20 エイク・ヘイルとの歓談
城のようなヘイル家の、広く大きなロビーの一角。
暖炉の側の談話スペースで、レジーナは雪の要塞の主人との出会いを果たした。
――エイク・ヘイル。
若干二十四歳にして、クォルタールとその周辺の山々を含む、広い領土を手堅くおさめている領主。
艶やかな黒髪に深い紫色の目をしていて、男らしくも甘い容貌。
まるで芸術作品のように、容姿の整った男だ。
装いは、黒地に金の刺繍が入った三つ揃え。
上着の裾は長く仕立てられていて、歩くとフワリと揺れる、とても優美なシルエットをしている。
レジーナは、もらった手紙のコミカルな印象から、勝手に親しみやすい小男のような容姿を想像していたことを、深く反省した。
思わず呆けてしまっていたが、気持ちを切り替え、うやうやしく挨拶をする。
「お初にお目にかかります。レジーナ・メイトスと申します。雪国クォルタールの冬をこの身で感じ、学びを得たく参りました。雪で道が閉ざされる前に、と、気が急いてしまい、先ぶれも出さずに足を踏み入れてしまいましたこと、まことに申し訳ございません。突然の訪問の無礼を、どうかお許しください、ヘイル様」
なめらかな水色のドレスを持ち上げ、淑女の挨拶、カーテシーを完璧な所作でこなす。
身分の高い初対面の相手への挨拶は、本当に久しぶりだったので、レジーナは内心ドキドキしていた。
けれど幸い、体にはすっかりと振る舞い方がしみついているようで。
こういう時でも口と体が自動的に動いてくれるのは、生真面目なレジーナの、日頃の心がけのたまものである。
レジーナの挨拶を受け、王族のような見目をした領主は、クシャリとした笑顔を浮かべた。
まとった高貴な雰囲気とは、なんだか不釣り合いな笑顔である。
ポカンと笑顔に見入ってしまったレジーナに向かい、領主は気さくに返事を返した。
「こちらこそ、お目にかかれて光栄です! 私のことはどうぞ、エイクとお呼びください。いやはや、まさかレジーナ嬢と、こうしてお話することが叶うとは……手紙でのやり取りがあったので、いつかお会い出来たら、とは思っていたのですが……いやぁ、もう……はぁ……感激のあまり、上手い言葉が出てきません。まさかこんな、雪山の僻地に来ていただけるなんて……はぁ~……」
言いながらエイクは、目頭を押さえだした。
言葉の最後のほうは、もはや独り言のようになっている。
その様子を見かねたのか、側に控えていた初老の執事が、肘の先で静かにエイクを小突いた。
エイクはハッとして、言葉を続ける。
「あぁ、っと、すみません! つい感動してしまって。ええと、取り合えず応接室に……あぁ、いや、あの部屋は寒いな……火を焚いても暖まるまで時間がかかるし……よし、もうここで良いでしょう! レジーナ嬢、良ければ少しだけ、お話をしませんか」
人懐っこい笑顔とともに、エイクはレジーナへと手を差し出した。
レジーナはその手を取り、微笑み返す。
「ありがとうございます、エイク様。わたくしも、あなた様といつか直接お話ができたら、と考えておりました」
レジーナはエイクにエスコートされ、再び暖炉脇のソファーへ座る。
向かいにエイクが座り、入れ替わるように、ガンファルがソファーを離れた。
ガンファルはニコニコした顔で二人に声をかける。
「――では、ワシはそろそろ、お暇させていただくとしましょう。郵便配達の続きもありますので」
「ガンファルさん、山越えでは何から何まで、本当にありがとうございました。心から感謝いたします。リリーさんにも、よろしくお伝えください」
レジーナはガンファルに礼を述べる。
ガンファルはふと悪戯めいた顔をして、レジーナに歩み寄り、耳元へ小声を届けた。
「レジーナ嬢、諸侯へ送る『婚約の知らせと、婚姻の儀の招待状』の配達を承る日を、楽しみにしていますよ」
レジーナは苦笑しつつ、あいまいな返事を返しておいた。
まったくもって、保証はできないことなので。
ガンファルはソファーを離れる。
――と、その去り際、ルカへと声をかけた。
「ルカくん、お前さんは山越えの才があるから、ワシの引退後に、郵便屋の仕事でもどうだい?」
「断る。寒いの嫌いなんで」
ルカにバッサリと断られ、ガンファルはすねた顔をしながら、歩き去っていった。
なかなか後継者が見つからんなぁ。なんて、ブツブツ独り言をもらしながら。
ガンファルを見送り、レジーナは改めて、エイクと向き合う。
エイクの紫の瞳は、優しい輝きを宿しながら、じっとレジーナの姿を映していた。
あまりにもまじまじと見つめられているものだから、レジーナはなんだか落ち着かず、誤魔化すように話題を振る。
「――ええと、エイク様、まずはこちらをお受け取りいただけましたら、嬉しいのですが」
