一つ注文をつけて良いか?
腰痛の苦しみを置いておけば一日はつつがなく終了した。
あとは委員会に顔を出して、かたつむりが昼寝しているのを眺めるような会議をするだけ。
だが、そこに天音先輩もいるのなら話は変わってくる。今日は生徒会長を交えての会議なのだ。
今か今か、と天音先輩を待つ。先輩がきりりとした仕草と、ぱりっとした声で会議を進めていく様は、俺にとってはどんな映画や漫画よりも気持ちの良い光景だ。
だが、俺はすぐに失望することになる。
「会長は仕事が入ったので今日のところは代わりに私が議長を務めます」
そうキザっぽい口調で壇上に立ったのが御劔だったからだ。
御劔が部屋に入ってきた途端に、生徒会の面々が立ち上がる。
そうするように御劔が言いつけたからだ。御劔が壇上に立つまで、俺たちは立ったままだった。御劔が壇上に立って初めて俺たちは座ることが許される。御劔が天音先輩の威を借りて創出した新しい『しきたり』だった。
御劔が書記の生徒に書記をやめさせた。
「少々稟議したいことがあるのですが、それは生徒会の風紀についてです。生徒会に服装や頭髪の規定を加えようという話が出ました」
耳を疑った。そんなことは誰も聞いていない。それを証拠に生徒会室はやや、ざわついた。
「会長の提案です」
そう御劔が得意げに言うと場は一気に静まった。あの天音先輩の言うなら仕方ない、という雰囲気である。
だが、俺にはとても、天音先輩がそんな提案をするとは信じられなかった。
誰もが口を揃えて天音先輩は規律には厳しいとは言う。
だが、誰かが生まれながらに持っている何かを縛り付けるために新しい決まり事を作ろうと提案するような人ではない。
それどころか、人の良心を信じてルールをゆるめようとする人だ。
挨拶運動だって、遅刻ギリギリで登校する生徒を校門を閉めて入れないようにする意地悪な教師を見張るために先輩が提案した運動なのだ。
「我が校には少々、風変わりな執行部生がいますからね」
いやらしい、舐めるような御劔の視線が俺の浅黒い肌と金髪を撫でていく。今朝の俺と天音先輩との会話を聞いて企みを企てたらしい。
俺以外に髪に色のついている生徒会生は少ない。こうして会議室に集まる生徒会の執行部でも俺の他に男子と女子の二人しかいなかった。
聞き流すにはあまりある横暴にさすがの俺も言い返す。
「地毛の人もいるんですよ」
はは、と御劔が笑う。
「地毛だったとしても所詮は髪。染めてしまえば万事解決でしょう?」
地毛が栗毛の女子生徒や茶髪の男子生徒が申し訳なさそうに肩をすぼめた。同じ地毛に色がついている人間として、誰が地毛でそうでないかは簡単に分かった。
天音先輩がいるとへこへことしているししおどしのような男のくせに自分が仕切り出すとこれだ。
俺はどうしてもこの御劔が好きになれない。
「うちの高校は素晴らしい人間が通う場所です。その素晴らしい高校を導くべき生徒会に素晴らしくない人々がいるのはよろしくない。そう思いませんか?」
御劔の堂々とした語り口に影響されるように黒髪の生徒たちが頷いている。「髪なんて染めれば良いんだ」と誰かが囁き合っていた。
御劔のバックボーンにある御劔財閥ととってつけたような見せかけのカリスマ性に魅せられる生徒は多い。執行部にも御劔のシンパというような生徒は複数いる。御劔の提案を考えなしに肯定するのはいつもこのシンパだった。
「ですから、生徒会に所属する生徒は黒髪を義務付けます。出来ない生徒には生徒会から出て行って貰いましょう」
「そ、そんなの先生は許すんですか?」
栗色の髪の女の子が震えながら声を上げた。たしか、日村という名前の女子だ。
「これは校則ではなく、生徒会の自主努力ですよ。ですから、先生には伝えません。ルールが出来た以上は従って貰います。日本は法治国家なので。まぁ、茶髪の生徒には言っても分からないかもしれませんね」
たまらず俺は立ち上がった。
「髪の色くらいで人の中身を見るような人間の方が生徒会には相応しくないと思いますけどね」
予想もしていなかったところからの反論に御劔がたじろいだ。
三年生だからと黙って聞いていたが、ああいうことを言われるのは気に障る。
髪の色や肌の色でとやかく言うような奴はなによりも嫌いだった。俺もそうやって虐げられてきた。
「そ、それが議長を務めてやってる三年生に言う言葉ですか?座りなさい」
