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ねぇ祐くん、もしかして好きな人できた?

 残ったシチューを全部食べてしまってから洗い物を手伝う。


「こうして並んでると夫婦みたいだね」


 出し抜けに莉奈が言うが、こんなことは日常茶飯事である。


 俺は少しも動じずそうだな、と返す。


 一段落を終えて、テレビをつける。

 秋子の邪魔にならないように字幕をつけて音量はゼロにする。

 ニュースがただ、流れていた。


 隣に莉奈が座り、ソファが沈む。


「ねぇ祐くん、もしかして好きな人できた?」


 誤魔化そうと思った。

 莉奈を誤魔化す方法は沢山知っている。

 ぱっと浮かんだだけで十二の方法がある。


 だが、そうはせずただ頷いた。


「駄目だよ」


 間髪を入れずに莉奈が否定する。


「またあんなことになったら辛いよ?」


 あんなこと。

 あれがあったせいで莉奈は変わった。

 俺も少し前までは普通に人と話せなかった。

 だが、もう前のことだ。乗り越えた壁だった。


「ずっと昔のことだ」


「昔があって今があるんだよ」


 昔とはいうが、たまに夢に見ることもある。


 強がっても俺にはまだ現在だった。

 俺たちは子供だった。子供だったからこそ、ただ何の邪気もなく遊べていた。

 昔の俺には友達がいた。沢山の友達がいて、皆と毎日鬼ごっこをしたり、隠れん坊をしたりして遊んでいた。


 だが、ある日誰も俺と遊んでくれなくなった。

 理由を聞いたら、俺が金髪だからだという。

 秋子のことも噂になっていた。

 シングルマザーで髪を染めているふしだらな女だと。


 そんな金があるくらいなら子供に回せばいいのに、と的外れな批判をしている親もいたらしい。

 そしてある日、俺は言われた。


「貧乏で片親の癖に何で髪染めてんだよ」


 かっとなった。今でも覚えている。

 その時、昼休みの校庭に俺はいた。貴也と莉奈がちょうど先生に呼び出されていたので俺は一人でシーソーに乗っていた。


 すると三人の男子がきて俺にそう言ったのだ。

 当時の俺に言葉の意味はよく分からなかった。

 だが、言われた瞬間に頭の芯が熱くなったのを覚えている。

 子供の言うことだ。本心ではなく親が話しているのを訳も分からず言ったのだろう。

 だから、そいつはどうして殴るの、と泣き叫んでいた。


 幸い、殴った子供は大した怪我は負わなかった。

 だが、俺は小学校の集会で吊し上げられた。

 弁解しても暴力は駄目です、とただ一方的に押しつぶされるだけだった。


 涙を流す俺を教師が指弾し、事情を知らない友人だった人たちがひどいと声を浴びせかける。

 俺は教師公認の悪い奴になった。


 そんな俺と遊んでくれたのは莉奈と貴也だけだった。

 俺がいじめられていると莉奈と貴也が一緒にいじめられてくれた。

 遠足の時弁当の中身を踏みにじられて三人で泣いたこともある。

 莉奈と貴也が教師に友達は選べ、と言われた回数はもはや数え切れないだろう。


 そんな日々は小学校でとどまらず中学でも続いた。

 それでも俺がまともでいられたのは、二人が俺を守ってくれたからだった。

 二人がいたからこそ、莉奈がいたからこそ、俺は思えたのだ。

 もし、俺が一人でも、最低でも、そんな俺を許してくれる人がいる、と。


 もし、二人がいなかったら、と思うとゾッとする。

 ここは田舎ではない街で、それなりに悪い誘惑も多い。

 誰々が無免で事故った、タバコを吸って退学になった。

 そういう話をきくとまるで二人のいなかった自分が経験した出来事のように思う。


 それ以来だ。莉奈は俺から異性を遠ざけようとする。

 というよりも、俺が傷つくことを何よりもおそれるようになった。

 恋愛などは御法度で、ことある毎に莉奈は言うようになった。


「私がいれば良いでしょ?」


 今も莉奈がそういった。

 俺を守ろうとしてくれているのだ。

 一度裏切られた俺がもう決して誰にも裏切られないように、絶対に裏切らない仲間しか俺と関わらせようとしない。


 うちのヤンデレはひどすぎる。


 ひどすぎるくらいに俺を大事に思い、守ろうとしている。


 その気持ちは分かる。その気持ちに誰よりも強く深く包まれてきたのだから。


 だが。だが。


「俺にも守りたい人が出来た」


「なんで? 私が嫌いになったの? 私の何がいけないの?」


「莉奈が嫌いなわけじゃない。ただ、俺に守らせてもらいたい人が出来たんだ。莉奈が俺を守ってくれるように、俺もその人のことを守りたい」


「ねぇ、その人の特徴教えて? どんな服を着てるの? 洗剤の匂いは? 柔軟剤は何を使ってる? どんな髪形をしてるの? 髪の色は? どんな美容院に行ってるの?」


「莉奈……」


