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2 寝取られ現場と嫌われ淑女

 この日の親睦会を兼ねた定例の茶会は、レジーナの実家側、メイトス家で催された。


 茶会がメイトス家で開かれる時はトーマスが訪れ、セイフォル家で開かれる時にはレジーナが彼の家へ向かう、というのがいつもの流れである。


 しかしここ最近は、不思議とメイトス家で開かれる回数が多い。

 実家での茶会だと、両親と異母妹(いもうと)も加えての会になるので、婚約者と二人きりで話す機会がなくなってしまう。

 そのことにも、レジーナはやきもきしていた。

 

 もう婚姻の儀までは一月ほどしかないのだ。

 婚約者と二人きりで確認しておきたいことだって、たくさんあるのに。 



 結局この日も家族を交えた茶会は、二人で深い話などできずに、とりとめのない世間話をしただけで終わってしまった。


 お開きとなり、トーマスがいつも通り帰り支度を始める。

 

 そうして馬車の準備が整う前の、わずかな待ち時間。

 アドリアンヌがトーマスにコソリと囁きかけるのを、レジーナは見逃さなかった。


「トーマス様ぁ、お帰りの前に、あたしと一緒に花園をご覧になりませんかぁ?」

「あぁ、僕もちょうど、花を楽しみたいと思っていたところだよ。行こうか」


 二人の会話は、まるで何かの合言葉のようだった。

 トーマスは茶会に同席していた父に花園を見に行く旨を伝え、二人そろってスルリと応接室を抜け出していく。


 同じタイミングで、レジーナは継母(はは)に話しかけられた。


「レジーナ、トーマス様のお見送り前に、お化粧を整えていらっしゃい。女たるもの、殿方との別れ際には美しい姿をお見せしないと」

 

 そう、いつも何だかんだと継母に声をかけられ、気が付くと二人が姿を消しているのだ。

 不審に思いながらも、淑女の笑みを顔に貼り付けて継母に対応する。


「えぇ、お母様。お部屋で整えてまいります」


 レジーナの返事に、継母は満足そうに笑う。

 アドリアンヌとよく似た、ウェーブの赤毛と豊かな胸がふわりと揺れた。

 継母曰く、父のことは『体と愛嬌で落とした』らしい。

 厳格な祖父が聞いたら、卒倒しそうな馴れ初めだ。


 継母に言われるがまま、レジーナは優雅に応接室を出る。

 部屋の入り口で一度笑顔で会釈をし、パタリと扉を閉めた。

 

 ――その直後。

 廊下に控えていた護衛に命を出しながら、レジーナは普段ではあり得ないほどの大股で、ガツガツと歩き出した。


「わたくしは庭の花園へ向かいますから、あなたは庭園の入り口あたりで待機していてちょうだい!」


 口早に命を出された護衛は、一瞬キョトンとした後、慌てたようにレジーナの後をついてくる。


 明るい金糸の髪に、真っ青な瞳。

 たかが屋敷護衛にしてはずいぶんと華やかで、主人が霞むくらいキラキラとした、見目の良い男だ。


 この男は幼い頃から仕えている、レジーナ付きの護衛である。

 ――お付きの護衛、というよりも、訳あって幼馴染としてたまたま一緒に育った、と言ったほうが正しい関係なのかもしれないけれど。


 護衛は急ぐレジーナを鼻で笑いながら、悪態じみた声をかける。


「おや、お嬢様、ご乱心ですか? そのようなはしたない歩き方をしては、愛しの婚約者様に嫌われてしまいますよ」


 この護衛、無駄に麗しい見目に反して、少々性格が悪い。

 いや、少々どころか、かなり悪い。

 『綺麗な薔薇には棘がある』、を地で行く男なのである。


 レジーナは護衛のことを、鼻で笑い返してやる。


「あら、あなたこそ、主人にそんなはしたない憎まれ口を叩いては、クビになってしまいますよ。あなたのひねくれた性格じゃあ、新しいお仕事を探すのは、さぞ骨が折れることでしょうね」


 飛ばされた悪態に、悪態で応える。

 幼馴染といえども、さして仲は良くないのだ。



 サラリと護衛を黙らせ、レジーナは裏口から外へ出た。

 

 屋敷の裏側には、小規模ではあるが、そこそこ立派な庭園が広がっている。

 父の道楽の結果として出来上がったものだ。

 レジーナはこの庭園にかかる金を、本当は領地の整備に使いたいと常々思っているのだけれど……


 庭園の入り口に護衛を待機させ、ひとつ、大きく呼吸をする。


(よし、行きましょう! 婚約者であるわたくしを差し置いて、二人で仲良く花を見るなんて……マナーに反すると、今日こそ注意をしてやらなければ!)