「すみません」
言われたとおりに座る。
あとはただ、御劔の当て擦りや嫌味に耐えるだけだ。だが、言いたいことを言ってやったので満足だった。
「この件については明日、投票を行います。あなたがたがこの学校にとって素晴らしい人ならば賛成と反対、どちらに入れるかは明白ですけどね」
御劔はそう言って生徒会室から出て行った。
今日はたかが会議だというのにどっと疲れた。この後、バイトがあるのを思い出してげんなりする。
あんな提案はする方もそうだが、それに頷く方もどうかしている。
生まれ持った髪の色を自分たちと一緒の黒色にしろとは馬鹿げている。
帰り支度をしていると茶髪の男子生徒と栗色の髪の女の子、日村がやってきた。バッヂを見るに二人とも一年生のようだった。男子の方は山下と言ったような気がする。
「さっきはありがとうございます。代わりに言ってくれて」
俺は笑顔で応じた。
「髪の色で考え方が変わるらしいからこれから御劔先輩の髪を染めてこようと思うんだけど君たちも一緒にどう?」
そう冗談を言うと二人が白い歯を見せて笑った。
○
バイトは七時からだ。まだ、時間がある。
帰り際、図書室に参考書を返しに行った。
人も少なく静かな場所だ。グラウンドで活動する運動部のかけ声が聞こえてくる。
分かり易いと話題の参考書を探しにきていた。バイトで時間が取れず勉学の成績はそれほどよいとは言えないのだ。
そこにある人物を見つけて声を掛けたくなった。
天音先輩だ。
机の上に資料や書類の類いを山のように並べて唸っている。先輩の管理する書類とは思えないほど乱雑で、紙の角が束からはみ出て垂れ下がったりしている。
会議にはこの仕事のせいで来られなかったのかもしれない。
邪魔しては悪いとは思いつつも、さっきの言い合いで少し英雄的な気分になっていた俺は思いがけず声を掛けていた。
「先輩」
「ん?」
天音先輩の疲れた顔が俺の顔を見て明るくなる。
「ああ、笹川か。どうした」
「いえ、先輩が来られなかったのでどうしたのかと」
「ああ、こいつのせいだよ」
机の上の書類たちを俺に紹介するように天音先輩が両手を広げる。
「これは?」
「申請書だ。私から学校に渡すと評価が良くなると言うから請け負っているんだが」
「見ても良いですか?」
断りを入れて書類の一枚を手に取り、また別の書類も見る。
思わず眉をしかめた。これは生徒会長の仕事とは思えない。
部費を増やす申請に混じって、部室にも給水器が欲しいや、テレビが欲しい、中には参考資料と称してゲーム機の購入を打診するような悪ふざけとしか思えない書類などが山積みになっている。
「これを一人で?」
「そうだ。生徒たちの声だから一つ一つちゃんと見てやらないと」
意外と押しに弱いらしい。
天音先輩の生徒への思いやりは分かるが、これはさすがに一人で処理しきれる量ではないし、先輩のような人がすべき仕事ではない。
「手伝いますよ」
反射的にそう言っていた。だが、天音先輩は芯の強い人だ。他人の助けを必要とするような人ではない。
断られてしまうだろう。
天音先輩が誰かと仕事をしているのは見たことがない。
要領が良いから、きっと一人で全部こなしてしまえる。
なんにせよ、無敵生徒会長なのだ。生徒会長の仕事をしながらも成績はいつもトップ。運動神経もいい。
そんな先輩を手伝えることなんて、俺には。
そう思っていただけに天音先輩の答えに俺は驚いた。
「助かる」
「手伝わせてくれるんですか?」
天音先輩が首を傾げる。天音先輩の長い黒髪がさら、と揺れた。
「変な奴だな。普通、手伝いは嫌がりながらするものだぞ」
「それで、なにしたら良いんですか?」
「書類の整理をやってくれ。日付の古い物を上にして並べてくれると助かる。さっき、崩れてしまってバラバラになったんだ。好きなところに座ってくれ」
「分かりました」
好きなところに座っていい。だったら隣に座ろうかとも思ったが、さすがにそれは急ぎすぎである。
天音先輩の正面の席に座り、言われたとおりに書類を一枚一枚整理していく。
途中、天音先輩が口出しをした。
「一つ注文をつけて良いか?」
「は、はい」
なにか至らないところでもあったのだろうか。
「その、あまりにも不適切な要請は笹川が省いてくれ」
書類を書いた生徒をおもんぱかってか申し訳なさそうに言う。
それから俺のためにはにかんだ。