いつか虫歯になっちゃうぞ
「いや、良いものが撮れた」
俺の前に素早く天音先輩が立ちふさがった。俺を庇ってくれる天音先輩の背中。だが、さっき俺が守ると約束したばかりだ。
俺は慌てて天音先輩の前に立った。
そんな俺たちを御劔が嘲った。
「やっぱり隅に置いておくべき人物じゃないね。君は。怪しいとは思っていたんだ。まさか、こんなところにいるとは思わなかったが」
「今日は一人か?」
皮肉に気付いているのかいないのか、御劔が手のスマホを振った。
「私は写真を撮っただけ」それに、と御劔が笑う。「見たのが俺だけで安心しただろう?」
御劔が俺の背後の天音先輩に視線をやった。
「校内で最悪の評判の人物とキスをする無敵生徒会長か。これはおもしろい」
「そんなもの、どうということはない。自由恋愛だ」
毅然と言い放った天音先輩が俺の肩に手を置く。だが、その手は可哀相なくらいに震えている。その手をみて御劔が微笑んだ。
「問題ないのならばらまいてしまおうか」
「それは」
近づいた御劔が天音先輩の耳にささやいた。
「これで心置きなくお前を操れるな」
やはり、御劔が仕組んでいたのだ。
用済みだ、と言いたいのかぞんざいな態度で御劔が天音先輩にお願いをした。
「さあ、妙な誤解振りまかれたくなければ。ここから去ってもらえるかな」
「私は」
ぎゅ、と天音先輩の手が俺の制服の肩を握っている。ここで天音先輩を苦しんでいるのなら、俺が苦しんだ方が良い。
「行っていいですよ」
「だが」
安心させるために口角を上げた。目尻が引きつっているのは自覚していた。
「だが、は禁止です」
そっと、俺の肩から天音先輩の手が離れる。
馬鹿にしたように御劔が拍手した。
「そうだ、良い子だな。お前の評判が悪化すると会社の株もただですまないかもしれない」
御劔を睨んだ天音先輩が呪詛をはいた。
「この外道」
「早月。出て行ってくれないか。俺はこの男と話がしたいんだ。完璧な生徒会長とではなくてね」
迷うように天音先輩が俺を見ている。気丈な顔を作った。平気だ、と先輩に頷いてみせる。
「すまん」
謝りながら天音先輩が生徒会室から駆けだしていった。
それを御劔が呼び止める。
「鍵がなければ閉められないだろう」
投げ渡そうとする天音先輩に「丁寧に」と命令する。天音先輩の顔が屈辱に歪んだ。
汚らわしい物を摘まむような手で天音先輩が鍵を御劔に差しだす。
「もっとちゃんと渡さないか?」
天音先輩が手に鍵を乗せた。その手を手でさするようにして御劔が鍵を受け取った。ぞわ、と天音先輩の肌が粟立つ感覚が俺にまで伝わってきた。
御劔が顎をしゃくった。
「さ、行け」
そうしなければ腐ってしまうと言いたげに右手を左手で強く握り締めながら天音先輩が走って出て行く。
「さて、ようやく二人きりになれたな。笹川」
「なんで、俺なんだ」
「早月は俺の妻になる人物だからな。だが、恋人がいるのなら、その恋人にも気を遣わなければいけない。俺は礼儀正しいからな」
「で、どう気を遣う気だ?」
「できれば早月と会話をしないで貰いたい。お前が早月のことを思うのなら黙っていた方が良い」
悔しさや怒り。ぶつけたい言葉や、吐きかけたい言葉が頭の中で渦を巻いていた。理性を削りながらぐるぐると回るそれらを腹に抑えた。
「わかった」
「またな」
だが、俺は行こうとしなかった。それを見て御劔は思い当たった、とばかりに笑って補足した。
「心配しなくて良い。早月から仕事を奪ったせいで俺は忙しい。創設者祭が終わるまで、『そういうこと』をする余裕がないんだよ」
抑えきれない笑いが御劔の口からこぼれでた。
「だからといってお前にはどうすることも出来ないがな」
御劔が手を振り、書類を指さす。
「ほら、持って帰らないと」
書類をリュックに詰めているのを御劔はにやにやと見つめながら待っていた。
御劔は丁寧に俺を見送った。
「それじゃあごきげんよう」
○
壁を殴りつけた。
無力感に今にも叫びだしそうだった。ここまであんなに苦労を重ねてきた。
