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15 雪山と相乗り

 初めてオオツノジカに乗った日の翌日も、さらに翌々日も、ルカはなんやかんやと鹿の騎乗練習をしていた。

 子供の頃、馬の乗り方を教わった時にも、暇さえあれば厩舎に通っていたので、もしかしたら動物が好きなのかもしれない。



 そんなルカの姿を眺めつつ。

 山麓の村で数日を過ごすうちに、ついに出発の日が来た。



 村の端に人々たちが集まり、出発の儀式を済ませる。


 レジーナは少し引きつった笑みで、その儀式を見守っていた。

 こんな祭りのような賑わいの中で、出立するとは思わなかったのだ。


 うやうやしく大地に酒を捧げている村長を見守りながら、レジーナは傍らのガンファルへ、コソリと話しかける。


「あの……この儀式は一体」

「あぁ、深く気にせんでいいですよ。珍しく外部から来た人間――しかも歳若いお嬢さんが山に入るものだから、村長も張り切っておられるのでしょう。娯楽に飢えた村ですから、たまにはこういうイベント事を、とね!」


 どうやらレジーナの旅立ちを、娯楽イベントにされたらしい。

 村人たちは楽しそうに酒を飲み、踊ったりしている。

 

(ま、まぁ……みんな楽しそうにしているし、いいのだけれど……)


 本音を言うと、目立たずコソリと旅立ちたかった。

 嫁入り回避の家出、という、少し後ろめたい旅なので。



 一通り儀式を終えると、いよいよオオツノジカへと騎乗する。


 山越えの衣装は、フード付きの毛足の長いロングコートに、分厚いフェルトのブーツ。そして毛皮のズボン。

 体を冷やさぬようにと、レジーナは特にふわふわもこもこの装いとなった。

 ルカはその姿を『毛玉』と揶揄したが、実際その通りの見た目である。


 旅に使うオオツノジカは三頭だ。

 レジーナとルカが乗る鹿が一頭。

 ガンファルの乗る鹿が一頭。

 そしてその他食料やら燃料やら、必要な荷を積んだ鹿が一頭。


 山越え一行には、ガンファルの妻の『リリー』なる女性も加わることになった。

 ガンファルよりも年下で、五十代半ばくらいの女性だ。

 郵便屋としてこの地に居着くことを決めた時に、村の娘を妻に迎え入れたのだそう。

 丸い顔立ちが愛らしい、人の良さそうな女性である。

 

 鹿にも雪山にも慣れているらしいリリーは、道中レジーナにとって頼もしい付き人となる。

 彼女は夫であるガンファルの鹿に乗ることになった。



 一行が騎乗を済ませ、オオツノジカがゆったりと歩み出した。


 レジーナはルカの前側へと収まり、鹿の背に装着された鞍を握る。 

 見送る村長に手を振りながら、笑顔で声をかけた。


「それでは村長様、色々とお世話になりました。行って参ります」

「道中どうぞお気を付けて! 次はお祝いの宴を準備して、待っていますから! がっはっは」


 山男のような村長は豪快に笑って、レジーナへ手を振った。


 結局『クォルタール領主との縁談』という誤解はそのままになってしまった。

 冬の籠城作戦を終えて、クォルタールからこちらへ帰ってきた時に、『残念ながら縁がなかった』とでも伝えて、誤魔化しておこうと思う。



 こうしてレジーナの山越えの旅は、村人たちに見送られながらのスタートとなったのであった。







 視界いっぱいに広がる雄大な山々の間を、オオツノジカ三頭がのしのしと歩いていく。


 出発地点は開けた谷で、雪の厚さは足首の上ほどだった。

 澄んだ青空の下、キンと冷えた空気が吹き通る谷の道を、ひたすら進んでいく。


 しばらくは延々と、その風景の中を移動する。



 景色が変わり始めたのは、昼を過ぎたあたりからだった。

 

 開けていた視界を、雪をまとった木々が遮るようになってきた。

 積もる雪は、人間の膝上ほどに厚さを増す。


 午前中に晴れ間が見えていた空は、いつの間にか鈍い灰色の雲に覆われていた。


 その曇り空から、パサパサと雪が落ち始めた頃には、険しい山道らしい山道に入っているのであった。

 いよいよ本格的な、山越えの始まりである。


 

 レジーナは様変わりした景色に圧倒されながら、まじまじと周囲を観察していた。


 どこを見ても、視界に入るのは雪の白と木の灰色のみ。

 針葉樹と広葉樹の入り混ざった樹林の木々は、枝にたっぷり雪をまとって、真っ白くモコモコとしていておもしろい。


 道中の木々には点々と、鮮やかな赤い布が巻かれている。

 これは雪に覆われた景色の中で、道を見失わないようにするための印だそうだ。

 ガンファル曰く、吹雪いてしまえばあまり意味をなさないらしいけれど。


(雪山の中って、こういう景色が広がっていたのね……! メイトス家の屋敷から遠目に眺めているだけでは、想像もできないような世界だわ)