 レジーナは意を決したように背筋を正し、そのままゆっくりと、花園へと歩み出した。


 

 メイトス家の花壇は、冬でもそれなりに草花で賑わっている。

 春夏に比べると大人しさはあるものの、しっかりと冬の草木が植えられているのだ。

 無駄に金のかかっている庭である。


 緑の中に、二人の姿を探す。

 吹く風は冷たく、冬を肌に感じて、思わず身震いした。

 まだ冬の初めだけれど、この調子だと今年もあっという間に雪が降りそうだ。


(せめてショールくらい羽織ってくるべきだったかしら……)



 ――なんて、二人の捜索より、寒さに意識を向けかけた時だった。


 この寒風の中、草木の陰に、目を疑うような肌色が見えたのは。



「…………へ……?」


 レジーナの口から、気の抜けた声がもれ出た。


 自分は、一体何を見ているのだろう。

 目を二、三度パチクリさせて、改めて、草陰に目を凝らす。


 低木と背の高い草花が生い茂る、花壇の奥。

 そこに景色とは不釣り合いな、人の肌の色が見える。


 ゆっさゆっさと揺れ動くその二つの肌色は、まごうことなき――


「……お尻…………?」


 たくし上げられたドレスから現れた尻と、下ろされたズボンから現れた尻が、二つ仲良く寄り添い合っている。


 二人の状態を確認した瞬間、レジーナは固まった。

 硬直する体とは対照的に、脳は凄まじい速度で眼前の状況を処理していく。


 そして脳の稼働が終わり、()を理解した瞬間。


「キャアアアアアアアアッ!!」


 レジーナは生まれて初めて、淑女らしからぬ渾身の声量で叫び声を上げたのだった。


 


 その直後、護衛が走り込んできて、二人を叩っ切ろうと剣を振り上げたところまでは覚えている。

 突然の乱入者に仰天し、尻丸出しでひっくり返った婚約者と、同じくあられもない姿で花壇を転がった異母妹の姿も、朧気ながら覚えている。


 しかしその後、どうやって屋敷に戻り、どうやって応接室のソファーに落ち着いたのか、レジーナはよく覚えていない。

 二人の首を落とそうと追い回す、残忍な悪魔のような――仕事熱心な護衛を止めるのに、必死だったので。


 気がついたら、応接室に全員がそろい、話し合いが始まっていたのだった。


 そうしてその話し合いの終わりに、婚約者トーマスの口から出てきた言葉がこれだ。


『レジーナ・メイトス。今この時をもって、僕、トーマス・セイフォルは……君との婚約を、正式に破棄する』



 ようやく落ち着いてきた頭で、レジーナは彼の言葉を受け入れた。

 

 否、受け入れざるを得なかった、と言うべきか。

 話し合いの最中、これまでの鬱憤晴らしとばかりに、幾度もトーマスに非難されて心が折れたので。


『レジーナは体は貧相だし、性格は堅苦しいし、女性らしい可愛げがまるでない』

『何かと口うるさくて、厳しすぎる。まるで婚約者というより親のようだ』

『将来夫婦として長い時間を一緒に過ごすことを考えると、息が詰まる』

『はきはきとした物言いは好ましくない。女はおっとりと喋るべきだ』

『執務に出しゃばってくるな。君は男を立てるということを知らないのか』

『僕は家を継いだばかりで疲れている。妻となる女性には癒しを求めたい』


 などなど。

 そしてレジーナと比較するかのように、アドリアンヌを絶賛した。 

 

 仕舞いにはその場で膝をついてアドリアンヌに告白してみせ、彼女と正式に婚約を結ぶに至った。


 父も継母も二つ返事で了承した。

 元々、両親はアドリアンヌを推していて、水面下で応援していたようである。


 一応、世間体を考えたのか、今まではコソコソしていたようだけれど。

 全てが暴かれてしまい、もはや開き直っている様子だ。

 二人の婚約にレジーナが口を挟んだところで、もう覆すことなどできはしないだろう。




 頭の整理にふけっているうちに、ようやく泣いていたアドリアンヌも落ち着きを取り戻してきたようだ。


 その涙で潤む薄茶色の瞳は、儚げで可憐である。

 なるほど、これが殿方の庇護欲を煽る、可愛らしい女性の姿というものか。


 なんて、思わず現実逃避のように観察してしまったレジーナの耳に、トーマスとアドリアンヌの声が届く。


 場の締めとばかりに、トーマスはもう一度膝をつき、アドリアンヌの手を取った。


「泣かないでおくれ、アドリアンヌ。もう障壁はなくなったのだから。これから先、僕たち二人で真実の愛を育んでいこう」

「トーマス様ぁ……あたし、生涯の愛をあなたに捧げますぅ……!」


 二人の愛の誓い合いを聞き届けることなく、レジーナはおもむろに立ち上がり、応接室を去った。


 この後アドリアンヌは、トーマスと甘い抱擁と口づけでも交わすのだろう。

 レジーナには手の届かない、『真実の愛』とやらの祝福を一身に受けながら。


(……わたくしにも、アドリアンヌのような殿方受けの良さと奔放さがあったなら、愛の神の祝福をもらえたのかしら……)


