、たまらない気持ちになったものだ。

 が、今回はさらにその一段上をいくような、堪えがたい心地である。


 身分のある若い男性と、そして初対面の知らない男に読まれているからだろうか。

 あまりにも気持ちが落ち着かないものだから、どうにかしようと、窓越しに降りゆく雪粒を数えて現実逃避を頑張っている……


 エイクと連れの男は、レジーナの綴った字を黙々と目で追い、次々とページをめくっている。

 

 彼らが読んでいる物語は、レジーナが夜な夜な加筆と修正を加えた最新版。

 レジーナの実体験をベースにした、『不遇な田舎貴族の令嬢が情熱的な王子様にさらわれて、逃避行の末に愛の祝福を受ける話』である。


 読みながら、エイクは顔をしかめたり、かと思えば笑みを浮かべたり、コロコロと表情を変えていく。

 一方のふくよかな男は、ふむ……やら、ほう……やら、よくわからない息をもらしていた。

 目に見える反応は違えども、二人に共通していることは、一言も言葉を発さず、読みふけっているということである。


(き……気まずい……せめて何か、感想でもこぼしてくれたほうが、気が楽……)


 早く、一刻も早く、この珍妙な沈黙の時間が終わってほしい。

 レジーナは雪粒を目で追いながら、心の底から念じ続けるのであった。




 そのレジーナの願いがようやく叶ったのが、昼をだいぶまわった頃。

 レジーナと修道女長が、何度目かの茶を継ぎ足した時であった。


 エイクと連れの男はノートから顔を上げ、ははぁ、と明るい声を上げた。


 ソファーへ身を縮こめていたレジーナに、エイクは大きく笑いかけた。


「レジーナ嬢! あなたは手紙の文章も素敵でしたが、まさかこれほどまで筆才にあふれたお方だとは思いませんでした!」


 エイクの第一声に、レジ―ナはひとまずホッと息をついた。

 創作の趣味を引かれるのではないかと、内心ヒヤヒヤしていたのだ。


「は、はぁ……ありがとうございます。拙くて、お恥ずかしい限りですが……」

「どこが……! これだけの文量をまとめあげ、人に伝わるように綴れるだけでも才であると、私は思います」


 エイクは美しい紫色の瞳をキラキラと輝かせ、レジーナをまっすぐに見つめて言う。

 こんなに真正面から筆才を褒められることなど、そうないので、思わず顔を赤めてしまった。


「わたくしにはもったいないお言葉です。その、照れてしまうので、そのへんでご勘弁を……」

「照れたお顔を拝見したいので、続けても?」

「お、お戯れはおやめくださいませ……!」


 レジーナは赤い顔をサッとそらした。

 ルカの繰り出す邪悪な戯れには慣れているが、こういう戯れには慣れていなくて、逆に対応に困ってしまう。


 顔をそむけたレジーナを、エイクは目を細めて、しばらくの間ニコニコと見つめ続けていた。


 二人が戯れている間に、連れの男はもう一度ノートを手に取り目を通す。

 パラパラと手早くページをめくり、ふむふむと頷きながら感想をこぼした。


「ううむ……貴族家ご令嬢のご身分とはいえ、ここまで文章を綺麗に、情感豊かに書き上げるとは……小説としてもできあがっていますし、この内容だと、戯曲にしても映えそうです」

「戯曲、ですか?」


 男の言葉に、レジーナはパチリと瞬きをする。

 戯曲とは、演劇を前提として書かれた台本作品である。

 ノートを広げながら、男はレジーナに説明する。


「えぇ、この物語は地の文の中にセリフが多いでしょう? もうこのまま演じられるくらい、完成されていますよ。そのセリフもなかなか洒落っ気があって小気味良い。内容も良い意味で俗っぽいところがあるので、貴族はもちろんのこと、庶民でも楽しめるでしょうね」

「はぁ……貴族にも庶民にも、ですか。読者の身分は意識していませんでしたが、そうなのでしょうか」

「例えば、ほら、ヒロインが婚約者の浮気現場を見て叫ぶシーン。こういう場面は身分を問わず、人の気を引きますから。――はっはっは、それにしても、これはなかなか衝撃的な始まり方ですね」


 レジーナは苦笑いを返す。

 『本当ですよね、実際わたくしも驚きましたもの』なんて返してやりたいけれど、ここは笑顔で流しておく。


 男はふくよかな頬を揺らしてひとしきり笑い終えると、改めてレジーナに向き合った。


「申し遅れましたが、私はヘイル家にて戯曲を作っております、アルフォン・エルケルと申します」

「戯曲作家様……!? な、なんと……! 拙い物語をお見せしてしまって……お恥ずかしいです」

「いえいえ、レジーナ様の筆才はそこらの小銭稼ぎなんかより、よっぽど洗練されているように感じます。世辞などではなく、本当に」


 まさか本職の人だったとは。

 レジーナはギョッとして、再び顔に熱をのぼらせた。

 

 どうして先に言ってくれなかったのか、という意味を込め、レジーナはアワアワとエイクへ目を向ける。

 エイクはニッコリと微笑み、顔を赤くするレジーナを優しく見つめていた。

 