 何とも言えぬ感動で、思わずため息が出た。

 レジーナの息は白い煙となって、冷えた空気の中に解け消えていく。


 ガンファルとその妻リリーの鹿が先頭を歩き、その後をレジーナとルカの鹿が着いていき、最後尾を荷持ちの鹿が歩む。


 ふいにリリーが後ろを振り返り、レジーナへと声をかけた。


「どうですお嬢様、山道にしては、よく整備されているでしょう?」

「えぇ、驚きました。もう少し鬱蒼としているイメージでしたが、道がわかるように整えられているのですね」

「元々この山道は、ヘイル家の先々代が商業のために開いた道なんですよ。雪の街クォルタールは水晶の産地なので、宝石商の出入りを増やそうとしたのだとか」


 リリーはガンファルの後ろに座り、振り向けばレジーナと会話のできる距離にいる。

 道中たまにこうした解説が入り、レジーナはすっかり観光気分にひたってしまうのであった。


 リリーはニコニコしながら、観光案内を続ける。


「でも、その肝心の水晶があまり売れなかったそうでして。いまやこの道は郵便屋と一部の商人と、夏の間にちょっとばかしの客人が通るだけの道になってしまったわ」

「それはなんだか、もったいないですね。こんなに綺麗な雪景色なのに……」


 オオツノジカは厚い雪をものともせず、まるで芝生をかき分けて進むかのように、雪を蹴散らしスタスタと歩いていく。


 レジーナの安全ベルト――もとい、ルカは、吐き捨てるようにボソリと悪態をこぼした。


「なにが綺麗な雪景色ですか……俺には寒々しい、邪悪な景色にしか見えませんが」

「それはあなたの心が邪悪だからでしょう? もっと素直に景色の美しさを愛でてはどうです? 感性というものは、日々の心がけで磨かれていくものです――……わっ!?」


 空気を読まないルカの悪態を、レジーナがたしなめた瞬間――


 ――ガバリ、と、ルカがレジーナの体を思い切り抱き寄せた。


 そこへ間髪入れずに、バサバサバサッ、と、雪の塊が降ってきた。

 頭上に枝を伸ばした高木から、雪が落ちてきたらしい。

 レジーナに覆いかぶさる姿勢で、ルカは雪の直撃をくらう。

 

 落雪をやり過ごすと、ルカは盛大な舌打ちとともに、自身に積もった雪を雑に払いのけた。

 その胸元に埋まったレジーナは、思わず笑いをこぼした。


「ふふっ、雪景色を馬鹿にしたから、雪の精霊に怒られてしまったのでしょうね」

「……その雪の精霊とやらは、おおらかさの欠片もない、可愛げのない性格をしているようですね。まるでお嬢様のように」


 皮肉に、皮肉を返される。

 また始まった口争いの勝負に、さぁ次の言葉を返してやろう、と思った時。 

 ふと気が付いた。


「――ルカ、ちょっと、もう少し腕の位置を下げてちょうだい。あなたの手、わたくしの胸に触れているわ」


 厚着をしている上、分厚くフカフカした毛皮のコートを着込んでいるので、さして気になるわけではないが。

 一応、男女、そして主従という立場を考えて、指摘しておく。


 ルカは無言で、スッと腕の位置を下げた。 

 わずかに間を空けて、例によって憎まれ口が飛んできた。


「……――申し訳ございませんでした。あまりに平らだったもので、胸と腹の境がわかりませんでした」

「なっ……! 今は着込んでいるからよ! わたくしだって、ドレスを着ればそれなりに段差があります!」

「豊満な妹君と比べると、お嬢様のドレス姿はずいぶんとほっそりとして、胸元も軽やかな印象ですけれど」


 レジーナは言い返せず、ぐぬ……と口をつぐんだ。

 今回の口争いの勝負は、どうやらルカの勝ちのようだ。


(なんて失礼な男……女性の体型を比べるだなんて……)


 ルカを睨みつけてやろうと、レジーナは憎々(にくにく)し気な表情で、後ろを振り向いた。


 ――が、なぜだか勢いよく、顔を背けられてしまった。

 

 ルカの顔は赤く染まっているように見えた。

 先ほど被った雪に触れて、冷たさに肌が赤くなってしまったのかもしれない。


 なんだか毒気を抜かれて、レジーナは表情をゆるめた。


 呆れた顔をしつつ、未だルカの肩や首元に残っている雪の残骸を払ってやる。

 もちろん、からかい口も忘れずに。


「ふふっ、肌が赤くなっているわ。雪の払い方が雑だからそうなるのよ。――次はもう少しスマートな対応を期待しているけれど、ひとまず、わたくしを落雪から庇ったことは褒めてあげましょう」


 ありがとうね、と、言い添えると、レジーナはルカから盛大な舌打ちと睨みを返されるのであった。


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