 悔しくて、羨ましくて、引っ込めていた涙がまたあふれ出てくる。


 パタリと応接室の扉を閉め、廊下に出たところで、待機していた護衛と目が合った。


 護衛はレジーナに並び歩きながら、いつもの悪態を吐いて寄越す。


「レジーナお嬢様、本当に婚約者様に嫌われてしまったようですね。先ほどの冗談が、まさか現実になるとは。……――しかし、あれですね。お嬢様は泣いていると、まるでか弱い女子のように見えますね。普段はやかましい喋り鳥みたいですけれど」

「……お黙りなさい。わたくしは泣いていなくても常に女子ですわ! 本当にクビにするわよ、この無駄口男」


 護衛を睨みつけ、ペシンと腕を叩いてやった。

 その後少し迷いつつ、言葉を繋げる。


「…………でも」


 流れる涙はそのままに、レジーナは少し表情をやわらげた。

 涙を指で払いながら、わずかに笑みをこぼす。


「さっきの、庭園ではありがとう……すぐに来てくれて。お尻丸出しでひっくり返ったあの二人の姿は、今思えばちょっと滑稽で、面白かったわね」

「……かっ、駆けつけたのはあくまで仕事ですから。俺は別に、自分の仕事をしただけです。それに、俺の主人はお嬢様ではなく、厳密に言うとあなたのお祖父様(じいさま)です。思いあがらないでください」


 怖い顔をした護衛に、睨まれながらピシャリと言葉を突き返された。

 と、同時に、護衛は懐から布を取り出し、レジーナの顔へと投げつけてきた。


「わっ! ちょっと、何をするの……って、何? この布」

「お嬢様いい加減、その……な、涙を、何とかしてください。目障りなんですよ、いつまでもカエルのようにジメジメと。俺爬虫類大っ嫌いなんで」

「カエルは両生類よ。というかこの布……なんだか、獣の臭いがするのだけれど……」

「え、あ、あぁ、そういえばさっき馬の顔を拭いたから。――ふははっ、これはとんだ失礼を。うっかり、お嬢様を家畜扱いしてしまいました」

「……嫌がらせも大概にしてちょうだい」


 護衛は悪魔のような意地の悪い笑みを浮かべた。

 そういう顔をしなければ、まるでどこぞの王子のように、金髪碧眼の麗しい容姿をしているというのに。

 本当に残念な男だ。


 レジーナは布を投げ返し、今日何度目かの盛大なため息をついた。



 この護衛の名は、『ルカ』という。

 彼に家の名――ファミリーネームはない。


 七歳の頃、祖父が突然連れて来た男だ。

 同い年の十八歳。

 見目だけは良いが、意地悪で粗野で口の悪い、どうしようもない男。


 この男から、レジーナは大層嫌われているのだった。

 ことあるごとに憎まれ口やら嫌がらせやらを、繰り返されるほどに。


 フンと鼻を鳴らして、投げ返された布をポケットにしまう護衛――ルカの姿を見やる。

 ふと、先ほどトーマスから、美しく上質なハンカチを差し出されたアドリアンヌのことが頭をよぎった。


 『想い人から、真実の愛を受け取ったアドリアンヌ』

 『嫌われている相手から、嫌がらせと悪態を受け取るレジーナ』

 

 自分と異母妹のどうしようもない差に、改めてガックリと肩を落とした。

 考えれば考えるほど、己の惨めさに涙が出てくる。


 そんなレジーナの様子に、ルカは思い切り顔をしかめて再び悪態を吐く。


「泣くなと言ってるでしょう、鬱陶しい。目、腫れますよ。明日のお嬢様の顔面は、さぞ酷いことになっているでしょうね。ははっ、これは楽しみだ」

「わたくしだって、泣きたくて泣いているわけじゃないわよ……! まったく、本当に意地の悪い男なんだから……いつかあなたが泣いた時、同じことを言ってやりますからね」


 覚えてなさい……!

 と、悪魔のように辛辣な護衛に、泣きながらも言い返してやった。

 



 しかしこの夜、そんなレジーナの涙も枯れ果てる話が舞い込んでくることになる。

 

 ――なんと父が、レジーナに新しい縁談を持ってきたのだった。

 それも、とんでもない内容の……



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