どうして女の子というのは友達と一緒にトイレに行き、ああやって抱きあいたがるのだろうか
駆け込む生徒が多くなる頃、そろそろ挨拶運動も引き上げというときにあいつはやってくる。御劔宰御劔宰だ。
「どうも会長」
きざっぽい仕草にきざっぽい話し方。制服の上着とズボンは完璧にのり付けされていて、まるで良く研がれたナイフのようだ。
天音先輩が御劔に手を上げ挨拶する。
「御劔か」
「僕も挨拶運動をしようかと思ってね。早月が頑張ってるから」
だったらもっと早くに来い、と言ってやりたくなる。御劔は天音先輩と同じ三年生で先輩だから尊敬すべきなのだろうが、俺はそれほど好きではない。
表面上は清く正しくきっちりとしている。しかも御劔財閥のお坊ちゃまで副生徒会長。整った顔をしていて高身長。だから女子からも人気が高い。ボランティアなどもしていて人望もある。そこは俺も素直に評価はするし、そこからもっと尊敬しようと思ったこともある。
だが、天音先輩を呼び捨てにする。それが許せなかった。
別に天音先輩を呼び捨てにすることをとやかく言いたいわけではない。同級生で友達なら、呼び捨てにするくらいは普通だ。
だが、御劔の呼び捨て方はなんだか違って見える。俺や他の生徒を見下すような、優越感を味わっているようなそんな呼び捨て方なのだ。
俺が早起きする三つ目の理由。
毎朝早く起きるのはこの不埒な御劔が気まぐれでも起こして天音先輩と二人きりで挨拶運動に勤しまないかを見張るためだ。
噂では、御劔先輩と天音先輩とはすでに婚約関係にあるだとか囁かれている。
だが、そんなのは大きな企業の娘息子が揃ったときに囁かれる馬鹿らしいゴシップにしか過ぎない。
それでも、御劔がそのゴシップを現実のものにしようと思う可能性は否定できない。
「おはようございます」
敵意に気付かれないよう普通を装って挨拶する。
「ああ、笹川くん、いたんだね。おはよう」
口を動かすだけの心のない挨拶を御劔が俺に返す。
「ところで笹川、髪はもどさないのか?」
天音先輩から話を振ってくれた。天音先輩は地毛が金髪だと知らない。だからたびたび、髪を黒に戻すように頼んでくる。
俺もなるべく誠実に見せるために髪を黒色に染めたい。天音先輩は誠実な人が好き。そんなことを莉奈から聞いた覚えがあった。
それでも出来ない理由がある。知られてしまえば胸を張れる。だが、教えるには少々恥ずかしい理由だった。だから素直に打ち明けられず、かわしてしまう。
「それなんですけどね、ちょっと事情があって」
「そうか、どんな事情だ」
「それはちょっと」
「良い格好をしたいのはわかる。よく似合ってもいる。だが、来年は笹川も三年だ。皆の模範になるようにしてくれたら私も嬉しいぞ」
「はいっ」
襟が正される思いだ。それに先輩に褒められた。
「そんなことより生徒会の予算の話をしないか」
と、御劔が天音先輩に振った。
「なんだ」
「部活動の予算についてなんだけど」
俺は二年生だが、引き継ぎ作業は任されていない。つまり、まだ下っ端だ。予算の話には馴染めない。こうやって挨拶運動などに参加してなんとか評価されようと頑張っているが、どうしても部活動や成績の良い生徒の方が評価されやすい。俺は事情があって部活動をしていないし、学業もふるわない。
そんな俺の状況を知ってかこうやって御劔は俺をのけ者にしようとする。
だが、悪意を向けられるとなにか大きな壁のようなものを感じて会話に入っていけなくなるのは俺の悪いところだった。
気まずさか逃れるために挨拶に精を出す。きっとHRが始まるまでずっと御劔は天音先輩と二人で会話するのだろう。
俺に聞こえよがしにするためか御劔の声が高まる。
「少し良いお店を見つけたんだけどね」
デートの誘いだ。
すると天音先輩が御劔の話を遮った。
「今は挨拶運動中だ。長くなるのなら後にしてくれ」
ひきつった笑みを浮かべて御劔が引き下がる。平気な風を装っていたが、顔は引きつったままでなかなか元に戻らない。