それがたった一枚の写真で無駄に。
いや、と思い直した。
無駄ではない。
少なくとも天音先輩が俺を好きでいてくれたのをしれたこと。これからも、そうあってくれるという大きな進歩があった。
こんな失意の中にあってもさっきのやりとりを思い出すと顔が沸騰するほどに熱くなった。天音先輩もこんな気持ちなのだろうか、と思うと出所のよく分からない力が体中にたぎってくる。
このまま、天音先輩と一緒にどこか遠くに逃げてしまいたい。
俺や天音先輩のことを誰も知らない土地に逃げてしまえれば問題は簡単に解決するように思えた。
だが、俺には秋子がいた。秋子を一人置いてはいけない。
俺が受けた以上の恩を秋子に返す。俺は決めていた。
そのためにもまずはバイトだ。
足取りは重かった。
文香さんにどんな顔をして会えばいいのだろう。
とにかく前に進むしかなかった。
○
店の裏口で文香さんが紙タバコを吸っていた。
細く弱々しい煙が風にさらわれて消えていった。
なるべくフランクに、昨日あったことを忘れたかのように声をかけた。
「サボってるんですか?」
「そう、サボってんの君に振られたから」
チクっと胸に刺さる言葉をあっさりと呟いた文香さんが「よっこいしょ」と立ち上がった。
「ま、お話は仕事終わってからにしよ」
制服に着替え、いつも通りに仕事をこなした。
厨房で皿洗いを手伝っていると、静夫さんが俺にささやいた。
「なぁ、文香のやつ今日は妙に働いてねぇか」
「そうですかね」
「もしかしたら男でも出来たのかな」
「そうかもしんないですね」
「んだよ、もうちょっと気合い入れて喋れ」
「すみません」
気もそぞろに皿洗いを終えた。
皿は一枚も割らずにすんだ。
「じゃ、俺上がるわ」
静夫さんが帰っていく。
店の掃除をしている間、文香さんはパイプをふかしていた。
掃除を終えて手を洗う。
意を決して文香さんの隣に座った。
「あの俺」
「ちょっと、お店やめるとか言わないでね」
それをきいて俺は素っ頓狂な顔をしていたのだろう。そんな自覚はなかったが、文香さんの顔がどんどん赤くなっていくので、そういう顔をしていたのだと気がついた。
顔を逸らして文香さんがパイプをふかす。熱そうな煙の塊が店の天井に昇っていった。
「うわ、恥ずかし」
「どうしたんですか」
文香さんがどうしてそんな恥ずかしがるのか俺は素で分からなかった。
「だって、私のせいで店やめるかも、とか思ってたんだよ」
言いながら文香さんの顔が暗くなっていく。
「でも、傷ついちゃったな」
「俺、何かしましたか?」
「だってさ、君にとっての私はその程度ってことでしょ。もっとショック受けて欲しかったな」
「ショックは受けましたよ」
意外そうに俺の顔を覗き込んだ。
「どんな?」
「俺、今まで誰かに好意を向けることが無条件で良いことだと思ってたんですよ」
文香さんが「げ」と声を上げてげんなりとした顔をした。
「イかれてるね」
「俺のことをそう思ってくれてた奴が、今でもそう思ってくれてる奴がそうだったので、ずっと勘違いしてたんです」
「それが私のあれのせいで崩れちゃったの?」
急に青くなった文香さんが慌てて捲し立てた。
「会長さん、諦めちゃ駄目だよ。そんなことされちゃ、私嬉しいだか悲しいだか分からなくなっちゃうじゃん」
「心配しないでください。乗り越えました」
文香さんは顔色を白黒させてからはぁ、とため息を吐いた。
「ぜーんぶ後手後手じゃん」
「でも、文香さんがいたから俺勇気貰えたんです。ほら、話してくれたじゃないですかパイプの話」
「ああ、それも恥ずかしい」
ぱたぱた、と文香さんが自分の顔を扇ぐ。
「君といると恥ずかしい思いばっかりするなぁ。彼女にでもしてくれないと釣り合い取れないかも」
「それは無理です」
「やっぱ駄目?」
頷いた。
「そっか、ま会長さんいるんだもんね」
「文香さんとは、友達でいたいです」
「どうしても駄目?」
「俺、絶対天音先輩を助けるって今日、約束してきたんですよ」
「あっそ、上手く行ったんだ。そうだよね、君、良い子だから」
