10 実家への手紙とセイフォル家の暗い噂
墓参りを終えて、墓地の入り口に戻る。
時刻はちょうど、お昼をまわった頃だ。
番をしていた墓守に礼を言い、馬車のほうへ進む。
歩きながらレジーナは、この街での最後の予定をルカに告げた。
「最後に郵便屋へ寄ってちょうだい。お父様に手紙を出して、一応、修道院へ行くことをお知らせしておきたいから」
「家出するくせにわざわざ書き置きの手紙を? ははっ、とんだかまってちゃんですね。探さないでくださいっつって、探させて満足する面倒な女みたいな」
「そんなんじゃないわよ。お父様に『行方不明になって死んだ』なんて勘違いを公にされてしまったら、来るべき縁談も来なくなってしまうじゃない」
この家出は、あくまでも一時的なものなのだ。
より良い縁談の訪れを待つための、時間稼ぎである。
死んでしまった、なんて公言されたら、計画が台無しになってしまう。
「手紙はもう用意してあるから、すぐに済むわ。さぁ、ほらほら。早く馬車を準備してちょうだい」
「まったく、人使いの荒い……」
ルカは繋ぎ場から二頭の白毛の馬を引き、馬車をレジーナの側へとつける。
扉を開けて、嫌そうな顔で手を差し出してきた。
(あら、エスコート。本当にこれから毎回、してくれるみたいね。……これで爽やかな笑顔だったら、満点なのだけれど)
なんて胸の内でぼやきつつ、ルカの手の補助を借りて、よいしょと座席へ乗り込んだ。
レジーナが乗ると、馬車の中に空きスペースはほぼなくなる。
馬の飼料である大量の干し草ブロックと、大きな皮袋に入った水と、人間の食料と……その他もろもろの荷物とで、いっぱいいっぱいだ。
車内には青く香ばしい匂いが満ちている。
家出の道中レジーナは、干し草の匂い香る令嬢に成り果てることだろう。
(……香水をいくつか持ってきておいてよかったわ)
馬車が動き出すと同時に、レジーナの肩にはガサリと、飼料の草が降り注ぐのであった。
■
馬車はゴトゴトと、街の通りを進んでいく。
レジーナは小さな手さげ鞄から、封筒を取り出した。
青い蝋で閉じられたその封筒の中には、父への手紙が入っている。
『――わたくしはお父様のお言いつけ通り、修道院へ向かいます。
挨拶もなく家を出てしまい、申し訳ございません。お顔を合わせては、またいらぬ口が開いてしまいそうでしたので。
冬の間の、半年間ほどを嫁入り修行にあてたく思います。修道院への持参金も、わたくしのほうで用意がありますので、ご心配なきよう。
帰る頃にはきっと、殿方に好いていただけるような素敵な淑女へと、生まれ変わっていることかと思います。
修道院に身を置く間に、もし、わたくしあてに別の縁談が来ましたら、どうかすべてにお目を通しておいてくださいませ。
よろしくお願いいたします。
すべては、メイトス家のために――。』
おおよそ、このような内容の手紙をしたためておいた。
軽薄な父のことだから、おそらくこんな書き置きなんて、サラッと読み捨てて終わりである。
細かいことなど、気にもとめないことだろう。
父がぼんやりしている間にさっさと地元を出て、『雪の要塞』に籠城してしまえば、ひとまず安心だ。
雪で閉ざされる冬の間は、無理やり連れ戻される心配もないはず。と、信じたい。
考え事をしているうちに、ガタリ、と馬車が止まる。
郵便屋に着いたようだ。
布袋から金をいくらか財布へ移し、封筒とともに鞄へとしまい直す。
再びルカに手を借りて、レジーナは馬車を降りた。
「では、行ってきます。馬車をよろしくね」
ルカは返事をしなかったが、代わりに腰ベルトに下げられた、ハルバードがガシャリと鳴った。
ものものしい武器の音に顔を引きつらせながら、レジーナは郵便屋へと歩を進める。
玄関扉をくぐってロビーに入ると、人々が雑談を楽しむ声が耳に届いてきた。
郵便屋の中はいつも賑わっている。
馬で街から街へ移動を繰り返す配達員は、色々な情報を持っているから、人が集まってくるのだ。
他の土地の面白い話や事件など、興味をそそられる話を求めて、人々は気軽に郵便屋のロビーに入り浸っているのだった。
もはや一種の社交場である。
今日もいつものように、休憩中の配達員が街の人との会話を楽しんでいる。
その光景を横目に、レジーナはいくつかある窓口の一番端へと進んだ。
腰上高の木製カウンターは、窓口ごとにアーチ状の窓で区切られている。
窓をノックして開けてもらい、受付に手紙の手続きをお願いした。
「この手紙を届けてほしいのだけれど、特別便でお願いできるかしら? もちろん、色は多く付けるわ」
財布から多めの金を取り出し、カウンターへと積んだ。
チラリと金を見て、受付の男が、うむ、と納得した表情をする。
「承りましょう。特別便の内容はいかがなさいます?」
