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これが無敵生徒会長の全てだ

 図書室から天音先輩が出てきた。俺の顔を見ると戸惑いを隠せないでいた。

 昨日の天音先輩は打ちのめされていた。

 俺と莉奈のどちらを信じて良いかが分からなくなっている。

 そのせいか、どことなく顔に疲れも見える。これはきっと俺のせいなのだ。


 罪悪感に胸が痛む。先輩にとってただひたすら優しい存在でありたかった。だが、そうなると俺は天音先輩を諦めなければいけない。恋を取るか、忠誠を取るか。


 天音先輩とはあと一回しか話せない。

 無言で、書類を受け取る。

 ここでなにも言わなければ、ここのままここで俺は先輩を諦められる。

 縁の下で支えているだけでも十分ではないか。


 俺は未だに、自分の身勝手を許せないでいた。あんなに未可子に説得して貰ったというのにまだ、俺は身勝手を理由に天音先輩を諦めようとしていた。


 違うぞ、祐介。


 お前はただ人間と関わっているんじゃない。相手が人間だというのは当たり前ではないか。

 だが、お前は恋愛をしているのだ。

 天音先輩と恋愛をしているんだ。恋愛じゃないなにかじゃない。身勝手な恋愛をしているんだ。


 唾を飲む。


 口を開いた。


 俺の中で自信が蘇っていくのを感じた。

 体中にある疲れがちゃんと自分の物として感じられた。俺は苦しんでいる。俺は恋をしている。その気持ちが、俺の体と心とに蘇ってきていた。


「先輩」


 最後の一回を、使った。


 立ち止まった天音先輩が振り返るのを待たず、前に回り込んだ。


「今から俺と一緒に生徒会室いきませんか」


「だが」


「お願いします」


 決意に満ちた眼差しで天音先輩を見つめた。だが、天音先輩は乗り気ではなかった。


「要件がないと鍵は開けられない」


「二人だけで話がしたいんです」


 ここで断られてしまったらどうしよう。

 そのことは考えていなかった。だから、あとは熱意で押すしかない。

 大きな声で頼み込む。


「お願いします」


 周囲を気にするように辺りを見渡した天音先輩が「分かった」と頷いた。


「先に行って待っててくれ」


 俺は書類を抱えて生徒会室の前で待った。




 ○




 心臓が再び、高鳴りだしていた。

 苦しいほどに早まっている。それは期待の鼓動でもあったし、恐怖の鼓動でもあった。

 不整脈がいつもより早く鳴っている。手が汗ばむ。


 天音先輩は来てくれるだろうか。


 こうやって待たせておいて、天音先輩は帰ってしまうかもしれない。

 だが、そうしたいのだったらそれでもいい。俺も諦めがつく。


 鍵束の音がした。それを聞いて俺は犬のように顔を上げた。

 天音先輩が鍵を持っていた。

 生徒会室の扉が開けられる。


 天音先輩よりも先に入り、書類の束を机に置いた。

 二人きりの生徒会室に夕陽が差し込んでいた。


 天音先輩は無言で俺の書類の上から束をとり、教卓に座った。


「俺の隣来てくれませんか?」


 天音先輩は戸惑いながらも静かに俺の隣に座った。

 こんなに天音先輩と近いのは初めてだった。

 いつもなら、教卓に隠れて見えない天音先輩の手。

 それが、不安げに重ねられたり、離れている。


「時間、とってくれてありがとうございます」


「ああ、最後の一回、だからな」


 なぜか俺よりも残念そうに天音先輩が言う。

 近くできく天音先輩の声は気のせいかもしれないが、弱々しい。

 遠くできくとあんなに凜々しいのに、どうして近くできくとこんなにも柔らかくてもろそうなのだろう。


 探るように天音先輩が訊く。


「そ、それで話というのは、なんだ」


 意を決した。短く息を吸い込んだ。


「天音先輩」


「なんだ」


「俺、迷惑じゃないですか」


「迷惑だ」


 迷いのない一言に俺の胸は刺し貫かれた。

 このまま死んでしまいたかった。

 このまま、天音先輩の隣で心臓でも止まってくれれば、どれだけいいだろう。


 止まれ、俺の心臓。


 俺はそう願った。

 だが、心臓は無情にも不規則な鼓動を打ち続けていた。忌々しい心臓め。もし、ナイフがあれば刺し貫いていただろう。


 この数秒後、俺はこの不規則で不誠実な心臓に感謝した。


「だが、それが嬉しい」天音先輩の目が光っていた。「お前が私に迷惑をかけてくれることが嬉しいんだ」


 言ってしまった、そう呟いて、天音先輩が自らの胸にぎゅっと手を押しつけた。胸殻言葉を押し出すように声を出した。


「私はお前に頼りたい」


「先輩、だったら俺に」


「だめだ」


 天音先輩が立ち上がる。


 その目が自信なさげにきょろきょろと動いた。


