23 修道院の暮らしと週末
修道院の生活は、厳格で規則的なものである。
朝はまだ暗いうちに起床し、まず一日の始めの祈りを捧げる。
朝食の後は各々に割り振られた仕事をし、皆で集まって昼食をとる。
昼食の後も仕事や街の奉仕活動に従事し、夕方に一日の終わりの祈りを捧げる。
そして夕食をとった後は、消灯の時間までは自由時間。
談話室に集まり編み物をしたり、自室で読書をしたり、この時間を個人的な祈りの時間にあてる人もいた。
これがいわゆる、平日の過ごし方である。
けれど週末の二日間だけは、午後に礼拝堂が一般に開かれるのに伴って、平日とは違うスケジュールとなる。
人々にとって、週末は礼拝の日なのだ。
修道院の大きな礼拝堂に集まり、祈りの時間を過ごす、という信心深い人々が多くいる。
そんな礼拝者たちに寄り添うのが、週末のシスターたちの仕事であった。
寄り添う、というより、街の人々と交流をする、といったほうが正しいかもしれない。
老人の話し相手となったり、悩みの相談に乗ったり、神に代わって秘め事の聞き手になったり、幼い子供の遊び相手をしたり。などなど。
初めの挨拶時に修道女長に宣言された通り、レジーナも皆と同じように仕事をし、週末はもちろん、人々へ寄り添う役目を務めた。
――が、レジーナの相手は、主に二人に限定されることになってしまったのだけれど。
週末のこの日、礼拝者一同での祈りの時間が終わった後、レジーナはいつものように一人目の対応をする。
高いアーチ天井と彫刻が美しい礼拝堂の隅っこ、柱の影。
一人目のお相手は、いつもこの位置で対応することにしている。
なにせ会話の内容が、毎度酷いものなので。
一人目の相手とは、言わずもがな、ルカである。
「ルカ、来たわね……今日は一体、どんな喧嘩を売りに来たのかしら?」
「今日は先週の礼拝でいただいた、クッキーの文句を申し上げに参りました。何ですか、あの黒い燃えカスみたいなゴミは。食べた後具合が悪くなりました」
「そ、そんなに……? ちょっと焦がしただけじゃない、大げさよ」
「焦げたものを食べると、死期が早まるそうですよ。仮にもシスターなんかやってるくせに、命を削るような食べ物を寄越すとは。神に怒られますよ」
「あら、悪魔を祓うには使えそうなアイテムじゃない? 次はもっと真っ黒に焦がしたクッキーをあげるわ。あなたが一口かじれば、たちまち消滅してしまうほどの」
売られた喧嘩を買い、売り返す。
意地の悪い嘲笑に、澄ました笑みで応える。
この応酬。
事情を知らない他のシスターたちからは『従者さんと仲が良いのねぇ』なんて微笑ましく見られているらしい。
これは最近知ったことだけれど、とんだ勘違いである。と、レジーナは言いたい。
仲が良いどころか、嫌われているのだから。
この前は『手が荒れている。令嬢の手とは思えない。汚いからどうにかしろ』などと言われ、その前には『修道服がブカブカしていて見目が悪い。服に合わせてもっと肥えろ。家畜のように』などと言われた。
ルカはレジーナに対しては普段通り悪魔の姿を見せているが、周囲には当初の命令通り、優雅な天使の笑みと会釈で対応している。
人々の認識に食い違いが起きるのは、まぁ当然といえば、当然である。
まさか聖なる礼拝の日に、天使とシスターの間で悪口が飛び交っているだなんて、誰も思わないだろう。
週末恒例となってしまったルカとの口争いを何戦か終え、レジーナは一息つく。
ルカは散々悪口雑言を投げ終えると、礼拝堂内に並べられた長椅子へと腰を下ろした。
この男はいつも、堂の開放時間いっぱいまで、長々と居座って祈りを捧げていくのだ。
「――ルカ、前から思っていたけれど、あなたって意外と信心深いのね」
「少なくとも、どこかの駄々こね家出シスターよりかは、純粋で信心深い心を持っていますよ、俺は」
「そう……。礼拝堂のような聖域に長居したら、悪魔の巣くうあなたは蒸発しちゃうんじゃないかって、心配したわたくしが馬鹿だったわ」
ジロリと睨みつけ、レジーナは悪魔の元を離れた。
と、同時に。
レジーナの動きを見計らったように、本日二人目のお相手が顔を出す。
その相手とは、領主のエイク・ヘイルである。
他領からの来訪者であるレジーナへ、気を遣っているのだろう。
なんやかんやと修道院に入ってから毎週末、様子を見に来るのであった。
エイクの参拝は、初回にはそれなりに騒ぎになった。
普段は領主が礼拝する際には、神父を通して平日の礼拝堂を訪れるのだそうだ。
が、レジーナが修練に入って最初の週末、エイクは護衛を数人付けただけでフラッと現れたのだった。一般庶民にまざって。
そうして人目を集める中、手を振りながら一目散にレジーナへと駆け寄ったものだから、それからしばらくレジーナは、人々の噂の的になってしまったのだった。
一月弱経って、今ようやく、そのざわめきも落ち着いたところである。
レジーナは大股で歩み寄ってきたエイクに、笑顔で挨拶をする。
「こんにちは、エイク様。いつも気にかけていただき、ありがとうございます」
「いや、こちらこそいつもありがとう。私はあなたとのお喋りだけを楽しみに、平日の執務をこなしていますから」
「ふふっ、まぁ、お口がお上手ですこと」
エイクとのお喋りも、周りのシスターたちから『仲が良い』と評されていることを、レジーナは知っている。
