表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

31/31

私の負け

 消毒液の匂いが鼻につく。

 体を起こした俺を「よかったぁー」という聞き覚えのある声が迎えた。


 秋子が俺の手を握っていた。


「ここは?」


「病院」


「病院?」


 徐々に記憶が蘇ってきた。

 後夜祭のダンスの最中に意識を失ってしまったのだ。

 ベッドの周りには秋子だけでなく奈江さんや伊智雄さんがいた。俺は自分の状態を知るよりも前にまずそれにほっとした。


「平気だって言ってたじゃない」


 奈江さんが秋子に笑いかけていた。

 奈江さんは秋子を安心させた後、俺の手をさすった。


「ごめんなさいね」


 初めはなぜ謝られているのかがわからなかった。

 伊智雄さんがもごもごと口を開いた。

「祐介くん、ほんとうに申し訳なかった」

 深々と頭を下げた。

 その時、俺は莉奈が全てを話したのだと理解した。


「あまり君の言い分も聞かずに勝手なことを」


 だが、俺は伊智雄さんに特に怒りも感じていなかった。


「親が子供を信じるのは当然ですよ」


 俺の手を握りながら秋子が笑った。


「私も同じこと言った」


 それでも伊智雄さんの顔には罪悪感が残っていた。俺は伊智雄さんを擁護しにかかった。


「どちらにせよ、知らなければいけなかったことなんですから」


「そうはいっても」


 伊智雄さんは気まずそうにしている。

 俺の体をさすってみたり、襟を直したりしている。

 なんとか印象を回復しようとしているらしい。


「もう、恥ずかしいでしょ」


 奈江さんが笑った。


「でも、なにもせずに許してもらうなんて」


 なにか罪滅ぼしをしたいようだった。


「だったら」


 俺から提案の意志を示した。伊智雄さんがベッドの手すりにがぶり寄った。


「どうした? あんまり高くなければなんでも言ってくれよ。車とかでもいや、車は高すぎるかもしれないけど車でもいいかもしれない」


「ちょっとお父さん」


 先走って取り乱す伊智雄さんに奈江さんが呆れていた。

 俺は笑って言った。


「莉奈をあんまり叱らないでください」


「で、でも、そんなことで」

「お願いします」


 俺は理由を話さなかった。

 だが、伊智雄さんは分かった、とうなづいた。

 奈江さんがからかった。

「高いものじゃなくってよかったぁ、って思ってるでしょ」


「そ、そういうわけじゃないぞ」


 温かい笑い声が病室に満ちた。

 久々に四人で笑った。

 ふと、秋子の顔から笑顔がひいた。小学生の時、俺が門限に遅れたり、宿題をしなかったときの顔をしていた。


「それよりもあんた、ちゃんと寝てるって言ってたよね?」


「な、なんで?」


「先生が言ってたの、過労だって」


「しかもストレスと疲労で気胸になっちゃったんだろうって言ってたわね」奈江さんが補足した。こちらの声も怖い。「でもそれは秋子さんをこんなに心配させてまですることだったの?」


