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21 エイクの胸の内と愛の祈り

 ヘイル家の敷地から、レジーナ主従を乗せた馬車が走り去っていく。


 エイクはその姿を見送った後、側に控える初老の執事――『アーバン・ケイトス』に、ウキウキとした様子で声をかけた。


「なぁ、アーバンよ、これは夢だろうか……! 一体何が起きたというのか! まさか、メイトス家のレジーナ嬢がこんな僻地に、しかもこの雪の季節に来訪するだなんて! あぁ、なんということだろう……!」


 執事アーバンは、呆れた顔でエイクをたしなめる。


「あまりはしゃがないでください、旦那様。みっともないですよ。レジーナ様は単に、雪国の視察に来られただけかもしれません。無駄に浮かれて、くれぐれも失礼のないように」

「わかっているよ! でも視察にしても、遠路はるばる自ら足を運んでくるなんて……さぞ大変だったろうに。……――やっぱり、少しは期待をしても良いのでは。その……私と顔を合わせるために、来てくれたのだと」


 エイクは嬉しそうに目を細めて、馬車が去った先を眺める。

 その頬はのぼせたように上気していた。


 その様子に、アーバンは呆れを深める。


「やれやれ……言ったそばから、もうすっかり浮かれきっているではありませんか。そうやってこれまで三度、縁談がお流れになったことをお忘れなきように。この土地は、平野に暮らす貴族令嬢にとっては、あまりにも不慣れで不便な土地なのですから。レジーナ様もどうなることやら」

「彼女は雪国に興味のある様子だったし、雪も嫌いではないと言っていたけれど」

「前回も、前々回も、前々々回のご令嬢も、最初はそうおっしゃっていましたよ。一冬の滞在で、うんざりして帰ってしまわれましたが」


 アーバンの言葉に、エイクは苦い顔をしてため息を吐いた。


 エイクは二十歳で、このヘイル家を継いだ。

 その際、執務のサポートもかねて妻を娶ることにしたのだが、なかなか上手く縁談が進まずに、今に至っている。


 その大きな敗因が、ずばり雪なのであった。

 

 ここクォルタールは元々、ヘイル家の先祖が諸侯からの嫌がらせで、押し付けられた土地である。

 環境が厳しく、暮らすには適さない土地なので。


 しかしヘイル家の先祖は負けん気が強かったのか、逃げることなく、この地に住み続けた。

 そうして代々受け継がれてきたのが、このクォルタールである。


 今では、『雪の要塞』やら『難攻不落の雪の城』やら、やたらと格好良い通り名までつけられているが、要は兵士すら容易にたどり着けない土地なのである。


 そういうわけで、クォルタールはいまいち物の流れが悪く、人の流れも悪い。

 大型の荷馬車が自由に行き交う暮らしやすい平野に対して、ここは現地の鹿でしか移動できないような土地。

 一年のうち半年は雪で閉ざされ、その間に行き来するのは、郵便屋と一部の商隊だけ。


 外に頼ることができない土地なので、自領の中で自給自足を徹底した結果、今はそれなりに栄えて、民は多く生活水準は高い。


 けれど、わざわざ僻地に籠って一生を終えよう、という特異なご令嬢は、どうにも見つからないでいる。

 今まで三度ほど、なんとか縁談を進めた家はあったのだが、結局は雪に邪魔され、流れてしまった。


 一人目の令嬢は、連日空を覆う、雪雲の薄暗さに具合を悪くして、破談。

 二人目の令嬢は、雪に閉ざされる半年間の間、街に軟禁されるような窮屈さに嫌気がさしたらしく、破談。

 三人目の令嬢は、底冷えする寒さで洒落たドレスが着られず、毛玉のような格好になる屈辱感に耐えられず、破談。


 エイクはなんやかんや、継いだ家の執務に慣れてきたこともあり、ここ最近は婚活を休止していたのだった。

 


 ――の、だけど。



 まさか突然、雪のようにハラリと、令嬢が舞い込んでくるなんて。

 しかもその相手が、『文通相手のレジーナ嬢』だったとは。


 使用人から『レジーナ・メイトスなるご令嬢が面会を希望している』と聞いた時には、耳を疑った。

 なぜならエイクは『文通相手のレジーナ嬢』を、勝手に好ましく思っていたので。



 レジーナ・メイトスから初めて手紙が届いたのは、婚活を一時休止していた最中であった。


 最初の一通目は、几帳面かつ優美な筆跡で『雪国の知恵を借りたい』という内容が丁重に綴られた手紙だった。

 知らない家名の者だったが、手紙の文面がとても真摯な印象だったので、ひとまず返事を送ってみた、というのが、文通の始まりである。


 そこから半年続いたレジーナとの文通は、破談続きでやさぐれていたエイクの心を、密かに癒していった。


 レジーナの綴る言葉は、言い回しや表現が巧みで小気味良く、彼女との言葉のやりとりは、単純に、とても楽しく感じられた。

 加えて、エイクから雪国のことを学ぼう、という姿勢には真剣さが感じられ、なんだか自分まで奮い立たされるような心地になったのだった。 


 そうして文通を続けていくうち、どうやらメイトス家とは古い縁があるらしい、ということを知り、そのうち機会を見つけて親睦の会でも、と思っていたのだった。


 それがまさか、ついさっき、突然叶うことになるとは――……



 エイクはアーバンにうながされ、ようやく玄関先から屋敷の中へと入る。

 

