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22 家出の宿、修道院へ

 ヘイル家の馬車に揺られながら、レジーナはクォルタールの町並みを眺める。

 石造りの建物の外壁には、いたるところに草や花、鳥などの絵が描かれていて目に楽しい。

 

 クォルタールは一年の半分が雪に閉ざされている街である。

 この壁画は、白と灰色に支配されがちな景色を、賑やかに保つ工夫なのかもしれない。


 街はもう十分に『雪景色』と呼べる状態だが、これでまだまだ冬の序盤。

 この街が本当の姿を現すのは、これからだそう。


(ここ数年は地元の平野でも雪がすごいけれど、クォルタールと比べたらきっと序の口なのでしょうね)


 ふと、地元――実家の領地やセイフォル家の領地のことが頭によぎった。

 が、思考にふける前に、レジーナの意識はルカの声に呼び戻された。

 

「お嬢様、もう修道院らしき建物が見えていますよ。もうそろそろ、そのだらしなくゆるんだ顔をなんとかしたらどうです」

「……移動中くらいは気を抜いていても良いでしょう。――って、本当だわ。きっとあれが修道院ね」


 ルカに小馬鹿にされつつ、レジーナは降りる支度を始める。


 まっすぐ伸びた道の先には、三階建てのどっしりとした長方形の建物が見えていた。

 建物正面の中央に、神々の像が掘り込まれている。

 間違いなく、ここが修道院であろう。


 馬車は門の前でゆるりと止まる。

 御者が鉄扉に馬を繋ぎ、馬車の扉を開けて手を差し出した。


「メイトス様、クォルタール修道院へ着きました。旦那様からは神父様への取り次ぎまでを仰せつかっておりますので、私がご案内しましょう」

「お気遣いいただき、感謝いたします」


 レジーナはその手を取り、馬車から降りる。

 そしてくるりと後ろを振り返り、続いて降りて来たルカへと命を下す。


「ルカ、あなたはここで待っていてちょうだい。誰かに話しかけられても、くれぐれも、くれぐれも! 無礼な言葉を発しないように。……いえ、いっそのこと、決して口を開かないように、と命じておいたほうが良いかしら。『黙って静かに、笑顔で会釈だけしておくように』――これは命令です」

「人を人形みたいに……」


 舌打ちと睨みが返ってきたが、レジーナは黙殺する。

 

 この修道院はレジーナの一冬の家となる場所なのだ。

 従者の粗相(そそう)で追い返されでもしたら、たまったものではないので。


 もう一度ルカへと命の念を押し、レジーナは案内の御者とともに歩き出した。







 修道院は街はずれに位置している。


 敷地内には大きな礼拝堂と住居棟、行事の際に使う大食堂を備えているそうだ。

 離れた場所にも提携している牧場や農地を持っているらしい。

 そこでの作業や奉仕活動により、修道女たちは日々の生活を送っているそう。


 ――ということを、今しがた修道院の長である神父から説明された。


 

「わたくしはレジーナ・メイトスと申します。何の先ぶれもなく、突然お伺いしてしまい申し訳ございません。クォルタール修道院にて、婚前の教養の修練に励みたく参りました」



 本日何度目かの挨拶文句を喋り終え、レジーナは修道院執務室のソファーへと腰を落ち着けていた。

 神父の男と、シスターたちをまとめる修道女長の二人を前にして。

 

 五十代半ばほどの神父は、改めてレジーナをまじまじと見つめながら、感慨深そうに言葉をこぼした。


「――それにしても……こんな辺境の修道院に厳しい冬の時期を選んで、わざわざ足を運んでくるご令嬢がいらっしゃるとは」

「クォルタール領主のエイク・ヘイル様と少しご縁がありまして。雪国の文化を学びたく参りました次第です」

「いやぁ、頭が下がりますなぁ……はぁ~いやいやいやぁ~」


 神父は丸い眼鏡をカチャカチャとかけ直し、少々落ち着きのない様子だ。


 というのも、領主であるヘイル家の従者が案内としてついてきたからだろう。

 思いがけず、レジーナの修道院入りに『領主の後ろ盾』という箔が付いてしまったようだ。

 それゆえ、さっきから神父はレジーナのことを、賓客のように扱っているのだった。


(ありがたいけれど、なんだか気が引けるわ……)


 ソワソワとした神父と同じくらい、レジーナも内心では落ち着かない気持ちでいた。

 ちょっとしたお家騒動による家出なので、あまり大事のように対応しないでもらい、というのが本音である。


 レジーナと、ヘイル家の御者兼付き人の座るソファー。

 向かい側に座る、眼鏡の神父。

 ――と、神父の隣に座る修道女長が、ダレてきた会話をピシャリと切り替えた。

 

