12 キルヤック家ご隠居とレジーナの婚約成立 (実家サイド)
レジーナの父、メイトス家当主『オリバー・メイトス』は、今しがた使用人から一通の手紙を受け取ったところであった。
その差出人は、レジーナ・メイトス。
オリバーにとっては最初の妻との間にできた、一人目の娘である。
とはいえ、さして思い入れもない娘だ。
いつの間にか結婚させられていた、これっぽっちも好みでない女が産んだ子であったため、養育はすべて乳母と前当主である父にまかせていた。
自分はその頃、華やかで可愛い愛人――今では後妻として側に置いている、妻の『アンドレア』との愛に忙しかったので。
オリバーは屋敷の談話室のソファーでくつろぎながら、のそのそと受け取った手紙を開く。
今日は早朝から三つ隣の街へおもむき、キルヤック家のご隠居を訪ねて縁談の話をしてきたのだ。
もうすっかり疲れ切っている。
そんな時に、娘からの変な手紙を受け取ってしまった。
「レジーナからだと? あいつ今日はどこかへ出掛けているらしいが……出先から自分の屋敷に手紙を出すとは、何を考えているんだ。おかしな奴だな……」
ブチブチと、文句のような独り言が口からこぼれる。
そろそろ夕食の時刻だ。腹が減ったなぁ、なんて言葉もこぼしつつ、手紙へ目を走らせた。
「なになに……? 『修道院へ向かいます』って? ――なんだ、そんなことか……」
どうやら娘はしおらしく、修道院に入ったらしい。
この辺だと農村のボロい修道院か、街の修道院のどちらかだろう。
気位の高い娘だから、きっとそれなりに立派な、街の修道院のほうだと思うが。
「――にしても、修道院入りはいいが、期間が冬の間の半年間だと? 長すぎるだろ! ったく、勝手に決めやがって……。キルヤックご隠居との顔合わせは一ヶ月後だというのに」
レジーナにはなるべく早めに、キルヤック家ご隠居に嫁いでもらう必要があるのだ。
なぜなら、早く金持ちご隠居の寵愛を手にして、メイトス家に金を流してもらう必要があるわけで。
正直な話、オリバーは今少しばかり悩んでいたのだった。
愛する妻の子である、可愛いアドリアンヌの結婚には、それなりに金をかけてやりたいと思っている。
けれど今のメイトス家の財政状況では、結婚資金を十分にまかなうことができなそうで……
かといって、メイトス家のプライドもあり、お相手のセイフォル家に頼り切るのも情けない。
資金を調達するためには、キルヤックご隠居――金持ちの支援は絶対条件なのだった。
(――なのに、金策のレジーナに長々と修道院に籠られたのでは、予定が狂うではないか! アドリアンヌは婚姻の儀を大層楽しみにしている様子だから、なるべく早めに執り行ってやりたいと考えていたのに……クソッ)
オリバーはイラつきに任せて、手紙を力一杯グシャリと丸める。
が、すぐに脱力して、ソファーの背もたれへダラリともたれた。
「……まぁ、顔合わせの時に、修道院から連れ戻せばいいだけか。はぁ……今日はもう疲れた。面倒なことを考えるのはやめにしよう」
疲労でぐったりとしたオリバーは、思考をそこで放棄する。
丸まった手紙を放り投げ、クズ入れへと捨てた。
■
「それではキルヤック様、ふつつかな娘ではございますが、我が娘レジーナのことを、なにとぞよろしくお願いいたします!」
さかのぼること、半日前。
ちょうどレジーナが、街で家出の準備に奔走していた頃。
父オリバーはレジーナの新たな婚約相手である、キルヤック家ご隠居と固い握手を交わしていたのだった。
ご隠居――アードラ・キルヤックの歳は、六十七歳。三人の妻がいる、金持ちの老人である。
すでに家は長子へと継がれ、アードラ自身は余生を楽しむばかりの身である。
灰色の髪の中心が禿げ上がった、ずんぐりとした老人だ。
オリバーは今日、日の出と同時に家を出て、わざわざキルヤック家へ直接出向いた。
手紙でのやり取りなど、わずらわしくてやっていられなかった。とにかく急いでいたのだ。
というのも、さっさとレジーナとの婚約の話を進めてしまいたかったので。
アードラは若い女を四人目の新たな妻に、と、望んでいる。
この枠が埋まる前に――今日のうちに一刻も早く、レジーナを候補にねじ込んでしまいたかった。
(……すでに他の娘と縁談が進んでいたら、どうしようかと思っていたが……間に合ってよかった)
アードラ・キルヤックの屋敷の応接室にて。
ご隠居との握手を終えると、オリバーは、ふぅ、とため息をついた。
たった今、無事に婚約を取り付けることができたのだ。
アードラは皺の深い顔でニヤリと笑むと、オリバーへ返事をする。