「どんな音楽が好き? どんな口調でしゃべる? どんな料理をしてる? 成績はどのくらい? 年齢は? 友達の数は? どんな人と友達?」


「莉奈!」


 止めようとしても莉奈は真っ暗な光のない目で繰り返す。

 まるでうわごとを呟く病人のように、どんな? どんな? と質問をしてくる。

 俺が答えようともしないのに延々と訊いてくる。

 最初から返事を期待していないかのように。


 普段、莉奈が俺のために装ってくれているありとあらゆることの羅列だ。

 それが痛いほどによく分かる。莉奈はそういう女の子なのだ。

 俺が頭の良い女の人が好きだと言うから、いつもテストは学年トップで、高校の入試も年度一位の成績だった。


 俺が料理の出来る女の子が好きだと言ってしまったから料理も人並み以上に頑張っている。

 俺が髪の長い人が良いと言えば、髪も伸ばすだろうし、友達がいない人が好きだと言えばすぐに一人になるだろう。

 そういう女の子だ。


 元々、莉奈はこんな子ではなかった。

 もっと暗くて、どちらかというと本を読むのが好きな女の子だった。

 きっと嫌いな物も好きになってくれたし、好きなものも嫌いになってくれた。


「爪の長さは? 祐くん、ロック好きだよね? その人も好きなんだよね? 私も好きだよ、祐くんが好きだから私も好き。コーヒーも好き」莉奈がすがるように言う。「祐くんが好きならどんな人でも好きになる。祐くんが好きだから私も好きなの。ずっと昔から祐くんだけが好きなの。祐くんがいないと私もう、なにも好きになれない」


「莉奈っ」


 語気が強くなる。

 喉に何かを詰まらせたようにして莉奈が黙る。

 莉奈の光のない大きな目からぽろぽろと光を反射する小さな滴が流れ出した。 


「だからお願い。私を遠ざけないで、嫌わないで。祐くんが望むなら何でもするよ? ほんとうに何でも」


 莉奈の小さな手が俺のズボンの上を、ジッパーをなぞるようにさする。

 その手を払いのけた。

 払いのけられた右手を左手で覆う莉奈の姿はまるで俺に祈っているかのようでもあった。


 そんな莉奈にもう一度繰り返す。


「莉奈、お前が俺を守りたいように、俺にも守りたい人が出来たんだ」


「知らない、聞きたくない」


 子供がいやいやをするように莉奈が頭を振る。

 その肩に手を置いた。

 あんな話の続きだというのに莉奈はまるで、救いが舞い降りた、とでも言いたげに俺をまるで救いの天使を見るような目で見つめている。


 そんな莉奈の目に言うには心に咎めるものがある。

 だが、ここで言わなければならない。

 人間の心に火をつけるのは難しい。ただ、待っているだけで心に火がつくことはない。


 ついたのなら、今あるこの灯火をなによりも大事に抱えて、時には強く息を吹き込まなければならない。

 そうしていなければ、どんなに苛烈な人間も、どんなに弱気な人間も燻ることさえもできない。


「莉奈、明日からは俺が一人で起きて、一人で朝食を作る。一人で学校に行って、それから」


「それからなに!」


 莉奈が猛然と立ち上がった。

 リビングに投げ捨ててあるバッグから莉奈が何かを取り出す。

 照明の光が抜き身のナイフを照らし出した。


 フルーツナイフだが、良く研がれてある。

 小ぶりだが、ナイフだ。

 莉奈のような女の子が使っても使い方次第で十分人を殺せる。


 それも、相手が抵抗しないのならば尚更だ。


 俺には、抵抗するつもりがなかった。

 もし、ここで莉奈が俺を殺そうとするのなら、そのまま殺されるつもりだった。


「それから、それから新しい恋人と楽しく過ごして、この部屋に呼んで、それからどうするの!」


 震える声で莉奈が唸るようにナイフを構えてソファに座る俺を跨いだ。

 俺の目に向けられた切っ先が小刻みに震えていた。


「私だけを見ない目ならなくなってもいい」


 莉奈がナイフを振りかぶる。


「それから、いつもみたいに過ごそう」


 ナイフが俺の目のほんの数寸前で止まった。

 俺はただ、動かず莉奈がどうするのかを待っていた。

 俺は小学生のあの日に、一度死んだようなものだ。


 人を殴り、親に迷惑をかけ、社会の中に生きる当たり前の人間としての権利と信頼を失った。

 それを俺の代わりに取り戻したのは莉奈だった。

 俺は頑張って勉強して、小学校のあの連中が来られないような進学校にギリギリで合格した。

 このとき俺を支えてくれたのも莉奈だった。


「心配しなくてもいい。昔に戻るだけだよ。俺が傷つく前の関係に。莉奈が俺を守る前の関係に」


「そんなの無理だよ」


「無理じゃない」


「無理だよ。だって、祐くんは髪も金髪で肌がちょっと黒くてきっと皆に誤解されちゃうし、誤解されてるんだもん。祐くんが好きな人だってきっと祐くんのことを誤解する。だから、だから祐くんのことを分かっている私が、私じゃないと祐くんを愛せない」