「どうしてですか。もっと俺に、先輩を手伝わせてください」


 心の底からの頼だ。それさえ出来れば何もいらない。だが、その頼みは天音先輩の心の底には届いていなかった。

 なにかが邪魔をしている。

 自信溢れる天音先輩はそこにはいなかった。


「私は弱い女だ。お前が思うよりずっと弱い」


「強い先輩を手伝いたいわけじゃありません。俺は天音先輩を手伝いたいんです。俺じゃ、駄目ですか?」


「お前はいい。ただ、私が駄目なんだ。知っているか? お前が莉奈にしたことが皆に知られてしまっているのを」


「でも、先輩はそれを信じてないんですよね」


 天音先輩が頭を振った。


「私には分からない。皆が正しいのか、それともお前が正しいのか」


 俺は天音先輩が喋るのを待った。


「私はお前が正しい方を信じたい」


「信じたい方を信じてください」


「私はお前を信じている。だが、回りはお前を信じていない。それが私には」


 俺も天音先輩も黙った。

 沈黙を破ったのは天音先輩だった。


「莉奈の言うことは嘘なのか」


「俺に、それは言えません。先輩は莉奈に出来た初めての友達です。俺のせいで友達を作れなかった莉奈に初めて出来た友達なんです」


「やめろ」


 天音先輩が耳を塞いだ。


「私にお前を信じさせないでくれ」


「どうして先輩は」


 どうして先輩はそこまで俺を信じてくれないのだ。

 いや、信じてくれているのだろう。

 天音先輩は最後まで言わない。それでも俺は直感的にだが先輩が言いたい言葉を理解していた。


「これを見ろ。これもこれも」


 大事にしていた生徒たちの意見を天音先輩がばらまくようにして俺に投げつけた。


「これが私の全てなんだ」


 肩で息をしていた天音先輩が深呼吸をした。

 こんなたかが紙はシュレッダーにかけてしまえばただのゴミになる。こんなどうしようもないものが、どうして天音先輩の全てなのだろう。


「この投書は御劔が私に提案してきた物だ」


「御劔先輩が?」


「ああ、二年生で生徒会長になったばかりの頃だった。生徒会長になったばかりで不安だった私に御劔が話を持ちかけてきた。生徒とのコミュニケーションをとればいいと」


 忌々しげに天音先輩が紙を握り締める。くしゃ、と手の中で紙切れが潰れた。


「筋も通っていただから私は頷いた。それから私はずっとこの紙切れの奴隷だ」


 天音先輩の独白を俺は一言も聞き漏らさないようにすべて聞き届けた。


 元々、この投書は常識的な量だったという。

 一日に二、三枚届けば良い方で気楽にやっていた。

 だから丹念に答えていた。

 すると感謝の投書が返ってくる。

 学校へ貢献したことが嬉しくなった。


 丁寧さが評判を呼んだのか、その日からどんどん量が増えていった。

 だが、本業の生徒会長の仕事も忙しくなる。放置し、読まずに捨てることも多くなった。すると思ったよりも多くの苦情が殺到したのだという。


「『失望した』『生徒会長がそんな人だったなんて』。そんな風に悪意をぶつけられたのは初めてだった。初めは気にしないようにしていた」


 情けなさからか天音先輩が顔をそらした。


「だが、二回三回とそんなことを繰り返して、私は怖くなったんだ。そうして私はいつの間にか、この書類たちに躾けられていった」


 力なく、天音先輩が俯き自分を守るように右手で左腕を抱いた。


「不思議なことに、多くを読まなくても時間を使えば苦情は届かなかった」


「それは」


 投書の目的は天音先輩の時間を奪うためにあったのだ。


「私は弱い。弱点を見抜かれてなにもできなかった。その頃からだ。御劔は私を早月と呼ぶようになった」


 俺の中で点と点だった情報が繋がりつつあった。

 それほど知られていないにもかかわらず異様に量の多い投書の数、御劔の言っていた調教という言葉の意味、それらを天音先輩の証言が繋いでいった。


 天音先輩は敗北しつつあったのだ。


 これは御劔の策謀だ。


 天音先輩を忙殺することで得られるのは、生徒会での自由な活動だ。天音先輩と生徒会執行部とのコネクションをこの書類で圧迫し、その間に強権を振るっていた。


 容姿もよく、勉学も励め、運動神経も良い。そんな天音先輩は操るには最適の傀儡だったのだろう。天音先輩の名前を出しておけば生徒たちは納得する。

 そんな天音先輩を縛り付けておくのがこの投書であり、誰かからの評価だったのだ。

 天音先輩はそういう自分の評価が崩れ去ってしまうのをおそれ、書類に対して従順になってしまった。

 そうすることでなんとか自分を保っていたのだろう。


「これが無敵生徒会長の全てだ」


 天音先輩が悔しげに歯がみした。


「皆が慕ってくれる私は、こんなたかが紙や顔も知らない誰かの声をおそれて膝を折るようなそんな弱い女だ」