お近づきの印に、と言い添えながら、鞄から献上品を取り出す。
ソファー前の小さい机へコトリと置いて、飾り彫刻のほどこされた木箱を開けた。
中を見せるようにして、エイクへと差し出す。
「ガラスと金細工の置物でございます。なにぶん、田舎の小貴族の娘が用意したものですから、エイク様のお眼鏡にかなうかどうか……」
「! とても美しいです……! ありがとうございます、さっそく机に飾ります!」
エイクはレジーナからの贈り物を受け取り、目を輝かせた。
が、その表情はすぐにしゅんとしたものへと変わる。
「こちらも何か用意があれば良かったのですが……申し訳ない……」
「いえ! わたくしが突然お伺いしてしまったものですから、どうかお気になさらずに。それに、わたくしはこの後クォルタールの修道院をうかがって、そのまま一冬身を置こうかと考えておりますので。頂き物を受け取るわけにもいかない身でございます」
「修道院!?」
サラリと話した今後の予定に、エイクは目を見開いて驚いた。
なんとなくわかってきたが、エイクは表情豊かな人である。
「はい。メイトス家の当主である父から、嫁入り前の作法修得の命を受けまして。せっかくの機会ですから、以前より憧れがありました、雪国クォルタールの修道院へ身を寄せたく思い――」
「嫁入り前というのは、もうどこかの家とのご縁談が!?」
「ええと、その、それは恥ずかしながら……」
「はぁ~~良かっ……――あっ、いや! 不躾に込み入ったことを聞いてしまい、申し訳ございません」
エイクはレジーナの話に食らいつくかのような勢いで、前のめりに言葉を飛ばしてきた。
縁談の相手の有無は、それとなくぼかしておくことにする。
レジーナには一応、キルヤック家との縁談があるのだけれど、これはあくまでも『仮』ということにしておいて。
レジーナとエイクはその後いくつか話題を振り合い、即席の親睦会を楽しんだ。
縁談に関係する話は、最初のやり取りそれっきりで、その後の歓談に尾を引くこともなく。
なにせ、文通をしていたとはいえ、二人は初対面なのだ。
まずはあたりさわりのない話から仲を深めていくのが、社交というものである。
(――でも、エイク様は初対面とは思えないほど、喋りやすいお方だわ。気さくで、お優しくて……)
ふと、今まで自分がこなしてきた親睦会――トーマスとの茶会を思い出す。
元婚約者との会では、こんなに穏やかで心地の良い会話など、一度だってできなかった。
トーマスはいつもレジーナには気のない様子で、アドリアンヌにばかりかまけていたから。
エイクとの穏やかで気持ちの良い親睦会に、レジーナはつい時間を忘れて、会話に花を咲かせてしまうのだった。
給仕が紅茶の継ぎ足しを、二度ほど済ませた後。
少ししてから、エイクの執事が主人の耳元で何かを囁いた。
途端に、エイクは肩を落としてしょんぼりとした顔をする。
そのままの表情で、レジーナへと話しかけてきた。
「すみません、レジーナ嬢……もう少し長くお喋りを楽しみたいところなのですが……今日は出掛ける予定が入ってしまっていまして……」
「! 気がまわらずに申し訳ございません……! すっかり長居してしまって……! お忙しいところ、お時間を割いていただきありがとうございました。わたくしはそろそろ、失礼いたしますね」
どうやら、エイクはこの後予定があるようだ。
レジーナはさっと立ち上がり、礼をする。
エイクはため息をつきながら、のっそりと、未練がましく立ち上がった。
動作とは裏腹に、凛とした声音で執事へと指示を飛ばす。
「馬車の用意を。レジーナ嬢を修道院まで送ってくれ」
執事はキビキビと動き、ロビーの端に控えていた使用人へ指示を出した。
レジーナは使用人の手を借りてコートを羽織り、帰りの支度を整える。
その間に、馬車の準備も整ったようで、玄関の前に黒毛の馬が二頭、顔を出していた。
エイクはレジーナへと手を差し出し、玄関先までエスコートする。
「雪で滑りますから、お気を付けて」
「はい、ありがとうございます。――あ、そういえば」
レジーナは玄関の脇にある、大きな兎の雪像へ目を向ける。
「この雪兎の像、とても可愛らしいですね! 来た時につい見入ってしまいました」
「それは光栄です。クォルタールではもう少ししたら、広場で雪像の祭りが開かれますよ。雪像をお気に召しましたら、是非に。――と、一つ訂正させていただくと」
ニコニコしていたエイクの表情が、突然、真面目なものへと変わった。
何か良くないことを言っただろうか、と、途端にレジーナの背に冷や汗が流れかけた――が。
神妙な顔で続けられた言葉は、気の抜けるようなものだった。
「この雪像は、兎、ではなく、犬です」
「え?」
思わず、レジーナは兎の像をまじまじと観察する。