「それは」


 奈江さんに答えられない。莉奈の嘘に騙されていたときよりも怖い声だった。

 秋子が俺に質問を投げかけた。


「いつ寝たの?」


 指折り数える俺を見て、秋子が「馬鹿っ」と怒鳴った。


「もう、あんたのせいで仕事休んじゃったじゃない」


 その目には涙が浮かんでいる。心配してくれていたのだ。

 俺は素直な気持ちになった。


「ごめん」


 奈江さんが言う。その声はもう怖くなかった。


「次からは倒れるくらいなら休んでね」


 俺の劣勢を見てとった伊智雄さんがだがなぁ、と遅まきながらに俺をフォローした。


「男にはどうしても休めない時があるもんだ」


「あなたがそんなに頑張ってるの見たことないけど?」


 奈江さんが静かにいうと伊智雄さんは咳払いをして気まずげに黙った。

 そのままの流れで時計を見やって「あ」と声を上げた。


「そろそろ、来るよ」


 奈江さんも時計を確認した。


「そうね、じゃあ私たちは退散しましょうか」


 奈江さんにうなづいて秋子が立ち上がった。


「じゃ、みんな仲良くね」




 ○




 室の扉が開いた。貴也が顔を覗かせた。


「おおー起きてる起きてる」


 廊下に言ってずかずかと入ってきた。


「お前なぁ、大変だったんだぞ」


「悪いな」


 未可子がどやどや、と入ってきた。


「おおー、生きてる」


 貴也が親指で美佳子をさした。


「こいつ、お前が死んじゃうって泣いてたんだぞ」


「あんただって真っ青な顔してたくせに」


「う、うるせー。俺とこいつとはマブなわけ歴史が違うっつーの」


 俺は首を巡らせた。


「莉奈は?」


「今、会長さんが呼びに行ってるとこ」


「天音先輩も来てるのか?」


 貴也と美佳子が顔を見合わせた。


「すごい食いつき」


「だな」


 世間話をしながら莉奈と天音先輩を待っていた。

 正直なところそれどころではなかった。早く天音先輩に会いたかったし、早く莉奈とも会いたかった。莉奈とは会うだけじゃなくて和解したかった。


 天音先輩と莉奈が遅れているのは、もしかしたら何か事情があるせいかもしれない。そう思っていたが、再開はあまりにもあっさりしていた。


 がら、と病室の扉が開いたかと思うと二人が立っていた。


「祐くん」


 莉奈は落ち着きを払っていた。

 天音先輩と並んで俺のベッドの隣になった。


「ごめんね」


 莉奈は泣きはしなかった。だが、顔中に苦渋を浮かべていた。それが意味するのは、つまり俺と莉奈との戦いの終焉だった。


「私の負け」


 宣言と同時に莉奈が肩を落とした。


「ほんとにごめんね」


 俺は莉奈の頭を撫でるだけだった。この戦いで莉奈をうらんだことは一度もない。だから労うだけだ。


 だが、デリカシーのない貴也は平気で次のようなことを言った。


「にしてもどうして俺たちを助けるような真似したんだよ」


「ちょっと貴也」


 莉奈が動画を送った心境を察してか、未可子が貴也を小突く。


 莉奈としても動画は送りたくなかっただろう。俺を傷つけるための戦いだったのだ。その身のうちでどれほど激しい葛藤が巻き起こっていたのかは想像に難くない。

 莉奈はこのために、親にまで嘘をついた。学校中に噂も言いふらした。つまりは、そんな真似をしてまでも俺を手にしたかったのだ。

 莉奈の愛の重さが今更になってずしり、と俺にのし掛かった。


 だが、結局はそれらをふいにしてでも莉奈は貴也や未可子、そして天音先輩を救った。

 その決断は、俺にとっても莉奈にとっても喜ばしい。


 そのおかげで、俺は天音先輩とはばかることなく二人でいられるし、俺が莉奈にもたらした呪縛を絶つきっかけにもなる。

 忌まわしき昔はもうすでに遠かった。

 あとは振り切るだけだ。


「大丈夫なのか?」


 天音先輩が俺に尋ねる。

 事情を聞いていたらしい未可子が説明した。


「過労で肺に穴が開いただけですって。命に危険はなかったみたいですから」


 過労、という言葉を聞いて天音先輩が唇を噛んだ。


「やっぱり私のせいだ」


 俺は断固として否定した。


「違いますよ」


 シュレッダーでの書類の廃棄にしてもあれは、御劔が天音先輩を人気によって脅迫したせいで産まれた雑務だ。前夜祭や後夜祭での働きもあれは、俺が張り切りすぎた結果である。

 そこに天音先輩が加害者として加わる言われもない。むしろ御劔の被害者だった。


「いや、そんなことはない。私のせいだ」


 だというのに、天音先輩はが、と俺の手を握った。


「痛っ」


 まるで万力か何かで締め上げられているかのような強さである。

 天音先輩が捲し立てた。


「肺に穴が開くと言うことは気胸だろう。私は聞いたことがあるぞ。気胸というのは、一度発症すると何度も再発するそうだ。ずっと起こらなくてもある日突然再発するらしいぞ。私に償いをさせてくれ」