「じゃあ、僕は教室に戻ろうかな」
とのりの利いた制服の背中を見せてそそくさと退散する。笑いを押し殺すのに精一杯だった。
その後ろ姿に天音先輩が首を傾げた。
「何をしに来たんだ?」
「どうしたんでしょうね」
挨拶委員会を引き上げて、俺はちょっと上機嫌で教室に向かった。
○
「おお、遅刻ギリギリじゃん」
からかうように言ってくるのはギャルの蕪城未可子蕪城未可子だ。
彼女がギャルなのは他でもない。本人がそう言っているからだ。日焼けサロンに通ってわざわざ肌を焼いて、ネイルサロンにも通うという徹底ぶりである。
そんなギャルである未可子とは一年の時から仲が良い。
むこうが勝手に俺を仲間だと勘違いしたのが始まりだ。一年の時から同じクラスで初めの頃はギャル男くんとからかうように呼んできた。
「髪なにで染めてんの?」とうるさかったが、一週間もすると勘違いに気付いて俺に普通に接してくれるようになった。それからずっと友達だった。
あまり細かいことを気にしない性格で、テキトーが口癖、シャツの胸元がゆるく友人とはいえどもどきりとすることがある。
だが、話がおもしろいし、女の子とは思えないほど話題も合う。
俺はチャラいという理由でただでさえ他人が寄ってこない。ほんとうにチャラい人たちともノリが違うし、普通の人たちの中でいると髪が金色なので浮いてしまう。
そうやって孤立しがちな俺には貴重な友人だった。
未可子の右隣の席に俺は座る。そこが俺の席なのだ。
机のバッグハンガーにはちゃんと鞄が掛けられてあった。莉奈はちゃんと届けてくれたらしい。
だが、なにやら良い匂いがする。莉奈が香水を振ったようだ。香水には詳しくないが、いつも莉奈が振っているらしいガバテールとかいうものとよく似ていた。
未可子が時計を指さす。あと三分もすれば朝のホームルームが始まる。
「遅刻ギリじゃん。そんなんじゃ会長さんに嫌われちゃうかもね」
そう、未可子は俺が会長に憧れていることを知っている。
天音先輩は誠実な人がタイプだ、と聞いたのは本当に偶然だった。莉奈がぽろりとそんなことをこぼしたのだ。
二学期の初頭から催されていた朝の挨拶運動には毎日参加していたが、それを聞いた翌日からいつも以上に髪形にも気をつかいなるべく遅くならないようにした。
色はどうにもならないのでそのままだ。
「折角良い気分なのにぶち壊しだぞ。あと声がデカい」
「なに、なんかあったの?」
他人の恋の話に目がない未可子がさっそく、身を乗り出してくる。
「なんども言ってるだろ。俺は朝の挨拶運動に参加してるんだよ」
「そうだっけ?」
「そうなの。それで、今日は天音先輩と話せたから」
ごにょごにょと口元がおぼつかなくなる。今思い出しても嬉しい。だが、残念なところもある。
「どったの?」
「いや、髪の色のことでさ。黒色にしろって」
「しちゃえばいいじゃん」
「出来ないって知ってるだろ?」
そのことは未可子に話したはずだ。
金髪を黒に染めない理由は話が暗くなるから誰にも話さない。知っているのは貴也と莉奈くらいのものだ。
だが、以前話が盛り上がったときにノリで話してしまった。
「なにが?」
「だから、母さんが」
「あーあー、マザコンの話ね」
「マザコンっていうな」
俺は髪を染められない。というのも母の秋子が泣いてしまうからだ。髪を黒色に染めたい、と相談したときは一晩中泣かれて大変だった。そんな話を持ち出したことにも罪悪感がある。
俺の金髪はハーフの母からの遺伝したものだ。
父の色黒と母の金髪というダブルパンチで一気に生まれながらのチャラ男になってしまったが、それでも親からの授かり物である。
これを染めてしまうのはいかに天音先輩に誠実だと思われたいからといっても抵抗がある。
それをそっくりそのまま未可子に話したところ、マザコンマザコン、と散々からかい抜かれたのだ。