「修道女の長として先に申し上げておきますが、レジーナさん。あなたの身分がどうであれ、ここでは皆と同じように仕事をし、毎日の祈りに身と心を捧げていただきます。そのご覚悟はおありですか?」


 修道女長は猫のようにキリリと目元をつり上げ、レジーナを見つめた。

 年齢は六十代後半くらいだろうか。

 ツンとした厳しい表情の中に、上品さをまとう女性だ。


 どこか冷ややかで氷のような印象だけれど、レジーナには好ましく感じられた。

 なんとなく、自分が想像していた母のイメージに似ているような気がしたので。


 レジーナは立ち上がり、スカートを軽く持ち上げる。

 神父と修道女長の二人に向かって、うやうやしく返事をした。


「もちろんでございます。ご指導のほど、よろしくお願いいたします」


 いやはやこちらこそ、と腰を浮かせた神父。

 一方の修道女長は観察するかのように、レジーナを上から下までジロジロと眺めまわしていた。


(やっぱり、外から来た他領の娘は、あまり歓迎されないみたい……修道女長様に、変に目をつけられてしまわないように、しっかりしなくてはいけないわね)


 レジーナが気持ちを新たにしたところで、神父が立ち上がった。


「まぁまぁ、どのみち今からじゃ帰路にも困るでしょうし、クォルタール修道院はあなたを歓迎しますよ。――さて、ではさっそくですが、軽く院内を案内しましょうか」

「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

「ええと、礼拝堂で神への誓いも立てなければいけないね。はっはっは、なにぶん、修練女の受け入れは久方ぶりなもので、すっかり手順を忘れてしまっていて」


 神父は笑いながら、レジーナを廊下へと誘導する。

 

「では、まずはこの修道院で一番大切な場所――礼拝堂にご案内しましょう」


 案内に従い、冷えた空気に満ちる通路を四人で歩いていく。

 その間も神父はペラペラとお喋りを繰り広げた。 


「この街の修道院を選んでくるなんて、相当な雪好きか、山好きか、あとは家出のご令嬢くらいなものですよ。レジーナさんは雪がお目当てでしたっけ?」

「えっ、あ、は、はい! そうです! わたくしの家の領地でも近年雪が多くて……暮らしのヒントを得ようかと思いまして」


 ふいに話を振られて、レジーナは一瞬ドキリとした。

 まさか他人の口から『家出』のワードを聞くとは思わなかった。


(もしかして、前にも家出で来たご令嬢がいたのかしら……?)


 気になったけれど、触れないことにしておく。

 うっかり墓穴を掘ってしまったら大変なので。


 俗っぽいお喋りを楽しむ神父を、修道女長が咳払いでいさめた。


「神父様、祈りの道への門を叩く理由は、人それぞれです。むやみに暴くものではありませんよ」

「はっはっは、これは失礼。どうも久しぶりの客人に、気持ちが浮かれてしまっていて」


 きっと他のシスターたちも、レジーナさんの来訪を大喜びしますよ。と、神父は言い添える。

 修道女長は、やれやれ、とため息をついていた。

 

 人の流れの少ない土地だとは聞いていたが、思っていた以上に、来客は珍しいものらしい。

 

(家出の身だし、なるべく目立たず、静かに過ごしたいのだけれど……)


 レジーナはわずかに流れる冷や汗とともに、そっと息を吐いた。


 神父につき従い、他愛もない会話を交わしながら、レジーナは歩を進める。

 先に礼拝堂で、修練に入る旨を神に伝える儀式を済ませるそうだ。

 

 修道院一階の廊下の突き当りまで行くと、外へと繋がる扉が開かれた。 

 礼拝堂は離れに単体で建てられていて、外廊下を通る必要があるとのこと。

 屋内の空気も冷えていたが、外の空気はまた一段、身を刺すようなキンとした冷たさである。


 レジーナは思わず、手に抱えていたコートを羽織り直した。

 