 貴也が引きつった顔で相槌を打った。


「詳しいっすね」


 それを気にせず天音先輩は喋り続ける。


「気胸というのは慢性的なストレスや疲労などで発生する場合もある。つまり、お前はこれからも過度の疲労を感じたり、ストレスを感じるとお前の肺に穴が開いてしまう。しかも気胸というのは死に至る可能性もある。分かっているのか? お前の体はもうお前だけの体じゃないんだ。私を一生守ると誓いを立てたのだから、その誓い通りに生きろ。だが、誓いを果たすためには健康に生きる必要があるな。ストレスを感じさせないために入籍だけにしよう。書類の提出は私がしよう。市役所での手続きにストレスを感じるといけないからな。結婚式は胸が高ぶるからしないようにしよう。私はお前のためなら結婚式なんていらない、仕事もしなくて良い、疲労がたまるからな。感謝してくれるか、ありがとう。お前も知っていると思うが、うちは金持ちだ。お前を一生贅沢させられるくらいの金は持っているつもりだ。ただし、制限はつけるぞ。うちの専属医によると気胸は喫煙による炎症でも誘発される。だから煙草は絶対に禁止だ。煙草吸っている知り合いがいるらしいがその者とは会話も許さない。専属医に気胸には空気の綺麗な場所で過ごした方がいいと聞いた。だから早速、長野にあるゴルフ場を買い上げたぞ。そこに二人の家を買った。今頃建築中だ。嬉しいか、ありがとう。不便があるといけないから車で一時間ほどの場所を再開発するつもりだ。すでに誘致する企業も決まっている。高速道路も出来る予定だ。心配するな、国からの助成金もたっぷり出る。もう色んなところが動いているから後戻りできないな、ありがとう。病院も建てる。腕利きの名医をお前のために用意するぞ。大学へ行きたい? それならもう誘致した。有名な教授が揃っているぞ。男子大学にするつもりだが、これはやむを得い事情だ。どういうわけか、ある宗教の巫女として実権的な立場を譲り受けてしまってな。その宗教の教義によると巫女以外は女人禁制なんだ。その宗教がどういうわけか、私たちの家の周辺を霊場と認定したものだからあたりは女人禁制なんだ、私以外な。私が教義を変えることも出来るが、さすがに営々と続いてきた宗教の教義を変えるわけにも行くまい。これはやむを得ない事情なんだよ。分かってくれるな、ありがとう。ただし、お前のお母様は、ひいては私のお義母様は例外として教義を変えよう。その暁には一緒に暮らすか、街の近辺で暮らして貰おう。なに、不自由はさせない。仕事も辞めて良いし、働きたければそのための病院も新しく建てよう。辺りは便利にするつもりだ。友人に会いたければ私が立会の上で私の定めた会館で会うと良い。そんなに遠くないから遠出する必要もないし、遠出もあまりしない方が良いぞ。肺にさわるからな。うちにいよう。出来るだけ家で過ごそう。好きな店があるのなら教えてくれ、誘致しよう。お前の行きつけのバーガーショップはすでに誘致済みだぞ。基本的には家で過ごすことになるから伝えておくが、使用人は全員男だ。むろん、男同士の方がなにかと気を揉まなくていいようにと言う私からの配慮もあるし、さっき述べたような教義の問題もあるんだ。やむを得ないんだ。これが家の鍵だ。受け取ってくれ。ありがとう。ただし、服の洗濯だけは私がするからな。これは妻としての勤めだし、お前へのせめてもの恩返しだ、だから気にするな。どうしても海外旅行に出たいというのならいくらでも行こう。だが、私の側から離れるな、私が守って貰えなくなるからな。むこうで気胸になった場合も心配するな、医療費でもなんでも私がだしてやる。だからお前はお前らしく生きていて良い。だからもう死なないでくれ。お前は私の初恋だ。死んだと私に思わせないでくれ」