こちらは正真正銘、裏表なく、本当に良好な関係を保てていると感じるので、何も言い返したいことはない。
エイクは甘い容姿をニコニコとほころばせて、楽しそうに言葉を紡ぐ。
「この前いただいたクッキー、とても美味しかったです」
「あのクッキー……少し焦がしてしまったのですが、その……具合を悪くされませんでしたか?」
「まさか! 逆に元気が出たくらいです。レジーナ嬢の手作り菓子を毎日食べられたなら、二百歳まで元気に生きられそうな気がします」
黒い髪と紫の瞳をキラキラと揺らして、エイクは大きく笑った。
人好きのする人間というのは、きっと彼のような人物をいうのだろう。
レジーナは心から感心し、深く頷く。
朗らかで包容力があり、不思議な余裕を感じる人。
これが、毎週末の交流を経て、レジーナがエイクに対して抱いた印象である。
(きっとこのお方は、雪と領地の問題さえ無ければ、縁談の引く手数多でしょうに……)
お可哀想に……
とは思いつつも、同時に、縁談の枠が空いていることに感謝する。
このまま仲を深め、あわよくばヘイル家の嫁枠に入れてほしい。
そうすれば、レジーナに科せられたキルヤックご隠居との縁談が流れる可能性が、ぐんと高まるのだ。
(けれど、グイグイいくような下品な態度は、淑女としてご法度。淑やかに、優雅に、余裕を持って。良好な関係を築いていきましょう。――いつか愛の神が、祝福を授けてくれる時を待ちながら)
レジーナはエイクと談笑しながら、週末の穏やかなひと時を楽しんだ。
こうして礼拝日のレジーナの時間は、ほぼエイクとルカによって消費されていたのだった。
エイクとルカ、やたらと目立つ容姿の二人。
最初のうちはやはりというべきか、良くも悪くも、色々と飛び交う噂が耳に入ってきたものだ。
『美男をはべらす魔術を持った女』だとか。
『実は高貴な身分の娘が、身を隠すために来ている』だとか。
根も葉もない噂である。
それも最近、ようやく落ち着いてきたところ。
これはひとえに、レジーナが修練女として真摯に仕事や奉仕活動を行ってきた結果であろう。
街の人々にも他のシスターたちにも、自身が受け入れられつつあるのを、レジーナは感じていた。
たっぷりとお喋りを楽しむと、エイクは最後に礼拝堂の一番前で、何やら熱心な祈りを捧げて帰っていく。
エイクの馬車は、先週からソリへと変わった。
馬車より小ぶりで座面が低いが、黒塗りに金の装飾がほどこされている、天井付きの立派なソリだ。
その引手も、馬からオオツノジカに変わっている。
レジーナが修道院に入ってから、もうすぐ一ヶ月が経とうとしている。
暮らしに慣れていないこともあり、この一月は本当にあっという間であった。
クォルタールの街はいよいよ『雪の要塞』の、真の姿を現し始めていた。
来た時に比べ、雪は二倍ほどに分厚くなり、ほぼ毎日のように降り続けている。
この雪の城が、レジーナのひと冬の守りとなる。
もう久しく青空を見ていないけれど、レジーナの心はいつにないほど安らかだった。
祈りを終えたエイクを礼拝堂の入り口まで見送る。
門前にとめられたソリへと乗り込みながら、エイクは白い息をいっぱいに吐き、笑顔で大きく手を振った。
「また来週末に参拝に来ます。レジーナ嬢、体を冷やさぬよう、どうぞ気を付けてお過ごしくださいね。あっ、あとクッキー! また! お願いしますっ!」
領主ともあろう人が、大声で何を言っているのか。
レジーナは思わず吹き出してしまった。
手を振り返すと、ソリがゆっくりと走り出した。
窓からこちらを見るエイクの顔が、途端にしゅんとしたものへと変わる。
その様子に大型犬を連想してしまって、レジーナはまた笑ってしまった。
ソリが見えなくなるまで見送ると、ちょうど修道院の鐘が鳴った。
礼拝堂の閉まる時間である。
ふと人の気配を感じて振り向くと、側にルカが立っていた。
隣に並び、ポサポサと降り積む雪を眺めるルカ。
レジーナはしみじみと言葉をこぼした。
「わたくし今、なんだかすごく心満たされる暮らしをしている気がするわ。このままずっと、冬が明けなければいいのに。ずっとこうしていたい……」
ルカは忌々しそうな顔で、返事を寄越す。
「俺は一刻も早く冬なんか過ぎ去って、さっさと春が来ますように、と、毎度の礼拝で心の底から一生懸命神に祈っていますが」
「あなたいつも熱心にそんなことを祈っていたの!? 酷い……わたくしのささやかな幸せの日々が……あなたの祈りで台無しになるかも」
「ははっ、そうなったら笑えますね。俺ではなく神を恨んでくださいよ。シスターが神を恨むなんて、破門でしょうけど」
意地悪く笑うルカの脇腹を、レジーナは肘で小突いた。
ため息まじりの呆れた声を返してやる。
「ルカ、あなたという人は……そうやって意地悪なことを言わなければ、人から好かれる見目をしているのに。本当にもったいないこと。あなたもいつかお嫁さんを迎えるのでしょうから、もう少しその性格を何とかしたらどう? 愛想を尽かされてしまうわよ」
「うるせぇな。婚姻の儀直前に婚約破棄をくらった負け女に、結婚指南を受けたくありません。口を出さないでもらいたい」
「う……」
まぁ、それもそうだ。ぐぅの音も出ない。
レジーナはガクリと肩を落とした。
今回の勝負、レジーナの負けである。
勝ちを得たルカは落ちる雪粒を眺めながら、曖昧に笑った。