 ――と、ちょうどその時。

 キンとした冬の空気を破るかのような、春めかしい和気あいあいとした声が耳に届いた。


『ねぇちょっと見た!? 門のところにいたお方、すごく格好良かったわ!』

『とまっていたのはヘイル家の馬車でしょう? 新しい御者さんかしら!』

『領主様が冬の間の楽しみにお雇いになった、演劇団の役者さんじゃない? だってあの見目ですもの! 使用人には見えないわ』


 キャッキャと黄色い声でお喋りをしていたのは、紺色の修道服をまとったシスターたちだった。

 二十代から、三十代後半くらいだろうか。

 大きなシャベルを手にしたまま、柱の陰から門のほうをうかがっている。

 どうやら雪かきの途中で、会話に花が咲いてしまったようだ。


 レジーナはチラリと、隣を歩いていた修道女長の顔をうかがい見る。が、すぐに後悔した。

 その表情は、雪女のような恐ろしい形相に変わっていたので。


 修道女長はシスターたちに、吹雪のような厳しい声を飛ばした。


「あなたたち、仕事をサボって何をしているのです!!」

「ひっ! しゅ、修道女長様! すみません……!」

「珍しいお客様がいらしていたので、つい……」

「ヘイル家のお方かしら、と……ほら、門のところの、金の髪をしたあちらの――」


 叱り声に驚いて跳ね上がったシスターたちは、口々に言い訳をもらした。

 そして話題にしていた人物のいる方向に、視線を向ける。


 うながされるように、修道女長も修道院の門へと目を向けた。

 つられたレジーナも、そちらに目を向ける。


 ――と、皆の視線の先にいたのは、馬車に寄りかかって退屈そうな顔をしていた、ルカであった。


 シスターたちは、修道女長の顔色うかがいもそこそこに、再び黄色い声をヒソヒソともらす。


「金の髪に青い瞳。素敵ねぇ」

「さっきからずっと、雪の中に立っていて……なんだか儚げで絵になるわぁ」

「きっと天界の天使たちは、あぁいう姿をしているに違いないわ」


 レジーナはひっそりと頭を抱えた。

 あれは天使どころか、悪魔である。

 神に仕えるシスターたちを惑わすとは、なんと罪深いことか。


(というかルカ! 人様のお家の馬車に寄っかかるんじゃありません! もう……!)


 なんて、心の内で叱りつけていると、遠くの当人とパチリと目が合った。


 ルカは姿勢を正し、こちらへと体を向ける。

 うやうやしい動作で胸に手を当て、優雅に微笑みながら会釈をしてきた。

 口は開かず、ただ静かに。

 先ほどレジーナの下した、命令通りに。


 レジーナには良くわかった。

 これは奴の挑発である、と。


 口元は綺麗に笑んでいるが、目が喧嘩を売る時の色をしている。

 黙っていろ、と命令を下したレジーナへの、意趣返しの会釈だろう。


(小憎たらしい笑顔だこと……そんな安っぽい挑発に、わたくしが乗るとでも思っているのかしら)


 呆れたため息をついた、その瞬間。


『キャ~……っ!!』


 周囲のシスターたちから、押し殺した呻きのような、黄色い悲鳴が上がった。

 どうやらルカの笑顔にあてられたらしい。

 

 修道女長は思い切り顔をしかめ、即座に地鳴りのような声音で、彼女たちを叱り飛ばす。


「貞淑に!! 神に仕える身で、領主家の使用人に心乱されるなんて言語道断です!!」


 修道女長の怒声に、レジーナは恐る恐る言葉を返す。


「……修道女長様、大変申し訳ございません。あの、あちらの男は領主様の使用人ではなく、わたくしの従者でして……」


 直後、シスターたちの好奇の目が、バッと音を立てるようにレジーナへと向けられた。

 レジーナは身をすくめて、集まる視線を回避する。


 修道女長へ謝り、頭を下げながら心の内で呻く。


(あの男……暴言にとどまらず、黙っていても周囲をかき乱すなんて。……最初の見目の印象が良い分、悪魔が露見した時の落差が酷いことになりそうだわ。この冬の間は、なんとしても、天使の皮を被ったままでいてもらわないと……)




 その後の修道院との話し合いで、結局ルカは修道院と提携している牧場を、ひと冬の宿兼仕事場にすることとなった。

 街に野放しにして喧嘩を起こされても困るし、というレジーナの判断により。

 一応、修道院近くに繋いでおく形である。


 聖域に偽装した悪魔を連れ込むようで、少し気が引けたのだけれど……

 手の届く距離としてはちょうど良かった。


 その後シスターたちは目の保養と称してルカの姿を拝むべく、牧場での作業に精を出すようになるだが、それはもう少し先の話だ。







 その後、礼拝堂で修練に入る儀式を終えると、修道服と礼拝具を授かった。

 院内をぐるっと一周案内され、住居棟で一冬の宿となる部屋も与えられたのだった。


 そうしてその日の夕食時に、これから共同生活を送ることになる、数十人のシスターたちへと挨拶をして、レジーナの修道院生活はスタートした。

 

 『見目麗しい天使のような従者を連れたご令嬢』という、早くも広まってしまった、頭の痛くなる肩書きとともに……


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