 心なしか、ただでさえ甘く整った顔つきが、先ほどから五割り増しでその甘さを増している気がする。

 街の娘たちが見たならば、麗しさにあてられて倒れそうなほどだ。

 幸いレジーナはルカの容姿で耐性ができていて、何事もなく済んでいるのだけれど。


 エイクは麗しい容姿をやわらかにほころばせて、驚くような提案を口にした。


「戯曲に編集し直して、街で上演してみましょうか」

「じょ、上演、ですか!?」

「えぇ。我が街クォルタールでは冬の間に劇団を雇い入れて、色々と演劇を上演しているのです。冬は長く雪に閉ざされてしまうから、領民の娯楽と、心の健康のために」


 領地運営の一環で、わざわざ街に劇団を雇い入れるとは。

 地元ではあまり聞かない話に、レジーナは興味を引かれた。

 

 目を輝かせたレジーナに、エイクは楽しそうに説明を加える。


「寒さと天気の悪さが続く土地だから、楽しみがないと病む人が多くて。先々代あたりから、民衆の娯楽には力を入れているのです。戯曲作家と劇団と、劇場も街に大きいものを用意しています」

「それは素晴らしいですね。恥ずかしながら、わたくし本格的な演劇を鑑賞したことがなく……あまり想像ができないのですが、きっと素敵なのでしょうね」


 地元の農村には劇場などもちろんないし、セイフォル家のおさめる街にも大きな劇場などはない。

 レジーナの知る劇といえば、せいぜい旅芸人が街の広場で披露しているものくらいである。


 答えるや否や、エイクは前のめりになった。


「よろしければ、ご案内しましょうか。――あぁ、もちろん、レジーナ嬢の修練の邪魔にならなければ、ですが」


 言いながら、エイクは神父へ視線を送る。

 神父は笑いながら許可を出し、修道女長はやれやれ、という顔で息をついた。

 さすが領主、口をはさむ隙を与えぬまま、一瞬で予定を通してみせた。

  

 レジーナは苦笑しながら、エイクへと頭を下げた。


「ええと、では、よろしくお願いいたします。とても楽しみです」

「こちらこそ、楽しみにしています!」


 レジーナ以上に深く、エイクがガバリと頭を下げた。

 なんだか背後にブンブンと振り回される、犬の尻尾が見える気がする。

 

 密やかに首を振り、レジーナはその幻覚を振り切った。


 やり取りを見守っていた戯曲作家のアルフォンが、ニコニコと笑いながら提案する。


「半月ほどお時間をいただければ、急ぎレジーナ様の物語を編集して、上演することができるかと思いますが。いかがなさいますか、エイク様」

「あぁ、是非お願いしたい!」

「……あの、本当にわたくしなんかの物語を演劇に……? ……耐えうるような出来でしょうか?」

「レジーナ嬢」


 おずおずと声をもらすレジーナを、エイクは優しい声音でたしなめる。


「ご自分を過小に評価してはいけませんよ。そのうち癖になり、胸を張るべき時にも勇気が出なくなってしまいます。あなたの執筆した物語は、ここにいる皆を夢中にさせた、大変魅力的なものです。どうぞ、自信をもってください」


 エイクは優し気な笑みとともに、穏やかな眼差しでレジーナを見つめていた。

 レジーナもまじまじとその瞳を見つめ返し、心の内でしみじみと感慨深さにひたる。


(じ……人徳が……高い……)


 祖父が亡くなってからは久しく浴びていなかった、あたたかくやわらかな言葉。

 そっと背中を押されるような優しい言葉に、レジーナは表情を大きくゆるめる。


 ふにゃりとした笑顔を向けて、エイクへ心からの感謝を伝えた。


「ありがとうございます、エイク様。……実は、わたくし先ほどからずっと、冷や汗をかいておりましたの。妙な物語を書いているおかしな女だと思われたら、どうしようかと。エイク様に嫌われずに済み、ホッとしております。ふふっ、あなたとお話をしていると嬉しいことばかり言われてしまって、なんだか頬がゆるんでしまいますね」

「……ッ」


 エイクの喉から、音にならない小さな呻きがもれた。


 キョトンとするレジーナの視線から逃げるかのように、エイクは勢いよく立ち上がった。

 そのままサッと礼の姿勢をとる。

 

「で、では! レジーナ嬢、演劇鑑賞におともさせていただく日を、楽しみにしております。私はそろそろ執務へ戻ろうかと思いますので、今日はこのあたりで」


 レジーナを含む一同が立ち上がり、同じように礼をして挨拶を交わす。


「わたくしも心から楽しみにしております。こちらのノートは、お預けしておいたほうがよろしいのですよね?」

「では、私アルフォンが確かに、お預かりさせていただきます。写本が終わり次第、お返しいたしますね」

「よろしくお願いいたします」


 アルフォンへとノートを手渡し、しばしの別れを告げる。

 

 挨拶を済ませると、エイクはアルフォンとともに応接室を後にし、ササッと歩いていってしまった。

 玄関まで見送るつもりだったレジーナと神父は、応接室の入り口に置いて行かれて、ポカンとする。


「あら……エイク様、お急ぎだったのかしら」

「お忙しい方だから……今日もわざわざ時間をさいて来てくださったのだろう。突然声をかけてしまって、悪いことをしてしまったなぁ」


 修道女長は眉をつり上げ、呆れた顔でボソリと呟いた。


「まったく……領主ともあろうお人が、娘の笑顔くらいで熱をのぼらせて。尻の青いこと」


 


 廊下を足早に歩きながら、エイクは顔をおおった。

 

「……はぁ……どうやら私はあの笑顔に、ずいぶんと弱いらしい……」


 火照る顔をパタパタと手であおぐ。

 隣を歩くアルフォンは、若いねぇ、と、肩を揺らして笑った。


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