 弱い、弱い、と何度も天音先輩はそう言った。

 先輩がそうやって自分を評価しているとき俺は、先輩に助けて、と言われているような気がした。


「だったら俺が先輩の膝を支えます」


「だが」


「断られても書類を持って行く。知ってるでしょう?」


「もう、やめてくれ。笹川、お前は強い。私なんかよりもよっぽど強い。だからもう、私は諦めろ」


 天音先輩が逃げ出した。

 まるで握って欲しいと言いたげに後ろに振られた手を俺は逃がさないように握りしめた。


「いかせません」


「どうして、私にそこまでするんだ」


「知っているでしょう。俺は先輩が他の誰よりも好きなんです。天音先輩の弱さもなにもかもこの書類みたいに背負って天音先輩の後ろをついていきたいんです。一生でも構いません」


 俺は笑みを浮かべた。


「その方が嬉しいです」


「だが」


 天音先輩が俺を向いた。息をすれば当たってしまうようなところに天音先輩の顔があった。

 弱々しいが、美しい天音先輩に笑いかけた。


「恋を成就させる方法を知っていますか?」


 天音先輩が小さい子供のように首を横に振った。


「だが、を禁止するんですよ」


 未可子の受け売りだが、恥ずかしがっている余裕はなかった。


「素直になりましょう。先輩」


 腕を伸ばし、天音先輩の肩に手を置いた。思ったよりも温かかった。そのまま抱き締めようとした。

 だが、俺が抱き締めるよりも早く天音先輩が俺の顔を両手で包み込んだ。


 柔らかい何かに俺の唇がつぶれる。


 ほとんど触れ合ったという程度だったが、それでもキスはキスだ。


 天音先輩の顔がゆっくりと遠ざかっていく。


「ほんとうに私を支えてくれるのか?」


 すがりつくような顔で天音先輩が俺にたずねていた。

 断る理由はない。


「はい」


「私はすごく弱いぞ。ものすごく弱いぞ。お前に寄りかかって押しつぶしてしまうかもしれないぞ。こんな関係は初めてだから一生お前に付きまとうかもしれないぞ」


 任せて、と俺は自分の胸を叩いた。


「慣れてますから」


 天音先輩の腕を放す。

 逃げ出しはしない。

 だが、それとなく俺との距離を離した。

 言い訳のためか激しく身振りした。


「わ、私をはしたない女だと思わないでくれ。我慢できなくなってしまったが、誰にでもこんなことをするわけじゃない。お前だから、そうしているだけで」


「分かってますよ」


 俺は天音先輩に跪いた。


「天音先輩、俺に先輩のことを助けさせてください。どんなことでも、どんなときでも助けます。だからそのための許可を下さい」


 すると天音先輩も俺の前に跪いた。


 真剣な表情で天音先輩が頷いた。


「わ、分かった」


 堪えきれず笑ってしまった。


「こういうときは約束に応じる側は立ったままするものですよ」


「そうなのか」


 笑いながら立ち上がり、先輩に手をかした。


「でも、約束できたので満足です」


「そ、それだけで満足しないでくれよ。まだ、頼みたい仕事が沢山あるからな」


 天音先輩が腕組みをした。

 いつもの天音先輩に戻りつつあった。


「覚悟しておきます」


 そこで俺はあることを思いだした。


「それで、俺はあと何回先輩と話せるんですっけ」


 こういう関係になった以上は会話の回数制限はとかれて当たり前だろう。

 だが、天音先輩はぴしゃりと言った。


「もうお前は私と話せない」


「そ、そんな」


「まだ、莉奈の話が嘘だと決まったわけじゃないからな」


 それに、と天音先輩の表情が暗くなる。


「皆はお前が悪者だとまだ思っているんだろ?」


「俺は先輩に疑われていないだけで十分ですから」


「強いな、お前は」


 だが、と天音先輩が流れを変えた。


「だが、私はまだお前を疑っているからな」


「まじですか?」


 サディスティックに天音先輩が俺をなじった。


「大マジだ。莉奈からちゃんと話をきくまでは信用はしない」


「でも、キスはしてくれるんですね」


 天音先輩の顔が真っ赤になった。

 わなわなと唇が震える。


「お前という奴は。今日を最後にお前は私と話せないんだぞ」


「だったら先輩から俺に話しかけてください」


「お前は私を助けたいのか、私を操りたいのかどっちなんだ」


「どっちがいいですか?」


「今は、これで黙らせてやる」


 震える声で言いながら、天音先輩が俺の手を引いた。

 また、天音先輩の唇が俺の唇に重なった。


 その瞬間だった。


 無遠慮なシャッター音が俺と天音先輩とを引き剥がした。

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