パイプを咥えたまま文香さんが机に顔を寝かせた。歯でパイプをもてあそんだ。上下に振られたパイプが机に当たって、かつかつと音をたてている。
「まーた、後手だ」
「俺のこと諦めてくれませんか?」
「あーあー、やだなー」
そうやってだだをこねていたが、いきなりむくっと文香さんが体を起こした。
顔はまだ不満そうだったが、口調はきりっとしていた。
「分かった。私が年上だし、諦めるよ」
「友達ですよね」
「そうそう友達」
さてさて、と文香さんが立ち上がった。
「まかない作ったげるよ」
「作ってくれるんですか?」
文香さんが俺を指さす。
「そのかわり美味い物が出てくると思うなよ」
○
ちゃんと美味しいまかないだった。ただのタコライスだったが、文香さんはオリジナル料理だと言い張っていた。
オリジナル料理、オリジナル料理とあまりにもうるさい。
どんな料理かをきいて欲しそうだったので、仕方なくきいた。
「なんて料理ですか?」
「オリジナル料理、失恋ボンバー」
「なんですかそれ」
「だって、タコライスって気分だから」
「タコライスじゃないですか」
文香さんがパイプを一吸いした。文香さんの顔は甘酸っぱい話を期待してか、にやついていた。
「それでさ、どんなだった」
「それは」
恥ずかしかったが、話してしまうのも悪くはない。莉奈が嘘を学校中に広めたことを話し、天音先輩とのやりとりをキスは除いて話した。
文香さんは友達なのだ。にやにやしながら、俺の話をきいていた。
天音先輩には悪かったが、書類のことについても話した。俺と天音先輩が約束を交わしたところまで話すと文香さんが、やっぱりね、と相槌を打った。
「やっぱ会長さんも君のこと好きだったか」
「分かってたんですか?」
「まぁね。君こんな外見してても結構真面目だし。そんななりしてそんな誠実なの? っていうさ。そういうギャップにやられちゃうってかさ。そんな子に真っ正面から来られたらどうしようもないって」
「文香さんもそうだったんですか?」
「調子のるな」
「すみません」
タコライスのサルサソースに若干トウガラシが残っていた。それがピリッと舌を刺激した。
「でも、あんまり状況がよくなくて」
「そうだろうね」
文香さんには、まだ御劔のことを話していなかった。
「他に何かあるんですか?」
「会長さんって回りの評価が怖いわけでしょ。だから君とこれから付き合っていけるのか心配。だって君、学校では莉奈ちゃんって子に無理矢理した最低男なわけでしょ」
文香さんが肩を寄せてきて、耳元で低い声で言う。
「ま、私ならそんなの気にせず付き合っちゃうけどね」
押しのけてあっさりと応えた。
「文香さんは生徒会長じゃありませんからね」
ぷふ、と文香さんが吹き出した。
「遠慮なくなったね、急に」
「すみません」
「ま、友達っぽくていいけど」
文香さんがパイプに息を吹き戻した。
「でもさ、莉奈ちゃんそれだけで終わると思う?」
「他になにかしてきますかね」
「まぁ、覚悟しといた方が良いよ。君が会長さんと結ばれたって知ったらなにするか分からないよ」
「でも、莉奈ですからね。幼馴染みだし、ずっと俺を守ってくれてたからいざって時にはきっと俺の味方に」
深々としたため息をついた文香さんが、まるで酔っ払いが話のミソを言い聞かせるように音量を大きくした。
「君はほんとうに女の子に甘いね。女の子への考え方も態度も甘い」
「優しいじゃなくてですか?」
「そ、君は甘々。瓶さえも溶かしちゃうほど甘いジャム。いつか虫歯になっちゃうぞ」
文香さんは口から糸のように煙を吐いた。
そう言われても、サルサソースが辛すぎる。
俺の口は虫歯でもないのにちくちくと痛んでいた。
○
「ただいま」
家に帰り声をかけた。
だが、返事がない。この時間なら秋子は帰ってきているはずだった。
電気もついている。消し忘れたわけではない。電気がついているのならいないのはおかしい。
靴を確認した。見慣れない靴が何足かある。
様子がおかしかった。




