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17 旅の食事と身軽な令嬢

 翌朝、レジーナ一行は日の出の少し前に起床した。


 外を見ると、雪はレジーナの胸の高さほどになっていた。

 人間ではもう身動きも取れないような積雪量だが、オオツノジカにとっては、普通に歩ける程度だそう。


 歩けるどころか、野生の鹿たちはこの中を元気に走り回るらしい。

 寒ければ寒いほど、雪が積もれば積もるほど、彼らは活発になるそうだ。

 

 

 レジーナとリリーが朝支度をしている間に、ルカとガンファルは厩舎でオオツノジカの面倒をみる。

 レジーナは朝にも、ルカの手に軟膏を塗り込んでやろうとしたけれど、捕まえようとしたら逃げられてしまったので、断念した。


 それぞれ着替えや、鹿の餌やりを済ませる。

 その間に日が登ったようで、薄ぼんやりとした明かりが雪景色を白く浮かび上がらせていた。



 一通り朝の準備が整ったら皆で薪ストーブの側に集まり、会話を楽しみながらの食事が始まった。


 ルカの口の悪さは、レジーナがどうにか上手いことカバーする。

 その様子はさながらコメディアンのやり取りのようで、気の良いガンファルとリリーは面白がって笑っていた。

 レジーナは内心で、失礼がないかとヒヤヒヤしていたのだけれど。


 お喋りをしながらの食事に、レジーナはなんだかフワフワとした不思議な心地を感じていた。


 メイトス家では祖父が亡くなってからは食事の時間に家族と喋る、なんてことは一切なかったから。

 正しく言うと、レジーナがお喋りをするということがなかっただけなのだが。


 家族団らんの場はほとんどにおいて、アドリアンヌが主役の場だった。

 元婚約者トーマス来訪時の茶会ですら、当のレジーナよりアドリアンヌがお喋りの中心であったのだ。


 アドリアンヌの無邪気でおっとりとした話し口は、場に癒しと華やぎをもたらす。

 一方のレジーナはスラスラと言葉を紡ぎ、氷の上を次々と滑らせていくかのように喋るので、癒しも華やぎもあったものではない。と、自分でもわかってはいた。

 どちらが団らんの中心にふさわしいかなんて、比べるまでもなかった。


 なのでレジーナは極力喋らず、団らんを邪魔しないよう静かに食事をとるようにしていたのだった。

 

 けれど、家出の旅に出てからは食事の相手はほとんどルカ、そして現地の住民たちだったので、気楽にペラペラとお喋りをしていた。


 レジーナが喋り出しても、屋敷の家族のように白けた顔を向けてくる人はいない。

 『お前の話は退屈だ』だとか、『お前は黙っていろ』だとか、話を遮ってくる人は誰もいないのだった。

 

 レジーナはふと心の内で苦笑する。


(わたくし、メイトス家での食事よりも今の食事のほうが好きみたい。――思っていた以上に、この家出の旅を楽しんでいるみたいだわ)

 

 家出の事情を考えなければ、結構楽しい旅である。

 事情を考えなければ…… 


 一瞬遠い目をしそうになったレジーナを、リリーの声が会話の中に呼び戻した。


「――にしても、レジーナお嬢様は変わっていますねぇ。数年前にクォルタールにご案内したご令嬢は、付き人が十数人もいらっしゃったのに。お嬢様は護衛お一人だけ付けて、侍女もいないのですもの。旦那様から話を聞いた時には、私びっくりしましたよ」


 リリーは丸顔をクシャリと崩して笑った。

 ガンファルがその話に乗る。


「前回のあのご令嬢は特にすごかったからなぁ、よく覚えているよ。足の先から頭の先まで着飾っておいでだったから。山の移動がえらい大変でしてね……」


 話を聞くに、ガンファル夫妻は以前にも、縁談でクォルタールを訪れた令嬢の山越えの供をしたことがあるらしい。


 リリーが話を続ける。


「そのご令嬢、身につけていた装飾品で酷いしもやけを起こしてしまいましてねぇ。まだ秋の中頃だったから、油断していた私たちが悪いのだけど……夫婦共々、『気が利かない案内役だ』と、とっても怒られてしまったわ」

「装飾品をつけていると、しもやけになるのですか?」

「キンキンに冷えた金属が肌に当たっていると、しもやけを起こしてしまうのよ。あのご令嬢は耳飾りのせいで、耳たぶがパンパンに腫れてしまって……」


 それはなかなかに哀れだ。

 縁談のための訪問だったというのに、耳が大きく腫れてしまってはアピールポイントとなる見目の美しさも半減である。


「レジーナお嬢様にも耳飾りには気を付けていただこう、と思っていたのですが、その心配はなかったようで、ホッとしております。私は田舎の村育ちの女ですからご令嬢の暮らしをよく知らないのですが、普段は装飾品を身に着けないものなのですか?」


 何の気なしに振られた質問に、レジーナはドキリとする。

 普段レジーナは、母の形見であるムーンストーンのネックレスを身に着けていた。

 その他にも時と場合と気分によって、耳飾りや髪飾り、腕輪や指輪などで装ってきた。


 でも今レジーナは、装飾品の類を何一つ持っていない。


(……家出資金を得るために全部売り払ってしまった、なんて恥ずかしくて言えないわ……)


 なんと答えようか、と、迷いつつ目を泳がすと、隣のルカとバチリと目が合った。

 

 瞬間。

 ルカは悪魔のような意地の悪い笑顔で、レジーナを鼻で笑い飛ばしてみせた。

 今の笑顔にセリフをつけるならば、『ざまぁないですね(笑)』といったところか。


(こ……これからわたくしは修道院に入る身ですし、ぜいたく品の持ち込みは、逆に咎められてしまうもの。手持ちがなくても、全然、まったく、これっぽっちも問題ないわ。もし必要になった時には、街で適当に安物を買えばいいのだし……!)


 レジーナは自身の令嬢らしからぬ身軽さを、心の内でなんとか肯定する。

 リリーには誤魔化すように、それらしい理由を答えておいた。


「――た、旅の移動中になくしてしまうかもしれないから、装飾品の類は荷の奥にしまってあるのです!」

「そうでしたか。いやはや、前回のご令嬢もそうしてくだされば良かったのに……」


 夫婦は苦い思い出話を他にもいくつか語りだし、やれやれ、と息をついた。

 

 話は上手く流せたようだ。

 レジーナはホッとしながら、隣のルカに睨みを返す。


『な~にが荷の奥にしまってあるだ。全部売っ払ったくせに』

『うるさいわね。くれぐれも、余計なことを言うんじゃないわよ!』


 そんな会話を視線だけで交わしながら、レジーナとルカは朝食のパンをのどの奥に流し込むのだった。


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