「でも、マザコンのなにがだめなん? 別に良いじゃんマザコンでさ。お母さん悲しませたくなくて髪染めないとかまじ尊敬っしょ」
未可子は優しいからそう言ってくれる。だが、天音先輩はそれを知らないのだ。これが俺には大いに気を病ませる悩み事だった。
「そうはいってもな。俺は高校二年だぞ。十七歳だ。なのにお母さんが気になって髪を染められない、ってのはちょっとな。先輩に主体性のない奴だと思われてしまうかもしれない」
「ま、それはちょっとダサいかもね」
「おい」
そうこうしているうちに担任がやって来てホームルームが始まった。
○
一限目の休み時間。
「あ、未可子ちゃん」
「よー、莉奈っち」
二人が抱き合う。どうして女の子というのは友達と一緒にトイレに行き、ああやって抱きあいたがるのだろうか。
「ありがとうな」
一限前の休み時間、教室に話しに来た鞄を届けてくれた礼を言ったが、莉奈は不思議そうな顔をしていた。
なにも言わずに俺の顔を見ている。
「俺の顔がどうかしたか?」
「祐くんなーんか嬉しそうなんだよね」
じーと凝視されている。恋心を莉奈に悟られるわけにはいかない。
普段はかわいいかわいい、蝶よ花よと皆に言われて、お嫁さんにしたい女の子ランキングで毎度上位に食い込む女子パワーの持ち主だが、俺のことになると正気をなくす。やはりどこかおかしい。
「うちと付き合ってるんだよ」
未可子が笑いながら言う。その瞬間、莉奈の目から光が消える。
「嘘だよね」
ドスの利いた声に俺の肝っ玉はすくみ上がるが、未可子は笑いながら「嘘だよ、うーそ」と腹を抱えて笑っている。
「へっへっへ、おもしろ」
女子高生には見えないような笑い方をしている。そんな未可子の様子を見てか、莉奈の目に徐々に光が戻っていく。
「ほんとなの? つまり、祐くんは未可子ちゃんと恋人じゃないってこと?」
ここでふざけでもしたら未可子の首が物理的に飛ぶかもしれない。
「当たり前だろ。俺と未可子は単なる友達だ」
「よかったー」
目に光を取り戻した莉奈がぎゅ、と俺に抱きついてくる。
「もう離さないって決めたんだから」
「一度でも離れたことがあったか?」
「祐くんが離れようとしなければ一度もないよ」
そこへ貴也がやって来て、さっそくからかう。
「おお、ラブラブだな」
莉奈が少し怖いことになっているが、貴也には言ってやらないといけないことがある。
「貴也、登校中に女の子適当にナンパするのやめろよな。怖がってたぞ」
「でも、俺のお陰でお前は良い出会いをゲットできただろ?」
「それがさ」
俺は莉奈に目を向ける。
「私が追い払ったから大丈夫だよ」
莉奈からすーすーなにかを吸引するような音がする。
「あ゛あ゛! いい! これこれ!」
飼い主の服の匂いを嗅いで身もだえする犬のように俺を吸引していた。
貴也が呆れたように首を横に振る。
「お前らはいっつもそれだな。本当に付き合ってないのか? 幼馴染みの俺にだけ教えてくれ。幼馴染みの俺にだけな」
やたらと幼馴染みを強調する貴也に俺と莉奈はほとんど同時に答えた。
「付き合ってない」
「付き合ってるよ」
付き合ってないと少し早く答えた方が俺だ。
その証拠に腹に痛みを感じる。莉奈がぎりぎり、と万力のように俺の胴体を締め付けていた。
「付き合ってるよね?」
莉奈の有無を言わせない語勢に俺は震えた。
貴也が未可子の机に腰掛ける。
「ところでさ、未可子ちゃんはどう? 祐介とか狙ってる?」
「見た目は私好みだけどさ、莉奈ちゃんいるから」
はっはっは、と未可子が豪快に笑う。貴也がいつもの決め顔を未可子に向ける。
「俺には莉奈ちゃんいないぜ?」
「だと思った」
貴也が肩を落とすが、すぐに未可子の隣の女の子に話しかけにいく。
そういう奴なのだ。手ひどく扱ってやるくらいが丁度良い。
めき、と背骨が嫌な音をたてた。俺は悲鳴を上げる。
「いいから、俺を助けてくれ」
結局、俺を助けてくれたのは始業のベルだった。