「ふっほっほ、こちらこそよろしく頼みますぞ。レジーナ嬢は十八歳の、銀色の髪をした娘とな? 我が妻に金髪、黒髪、茶髪はそろっているが、新たに美しい銀髪の娘を側に置けるとは。あぁ楽しみだ!」
どうやらアードラは、髪に欲をそそられる質らしい。
ならばレジーナは適材だ。
性格と口のうるささに難があろうが、髪だけは美しく、珍しい色をした娘であるから。
そのことにもオリバーは内心ホッとした。
上手く寵愛を受けられそうなので。
機嫌の良い声音で、アードラは言葉を続ける。
「ではオリバー殿、一ヶ月後のレジーナ嬢との顔合わせ、心から楽しみにしておりますぞ」
「はい、こちらこそ、娘共々楽しみにしております。重ねてなにとぞ、よろしくお願いいたします! ……――それで、お話変わりますが、一つ折り入ってご相談があるのですが~」
オリバーは目尻を下げてヘコヘコしながら、一つ話を持ち出した。
「実はですね、我がメイトス家は近々二女のほうも、婚姻の儀の予定がありまして。レジーナと仲の良い妹娘ですので、すこ~しばかし、お力添えをいただけましたら嬉しいのですが~」
「ふほほっ、それはめでたいことだ。どれ、レジーナ嬢との縁談の祝いもかねて、一肌脱ごうじゃないか」
「はは~っ! さすがキルヤック様! ありがとうございます!!」
オリバーは胸に手を当て礼の姿勢をとり、大声で感謝を述べた。
こうしてちゃっかり、アドリアンヌの結婚資金の支援の約束も取り付けて、屋敷に帰宅したのがちょうど日没の時間だった。
趣味の良くわからない老人の、機嫌をとりつつの面談帰り。
オリバーはヘトヘトに疲れていた。
そんな時に、レジーナの手紙が届けられた。
――ので、ざっくり読んで捨ててしまったし、深く考えようともしなかった。
談話室のソファーでダラダラしていると、ふいにガチャリと、部屋の扉が開けられた。
隙間からは、アドリアンヌがニコニコとした顔を出す。
ふくよかな体と赤毛を揺らして、部屋の中へと入ってきた。
その姿を見ながら、オリバーは顔をゆるめる。
生真面目で口うるさいレジーナとは違い、アドリアンヌは無邪気でふわふわとしていて、大変愛嬌のある娘である。
こういう女こそ、男に幸福と富をもたらすのだ。と、オリバーには断言できるほどの自信があった。
なぜなら自分自身が、無邪気でふわふわとした愛嬌のあるアンドレアによって、幸せをもたらされたから。
生真面目で可愛げのない前妻からは得られなかった、安楽と快楽を、後妻のアンドレアからは存分に得ることができたのだ。
そういうこともあり、オリバーはレジーナよりアドリアンヌに手をかけてきた。
幸福と富をもたらすであろう娘に肩入れするのは、何もおかしなことではない。
アドリアンヌが、『トーマス様のことを好きになっちゃいましたぁ』と相談してきた時には、二つ返事で協力することを約束してやった。
セイフォル家にとっても、レジーナよりアドリアンヌを娶るほうが、良かれと思って。
――なんて、取りとめのないことを頭の中に浮かべつつ、オリバーはアドリアンヌを迎え入れる。
ソファーの隣に座らせると、アドリアンヌはクフクフと笑いながら、楽しそうに話し始めた。
「お父様ぁ、あのねぇ、あたしとトーマス様の婚姻の儀はぁ、街の人たちも一緒に楽しめたらいいなぁって思うのぉ。街をあげての大きなイベントになったら、とぉ~っても素敵じゃない? きっとあたしとトーマス様だけじゃなくて、みんなが幸せな気持ちになれるわぁ」
アドリアンヌの言葉に、オリバーはにこやかに頷いた。
「さすがアドリアンヌだ。自分たちだけではなく、領民にも幸せをお裾分けしようというわけだな。素晴らしい案だ」
「そうなのぉ! あたしとトーマス様が馬車に乗って街をパレードする、なんてどうかしらぁ。馬車にはたくさん金の飾りをつけて、とっても綺麗なものにしたいなぁ。綺麗なものは見るだけで、人を幸せにするでしょう? あたし、領地の人たちみ~んなに、幸せになってもらいたいのぉ!」
オリバーはふむ、と舌を巻いた。
婚姻の儀では客として、他家の貴族たちを多く招く予定だ。
豪勢な式にすれば、メイトス家およびセイフォル家の財力を、他家へ知らしめることができるはず。
他家への牽制にはうってつけの手段である。
「なるほど、良い手だ。アドリアンヌ、お前はすごいな……! さすが領主家の娘だ! パレードも金の馬車もとても良い案だから、そのプランでいこうじゃないか!」
「やったぁ! ありがとうございますぅ、お父様! うふふっ楽しみだなぁ!」
アドリアンヌは無邪気に笑い、オリバーもご機嫌でその様子を眺める。
夕食を待つ間、二人は暖かい談話室で、幸せに満ちた団らんを楽しむのであった。