「配達の時間を指定したいの。今日の日没に届けてくださいます?」
「距離にもよりますが――」
受付はレジーナから受け取った封筒の宛名を確認する。
「――あぁ、メイトス様のお屋敷まででしたら、別段遠くもありませんし、問題ありませんよ」
「では、お願いします。念を押させてもらうけれど、絶対に、今日の日没より早過ぎず、遅過ぎずの頃合いで届けてちょうだい」
配達時間の念を押しておく。
早くても遅くても都合が悪いのだ。
もし、万が一、ほとんど可能性はないけれど、父が早々に追ってくるようなことがあってはいけないので。
そして遅すぎて騒ぎになっても困るので、日没あたりがベストだと判断した。
「かしこまりました、少々お待ちを」
受付は手紙と金を受け取り、奥へと下がっていった。
手続きを待っている間、何の気なしに、雑談を楽しむ人々の声に耳を向ける。
――と、ある単語を、思いがけず耳が拾ってしまった。
『セイフォル家』という単語を。
『……あそこの村は確か、セイフォル家の領地でも端っこのほうだったか』
『そうそう、川近くの村。結構大きな農家だったのに、まさかあの家が土地を捨てて逃げるなんてねぇ』
『まぁ、でもわからんでもないな。あそこの村はここ数年毎年、雪解け水で川が氾濫していただろう。農地が駄目になって、酷い思いをしたそうじゃないか』
『今年も雪の降り始めが早いし、今のうちに見限っておくのが賢いのかもな』
『領主も若くて頼りないからなぁ……』
話に持っていかれていたレジーナの意識を、受付が呼び戻した。
「お待たせしました。はい、こちら受領書。大事な郵便、確かにお預かりしました」
「あ、はい。どうもありがとう……」
受領証を受け取り、レジーナはカウンターを離れる。
チラリと、雑談に興じる人々に目を向けながら。
(……大きな農家が土地を捨てた? 大丈夫かしら……トーマス様のお仕事が増えそうね)
もう少し話の詳細を聞きたい気もしたけれど、時間もないので長居はできない。
それに、他家の事情に首を突っ込むのも、良くないことだ。
もう自分は、セイフォル家にとって取るに足らない立場の女なのだから。
あとは当事者であるトーマスとアドリアンヌが、二人で手を取り合って、問題にあたっていくことだろう。
レジーナは一度深く呼吸をし、振り切るかのように郵便屋を後にした。
郵便屋から出ると、御者台に座って待っていたルカが軽い身のこなしで降りてきた。
サッと手を差し出し、馬車に乗るレジーナの補助をする。
この男、数回こなしただけで、所作が驚くほどスマートになっている。
レジーナは引きつった笑いを浮かべた。
「あなた、やればできるじゃない。すっかりこなれてしまって。……というか、どうして今までしてくれなかったのよ」
「お嬢様の手を触りたくなかったので」
「聞いたわたくしが馬鹿でした。この意地悪男」
差し出されたルカの手を、嫌がらせのようにギリリと、力一杯握りしめてやる。
ルカの手はレジーナよりもずいぶんと大きい。子供の頃は同じくらいだったのに。
背の高さも手の大きさも、いつの間にかグンと差が開いてしまった。
意地悪のお返しに、このままこの手を握り潰してやりたいけれど、残念ながらレジーナには握力が足りない。
それどころか――
「痛たたたたたっ、ちょっとやめてやめて!! ……ああっもう、酷い! 淑女の手になんてことを……折れるかと思ったわ!」
「先に仕掛けてきたのはそっちでしょう。自業自得です」
――やり返されてしまった。
ルカは意地悪く笑っていた。
馬車に乗り込み、痛めた手をさする。
「……まったく、油断も隙も無いわね。せっかくエスコートを褒めてあげようと思ったのに」
「やめてください。俺、お嬢様に褒められると蕁麻疹が出る体質なので」
「あらそう、では、これからは毎日たくさん褒めてあげましょう。――さて、口争いはこのへんにしておいて」
レジーナは、ゴホンと咳ばらいをした。
鞄から地図を取り出し、ルカと二人で見られるように広げる。
「そろそろ、出発するとしましょう。地図に経路と時間を記しておいたわ。このルートでどうかしら?」
ルカは地図を受け取ると、ザッと目を通す。
フンと鼻を鳴らして、言葉を返した。
「お嬢様の記したこのルートをたどって遭難したら、末代まで祟ってやりますから」
「怖いこと言わないでよ……。そのルートで上手く進めなかったら、道の変更はあなたに任せるわ。もちろん、あなたのミスで遭難したら、地獄の果てまで呪いますけれど」
地図をたたんで腰に下げた鞄に入れると、ルカはヒラリと御者台へと上がっていった。
レジーナも窮屈な馬車の隙間で、お尻の位置を整える。
二頭の馬がフルンと鼻を鳴らし、馬車はゴトゴトと動き出した。
いよいよレジーナの、嫁入り回避の旅――家出が始まったのだった。