 首に冷たいものが当たる。

 莉奈が俺の首元にナイフを当てていた。


「ねぇ、祐くん。私が腕を引くと祐くんの首が切れちゃうよ。ここには大切な血管があるんだよ。そこを切ったら血が一杯出て死んじゃうんだよ」


「やりたいんだったらやればいい。俺は一度莉奈に助けられたんだ。一回くらいならひどいことをしても罰は当たらないぞ」


「抵抗してよ」


「しない」


「なんで」


 ぽろり、と莉奈の手からナイフがこぼれ落ちる。

 ナイフは俺の足の間を通り抜けて床に転がった。

 莉奈が俺の胸にすがりつく。


「なんでなの。なんで、私に殺されても良いと思うのに、どうして私を好きになってもいいとは思ってくれないの?」


 莉奈の頭を抱き締める。

 莉奈の呼吸が胸に熱かった。

 呼吸だけじゃない。熱い涙に俺のシャツが濡れる。


「ごめん」


 呟いた。


 莉奈はしばらく俺の胸で泣いて、黙って立ち上がる。


「そうか、祐くんのことをたぶらかした女がいるんだ。もしかして、レストランの文香? それとも未可子? それとも今日祐くんが助けた四角とか言う女? 全部証拠は撮ってあるのに。でも、そんな。もしかして……」


 文香さんのことも四角のことも莉奈には話していない。

 今の莉奈なら何をするか分からなかった。

 俺は莉奈に宣言した。


「莉奈が俺を傷つけても俺は莉奈のことを嫌いにならない。だけど、もし莉奈が別の誰かを傷つけたら、俺はきっと莉奈を一生許さない」


「だったら、祐くんも私を傷つけないでよ」


 絞り出したような声で莉奈が言う。


「祐くんにとって私は別の誰かじゃないの?」


「家族だからだな」 


 莉奈の肩から力が落ちた。


「家族って……」


 ようやく諦めてくれたようだった。

 莉奈はかわいいし、何でも出来る女の子だ。

 だが、莉奈のことを俺は恋人として見られそうにはなかった。

 だからこそ、家族という言葉が一番ぴったりに思えた。


 こんなに素晴らしい女の子ならすぐに別の誰かを見つけられる。


「分かったよ」


「そうか。じゃあ、明日から普通の友達として俺と一緒にいてくれるか?」


「それは無理だよ。私、もう決めたんだから」


「決めたってなにを?」


「祐くんが私に誰も傷つけさせたくないんだったら、私は祐くんを傷つける。思い切り傷つける」


「莉奈」


 莉奈がナイフを拾い上げる。

 ついに殺されるか。

 そう思ったが、莉奈はフルーツナイフを鞘にしまいこんだ。


「やらないのか?」


「祐くんが死んじゃったら私は誰と一緒になるの? 私は祐くんが好き。それはこれまでもこれからもずっと一緒」


「でも」


「私は決めたの。祐くんの恋路は何が何でも邪魔する。どんなにいい女の人が祐くんのことを好きになっても必ず私が祐くんのことを嫌いにさせてみせる。祐くんに見合う女の子は私以外にはいないから」


「そうしたら俺が戻ってくると思ってるのか?」


「それ以外に方法がないの」


 莉奈が俺に白いフルーツナイフの鞘を突きつける。


「今日から私と祐くんは敵同士だから。手段も問わない。ただひたすら私は祐くんを傷つける。祐くんが私のところに戻ってくるまで」


「だけど」


「私はずっと敵だから。やりかえしてもいいよ。敵同士だから」


 それだけいうと莉奈は鞄を肩にかけた。


「さようなら」


 今まで聞いたこともないような冷たい声で莉奈が言う。

 外に歩いていく莉奈の背中に俺は声をかけようとした。

 それが喉まで出かかって止まる。


 しばらく、無音でニュースを流すだけのテレビを見つめていた。


 突然、秋子の部屋の扉が開いた。


「あれ、まだ起きてたの? 莉奈ちゃんは?」


「帰った」


「なに? 喧嘩? まぁいいけど、仲良くね」


 はぁ、おしっこ、おしっこ、と言いながら秋子がトイレに入っていった。


 時計を見るといつの間にか夜中の二時だった。

 テレビの放送も終わって色々な色の変な帯が浮かんでいる画面になっていた。

 トイレから帰ってきた秋子がソファにのしかかる。


「ねぇ、さっきやってたドラマなんて言うの?」


「ドラマなんて」


 ずっとテレビの音量はゼロだった。


「あっそ、夢でも見たのかな。結構おもしろそうだから見てやろうと思ったのに」


 秋子が部屋に帰っていった。

 足で部屋の扉を閉める。

 直に大きないびきが聞こえてきた。


 なんだか浮ついた気分で俺は風呂に入り、ベッドに横になった。


 あれだけのことがあったのに、すぐに睡魔が俺を襲った。

 夜も遅い。

 俺は睡魔に誘われるがまま、眠りを貪った。

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