ずんぐりふっくらとした胴体に、大きな耳。確かに、足と尻尾は兎にしては長い気もするけれど。
「犬……? ふふっ、も、申し訳ございません……兎だと思っていました」
「犬です、犬。ちなみに作ったのは私です」
エイクは得意げな顔で、胸を張った。
どう見ても犬には見えず、レジーナは込み上げる笑いをこらえる。
そしてレジーナはふと思い出したかのように、鞄から手紙を取り出した。
身分証代わりにと持ってきたエイクの手紙を開いて、端に描かれたイラストを指さして尋ねる。
「エイク様、あの、ちなみにこちらの絵は、何を描いたものでしたか?」
「あぁ、これはオオツノジカです。こちらでは有名な動物なので、絵を添えておこうかと」
「……ふふっ、申し訳ございません、わたくしこの絵を、ずっと毛虫か何かだと思っていましたわ。ふふふっ、あっはっはっ」
こらえきれず、ついにレジーナは身をよじって笑ってしまった。
エイクの描いたオオツノジカは、団子にいくつも棒を刺したかのような絵だったので、レジーナはつい、毛虫のような生き物だと思っていたのだった。
ひとしきり笑い終えると、レジーナは肩を揺らしながら、エイクへと謝る。
「も、申し訳ございません、わたくしったら不躾に……ふふっ……」
「いいえ、レジーナ嬢の笑顔を見られましたし、私の絵にも価値があったというものです。……まぁ、次までには、もう少し練習をしておきますが」
エイクも笑いながら、レジーナを馬車へと導く。
「レジーナ嬢、改めて、クォルタールへの来訪を心から歓迎します。冬場は厳しい土地ですが、何か支援が必要でしたら何でも言ってください。我がヘイル家は、あなたと深く良い関係を築きたいと思っています」
「ありがとうございます。こちらこそ是非、メイトス家共々、仲良くしていただけたら嬉しく思います」
馬車へ乗り込むレジーナに続けて、ルカが荷物を上げ、ともに乗り込む。
馬車は四人乗りの、広く大きな造りだ。
久しぶりに感じる快適な乗り心地に、レジーナはホッと息をついた。
――が、ここで気を抜いたことを、後悔することになる。
ふいに、エイクがルカに話しかけてしまったのだ。
「従者の方も、お疲れのことでしょう。郵便屋のガンファルさんが気にかけるほど、山越えに通じているようだけれど……よければ、名をうかがっても?」
まずい、この悪魔に話題を振ってはいけない……!
と、レジーナは慌てる。
(ダメよダメダメ! 余計なことを喋っては……!!)
無駄口を叩くであろう、ルカを抑えようと、レジーナは構えた。
馬車が広くて、小突くにも足を踏みつけるにも距離がある。
まさかエイクのいる前で、飛び掛かるわけにもいかない。
主人であるレジーナに名を聞かずに、わざわざ従者のルカ自身に名乗らせようとしたのは、おそらくエイクなりのルカへの敬意だろう。
――けれどそんな気遣いは、この悪魔のような男にとってはチリのようなものである。
ルカはエイクを睨みつけると、鼻で笑いながら、嫌みったらしく言葉を返した。
「ルカといいます。家の名前はありません。なにぶん、生まれが悪いもので。由緒正しいお貴族様でいらっしゃる、あなた様とは違って」
「ルカ!! おやめなさい、失礼ですよ! ……申し訳ございません、エイク様! しつけがなっておらず」
レジーナは大慌てでルカを叱りつけ、エイクへ謝罪する。
冷や汗をかいたレジーナとは裏腹に、エイクは朗らかに言葉を返した。
「いや、こちらこそ気が回らずに、答えにくい聞き方をして申し訳ない。――ルカくんか。良い名だね。君も何かあったら、遠慮せずに私を頼ってほしい」
エイクはルカに笑顔を向けると、では、と一声かけて、馬車から離れた。
使用人が馬車の扉を閉め、馬がゆったりと歩き出す。
レジーナは最後に窓から会釈をし、エイクと別れた。
門で預けていたルカの戦斧――ハルバードを返してもらい、ヘイル家を後にする。
城のような屋敷を見送りながら、レジーナはルカへと話しかけた。
「まったくあなたは……油断も隙もないのだから。……――それにしてもエイク様、思っていた以上に良い方だったわね。雰囲気が柔らかくて、初対面なのにとても喋りやすくて。あなたの失礼も流してくださったし、きっと徳の高い方なのね」
「俺は犬みたいな男だな、と思って見てましたが。お嬢様に尻尾を振っていましたし」
「こら! あなたはまたそういうことを言って……失礼な物言いはおやめなさい。――まぁ、でも」
――ちょっと犬っぽい、というのはわかる気がする。
表情豊かで、素直で朗らかな、黒毛の大型犬。
なんとなくそんなことを思ってしまって、レジーナはクスリと笑みをこぼしてしまった。
そのレジーナのやわらかな笑顔を、ルカは青い宝石のような目に、ただ静かに映し続けていた。