 最後にもう一度振り返り、名残惜しそうに外へ目を向けた。


「……レジーナ嬢には、嫌われないようにしなければ……。この冬は、どうにか雪を止められないかな。強力なまじない師でも集めて……何かこう、最強の呪術かなにかで。せめてレジーナ嬢の周辺だけでも、魔法の結界とかで……」

「最強とか魔法とか……何を思春期の男児みたいなことを言っているのです。雪は皆に等しく、襲い掛かるものですよ」


 エイクの戯言を、アーバンは厳しい表情でピシャリと封じた。

 しかしふと、その表情をゆるめて言葉を続ける。


「――にしても、レジーナ様は実に淑やかで良いご令嬢でしたね。未婚なのが不思議なくらいです」

「あぁ、あぁ! 本当に! 可憐な人だった……! 私は手紙の印象から勝手に『落ち着いた年上のお姉さん』のような姿を想像していたから、違っていたら心に打撃を受けるのでは、と身構えてしまっていたのだけれど……可愛らしく繊細な、雪の結晶のようなお人で……」


 エイクはまた、目頭を押さえて泣き出した。

 アーバンは肘の先で、その脇腹をどつく。


「旦那様、以前から勝手に容姿を想像して、鼻の下を伸ばしていたのですか……はぁ、まったく……そのこと、レジーナ様の前では絶対に、口にされませんよう」

「わかっている! 言うわけがないだろう、そんな失礼なこと」

「――失礼といえば」


 アーバンはやわらげていた表情を、また引き締める。


「レジーナ様の従者の、ルカと言いましたか。あの男は彼女とは違って、少々粗野な物言いをする者のように見受けられましたが」

「そうかい? 私はレジーナ嬢の護衛として、とても好ましいように思えたが」


 エイクは穏やかに笑みながら、顔をしかめているアーバンへと言葉を返す。


「あの従者――ルカくんは、レジーナ嬢との歓談から、馬車に乗り込むその瞬間までずっと、私のことを見張っていただろう? きっと私が彼女に無礼でも働こうものなら、体裁も何も気にせず、その場で殴りかかってきたと思うよ」


 アーバンは、ふむ、と、しかめた表情を戻した。

 エイクはルカの澄みきった青い目を思い出し、苦笑する。


「……ははは、あの目のおかげで、私も理性を保てたよ。……出会えた感激のあまり、うっかり彼女の手に口づけを落としそうだったから」

「なるほど。いっそそのまま、一発殴られてしまっていたほうが、旦那様には今後の良い薬になったかもしれませんね」


 返す言葉もなく、エイクはアーバンへ苦笑いを向けた。




 廊下の角で一度アーバンと別れ、エイクはひとまず執務室へと向かう。


 部屋に入ると、レジーナからもらった置物を丁重に机へと飾った。

 

 その置物は、ガラスと金細工を組み合わせて作られた、雪の結晶を模したペーパーウェイトだった。

 おそらく、雪国の領主への贈り物ということで、このデザインを選んだのだろう。

 細やかな気遣いに、エイクは頬をゆるませた。


 軽く息をつき、レジーナの姿を思い返す。


 白い肌に、銀糸のように美しい髪。

 華奢な身をしていて、所作には無駄がなく淑やか。その優美な動きに、水色のドレスがよく映えていた。

 口からこぼれる言葉は流れるようになめらかで、爽快で心地良い。

 真面目でまめな性格は、半年間の文通で良く知っている。

 

 そして、なにより……


(笑顔が……ものすごく……可愛らしかった……)


 思い出し、エイクはたまらず顔を覆った。


 あの少女のような、無垢の笑顔。

 

 あの笑顔が、彼女が。

 これからの長い人生の中、ずっと自分の側にあってくれたなら。

 この心は、どれほど彩りに満ちることだろう……

 

 エイクは呼吸を整え、胸の前で手を組んだ。

 

 一人静かに、神へと祈りを捧げる。



「――愛の神よ、どうか、私に祝福を」



 祈りの言葉は、シンとした空気の中へと溶けていった。


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