 ようやく手が放された。

 握られていた右手はほとんど感覚がなくなっていた。

 ポケットには家の鍵らしきものが放り込まれてある。


 天音先輩の言葉の洪水に誰も口を挟めないでいた。

 貴也と未可子は呆気にとられて言葉もないようだった。

 この二人がこうなのだから莉奈が黙っていないのではないか、と思ったが莉奈は「はは」と苦笑いをしていた。


 天音先輩がこういう風になるとは思わなかったが、一時的なものだろう。

 色々と言っていたが、天音先輩は俺が倒れたときにほんとうに死んでしまったと思ってしまっていて、それがトラウマになっているだけだ。


 ならば、天音先輩を心配させなければ、いつかは元に戻る。

 そこで俺の腹が鳴った。


 莉奈がはにかんだ。


「実はお弁当作ってきたんだ」


 俺の分だけでなく人数分が用意されていた。

 弁当を囲むための準備をしている間に、天音先輩も冷静さを取り戻していた。

 やや頬を赤らめていた。

 俺はベッドで食べることになった。俺の右手側に莉奈と貴也がいて、左側に未可子と天音先輩が座った。


 ぱか、と弁当の蓋が開く。貴也が歓声を上げた。


「うまそー」


 みっちりと詰まっている料理に手を出させる前に、莉奈が皆を止めた。


「食べて貰う前に謝らせて」


 全員が莉奈に視線を向けた。


「今まで私のせいでごめんね。私は、祐くんの気持ちを考えてなかった。私は私の気持ちだけで行動してたの。だけど、祐くんが倒れて分かった。ううん、倒れる前からわかってた。私が、邪魔をすればするほど、祐くんは頑張る。私にとって祐くんに振り向いて貰うことは大切。だけど、それ以上に祐くん自信の方が大切だって分かったの」


 莉奈が俺の目を見た。


「だから、私負けるよ。もう、この勝負は諦める」


 莉奈は目の縁に涙を溜めていた。

 だが、その涙は決して溢れ出さなかった。


「よく言ったな、莉奈」


 貴也が莉奈の肩を揺すった。


「やめてよ、こぼれちゃう」


 莉奈が涙をこぼさないように上を向いた。


 天音先輩が不安げに莉奈に視線をやる。

 自分がうらまれていないのかが心配だったのだろう。

 その視線に莉奈が答えた。

「それに、私が副会長をやっつけたのは、早月ちゃんが心配だったらだよ。早月ちゃんは私の友達。産まれて初めての友達」


「莉奈……」


 感極まった様子で天音先輩が莉奈を見やった。


 へへ、と照れを隠すように笑った莉奈が皆に弁当を勧めた。


 これがきっと莉奈が持っている莉奈らしい莉奈なのだろう。

 俺がいなければ、俺が弱くなければ莉奈はこうやって皆に優しさをもって触れあえる女の子なのだ。

 少し、はにかみ屋で照れ屋。これなら、他の男が放っておくはずがない。俺は寂しい一方で深く安心した。


「さ、食べて食べて」


 久しぶりの莉奈の手料理だった。

 思い出されるのは、いつもの莉奈弁当だ。


 血や髪などの異物が混入されている。だが、みたところなにもなさそうだ。そもそも、莉奈が俺に体の一部を食べさせる理由もない。なぜなら、莉奈はもう俺を吹っ切っているはずだからだ。


 勝負を諦めたと言うことは、俺を諦めたと言うこと。


 それにここでは、皆に振る舞うつもりで作ってきたのだ。

 俺は真っ先におかずを口に運んだ。

 いつもなら避けていたであろう卵巻きを頬張った。


 そして止まった。


「いただきます」


 それぞれが弁当に箸をのばし、頬張って固まる。

 遅れて俺と同じ卵巻きを頬張った天音先輩がむ、と顔を歪めた。

 回りの顔色をうかがうようにして慎重に口に出した。


「なぁ、血の味がしないか?」


 莉奈が一瞬、笑ったのを俺は見逃さなかった。

 病室の温度が一気に下がった。

 まるで、地面のそこから聞こえてくるような声で莉奈が言う。


「私、諦めたのは勝負だけだから」


 莉奈がにやり、と笑う。

 天音先輩はむ、と口を真一文字に結ぶ。


 二人の視線が俺の目の前で激しくぶつかった。


最終回です。お付き合いいただきありがとうございました! 沢山の人に見ていただけて嬉しいです。またどこかで会いましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